2009年1月21日水曜日

大寒

きょうはご存知「大寒」。気温はそれほど低くはないのですが、なぜか寒く感じます。


耐寒と字を置き換えたほうが良いかも(笑)。一応、暦の上では一番寒い季節ということですから、これからは少しずつ春が感じられるのかも。蕗の薹にも出会いました。


大寒と聞くとなぜか一つの漢詩が浮かんでくるのです。


    月落ち 烏 啼きて 霜 天に満つ 江楓 漁火 愁眠に対す


    姑蘇城外の寒山寺 夜半の鐘声 客船に到る


 


寒山寺。もちろん行ったことはありませんが、「寒」という字が大寒とつながる。


月が落ちた頃カラスが鳴いているのかどうかはわかりませんが、月と鳥と寒さと鐘の音。風情を感じ。


寒山寺の鐘の音を聞くと十年若返るという"伝説"があるそうです。鐘といえば・・・。


祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きありーーーとか。驕れるものは久しからずーーとありますが、日本もどこか驕っていたのでしょうかね。自民党長期政権も驕っていたのでしょうかね。寒いーーー空気の国会論戦。相変わらず麻生くんは驕っているようにテレビに映っているんですが・・・・。



2009年1月20日火曜日

政治家の言語力


国会は言論の府と言われています。民主主義の基本です。演説というのが政治家には要求されています・・・。政治家はどこかでは言葉によって国民を導いていかなければならないのです・・・。


きのう自民党と民主党の党大会がありました。マスコミは「異例の同日開催」とか「麻生は結束を訴え、小沢は転換を訴えた」とか「いよいよ政治決戦」とか。たしかに"事実"としてはそうなんですが。


テレビで見た両党首の演説。あまりにも無味乾燥。政策を述べたり、自説を披瀝しても何も伝わってこない。会場からも何の熱気も感じられない。何故か。彼らは紙を読みながら紙に目を通しながら喋っている。口を動かしている。マスコミは「麻生は俺たちという言葉を二回も使った」とか書いて揶揄するのが精一杯。小沢に至ってはほとんど原稿の棒読み。


全て、自分の言葉で語られていないのです。よしんばあれが自分の言葉だとすれば余りにも悲しい。


人の心を動かすのは言葉です。何を考えていて、この国をどう導いていこうとしているのか、目指す理想は何か。それが前提にあって、それのもとづいた政策が行われる。彼らが発する指導者、為政者としてのこころが国民に届けば、それを良しとすれば、個々の政策も受け入れられる。言葉で惹きつけるものがないから、出される政策にも懐疑的になる・・・。


熱く、力強く、人のこころに響く言葉で語って欲しかった。いささか脱線気味かもしれませんが、全共闘全盛時代、学生達がそこにのめり込んで行ったのは、強い力を持ったアジテーターがいたからかもしれない。リダーがいたからかもしれない。少なくとも言語力という意味では麻生も小沢も、リーダーではなく指導者でもなく単なる権力欲に操られる政治屋煮すぎない・・・。そんな印象だったのです。


なぜか。前後して伝えられるアメリカのオバマ新大統領の就任式の話題。オバマが大統領になったのはすぐれて彼の類い希な言語力にあったのでは。それをテクニックと言ってしまえばそれまででしょうが、過去一年間の彼の演説には人々のこころに届く言葉で満ちあふれていた。彼の言葉は希望を惹起させ、彼を戴くことをアメリカ国民はその言葉を聞いて良しとした・・・。


彼我の差であります。悲しいかな。「一国の国民はその器量にあった総理大臣しか持つことは出来ない」。古い昔の外国の哲学者の名言。


オバマの就任式にははかりしれない数の人々が、彼の「言葉」を聴きに集うといわれています。亭主も何を言うかに、ある種の期待感を持って20日を待っています。多くのゴーストライターや知恵袋が演説の中味を作っていることでしょう。それをオバマは完璧に自分の言葉として、言葉にして伝えることが出来る。多くの聴衆がオバマ演説に再び涙することがあったら、会場の議事堂前が歓喜の声でつつまれたら、アメリカ国民に嫉妬するかもしれません。


日本国民だって指導者の言葉を待っているのです。せめて言葉に救われたいと思っている人だっているはず。「政治家の言は信用出来ない」。そう切り捨てられているように思えるのが日本の現状なのです。



2009年1月19日月曜日

四十余年ぶりの再会

地下鉄丸の内線の後楽園駅を降りて、先日事件があった中央大学理工学部の校舎の前を通り伝通院へ。目指すは大国屋という食堂・・・。


事件のあった理工学部の校舎は音楽研究会の練習場のあったところ。冨坂練習場。そこで4年間を過ごしました。大黒屋食堂は出前を頼んだり、食べにいったところ。毎日のように。恵ちゃんというお兄さんがいて。常に貧乏学生の胃の腑を満たしてくれていたところ。


音楽研究会の同期の集まりがあったのです。しかも思い出の場所で。同期生は14人。二人は60歳を待たずして鬼籍に入り。一人はもっか病気療養中。一人、静岡のチャンジイが急用でダメとなり、残る10人が勢ぞろいしました。北海道から滋賀県、富山県在住者も含め。彼らとはそのほとんどと年賀状の交流は続けていました。時々会う奴もいます。しかし、全員勢ぞろいは卒業後初めて。顔がわからなかったり、昔の面影どおりの奴も居たり・・・。幹事役のコンチャン(大村昆に似ていた)が一念発起。全員に「回状」を回し、実現した40余年ぶりの再会、邂逅。大黒屋で2時間半。すべて昔話しに我を忘れ。恵(もう70歳)ちゃん交えての昔日談。それぞれが思い出す回顧談をつなぎ合わせると一本の線が見えてくる・・・。


もちろん周囲の光景は全く変わっていました。練習場とてとうの昔に無くなっており、そこに校舎。そこには相撲部の合宿所や機動隊の宿舎もあり。相撲部にしか無かった電話を呼び出しで取り次いでもらったり。そうです。当時はまだ都電が走っていました。毎日その都電を水道橋駅から利用していました。都電の停留所あとはそのままバス停に。


大黒屋の時間を終えて理工学部の校舎の前をまた通り、御茶ノ水へ。校舎の門の前。刺殺されて教授への献花台。だれいうとなくそこで手を合わせ・・・。もちろん知る由も無い世代の離れた人なんですが。


御茶ノ水駅前の光景も様変わりでした。ネオン輝く繁華街。当時駅前には洒落た洋館の瀬川小児科っていうのがありました。「ここ俺の家、寄っていかない」。冗談を随分言ったものです。小児科の建物ももちろん無し。がっかりしていたら誰かが見つけてくれました。立派なビルにsegawa buildingと書かれている・・・。いろんなテナントが入っている・・・。


懐かしの中央大学学員会館で、夕闇とともに「宴会」再開。呑み、食い、語り合い。近況報告、サンデー毎日の連呼(笑)。回顧談・・・。そして健康談義。学ランを着て突っ走ってきた4年の時日。40有余の歳月は瞬く間に失われ。昔日の友の代わっており・・・。


夜八時過ぎ。散会の時間。「年に一度は集まろう」。再会を約し。学員会館から御茶ノ水駅までの上り坂がこたえる。そう、冨坂の上りもきつかった。4年間、そこが上り坂であったことを覚えておらず。苦も無く上り下りしていたんでしょう。


駅の改札入ろうとして気付きました。切符が無い。買っておいた切符がどこにも見当たらない。やむおえず東京駅まで。新幹線窓口で買いなおし・・・。なんたることや。


きのう午前中は横浜の妙蓮寺で会社時代の先輩の告別式でした。渋谷駅の改札を切符で出た記憶はあるのですが、往復乗車券。大人の休日クラブで買った年寄り割引の日帰り往復一万円の切符。たぶん渋谷駅で取り忘れたかコートを脱いだり着たりして落としたか・・・・。


坂のきつさといい、切符紛失といい、年のせいにするしかない出来事の数々。最後の仕上げ。新幹線で寝込んでしまい、間もなく郡山ですーのアナウンスで目覚め、とりあえず乗り越しだけは避けられたのがまだサイワイ(笑)。


本日は多少疲れております(爆)。そして再会の興奮を未だ引きずっているのであります。最近、「昔の」集まりが増えました。みんな懐かしく集まります。誰しもそうなんでしょうか。みんなそれぞれ「残日録」をつけはじめようとしているのでしょうか・・・。



2009年1月17日土曜日

飢え死に・・・・

大阪のマンションで49歳の男性が餓死していた・・・・。元派遣社員であったと書かれています。いま、派遣切りという言葉が連日使われている折。ついに餓死者なのか・・・。暗澹たる思いです。


餓死者の数は平成16年は68人。。17年は77人。厚労省の把握している数。飽食の時代にでもあったということ。


今も考えようによっては飽食の時代です。賞味期限が切れた食品は惜しげもなく棄てられています。残飯も棄てられています。


いくら収入が無いからと言って「餓死」という道を選択するとは・・・。


二年前にも北九州でありました。おにぎりを食べたいと言って死んだ人の話が。生活保護を受けられず。


大阪の人は実家もあったようです。家族、友人もいたのではないでしょうか。餓死。いわば自死、自殺というべきなのでしょうか。失業者は増え続けています。失業者の人ほど自死者は多いようです。ホームレスには少ないとか。仕事を失うと言うことはその人の全ての尊厳、プライド、生きて行く事への意欲・・・すべての気力を失わさせてしまうということなのでしょうか。


「派遣切り」にあった人の犯罪も伝えられます。万引きなども含めて。衣食足らざれば礼節はおろか「生」をも放棄するということなのでしょうか。


食べるものはあるのです。食べる方途はあるはずです。糊口をしのぐ術はまだ残されているはずです。大天災、大飢饉が起きているわけでも無く。


自らが選んだ死に方なんでしょうが・・・・。餓死。あまりにも悲しい死に方だと。


折しも直木賞に選ばれた作品。天堂荒太の「悼む人」。だれがどのようにしてこの人の死を悼んであげればいいのか・・・。餓死者を悼んで歩いて回る人はいるのか。


餓死という選択は"無言"の現代社会への抗議なのか・・・・。暗澹たる気持ちであり・・・。



2009年1月16日金曜日

雪の日にはジャズが似合う


郡山はこのところ連日雪模様。降ったりやんだり積もったり・・・。きようは目下マイナス1度。お寒くゴザンス。


今、I?TUNEのラジオを聴いています。当店のBGMはもっぱらI?TUNE。無料だし、CDかけ直す手間もいらない。時々英語のおしゃべりが入るのさえ我慢すれば。


いつもは大体クラシックを流しているんですが、このところジャズなんです。いや、もともとはジャズ大好き人間。レコードのコレクションもそれなりにあったのですが。いまそのレコードはサトシ邸に居候中(笑)。なにせ昔ジャズ青年。真剣に向き合って聴くって教えを受けていたので。BGMはよろしくないと勝手に決めておりました。夜中の酒のお供はOKだとか勝手にパターン化して。


近くの喫茶店。ジャズのお店。先日も雪の降る中お邪魔。暖炉に薪がくべられ、赤々と火が燃え。コーヒーを飲みながらのジャズ。もうたまらない時間です。申し訳ないくらい至福の時。雪の暖炉とコーヒーとジャズ。贅沢であります。それに触発されてしまいました。I?TUNEをジャズに切り替え。当店はジャズで満ちています。


友人の出光くん。彼のブログに時々音楽のうんちくが。なんと、もういい年してるくせに若者風のジャンルを見つけてくる。


ちょっと浮気。electronicのdeepinsideってとこへのお誘い。覗いてみたらけっこう楽しめる。おすすめ曲がgypsy woman♪。うんうん、亭主もまだ若い(笑)。彼は前にはambientって"サイト"を薦めてくれていたんですが。BGM用に。


ちょっと覗いてまたジャズに戻って・・・・。表は晴れ間は出てきたものの雪の残滓ありあり。やっと暖まって来た部屋でジャズ、ジャズ、ジャストジャズ。のめりこんでしまうと原稿が書けない(笑)。きょうが締め切り・・・・。のはず。


なぜか音の聞こえ具合がおかしい。スピーカーが変。PCの後ろのスピーカー触ってみたら片方の線が抜けてました(爆)。あらら。復帰。


かくしてもっか当店一応営業中なり。



2009年1月15日木曜日

無駄遣いの強要じゃありませんか

天下の愚策「定額給付金」。第二次補正予算の衆院通過で現実味を帯びてきました。年度内には間に合わないでしょうが、与党の強引な国会運営で4月頃には日の目を見る。支給されることになるでしょう。何にもしないで棚からぼた餅が落ちてくる・・・。


自民党の国会議員の大半はそれを貰うという。そして、自分の金を足してどんどん消費に使うという。飛騨牛たべたり、焼き肉食べたり・・・。


あのですね。消費拡大すれば景気良くなる、物を買えば景気よくなる、どんどん金使えっていうなら、あなた方は立派な高額所得者。預貯金など資産を億の単位で持っている人も。税金で歳費貰っている人。いまさら1万2千円の税金から出されて給付金使うってことが美徳なんでしょうか。個人消費の拡大が景気浮揚につながるなら、1万2千円なんて"はした金"の言い訳にしないで、どんどん自分の金使えばいいじゃないですか。


物を買え、物を買え。生活に本当に必要な物を買うのが「消費」。なんでもいいから物を買えっていうのは究極の無駄遣いの強要なんではないですか。子供に節約・倹約なんて言えなくなる。


大多数の家庭にはほどほど必要なものは確保されている。無駄に物買って不要なものを狭い家の中に増やせってことかい。胃の腑を満たしてメタボになれってことかい(笑)。


政局より政策って声高に叫ぶけど、要は言い出しっぺの公明党への義理立て給付金。公明党との連立維持。これって政局なんじゃないですか。公明党の議員さん達は貰うのかどうか貰ってどうしようとするのか。メディアの伝え方は隔靴掻痒。見えてこない、聞こえてこない。まさか学会員に配った奴を"上納"させようってことじゃないでしょうな。(爆)。知り合いの学会員の方も言っていました。給付金貰わなくても十分暮らしていけるって。


国民に無駄遣いを強いる。国は税金をあらゆるところで無駄遣いしている。極めつけは無能な国会議員への歳費(爆)。無駄遣いの例は枚挙にいとまがない。税金は無駄に使われるものなのかって。政府与党のこころある人達はこの給付金が経済政策として有効だなんて思っていませんよ。長いもの、うるさい物に巻かれているだけ。


どう考えてもいっときの個人消費の拡大だけでこの不況から脱せる訳がない。自明の理なんですが。


基本的に年金暮らしの亭主。「節約すればどうにか食べていける。給付金貰ったら恵まれない人達に寄付しようかな」。家人はぼそっとつぶやいていました・・・・



2009年1月14日水曜日

消し忘れ


二日間の連休。人並みに。冷え込んだ寒気の中を事務所へ。「二日も空けていたから寒いだろうな。冷えているだろうな」。覚悟をしてカギを空けるとーーーー暖かい。・・・・・・。


久しぶりにやってしまいました。エアコンの消し忘れ。エアコンくん、誰も居ない部屋を無人の部屋を、その恩恵にあずかる人が誰もいないところを黙って働き続けていてくれたんですね。こころなしかエアコンくんも疲れた様子(笑)。


部屋の中は乾燥の極み。空気もよどんでいる。酸欠。空気入れ替えようとすると寒気が・・・。消し忘れ、付けっぱなしに愕然とし、空気の悪さもあって頭の中も混濁。しばし表で深呼吸・・・。


家ではコマメに電気を消し、倹約に努めているのに。全くの電気の無駄遣い。悔しさが募るのであります。無駄なCO2排出にもなっているだろうし。電気代がいくらになっているのか。不安でもあります。


おととい、一偶会で学んだ曽国藩の教え。曽国藩ー中国清代末期の軍人、政治家、文人。その教えにあった「おしなべて倹約を旨とすべし。怠惰につくなかれ、時を無駄にするなかれ」。ぐさっと突き刺さる言葉の数々。少し生活態度習慣を改めないとと思っていた矢先の消し忘れ。倹約が反古。


幸い石油ストーブや煙草の消し忘れでなく、火災には成りませんでしたが。あちこちで火災が頻発している昨今。この己の注意力散漫というかうっかりというか、その所行に落ち込むのであります。


「消す」。昨夜見ていたテレビのクイズ番組。さんずいの字を出来るだけ多く書け。芸能人達けっこう書いていましたが、消という字はなかったような。彼らには「禁句、禁字」かも(爆)。



“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...