2021年3月31日水曜日

「黙食」の記憶

 

敗戦後,転々と居が変わり、落ち着いたのが初台の家だった。

食糧事情がやや良くなり、一家は丸い卓袱台を囲んで夕餉をとっていた。

“家長”は祖母だった。

「ご飯は黙って食べなさい」が家訓のように言い渡されていた。

隣に座っている弟は奇妙な特技の持ち主だった。

黙々ともぐもぐとメシを食っている時、なぜか突如居眠りを始めるのだ。妹とそれを見ながらクスクス笑っていると弟めがけて祖母から箸が飛んでくる。

「ご飯の最中に寝る奴がいるか。起きてちゃんと食べなさい」。

 

子どもたちで無意味な、しかし、楽しいおしゃべりは禁止。胃の腑を満たすためだけのような食事は眠気を催し、睡魔の誘いには勝てないということだったのだろうか。

 

こんな子供時代の些細な出来事を思い出したのはコロナ禍での“食事の作法”が云々されているからだ。

 

いやだな~。マスク装着・黙食(誰が名付けた知らないけれど)・密を避ける。

コロナ時の「三大神話」。政治家や専門家なる人がこぞっていう。これって正解なんだろうか。

政治家がどれほど事を知っているのだろうか。

専門家とは何だ。学者か研究医か臨床医か。

 

揃たように「飲食が、飲食が」という。会食は4人までという。5人になったらダメ。4と5と間に何の差があるのか。

 

折しも厚労省の役人による、23時過ぎまでの23人による大宴会が東洋経済に抜かれた。

 

「自粛・自粛」がお上の方から連呼される。テレビはお上の広報機関に成り下がっている。そんな中でのこの報。か当たるべき言葉もない。

 

下々に自粛という名の強制を強いながら国は何をやっているのか。誰しもがそう思う。官僚は世間をなめ切っている。

 

我慢にも限界がある。

オリンピックの聖火リレー。沿道の観衆はまさに「密」だ。可笑しさ満載ながらスポンサー企業の大型バスが大音量で先導する。だれも咎めない。

リレーは粛々と進んでいる。

 

「書を捨てて、街に出よう」。だって“偉い人”がやってるじゃん。

密になって街で歌おう。花見は駄目でもオリンピックなら許されるらしいから。

自粛をやめよう。花の下で酔おう。

コロナ患者が増えるぜ。患者の収容できる病院は所管は厚労省なのだから。

 

何故か知らぬがコロナは元来厚労省の所管のはず。それが新たにコロナ担当相は経済再生相にされ、ワクチンは河野太郎に。

厚労省、メンツ丸つぶれのまま現在に至る。厚労省の「意趣返し」の飲み会か。

 

ワクチンはとてもじゃないがいきわたっていない。

コロナ専用病棟やエクモなどを十分に担保した病院をつるべきだ。それが政治というものだ。

 

東京発のテレビ。棒グラフは見飽きた。ワイドショーは一億総コロナ評論家

 

都会には海の生物が出始めたらしい。「まんぼう」。「ドクトルまんぼう」は北杜夫。病院の理事長と嘲笑しながら話し合った。

この病院にはワクチンは来ていない。“医療従事者”も接種できない。

看板倒れとは我が国のワクチン政策をいうのか。

 

自宅での“黙食”の頃から10年ころか、この国には高度経済成長なる「化け物」が到来した。人々は喜んで文明の真価を享受した。

「一家団欒明るい夕食」。食事と笑い声が重なり合っていた。

当時の専門家は軒並みご託宣。「楽しい食事が健康のもと」と。

 

「人間の不安は科学の発展からくる。進んで止まることを知らない。科学はかつて我々に止まることを許してくれたことがない。」

夏目漱石の言葉だ。

 

2021年3月26日金曜日

「メシを食う」ことに意味がある

 

10年前。原発事故が「拡大する」との予想が出され、東京も、皇居も西に避難ということが真剣に政治の場では語られていた。

首相の菅直人は自民党の谷垣禎一総裁に「連立内閣」を持ちかけた。

谷垣は即座に断った。

「菅直人という人が同期にいるのは知っている。だけど一回もメシを食ったこともなければ酒を飲んだこともない。どういう人柄なのかもわからない。わからない人の党と組むわけには無理がある。」おおよそこんな話だったと記憶している。

 

つまり政治家にとってはメシを食うというとが国運より大事なことなんだな。

結果論で言えば「連立政権」を選択しなかったことで民主党は政権から陥落。

安倍・菅と続く無策な政治が続き、福島原発は良いように政治利用され、アンダーコントロールどころか1Fは手負いの獅子が眠っているかの如くいつでも牙をむいて襲い掛かってくるかもしれない。

 

五輪の聖火リレーがJビレッジからスタートした。安倍の大嘘の尻拭いをするかのように、福島は五輪に政治利用されている。

リレーランナーを辞退した人が多々いた。理由はスケジュールが合わないということだが、どこか今回の五輪に対する意思表示を感じる。

 

政治家とメシとの話に戻す。

このところ国会や“場外乱闘”を含めて総務省の幹部が衛星放送会社の東北新社の幹部と総務省の役人との会食、接待問題が騒ぎとなった。

菅の息子が関与しており、「会ったか」「メシを食ったか」「費用の負担は」が槍玉に。

夜の接待では機微に触れた話はしない。顔つなぎが目的。

顔見知りになれば昼間、役所でどうどうと。

 

嘘の付き合い。記憶にありませんという大嘘で逃げ切ろうとする役人。

 

記憶ありません。あまりにも稚拙な言い逃れ。

 

嘘は泥棒の始まり。こどもの頃よく言われた。

 

NTTの幹部との会食。歴代総務大臣が参加している。

誰が居るのか知らなかった。会費は後から払った。これもあり得ないこと。

政治家はタダメシに慣れている。

 

「政治は夜作られる」。料亭政治が華やかだった頃の永田町の在り様。

 

「東北新社」で関わった官僚は辞職を余儀なくされた。

タダより高いメシを食った人たちの群れ。

 

菅の息子の会社が関係している企業から父上に多額の政治献金が渡されたというまたもや文春の報道もある。

だから国会で“別人格”と大見得を切ったのか。

 

胡散臭い政治屋だ。

 

菅と安倍が必死に応援し、党から1億5千万円が渡されてという広島の顔。

安倍が法相に起用した夫の参院議員がゲロッた。

議員バッジを襟に法廷入りし、議員辞職を告げた。臭いメシは堪えたのだろうか。

 

老害ちいわざるを得ない二階は「他山の石」とほざいた。ここにもいたぜ。日本語が出来ない政治家。

人を食ったような事ばかり言う老人。それが菅の最大の支持者。いや、支配者。

 

国会の中には衆参の議員食堂がある。

地下にも食堂があった。人はそこを人民食堂呼びならわしてあ。

そこの蕎麦は美味かったっけ。

安くて美味いメシを気心知れた仲間たちと食っていたいう記憶。

2021年3月11日木曜日

「花は咲いていた」あれから10年後に

 

10年前の大震災、原発爆発.

情報源は新聞、テレビ、ラジオ、そしてツイッターだった。

それらからの「情報」をどう咀嚼し、状況を分析すべきか、悩んでいた。

ツイッターでは今のコロナと同じように「エビデンス」という言葉がやたらと登場していた。

 

民放テレビはCMを止めた。しばらくして、AC(公共広告機構)による♪パパパパ~ン♪のウサギちゃんと会ってばかりいた。

そしてNHKの♪花は咲く♪

その二つを受け入れるには時間がかかった。

“私は何を残しただろう”その解釈を巡って仲間たちと議論したものだった。

 

10年後の今、ようやくこの歌が受け入れられるようになった。

10年前の東北、そろそろ桜の時期になるころだった。

苦しみや悲しみを抱えた人が溢れている中で、いつものように桜は咲いた。桜を恨んだ。それは間違っていたと思う。

それでも春を恨まない。そんなことを書いていた。

 

花とは不思議なものだ。愛でるものでもあり、弔意を示すものでもあり、愛する人に捧げるものでもある。

華道という道も生活や生き様の中に取り込まれている。

 

かつて東電の原発、ゲートから建屋方面に向かって綺麗な花が植えられていた。

あれから10年、異形な場所になった1Fの構内。

40年で廃炉という約束。その四分の一が過ぎた。

アンダーコントロールどころではない。過日の地震で水位計の値は下がっている。デブリを取り出す工程は示されていない。東電の社員は地元との関係維持のため片付け作業などに汗をかいている。

 

汚染水の行方は決まっていない。

 

何も終わっていないのだ。

 

昔、田中角栄が言っていた。

「日本の法律は、あらゆるところに欠陥だらけだ。法律をよく勉強しろ」と。

法律の不備を埋めるために彼は議員立法を数多く出した。

原発のための電源3法を作った男だが、彼ですら原発事故は想像の中になかったのだろう。。

原発のあり様を巡って彼はどういうのだろうか。

 

既存の法律を盾に被災3県の被害者は「法」による被害を被っている。

 

五輪の聖火リレーは福島から出発する予定だ。

「復興五輪」と国は位置付けていた。菅はいつの間にか「コロナに人類が勝った証」と大義を変えた。

福島に来て言った。

「汚染水の処理は、適切な時期に政治が責任をもって処分方法を決定したい」。

 

今では遅すぎるのに。

 

富岡の夜ノ森公園の桜並木は桜の名所だった。事故以降立ち入り禁止になった。

一部はそのまま。

 

「人見るもよし見ざるもよし我は咲くなり」。世阿弥の言葉を桜は実践した。

コロナ禍でまたも桜は犠牲となる。

上野公園は一方通行で桜を眺めるだけとされる。

 

桜はまた愁いを含んで咲く。花は毎年咲くことを忘れてはいない。

 

原発事故時、官邸の対応に非難が多く寄せられていた。

「司令塔」は動くべからず。動ぜずして冷静沈着な判断を。

 

10年前とコロナ禍の今と政治が無能であることにあらためて気づく。

奇しくも同じ漢字の宰相同士。

 

3・11時。当事者の時代と言われた。当事者はいつの間にか被災3県に絞り込まれてしまった。

コロナ禍では全国民が、いや全世界が当事者だ。

 

原発時、水が消えた。コロナではマスクが消えた。愚かな人間ども。

桜はそう思って間もなく咲くのかもしれない。

2021年3月8日月曜日

日本の統治機能は「崩壊」した。

 

かつて、堺屋太一氏がよく語っていた。

日本の官僚は優秀である。政治家がどうあろうと官僚に任せておけばこの国は安泰だ」。

彼が“戦後の三大神話”として取り上げていたこと。

彼は通産省の官僚から作家に転じた人。彼の脳裏には通産官僚のことがあったのかもしれない。

通産省が大揺れに揺れた時期があった。日米繊維交渉。

作家の山崎豊子は「官僚たちの夏」という小説で当時の官僚と永田町との確執、政治家に「支配されない」官僚の姿が書かれていた。

時の通産次官はミスター通産省と呼ばれた佐橋滋。

通産省はある時まで、日本の繊維産業を守るために尽力した。繊維業界は設備投資に励んだ。

それが突如、アメリカの意向を受けて繊維機械を破壊するという国策の犠牲になった。

 

「糸で縄を買う」。

 

繊維産業の縮小は沖縄返還交渉がもたらしたもの。

通産官僚はそれぞれが親しい政治家を頼り、なんと繊維業界を守ろうとした人たちもいた、彼らが繊維業界から「賄賂」を受けていたか。そんな歴史はない。

「公助」の官吏として働く役人の「矜持」を持ち合わせていた。

 

今、総務省がやり玉に上がっている。

接待を受けたか受けないか。バレるまでは国会でも平気に嘘をつく。

安倍・菅と続く中で、首相が嘘の片棒を担ぎ、菅に至っては長男の会社の便宜供与と10年続く泥沼。

世も末だ。

内閣広報官の山田真貴子という“上級国民”が菅首相の息子との7万円の会食問題で、世論や国会から追及の的になり、進退を問われ、彼女は「入院」という安全地帯に身を置いた。

 

不祥事を起こした政治家の大方は「入院」なさる。

どうも政治家、上級国民の「世を欺く、保身とための手段」が入院ということらしい。

かって睡眠障害という病名をいただいた自民党の“大物”もいた。

 

医師は診断書を書いたのだろう。その中身を知りたい。その病院名を知りたい。豪華な病室。例えば慶応病院でも一日30万という部屋がある。勝って石原裕次郎が入院していた部屋。

 

コロナ禍、病院はひっ迫している。医師も看護師も疲れ切っている。“上級国民”を受け入れる余裕はないはず。

「別世界」が医療の分野でも存在しているのだ。

 

菅に関して解せないことがある。何故議員宿舎に住んで公邸に住まないのだ。

幽霊が怖いからか。

一日の多忙な日程のなかで、なぜか議員会館の自室に連日立ち寄っている。

何のために会館に行くのか。

過日テレビでちょこっと映っていた。菅の部屋はカーテンで隠されていた。

総理番の記者も近寄れないようにされている。

部屋の中で誰と会っているのか藪の中だ。

新聞の首相動静欄にも会館に入った。だけでなんの情報もない。

 

隠し事が多い奴に限って「透明性」なんて言葉をやたら口にする。

全力でとか、責任をもってだとかやたら形容詞が多い。

 

内閣広報官の後任には外務省から小野日子氏が登用された。

緊急事態宣言延長の記者会見に登場、世論を気にする菅は1時間以上会見した。

 

菅人事は時として「安倍人事」と思われる時がある。

「女子トーク炸裂」と安倍昭恵が書いたフェイスブックの写真。両脇は山田、小野が占めている。単なる偶然なんだろうか。

 

「期間延長」の菅の記者会見。ほとんど内容に乏しいものだった。

冒頭発言、プロンプターを読む菅。原稿は誰が書いたのか。

首相補佐官に引っこ抜かれた共同通信の柿崎明二。彼も秋田の出身。

テレビで安倍政権批判をぶっていた柿崎が突然転身。権力側に身を置いた。

これが今のマスコミ界を象徴した出来事なのか。

 

権力批判を是とするジャーナリストが権力側に立つ。柿崎補佐官が書いた原稿ならあまりにも出来が悪すぎはしませんか。

世の中、皆「狂っている」の感大なり。

 

2021年2月25日木曜日

地に墜ちた「天下のご政道」。

 

菅義偉という“無能”な政治家が、何かの手練手管を使ったのか、とにかく内閣総理大臣という「天下人」に昇りつめた。

最近の総務省の役人を菅の長男による「接待疑惑」が報道され予算委でも疑惑がやり玉にあがっている。長男が勤務している「東北新社」の名前を久しぶりに聞いた。

創業者は植村伴次郎という。菅の同郷、秋田の出身。

 

「バンチャン」。通称だ。バンチャンは数年前に90歳で鬼籍に入った。

彼はとっても「政治好き」だった。政治家との密なる関係を求めていた。

彼の全盛期、テレビは「多メディア・多チャンネル」という掛け声に踊らされ、各局とも子会社や関連会社に番組制作の多くを依存していた。

それ以前から「東北新社」は外画の同時通訳者の派遣など、“販路拡大”に努めていた。

バンチャンはよくテレビ朝日の専務だった三浦甲子二氏のところにしばしば来ていた。

そこで彼と顔見知りになった。政治家との親交が厚い三浦さんになにか政界工作を依頼していたんだろうか。

そういえば三浦さんも秋田の出身だった。秋田つながりで気心が分かり合っていたのかもしれない。三浦さんからはよく「ハタハタ寿司」を政治家のところに届けるように下命されていた。「お前も持っていけ」といわれるがどうも苦手な名品。

 

秋田県で交わる点と線。

 

総務省の高級官僚は、なんとも「物忘れ」が得意のようだ。

「記憶にありません」「記憶にありません」答弁席で下を向いたまましらを切っている姿はなんともみっともない。官僚の矜持は彼らの中にはない。

あ、思い出した。かって大蔵官僚の接待で「ノーパンしゃぶしゃぶ」というのがあった。さぞかし醜い姿だったろうが、“誘惑”には勝てなかったのだろう。

 

森友問題で安倍は嘘だらけでシラを切りと押した。妻もそうだ。

挙句昭恵夫人を「私人」だと閣議決定までした。

菅も安倍にならって、長男は「別人格」という閣議決定もやりかねない。

 

菅政権とともに登場した女狐官僚。山田という広報官。きょうの国会で反省の弁を述べていたが、「反省だけならサルでも出来る」!!

 

菅政権になってから内閣広報官という地位に就いた。その仕事は首相の記者会見を取り仕切ること。

菅は就任時に「前例踏襲主義はとらない」と豪語した。

山田の司会は前任者のやり方を踏襲したもの。

山田の「指名制」のもとで行われていた内閣記者会の小僧どもよ。

これからの記者会見にどうやって望むのか。

会見を記者の側に取り戻し、聞きたいことは徹底的に聞く。そういう時代もあったんだよ。質問を全部消化することが国民に対しての開かれた記者会見。

何かというと「透明性」という言葉を持ち出す菅。

なりたての広報官が手を挙げた記者の名前を全部知ってる。

日頃、広報官室に記者どもが出入りして昵懇な関係が維持されているのだろう。

 

それにしても、菅の眼はどうしてあんなにどんより濁ったような眼なんだろう。

「眼は口ほどに物をいう」。いろはカルタにあったよな。

 

「マスク社会」。その人を判断する様相は目しかない。

 

安倍から菅へと続く政権。「失われた10年」だ。日本の政治史上で。総務省汚職、山田の7万円の飲食。

 

その記事の隣には、コロナ禍で非正規の職を失い、子供二人を抱えて手持ちの金は数百円。死ぬことばかり考えているという一家の記事があった。

2021年2月1日月曜日

生まれるにも時がある

 

旧約聖書の伝道の書という節の中に「コヘルトの言葉」という章がある。

そこにある言葉。

すべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
 
生るるに時があり、死ぬるに時があり・・・」

 

人が生まれてくるにはその時がある。生まれた時はその人にとって意味があることだというのか。

 

間もなく東日本大震災から10年となる。

あの日、2011年3月11日、東北の被災3県で約100人の子供が生まれた。地震に揺れる最中の病院のベッドの上で、停電の中、懐中電灯の灯りを頼りに・・・。

その一人に「瀬川虎」という名の子がいた。

翌年2012年の3月11日に、このブログで虎ちゃんのことを書いた。苗字が「瀬川」だと云うことだけだが。

 

その中で虎ちゃんに手紙を書いた。

虎ちゃん、100人の赤ちゃん。満1歳の誕生日おめでとう。キミ達のこれからにはどんな前途が待っているかわからないが、生まれるべくして生まれた、希望の光であり、大きな宿命を持ってこの世に登場した救い主かもしれない。

虎ちゃんと見ず知らずのおじさんは、キミに何もしてあげられない。でも、キミの名前は忘れない。

虎ちゃん、そして100人の子供たち。「生まれてきてくれてありがとう」。それぞれのお母さん。「産んでくれてありがとう」。

福島県でも30人の君の仲間がいる。そして、君たちに、君たちだけの手作りの椅子を送るというプロジェクトクトもあるという。

椅子は貰ったかい。その椅子は、君が大きくなってからも、座れなくなってからも、君の大きな宝物だ。

キミ達に一つの言葉を贈る。「ひこばえ」。ひこばえとは大きな樹から生まれて来た春の新芽を言う。そして、その樹の根、原点を忘れるなという意味がこめられている。
もう一つ。「ゆずり葉」。老葉が落ちて、若い葉に代わることを言う。ゆずり葉は柏の葉を指すともいう。虎ちゃん、端午の節句には、がんばって、大きな柏餅を食べてね。

西洋のことわざに「銀の匙をくわえて来た赤ん坊は幸せになれる」という言い伝えがある。椅子は作ってあげられないけど、せめておじさんはキミ達に、この文章の上でだけだけど「銀の匙」をプレゼントに贈る。

 

こんなことをしたためた。

 

ところがだ、びっくりした。その月の終わりごろ、虎ちゃんからお返事が来た。ネットでからから亭の記事を見つけた人が、虎ちゃんのお母さんに知らせたらしい。

 

さんざん探してFBのメッセンジャーに返事を書いてくれた。その経緯から始まって・・・。
””
瀬川虎の母です偶然ネットで、息子の事を書いてくださっているブログを読みとても嬉しかったので、コメントを入れようとしたらいれれずフェイスブックで検索したらヒットしたのでコチラからメッセージさせて頂きました。『ひこばえ』『ゆずりは』『銀のさじ〜』どれもちゃんと息子が解るようになったら頂いた言葉だよと、教えたいと思います。虎は元気にすくすくと育っています瀬川さんが言ってくれたように、沢山やんちゃして、甘えています♫”

 

そして過日、新聞でまた虎ちゃんの姿をみた。

父親はベガルタ仙台のコーチ。虎ちゃんもサッカーに熱中しているらしい。

可愛い姿だった。

 

80年前の今日、僕は生まれた。産婆さんが取り上げてくれたとか。

戦災も経験したし、極貧生活も経験した。

何んら生きていることに意義を見出すこともなく、何も残さず、ただ川の流れに乗ってきたようだ。

80歳になった今後どう生きていくのか。何も考えていない。

 

加島 祥造の『求めない』を目標にしていくのもいいかなと。

「黙食」の記憶

  敗戦後,転々と居が変わり、落ち着いたのが初台の家だった。 食糧事情がやや良くなり、一家は丸い卓袱台を囲んで夕餉をとっていた。 “家長”は祖母だった。 「ご飯は黙って食べなさい」が家訓のように言い渡されていた。 隣に座っている弟は奇妙な特技の持ち主だった。 ...