旧約聖書の伝道の書という節の中に「コヘルトの言葉」という章がある。
そこにある言葉。
”すべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり・・・」
人が生まれてくるにはその時がある。生まれた時はその人にとって意味があることだというのか。
間もなく東日本大震災から10年となる。
あの日、2011年3月11日、東北の被災3県で約100人の子供が生まれた。地震に揺れる最中の病院のベッドの上で、停電の中、懐中電灯の灯りを頼りに・・・。
。
その一人に「瀬川虎」という名の子がいた。
翌年2012年の3月11日に、このブログで虎ちゃんのことを書いた。苗字が「瀬川」だと云うことだけだが。
その中で虎ちゃんに手紙を書いた。
”虎ちゃん、100人の赤ちゃん。満1歳の誕生日おめでとう。キミ達のこれからにはどんな前途が待っているかわからないが、生まれるべくして生まれた、希望の光であり、大きな宿命を持ってこの世に登場した“救い主”かもしれない。
虎ちゃんと見ず知らずのおじさんは、キミに何もしてあげられない。でも、キミの名前は忘れない。
虎ちゃん、そして100人の子供たち。「生まれてきてくれてありがとう」。それぞれのお母さん。「産んでくれてありがとう」。
福島県でも30人の君の“仲間”がいる。そして、君たちに、君たちだけの手作りの椅子を送るというプロジェクトクトもあるという。
椅子は貰ったかい。その椅子は、君が大きくなってからも、座れなくなってからも、君の大きな宝物だ。
キミ達に一つの言葉を贈る。「ひこばえ」。ひこばえとは大きな樹から生まれて来た春の新芽を言う。そして、その樹の根、原点を忘れるなという意味がこめられている。
もう一つ。「ゆずり葉」。老葉が落ちて、若い葉に代わることを言う。ゆずり葉は柏の葉を指すともいう。虎ちゃん、端午の節句には、がんばって、大きな柏餅を食べてね。
西洋のことわざに「銀の匙をくわえて来た赤ん坊は幸せになれる」という言い伝えがある。椅子は作ってあげられないけど、せめておじさんはキミ達に、この文章の上でだけだけど「銀の匙」をプレゼントに贈る。”
こんなことをしたためた。
ところがだ、びっくりした。その月の終わりごろ、虎ちゃんからお返事が来た。ネットでからから亭の記事を見つけた人が、虎ちゃんのお母さんに知らせたらしい。
さんざん探してFBのメッセンジャーに返事を書いてくれた。その経緯から始まって・・・。
””瀬川虎の母です☆偶然ネットで、息子の事を書いてくださっているブログを読みとても嬉しかったので、コメントを入れようとしたらいれれずフェイスブックで検索したらヒットしたのでコチラからメッセージさせて頂きました。『ひこばえ』『ゆずりは』『銀のさじ〜』どれもちゃんと息子が解るようになったら頂いた言葉だよ☆と、教えたいと思います。虎は元気にすくすくと育っています♫瀬川さんが言ってくれたように、沢山やんちゃして、甘えています♫”
そして過日、新聞でまた虎ちゃんの姿をみた。
父親はベガルタ仙台のコーチ。虎ちゃんもサッカーに熱中しているらしい。
可愛い姿だった。
80年前の今日、僕は生まれた。産婆さんが取り上げてくれたとか。
戦災も経験したし、極貧生活も経験した。
何んら生きていることに意義を見出すこともなく、何も残さず、ただ川の流れに乗ってきたようだ。
80歳になった今後どう生きていくのか。何も考えていない。
加島 祥造の『求めない』を目標にしていくのもいいかなと。