「五輪」と「コロナ」。コロナウイルスが急速に拡大していく中、当然の事だが、五輪の延期が決まった。安倍は自らの主導権を言いつのり、IOCのバッハ会長は40日以内に結論を出すという前言を翻し、延期は自分の判断だという。安倍の提案を受け入れたと。
電話会談に陪席した、小池都知事や五輪担当大臣、森JOC会長はただ、電話会談の“権威付け”のための付属品だったのか。
東京オリンピック。その責任者は都知事のはずだ。安倍は首相であってもIOCと直接話し合い、五輪に関することを決める立場では無いはずと思うのだが。
こんな決定ずっと前から為されるものだった。大方の国民も他国の多くが予想したこと。英断でも決断でもない。
♪何を今更言ってるのか。気まぐれ夜風に情けなんってあるものか。捨てっちゃえ、捨てちゃえ、どうせ拾った地位だもの~そんなコロンビアローズの唄が頭の中で聞こえてくる。
嘘で拾った恋じゃもの~と続いて出てくる。
「延期でよかった。中止でないもの」。
と言うことは「中止」も視野にあったということか。
電話会談後の安倍と小池の「グータッチ」。その意味わからん。
強固な関係ができたということか。
何かとカタカナ語がお好きで、教養指数とばかりに発音よろしくお使い召さる小池。横文字使って、それがわからない記者に「あんたこれぐらいのことわからないの」と颯爽とショール翻して立ち去る小池さん。
決まり文句は、選挙時は「都民ファースト」。今回は「アスリートファースト」。ハイソサイティーは上級国民は「ファースト」がお好み。
安倍が突然ほざいた「一斉休校」のお触れ。あれで、教育現場や子を持つ家庭はどれだけ混乱させられたか。世の非難受けると、再開などは担当閣僚に振る。
責任回避の上手さ。
専門家会議なるものの議を経ないでの独走発言。うん、格好いいぜ。さすがは三権の長。
それからは何でも「専門家会議」。この専門家会議というものもよくわからん。
誰が選んだメンバーなのか。
国民に自粛を呼びかけながら、都内の高級レストランの庭園で、花見の宴に興ずる内助の功著しい昭恵夫人のご乱行。国会で追及されて例の如くうろたえながら、いわばですね~を繰り返す醜さ。
まさに
夫婦善哉、いや、三文漫才。
昭恵はまさに濃厚接触の「ハイ・ポーズ」。ウイルス拡散の「お手本となる笑顔」。
スーパースプレッダーだ。
原発はコントロールとの嘘。嘘で固めた人生行路。
原発はコントロール出来てもバカ女房はコントロール能わず。
安倍にK-1イベントを誹る資格なし。
強いリーダーシップの大きな勘違いを恬として恥じない晋三クン。
「五輪延期」でカタがついたらその翌日は百合子姫の大号令。
これでグータッチの謎が判明する。
延期決定で、安倍は任期一杯の首相の座を確保。挙句、子飼いのNHK記者に「4選」と言わせる。
小池は自民と手を組み、再選を確実なものに。
オリンピックという自己の政治利用。
前日に「東京ロックダウン」を匂わせ、会見では「オーバーシュート」を連呼。外出規制。家をでることまからぬ、のお達し。
テレビで流れるや否や都内のスーパーは食料品確保のための爆発的買い物行列。
またも出現。買いだめで束の間の”安心“を得る都民の群れ。
そんな不安が「スポット効果」を呼ぶことは原発事故後の世相で体験済みなのに。
我々は3蜜の世界にいる。
換気の悪い密室空間を避ける。
人の密集する場所は避ける。
近距離での会話、発生する密接場面を避ける。
「密」の世界は「ミチ」の世界。同じ「ミツ」なら壇蜜がいいな。
安倍がまた無意味な会見をやっている。経済のV字回復を目指すと。
オリンピックの延期に未練がましい言葉を愚痴めいてのプロンプター会見。
自民党の族議員の集まりではバカバカしいことが言われている。
和牛券の発行、お魚券の発行。
実態が飲み込まれていないのだ。
政治判断とはなにか。それには重大な責任を伴うというのが憲政の常道。
格好付けはいい加減にしようぜ。
「ペスト」以来、人類とウイルスのことを考えている。勝敗ではなく、人類の歴史として。
きょうの記者会見でNHKの記者がしていた。
いつになったら終息するのか、その出口戦略はと。
バカだね、こいつら。
「コロナのことはコロナに聞け」。禅語の一つ「松のことは松に聞け」をもじる。無意味だけど。
余談。
安倍首相曰く「PCR検査を保険適用にした。これで全員が検査を受けられるようになります」。
あんな安易な発言はどんな口から出たのだろうか。
seiji
2020年3月28日土曜日
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