2019年1月7日月曜日

俺たちはどう生きればいいのか

去年一番売れた本は「君たちはどう生きるか」という吉野源三郎の本だったという。
「コペルくん」は言う。「僕はすべての人がおたがいによい友達であるような、そういう世の中が来なければいけないと思います。人類は今まで進化してきたのですから、きっと今にそういう世の中に行き着くだろうと思います。
そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います」。

「どう生きるかの」の問いかけだ。

その答えが「AI(人工知能、ロボット)」が“役立つもの”だとしたらコペル君はどう思うのだろう。

仮に僕が「コペル君」だとして、世の中のことに悩んだとき、それなりの答えを教えてくれる「叔父さん」はいない。
自分で答えを見つけて行かなければいけない。そう、この「老人」はどう生きるのかを。

去年から急速に台頭してきたような「AI論」。
どうも、身近の「センセイ」であるテレビは画像付きで、コンピューターグラフィック技術を駆使してAI礼賛の「空気」を醸成しているようだ。

将棋とAIロボットの対決を面白おかしく伝えてもいた。

そもそも「AI」とは何だろうか。僕にはその実相や存在意義がわからない。

人間はよかれと思って開発して来た者に裏切られて来た。
原発がその証左だ。
原発を作る能力や頭脳、技術を持ちながら、それがいったん事故を起こしたら、大爆発、大暴走を起こしたら、人類はそれを制御することは出来ない。
制御できたはずのものは自然界にある「水」だけだった。

いろいろな意味で人間生活に「明るさ」を与えるはずのエネルギーとしての原発は多くの人たちを破局に近い環境に追い込んでしまった。

原発の処理費用は40兆円を超えるだろう。
事故後の予測の5倍にはなるはず。

鉄腕アトムの生みの親、お茶の水博士は、アトムに「人間の心」を説き、「正義とは何か」を教える名教育者でもあった。

今、鉄腕アトムならぬAIロボットに、誰が「人間的教育」をほどこすのだろう。

日本の若手の研究者の間では2050年までにAI(人工知能)が人間の知能を超えるという“結論”を出している。
AI開発者の一人は「偏見なく少数意見も吸い上げるAI政治家は価値観、感情をもつ人間の政治家を越えた存在になるかもしれない」という。

「AIの進歩は目覚ましく、人知を超えつつある。」ということなのだろうか。

人知を超え、外見も人と区別がつかないAIが、政争に明け暮れる政治家を上回る政策を示せば、未来を決める政治の担い手は変わりうるかもしれない。

AIに「最大多数の最大幸福」とはなにかを問えば、人類は“奴隷”になるかもしれない。

あなたはAIと言うものに「支配」されることを是認できますか。
僕には出来ない。

原発と人類は共生存も共存も出来ない。そんな結論を我々は体得したはずだ。
しかし同じようなことがAIとの関係でも起きてくる気配がある。
人間の頭脳が開発したAIが人間生活に利点をもたらすものとばかり思っていたら、突然のしっぺ返しをくう可能性は大だ。

AIの前に跪くのか、AIを睥睨してみるのか。
AIを生かしつつ、解なき問いを熟議し、決断することが人類の知恵となる。という人も居る。

“お茶の水博士”がいて、AIに人間の倫理観や宗教観、死生観を教え込んだらどうなるのか。

流行物のようにAIが取沙汰されているこの世の中が恐い。

人間がコンピューターに利用されるようになるとは思いもしなかった時代は去る。
共生を考えねばならない時代になる。
スマホに支配される時代を国は強制してくるようだ。

政治をAIに任せた方が人間は幸福になるのだろうか。

「コペル君」教えてくれよ、一緒に考えようよ。俺たちはどう生きるのかを。

0 件のコメント:

「猿芝居」のいくつか

もう七月。「思う」ことはさまざま為れど、書けない、書く気にならない無力な日々。 政治が世の中の動きがあまりにもバカバカしすぎているから。 トランプと金正恩の板門店の「会談」を見て、思わず“猿芝居”という言葉が浮かんだ。トランプが猿に人相が似ているというわけでも無いが。 ツ...