2020年3月28日土曜日

「政治判断」なるものの怪

「五輪」と「コロナ」。コロナウイルスが急速に拡大していく中、当然の事だが、五輪の延期が決まった。安倍は自らの主導権を言いつのり、IOCのバッハ会長は40日以内に結論を出すという前言を翻し、延期は自分の判断だという。安倍の提案を受け入れたと。

電話会談に陪席した、小池都知事や五輪担当大臣、森JOC会長はただ、電話会談の“権威付け”のための付属品だったのか。
東京オリンピック。その責任者は都知事のはずだ。安倍は首相であってもIOCと直接話し合い、五輪に関することを決める立場では無いはずと思うのだが。

こんな決定ずっと前から為されるものだった。大方の国民も他国の多くが予想したこと。英断でも決断でもない。

♪何を今更言ってるのか。気まぐれ夜風に情けなんってあるものか。捨てっちゃえ、捨てちゃえ、どうせ拾った地位だもの~そんなコロンビアローズの唄が頭の中で聞こえてくる。
嘘で拾った恋じゃもの~と続いて出てくる。


「延期でよかった。中止でないもの」。
と言うことは「中止」も視野にあったということか。

電話会談後の安倍と小池の「グータッチ」。その意味わからん。
強固な関係ができたということか。

何かとカタカナ語がお好きで、教養指数とばかりに発音よろしくお使い召さる小池。横文字使って、それがわからない記者に「あんたこれぐらいのことわからないの」と颯爽とショール翻して立ち去る小池さん。

決まり文句は、選挙時は「都民ファースト」。今回は「アスリートファースト」。ハイソサイティーは上級国民は「ファースト」がお好み。

安倍が突然ほざいた「一斉休校」のお触れ。あれで、教育現場や子を持つ家庭はどれだけ混乱させられたか。世の非難受けると、再開などは担当閣僚に振る。
責任回避の上手さ。

専門家会議なるものの議を経ないでの独走発言。うん、格好いいぜ。さすがは三権の長。
それからは何でも「専門家会議」。この専門家会議というものもよくわからん。
誰が選んだメンバーなのか。

国民に自粛を呼びかけながら、都内の高級レストランの庭園で、花見の宴に興ずる内助の功著しい昭恵夫人のご乱行。国会で追及されて例の如くうろたえながら、いわばですね~を繰り返す醜さ。
まさに
夫婦善哉、いや、三文漫才。
昭恵はまさに濃厚接触の「ハイ・ポーズ」。ウイルス拡散の「お手本となる笑顔」。
スーパースプレッダーだ。

原発はコントロールとの嘘。嘘で固めた人生行路。
原発はコントロール出来てもバカ女房はコントロール能わず。

安倍にK-1イベントを誹る資格なし。

強いリーダーシップの大きな勘違いを恬として恥じない晋三クン。

「五輪延期」でカタがついたらその翌日は百合子姫の大号令。

これでグータッチの謎が判明する。
延期決定で、安倍は任期一杯の首相の座を確保。挙句、子飼いのNHK記者に「4選」と言わせる。
小池は自民と手を組み、再選を確実なものに。

オリンピックという自己の政治利用。

前日に「東京ロックダウン」を匂わせ、会見では「オーバーシュート」を連呼。外出規制。家をでることまからぬ、のお達し。
テレビで流れるや否や都内のスーパーは食料品確保のための爆発的買い物行列。
またも出現。買いだめで束の間の”安心“を得る都民の群れ。

そんな不安が「スポット効果」を呼ぶことは原発事故後の世相で体験済みなのに。

我々は3蜜の世界にいる。
換気の悪い密室空間を避ける。
人の密集する場所は避ける。
近距離での会話、発生する密接場面を避ける。

「密」の世界は「ミチ」の世界。同じ「ミツ」なら壇蜜がいいな。

安倍がまた無意味な会見をやっている。経済のV字回復を目指すと。
オリンピックの延期に未練がましい言葉を愚痴めいてのプロンプター会見。

自民党の族議員の集まりではバカバカしいことが言われている。
和牛券の発行、お魚券の発行。
実態が飲み込まれていないのだ。

政治判断とはなにか。それには重大な責任を伴うというのが憲政の常道。
格好付けはいい加減にしようぜ。

「ペスト」以来、人類とウイルスのことを考えている。勝敗ではなく、人類の歴史として。
きょうの記者会見でNHKの記者がしていた。
いつになったら終息するのか、その出口戦略はと。

バカだね、こいつら。
「コロナのことはコロナに聞け」。禅語の一つ「松のことは松に聞け」をもじる。無意味だけど。

余談。
安倍首相曰く「PCR検査を保険適用にした。これで全員が検査を受けられるようになります」。
あんな安易な発言はどんな口から出たのだろうか。
seiji

2020年3月22日日曜日

人の死せんとする、その言やよし。

論語にこういう一節がある。

「曾子言ひて曰く、鳥の将(まさ)に死なんとする、其の鳴くや哀し。
人の将(まさ)に死なんとする、其の言ふや善し。」

口語体にすれば、おおよそこういうことだ。
「鳥の死にぎわの悲鳴には、人の胸をえぐるような悲痛さがこもっている。
人が死を前にして言う言葉には、真実がこもっている」。

新型ウイルス問題が医療を含めて大問題になっている中、書かねばならぬことがある。
安倍晋三夫妻の“犯罪”の一つである、「森友問題」。
学校法人「森友学園」の国有地売却問題を担当していた財務省近畿財務局赤木俊夫氏が、佐川宣寿元国税庁長官の指示で決裁文書改ざんを強制され自殺に追い込まれた事件。

その遺書が週刊文春で「公表」された。

最後の手書きの部分。
“今回の問題は、すべて理財局が行った。指示のもとは佐川元理財局長と思います。最後は下部がしっぽを切られる。
なんて世の中だ。手がふるえる。怖い。
命 大切な命 終止符“


NHKの元記者の相沢氏が公表、公開に貢献した。彼の正義感とNHK内の“安倍内閣”との相似性。
彼は彼でNHKの内部を暴露する。
超本人は当時の東京の報道局長小池某。

官僚の「悪事」は安倍が国会での答弁で「私や妻がかかわっていれば、総理はおろか国会議員も辞めます」と興奮して喚いた一言。この言葉が悲劇の引き金。
官邸の指示か、財務大臣の指示か。

財務官僚は安倍の「狂言」を正当化するため、資料の破棄、改ざんに血道をあげた。その張本人が佐川。
赤木氏はいわゆるノンキャリア。キャリアの上級官僚から徹底的ないじめをうける。嫌がらせを受ける。「パワハラ」の典型だったような。

「公務員の犯罪」は地位や身分の乱用で起きる。保身のために起きる。

財務省に大阪地検が加担した。地検特捜部長は不起訴を決め、函館地検の検事正に栄転。また大阪地検の次席に舞い戻りの出世。

例えば元TBS記者の山口某の強姦問題。
閣僚の相次ぐ不祥事。もみ消され不問に付され。

なぜ乗り切ってこられたのか。理解不能だ。
そして、安倍が言えば何でもまかり通る空気が国民にも伝染し、「意志を持たない民」が誕生している。

籠池側の訴訟はすべて棄却。籠池は有罪、佐川はお咎めなしの栄転。大阪地検特捜部長も前述のように栄転。

腐りきった日本の官僚組織の実態を物語っている。それが赤木夫人の“決断”で日の目を見た「遺書」。
奥さんは国と佐川氏に計約1億1300万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。

この提訴を司法はどう扱うのか。再び問う。

政治家の”犯罪“はこれまでも多々あった。司法が機能したと思えるものもあたし司法は死んだと思われるものもあった。

安倍内閣になってから、「司法」は無いに等しい三権の一つとなった。

森友事件、もう一つの問題は安倍夫人の言動、行動。秘書官とされていた
谷査恵子氏はすべてを知っている。しかし、今は異国の地に飛ばされている。



今、新型コロナウイルス問題で、世界は騒然としている。
このコロナ問題でもいきなり「一斉休校」を言い出したり。自分が言ったことの「負の連鎖」には気がまわらない。
面倒になってくると省庁に丸投げする。

コロナの問題からは手を引いてもらいたい。

森友問題。次は野党が佐川を国会の証人喚問に呼び出せるかだ。
もはや刑事訴追の恐れがあるためという言い訳は通用しなくなっているはず。

そしてメディア。
心ある記者には圧力を掛ける。東京新聞の望月 衣塑子記者はめげない。
閑職に追いやられる記者もいる。
前述のNHKの相沢記者はNHKを退社し、大阪の新聞社に身を置いている。
直近では朝日新聞の福島ともつながりが深い
青木 美希いう人は記事審査室に移動させられたこと。朝日新聞においておや。

遺書の公開を機に、この問題を国民は放っておいて良いわけはない。
官僚は誰のために働いているのか。政治家ではなく、国民のためのはず。そうでない現状は政治の仕組みが崩壊しているという事の証左。
国会は政治家が嘘をつく場所になり、官僚が公文書と言う事実を抹消する日本の政治。放っておいて良いわけがない。

それにしても「文春」。
田中角栄は立花隆の「田中角栄研究」で田中金脈を書かれ、児玉隆也の「悲しき越山会の女王」と相まって、世間の指弾を浴び、志半ばにして、潔く首相の座を去った。
これは月刊誌の文芸春秋。
今回の「安倍ゲート」は週刊文春。まさに「アメリカのウオーターゲート」事件をもじってだが。

今の日本のジャーナリズムを考える。考えて、また考える。

2020年3月11日水曜日

9年前と同じ「この国の姿」

今、新型コロナウイルス、COVID-19のまさに“パンデミクス”のような騒ぎに、日本はおろか全世界が慄いている。

今の社会構造は、原因は違うが、あの「3・11」の時と重なって見える。
それは、人間は、少なくとも10年前に起きた大惨事から何も学んでいないということ。
危機管理という問題から、目を逸らしてきたということ。
原発についていえば「事故は起こらない」という安全神話の中に身を置いてきたということ。

それを安全性バイアスと呼ぶかどうかはともかく、勝手に起こらないものとしてきた。原発事故は。
政府というものは、「調べない、知らせない、助けない」。そんな国の姿を9年間見続けてきた筈だが。
当時のこの国の姿はあまりにも異様であり、異形だった。

国は、常に“目くらまし”を図ってきた。それは今も続いている。
「復興五輪」とは何だ。その「イカサマ」に気付いているのは、事故の被害者である、強制避難の「罠」にはめられてしまった未だ6万人に上るという福島の「当事者」だけだ。

五輪のためについた「嘘」、アンダーコントロール。そのまやかしを気付かないふりをして、「聖火リレー」に血道を上げる一部の人。
端的な話、リレーのコースだけは整備され、除染も進められた。
一筋、裏側に入るとどうだ。「廃墟」という言葉しか浮かばない。
そして高線量地域がまだ存在しているということ。

廃炉の問題、汚染水の処理問題、崩壊された地域社会、家庭・・・。

アンダーコントロールというまやかしも、今度の「新型コロナ」ではNot under controlだ。

正しく知って正しく怖がろう。こんなセリフを何十回も聞かされた。
その「正しさ」が何を指すのかいまだもってわからない。

同じセリフを、「コロナ」でも聞かされている。テレビの向こうにいるタレント評論家、専門家という人たち。

「3・11」時も専門家が数多く登場した。登場させた。
そして、我々は“正しさ”が何か判らなくなり、右往左往し、デマに苛まれ、「一億総ヒステリー状態」の中に身を置いてきた。

曰く。
不要不急の外出は避ける。
外出時にはマスク必携。帽子必携。帰宅時には玄関先でコートをパタパタと払う・・・。町内会から貸し出された線量計で家の周囲を計測する。

そして生活の混乱。ペットボトルの水を求めての行列。
近くのスーパーから食料品は消えていた。
そしてガソリン不足。

1号機の爆発のテレビ映像に恐怖を覚えながら、生活の手段を考えていた。
あの日から数日間、どんな食事をしたか記憶が無い。

それが刊行されるかどうかは不明のまま、連載しているコラムの原稿を届けに行った。FAXもパソコンも使えなかったから。
慣れ親しんだ町はほとんど人はいなかった。どんよりとした空気に覆われていた。

デマのチェーンメールが送られてくる。もちろん“知り合い”からだ。
最初はデマと返信していたけど、労力がばかばかしくなり止めた。

やがてビッグパレットに富岡、川内の人たちが避難させられてきた。
何千人の「集団雑魚寝」。

あのころもし新型ウイルスが発生し、感染が拡大していたらどうなっていたのだろう。
あの時の光景に怯える。

そして2020年の今、放射能に変わりCOVIDO-19に人々は怯えている。
テレビは相変わらず「正しく知って正しく怖がろう」と言いながら、何が正しいのかの「解」は示せない。

おなじみの「風評被害」。それによる差別とイジメ。

当時は水が、ガソリンが無かった。放射能測定機器もなかなか手に入れにくかった。

今はマスク不足、トイレットペーパー、ティッシュペーパーの欠品。そして、医療体制。PCR検査機・・・。
もしかしたら、医療崩壊への危機。
高齢者の切り捨て。

今度のコロナウイルスの件、政権は事態を、当初は「甘く」見ていた。
拡大しないものとして。

官邸の危機管理。感染症の専門家はいなかった。結果厚労省に丸投げ。
「調べない、知らせない、助けない」の「論理」が働く。

そして、政治家は現場を知らない。現場主義の思考がない。
専門家も、“研究医師”だ。臨床医師が加わっていたのかどうか。
いわゆる刑事事件でも「初動捜査」が事件解決のカギを握る。
政治家はまずもって「初動」から間違えていた。
クルーズ船への長期拘留。患者を拡大させた原因の一つではないか。

武漢からのチャーター機での帰国。日本のホテルの中での滞留。
状況は大違いだ。

3・11時、政府は国民に知らせることをためらった。放射能を測定しても公開しなかった。

「危機管理」ということを政府はもっともっと真剣に考えるべきだ。
官僚機構や官邸官僚が的確な「民情」を上にあげないから、安倍の「独走」が世間を混乱させる。

原発事故当時の「非常事態宣言」はまだ解除されていない。理由はわからないが。そして「ウイルス」では「緊急事態宣言」。法に基づいた私権の制限も起こる。

だから、3・11は過去のことではない。そこから学ぶことを学ばなかった権力者の群れ。
そして、あまりにも似通った9年前と今。

2020年3月2日月曜日

覚醒しろよ、内閣記者会。

官邸の記者クラブ。内閣記者会とも永田町クラブと言われている。
そこに多少の出入りはあったものの、約20年間所属していたものとして一言書く。

今更ながらだけど、権力とメディアの関係。それは常に「緊張」がともっていてしかるべきだ。
記者が安倍に“同化”し、安倍の猿芝居に手を貸しているような今の在り方に今の政治の世界の異常さとメディア界の凋落を感じる。

2月29日の記者会見。記者会見というより安倍の演説会だった。
プロンプターを読み上げるしか能のない安倍。
言葉尻だが、万全を「マンゼン」と読んでいた。毎度の誤読。
そして、内容は形容詞を並べ立て、大方の人が周知のことを言っただけ。
全校休校の言い訳。自らが決断した。責任はすべて私にある。またも出ましたある種のヒーロー現象。

安倍内閣になってから、記者会見は自己宣伝の場に化した。
この日の会見は、国民生活を直撃しているコロナ問題について、各種の疑問に答えるべきはずの、特別な会見のはず。国民生活を大きく左右する重大な会見、長時間かけての説明ややり取りが行われるものとある種“期待”していた。
しかし、その期待は見事に裏切られ、いつもの会見と同じようなものだった。

“期待”は見事に裏切られ、空虚さだけが残った。
あれで「国民に対して丁寧な説明をした」とほざかれてはたまったもんじゃない。
記者会見を安倍が申し入れたのか、記者会側が申し入れたのか。
どちらにしても、安倍の独演会。

首相の記者会見は1時間というのが慣行だった。
記者会見は基本的には記者クラブが主催するもの。
確かに、事の是非はともかく、首相会見の前には各社の代表者会議というのがあり質問項目を決めていた。しかし、それは代表質問をする幹事社が何を質問するかをそうだんするもので、それは“当局”に事前通告されていたが、その他は「自由」だった。首相の答えが判然としないと、何回も重ねて質問する、いわゆる「二の矢、三の矢」を問うことも自由だった。
幹事社の質問があらかた終わると「各社、自由にどうぞ」と声をかけ、最前列のキャップをはじめ、後方の記者も質問を繰り出していた。

会見の仕切り役は当局ではなく、幹事社の意向によっていた。
会見の冒頭発言に15分も首相がプロンプターを見ながら喋り捲るなんて言うこともなかった。
佐藤栄作首相時の「テレビだけに直接話します。他は出て行ってください。やりましょう」というけんか腰。記者団は「出よう出よう」と席をたった。広い会見室で一人カメラに向かって話す宰相の姿はみじめだった。

今は官邸に置かれた内閣報道官という人が会見を仕切る。
一人一問という制限を課す。質問者は所属と氏名を名乗ってから質問してください。手が上がる。報道官はその人の名前を言って「どうぞ」という。
なんだい、知り合いじゃないか。ならば名乗らせなくてもいいじゃないか。

細川内閣になってから、彼がペンで記者を指して質問するという異様な光景がうまれた。
福田康夫内閣時、記者の質問に「あなたと私は考えが違うんです」と言わせたこともあった。

過日の会見はわずか32分で終わった。打ち切られた。強権発動。
記者席から「まだ質問があるんです」という女性の声が聞こえたが、一瞬の躊躇を見せるようにして安倍は会見場を後にした。

権力とメディアの間に自由闊達な応酬がないというのは大げさに言うわけではないが民主主義に反する。
そんな会見の在り方を了としたのは記者の側だ。「時間無制限一本勝負」。
今回の会見はそういう重大な会見のはずなのに。

32分で数問の会見しか行わず、それもAP通信の記者も含めての「出来レース」と映った。

記者会見の意味をなさない。それを許す内閣記者会の記者の、記者としての矜持。

例えばだ。専門家の意見も聞いて全校休校にした。それは、いつ、どんな専門家だ。その疑義は残ったままだ。それが彼のいう「丁寧な説明」なのか。

今日、国会で、参院予算委で「化けの皮」がはがされ始めた。
しかし、国会の場でも彼は言う。「質問通告が無いから答えられない」と。

官房長官の「懇談」では記者はレコーダーやスマホを籠にいれて差し出していたということもあったと聞く。

茶番劇のような会見があって、きょうの紙面は安倍批判。その乖離、甚だしくはないかい。

この日の会見の幹事社は朝日新聞とテレビ朝日だった。もちろんそれらの記者は知らないが・・・。

新聞協会で、記者会見の在り方のついて真摯に再検討する時期にきている。
32分の会見を了とするような会見なら、各記者の疑問に答えない会見なら止めたほうがいい。
叔父さんにならって、テレビカメラに向かってプロンプターを読みあげていればいい。

何人かの首相に執拗に質問をした記憶がある。
しかし、それで何らかの職務上の不利益を被ったことはない。

2020年2月28日金曜日

殿、錯乱状態にあらせられ。

まずは言葉の疑問から。
「全国の小中学校、高校を春休みまで、休業とします」。突然の安部の声明。
どのテレビを見てもスーパーで“休業”を“休校”とカバーしてやっている。
郡山市でも“休業”と通知を出している。
普通の感覚と知識を持った人は誰しも「休校」だ。
役所言葉に、業界用語として学校は休業と呼ぶのだろうか。

COVID-19の問題が起きてから安部政権は何も手を打ってこなかった。
対策費は150億円。他国は、国民の生命と生活を守るために億ではなく、兆の単位の国家予算を用意している。
甘く見ていたんだな。いや、今でもか。

クルーズ船の対応に失敗した矢先、新型ウイルスはまさに燎原の火の如く、ほぼ全国に拡散されている。
東北には感染者やいない、そう大見栄を切って、パーティーを行った秋葉首相補佐官の開き直り。東北にも感染者はいる。
福島にも21人。いずれも陰性だが。
それらを国も県も隠す。

万策尽きた格好の安部は毎日、「お仲間」の中に身を置いて、どうやら心の平静を保ってきた。
でも、それも限界。
お山の大将は力づくに出る。

「一斉休校」。

それが、市民生活にどれほどの影響が出ることなのかを認識する気さえない。
前日は「自衛策の要望」、翌日は「暴挙」。
その間に誰かと相談したのか?協議したのか?。そんな痕跡もない。
大胆に行きましょうと“進言”した奴がいたかどうか知らないが。

メディアと称するものが様々多様化した。
PCR検査を受けるのが陰性か陽性かの分かれ道。とされている。
しかし、その神頼みのような検査もなかなか、というかほとんど受けられない。
PCR検査の結果が唯一の物証とされる世間。

原発事故後、農産物は例えば農協にある検査機器によって「ND」未検出の測定結果を待たねばならなかった。
同じような光景だ。

地球上にはセシウムをいう放射性物質は常に存在する。「ND」と言っても数値は決してゼロではない。
“コロナ”、きわめて微細なウイルス。体内に一つでも残っていれば、いや、残るものだが、陰性が陽性化するケースもあり得る。

リハビリに病院に通っている。小学生の子供を持つ療法士は困惑していた。
奥さんもリハビリ療法士で仕事を持っている。休めない。
故郷、岩手県から親に来てもらい、家にいる子供の面倒を見てもらうかどうか腐心していた。

簡単に一斉休校と言うのは楽だが、そのことが与える影響は計り知れない。
看護師だってそうだ。今夜も家族会議が続くだろう。

医療の現場に与えるPCR検査のことも含めて、医師会会長の姿は見えない。
世界医師会の会長はどう考えているのか。

こんな一事をもってしても、医療崩壊がこれまで言われていた問題以外に始まっている。

きょうになって安倍の「カケ友」の萩生田文科相も強制ではなく、自主的な判断の要請だ、とかばい始める事態に。

何も手を打っていない、PCR検査も受けられない、などなどの批判が相次ぐ中、ついに安倍は錯乱状態になったようだ。
安倍の決定には専門家は関与していない。

関係閣僚会議の対策本部に、医学者、教育者、社会学者などなど、まともな専門家を加え、鳩首協議すべきことを独断でやる。
この国は、まったくもっておかしい。子供の将来のことが考えの中に入っているのか。いない。それは、それぞれで考えろという得意の丸投げ。

トイレットペーパーがなくなっていた。ドラッグストアに買いに行った。
ものの見事に棚が空。
デマが買占めの原因らしい。

医療は崩壊、社会構造も崩壊。教育も崩壊。中小企業も倒産。飲食店も閉店。株価は下がる一方。国そのものが崩壊していると言えなくもない。

ウイルスに責任があるわけではない。
つとめて、政治の責任、政治の不作為、政治家の無知、それらが絡んだ“複合汚染”だということなのか。

何がどう転がるか。数日様子を見るしかないのが悔しい。

2020年2月26日水曜日

静かに進行している「パンデミクス」

先月か、「不条理」について書いた。
カミユの「ペスト」、そのエンディングにはこんなことが書かれている。
“リウー(主人公の医師)はこの町から立ち上る歓喜の叫び(ペストは終焉したという当局の声明を聞いての)を聞きながら、この歓喜が常に脅かされていることを思い出していた。というのも、彼はこの喜びに沸く群衆の知らないことを知っていたからだ。それは、様々な本の中で読めることだ。
ペスト菌は決して死ぬことも、消滅することもない。数十年間も、家具や布製品のなかで眠りながら生き残り、寝室や地下倉庫やトランクやハンカチや紙束の中で忍耐強く待ち続ける。そして、おそらくいつの日か、人間に不幸と教えをもたらすために、ペストはネズミたちを目覚めさせ、どこか幸福な町で死なせるために送りこむのである“。

カミユの「ペスト」は1947年に刊行されている。わずか70数年前にこんな「文学」があったということ。
現代の黙示録のような気がしてならない。

多分、同じ頃か、日本では結核菌が大流行していた。カラ咳をしている人は結核患者とされていた。近ずくなと大人から口を酸っぱくして言われた。結核菌は何処にいるのか何処からくるのかわからなかった。
結核患者への療法は「サナトリウム」というところに患者を隔離し、有効な治療薬はなかったはずだ。
いま、結核菌を持つ人は少ない。

これまで我々が知ってきた菌、ウイルス。インフルエンザがその代表だが、6つに菌に脅かされてきた。
そして7つ目が今回の「COVID-19」。新型ウイルス。

科学文明は進み、我々は便利で快適な生活を得るようになった。テレビのCMがそれを象徴している。しかし、生命体であるはずの「ウイルス」に対しては、その防御策や治療薬はまだ無い。AIによる豊かな生活とは無縁だ。

今度の「事件」」、数々の「わからないこと」が多すぎる。
“震源地”は本当に武漢なのか。カエルやヘビが感染源なのか。
ならば、なんで中国政府は化学工場を爆破するのか。

ダイヤモンド・プリンセスという豪華客船の怪。船籍や保有会社が最近やっとちょこっと伝えられる。船籍イギリス、所有者はアメリカ。

船長は船内の”録音・録画“を聞けば、どうやら日本人のよう。
船の中のことはすべて船長に権限があるとされてきた。
しかし、船長の「権限」はどれくらいあったのか。無いに等しい。

長期間にわたる船内での“隔離”。隔離は成功しなかった。蔓延に火をつけいるようだし、死者もでた。
大黒ふ頭に着岸後の検疫体制の不備。船内の“隔離体制”の不備。
下船は厚労省の指示待ちだという船長。

素人考えだが、すぐに全員下船させ、しかるべき隔離措置をとるべきだったのではないか。

メディアの特にテレビの問題。昼のワイドショーは何を考えているのか。
興味本位。その一言。それがテレビの存在意義か。
視聴者の不安をやたら煽ってはいないか。

感染と発症とは全く違う。しかし、テレビの扱いは感染、即発症。
もしかしたら、COVID-19はすでにして日本の中にも侵入していて、「仲間」の到来を待って、一斉蜂起したのかもしれないという”妄想“が湧く。
感染源の特定や感染経路の探索はもはや不可能。

いつ、どこに登場するかだれもわからない。
誰しもが「菌」の中にいるのかもしれない。

マスク(それはウイルス防御に役立つかどうかは別)の買占め屋が登場し、ネットで高値で売るという卑劣な輩がやはりいるということ。

消毒液も品切れ。これも買占めの対象か。

新型ウイルス事件が起きてから、これはつとめて「政治問題だ」と言ってきた。
しかし、政治は機能していたのか。していない。
今頃、なにやら指示を出す。

対策会議は政府だけ。学者など専門家は含まれていないようだ。
前日の専門家会議の提言は聞くに値するが、国の指針は遅きに失した。

肝心な「初動」が無意味であり、政治の「空白」が事を大きくした。
政治の要諦は「想像力」だ。想像力を働かせれば、先手、先手と手を打てたはず。

今日になって安部は「イベント中止」と言い出した。もう民間ではやっていること。
医療体制の構築、治療薬の開発。PCR検査も所管の保健所は逃げている。

国は、地方自治体に振る。保健所は医療機関に振る。
みんな責任回避だ。

原発事故の当時が浮かぶ。保健所に「ホールボディーカウンター」の検査に行けたのは、騒ぎがとりあえず一段落してから。

「お役所仕事」とは昔の人はよく言ったもんだ。

正しく知って正しく怖がろう、恐れよう。原発事故時に言われた“標語”。
どうやって正しく知るのか。国からの「情報開示」はなはだ心もとない。
正しく怖がっている。でも、どこへ行けばその不安は解消されるのか。

やはりあらゆることが、「不条理」にあり、我々は、その不条理にさいなまれている。

安部の野望だった東京五輪。五輪のことは夢のまた夢。中止するなら早いほうがいい。まともな関係者や選手には気の毒だが、諦念を持ってもらうのも政治の課題。ヘビの生殺しからの脱却。そうあるべきとも思うのだが。

新型ウイルスの蔓延は、今が盛りなのだ。

2020年2月8日土曜日

マスクは何処に消えた?

中国、武漢発の「新型コロナウイルス」。依然、世の中は騒然としている。騒擾状態といえるかも。死亡者も。

連日、ワイドショーは「専門家」を呼んで、さまざまな“見解”が伝えられる。

「正しく知って正しく怖がろう」ー司会者のご託宣。
今は、何が正しいのかわからない。正しいことを知る術はテレビだということか。

例えばマスク。手洗い・洗顔・マスクと言う。しかし、マスクにどれだけ“効果”あるのか。
「正しく知った」人たちは、日本人を含めた感染者の拡大とともに、マスク買いに走った。あっという間の品切れ。中国から「爆買い」に来た中国人のように、奪い合いのような光景は見られないものの、近所のドラッグストアでマスクを買えないで途方に暮れる母娘の姿を見て、入荷の見通しはありませんという店員の応対は冷酷にすら見えた。

マスクは必要不可欠なものなのだろうか。

WHOの危機準備担当局長は「マスク着用は感染予防にはならない」と指摘している。手洗いの方が効果的だという。
マスクは医療関係者などの間で、感染拡大を抑止する助けにはなるが、一般の人のマスク着用は必ずしも感染予防にはならない。咳など呼吸器症状がない人には必要ない。とも指摘する。
そしてその会見の中で「パンデミック(警戒レベルが最高度の世界的大流行を意味する)ではなくインフォデミック(根拠のないフェイク情報が大量拡散すること)が起きている。との見解を示した。

マスク不足に対しては、医療従事者などに優先的にいきわたるようにと警告。
買占めなどに警鐘を鳴らし、価格のつり上げにも遺憾の意を表している。

因みに、厚労省のホームページを見る。「マスクは、咳やくしゃみによる飛沫及びそれらに含まれるウイルス等病原体の飛散を防ぐ効果が高いとされています。咳やくしゃみ等の症状のある人は積極的にマスクをつけましょう。
一方で、予防用にマスクを着用するのは、混み合った場所、特に屋内や乗り物など換気が不十分な場所では一つの感染予防策と考えられますが、屋外などでは、相当混み合っていない限り着用する効果はあまり認められていません。
咳や発熱などの症状のある人に近づかない、人混みの多い場所に行かない、手指を清潔に保つといった感染予防策を優先して行いましょう。」と書かれていた。

これらが信ずるに足る正しい知識かどうかはわからない。正しく恐れることへの答えかどうかもわからない。

原発事故で経験した一部学者への不信。
国民の生命と安全を守ることへの無策ぶり。

9年前、「放射能汚染」が言われたとき、防護服を持たない(当たり前だが)市民の出来ることは、不要不急の外出は控える、外出時にはマスクをする。手洗い、洗顔、着ていった服は表ではたいて入る。

そう、公共機関からもマスコミからも“知識”を刷り込まれた。
日本列島の半分はマスク姿があふれていた。

でも、ドラッグストアでマスクは自由に買えた。

今回の「新型ウイルス問題」、いつの間にかマスクはどこにも売っていないという状況。
発生当時は中国から来日した中国人がマスクを爆買いしている光景をテレビは半ば揶揄するように報じていたが。
事が日本に飛び火すると日本人によるマスクの「爆買い」が発生。
目端の利いた奴は大量に買い込みネットで法外な値段で売っている。

スーツケース一杯にマスクを買っていた中国人を笑えない。
同じようなことをしているのだから。悲しいぜ。

ニュースというものは、大きなものほど真相はよく分からない。
情報はいくらでも作れるし、加工するのはもっと簡単だ。権威のある機関(例えば政府機関とか大新聞社とか大学教授)が発している情報だから信頼できるかというと、まったくそんなことはないことを、我々は経験済みだ。
自分の中の知性、リテラシー能力をフルに活動させる以外にない。
何が真相に近いのかを「総合的に判断」するしかない。

今の政府には、いやその他の権威には常の不信感を持っている
大体、感染源は何なのか。全く不明だ。

武漢の海鮮市場のウイルスが突然変異したとされてはいるが、こと中国のことには常に懐疑的なことが伴う。

新型コロナウイルスと呼ばれているものがどの程度の危険性を持っていて、自分の生活とどのように関係してくるか、そのリスクをどう捉えるか。
この「リスク」には、感染するリスクだけでなく、過剰反応してストレスをためたり、他者を攻撃したりすることで社会が乱れるというリスクも含まれる。現時点ではそうしたリスクに国は踊らされているような気がする。

日本政府は初動で後れをとり、変化に対する想像力を欠いていた。
大統領選に血道を上げるトランプのツイッターは黙したままのようだ。

来日が予定されている習近平主席に安部は気を使いっぱなしだ。
自民党の二階は都の知事に依頼して大量のマスクを中国に送らせた。

20年ほど前に話題になった本に「チーズは何処に消えた?」という物語がある。二匹のネズミと二人の小人が食べてしまったチーズの塊を捜し求めていく物語。
 小人のホーは、新しいチーズを探していく中で、迷路を駆け巡りながら、気づいたことを壁に記録していき、とうとう新しいチーズステーションを発見する。
 ホーは、自分が学んだことを次のようにまとめた。
変化は起きる。
変化を予期せよ。
変化を探知せよ。
変化にすばやく適応せよ。
変わろう。

消えたマスクを憂いながら、こんな物語を思い出していた。
今の世相や政治の在り方にどこか通じる気がして。

2020年1月28日火曜日

「コロナ」肺炎と「ペスト」そして不条理。

過日、運転免許更新手続きのため、運転免許センターに行った。
去年、自動車教習所で後期高齢者の講習を受け、「合格証」を貰っている。

いつものように手続きは簡単に終わり、交付と思っていたが、あにはからんや。
眼の検査が通らず、眼鏡を治して再度と言う羽目に。

確かに、1年ほど前から視力が弱っている実感あり。
白内障の疑いと、以前医師に言われたこともあったが、なかなかレザー手術の施設がある眼医者と遭遇できずにいたことはたしか。
しかし、かかりつけ医の言う白内障の症状は今の症状とはちと違っており。眼医者からはカリユーニという白内障の進行を遅らす点眼薬を処方され、使ってきたのだが。

眼鏡屋に行き、検眼を繰り返し、「遠視退化、乱視進行」ということで眼鏡を発注。出来上がるのを待つばかり。
たしかに、パソコンは見にくくなっている。

以上、近況。老いると言うことの悲しさ、面倒くささ。
新聞を読み、テレビを視ることにさほどの不自由さは無いが。

世を憂うることは多々あり。
政治家の堕落、メディアの日本語の使われ方。まったく話題にすらならなくなった拉致被害者の問題。懲りずにスーツの襟にブルーリボンをアクセサリーのようにつけている政治家を見ると、ひっぱたきたくなる。
拉致問題解決のための「行動」はどこにも見られないから。
被害者家族の横田一さんは入院中のままだ。高齢だ。

横田さんに何かがあった時だけ、メディアは騒ぐのだろうが。

拉致被害者家族にとっては正月もなにも無い。

中国の正月、春節。その直前に武漢で「疫病」が発生した。
患者は瞬く間に世界中に広がろうとしている。
得体のしれない中国と言う大国。
発生元の武漢を封鎖した。1千万員いた住民は“封鎖”の前に5百満人がすでに武漢を脱出していたが、今、約500満員が「隔離されている」言うこと。
最初は武漢の食品市場の動物が原因だとされ、人から人への感染はないとされていた。
しかし、感染源は果たして“動物”かどうか、今は解明すらされていない。

「武漢封鎖」のニュースに接した時、アルベール・カミュの「ペスト」という文学作品のことが浮かんだ。
始まりはリユーという医師が階段でつまずいた一匹の死んだ鼠。それが感染源。
リユーはそれが「ペスト」だと気付く。町はパニックになる。最初は楽観的だった市当局も慌てて対応に乗り出す。
アルジェリアのオランと言う市は外部と完全に遮断されると言うもの。

カミュはこの小説で人間の不条理を書いたというが、今のコロナウイルスの蔓延もどこか「不条理」に覆われているような気がする。

不条理か・・・。我々は常の如くにさまざまな「不条理」に晒されている。

日本に来ている中国人は例によって「マスク」を爆買する。中国ではマスクの販売を中止させる。

日本は武漢にいる在留邦人の帰国のため、チャーター機を飛ばすと言う。
明日帰国だと。

国会が開かれている。

もう政治家たちの嘘やごまかし、逃げにはうんざりだ。
職責も果たせず、国会議員ていうのは「偉い人」だと勘違いし、常に国民を愚弄している。

武漢発の「疫病」。世界経済をも混乱に陥れている。
交通網と言うことで言えば世界は一つだ。
中国の団体観光客を渡航制限しても、事は収まらない。

我々が出来ることは、身を守ることは手洗いと嗽だという。マスクがまたも高機能のモノも含めて売れている。
マスク、手洗い。あの原発事故当時の光景を思い出す。
「避難」と言う言葉からもあの頃を思い出す。
強制手段で避難を強いられた人たち。避難した後の一種の「隔離現象」。
未帰還地域では“動物”達が我が物顔に行動し、人のいない家の中には動物の死骸もあると聞く。
あれから9年・・・。

原発事故ほど不条理の最たるものは無い。
世界の最強国に成りあがった中国、それを「最怖国」と呼んでみたくもなる。

不条理とは何か、不条理とどう向き合うか。
もしかしたら、カミユの時代をはるかに超えた時代からの人間の永遠の課題なのかも。

2020年1月12日日曜日

年が明けたら戦争があった

「去年今年 貫く棒の如きもの」。高浜虚子の句である。

1秒という時間で年が変わる。今年は去年の延長であり、一本の棒によってつながっていると解するべきか。
「棒」とは時間なのだろうと考える。年が変わろうが変わるまいが、時間は流れる。方丈記の「ゆく河の流れは絶えずして」という記述にあるように、時の流れだけは止まらない。
「時間」という代物は、頼んだわけでも無いのに勝手にやってきて、勝手に去っていく。
毎年のように思う事だ。

年が明けたら、「穏やかな正月」という願いもものかは、トランプは、イランの革命防衛隊のソレイマニ司令官をドローンで殺害した。
その端緒は去年の12月30日にある。
アメリカによるイランへの基地を狙った爆撃。そして米軍の反撃ともいえるソレイマニ襲撃。
イランは報復に出る。イラクの米軍基地をミサイル攻撃し、「第三次世界戦争」という言葉も脳裏をよぎった。
トランプのいわば「思いつき政治」がさらなる戦争を予感させたが、政権内の諫言をいれて、両国の関係はとりあえずは“落ち着いている”が。

とばっちりを食ったのがウクライナの民間機。イランのミサイル攻撃で搭乗していた176人が全員が死亡した。
誤爆だったとイランは釈明、謝罪。

「中東は火薬庫」という見方は今も続く・・・。火種は常にくすぶっている。
安倍は“沈黙”でやり過ごした。イランとは良好な関係にある。アメリカには楯突くわけにはいかない。
ゴルフ三昧で、何も語らず、時が過ぎるのを待つ作戦にでた。

そして、「戦闘地域」に近い中東に、自衛隊を派遣した。日本のタンカーを守るためにとして。
そして安倍は中東3国の意味なし外遊に出かけた。サウジ、オマーン、UAE。
「積極的平和外交」が何を指しているのか。
自衛隊の派遣に理解を求めるために、だそうだ。

またも夫人同伴だ。“私人”である限り、彼女の旅券は外交旅券では無いはず。
航空運賃の払うべき。
そんなことは誰も意に介さない。

アメリカ、イランの戦争勃発を懸念して、原油価格は高騰している。
株価も乱高下。

街のガソリンスタンドでは、すでにレギュラー150円になっていた。安いスタンドでも。

強固なナショナリズムが台頭し、定着化している。
7月からのオリンピック。
警備費を強化して総額3兆円のオリンピック。
カルロスゴーンの「国外逃亡」許したように、各所に“穴”がある。
オリンピックが無事に終了するのかどうか。
危惧の念はより高まる。

選手や関係者の「安全」を最優先させるため、市民生活は不便を強いられる。

しかし、何があろうと、少なくともテレビは、すでにして「メダル」の話題に血道を上げ、やはり、国威発揚、強固なナショナリズムを作り出すことに専念している。

「めでたさも中くらいなりおらが春」。一茶の句が身に染みる。


「政治判断」なるものの怪

「五輪」と「コロナ」。コロナウイルスが急速に拡大していく中、当然の事だが、五輪の延期が決まった。安倍は自らの主導権を言いつのり、IOCのバッハ会長は40日以内に結論を出すという前言を翻し、延期は自分の判断だという。安倍の提案を受け入れたと。 電話会談に陪席した、小池都知事や五...