世界の歴史は「植民地」をめぐる歴史と理解してもいいのかもしれない。
植民地主義という思想があり、それは自分たちの“文化”を、植民地とした「国」に植え付けようとした。
イギリスも長い間、たとえば香港を植民地としてきた。それは「戦争」のよる“戦利品”として、その他の国が認めたものだ。
オーストラリアも植民地にした。たぶん今でもあるのだろう。イギリス人の提督という存在。
オーストラリアの原住民、アポリジニを囲い込み、追い出し、貧しい暮らしを強いた。
清教徒としてのアメリカ人も、原住民であるアメリカインディアンの地を奪い、フロンティア精神の名のもとに、西部開拓史という映画にもあったように、インディアンを悪人として扱い、あげく、アフリカから奴隷として、アフリカ人を連れてきた。
我が家の犬、犬種は「ビションフリーゼ」という。フランスの犬だとされている。フランスの貴族夫人が連れて歩いていたあのフカフカにトリミングされた犬。
原産地はマルタ島だという。フランスの植民地だったマルタ島。そこから貴族夫人の愛玩犬として連れてこられたという。
フランスは植民地政策に狂奔して国でもあった。植民地から安い労働力として移民を移住させた。
植民地政策。それは搾取とつながっている。
フランスに移住してきた、移住させられた人の中の多くがアラブ人、イスラムの人と言うこと。
日本だってそうだ。満州を植民地化し、東南アジアにも触手を伸ばした。
琉球王朝をも併合と言う名のもとに植民地化した。そして砦として米軍基地の固定化をはかっている。
沖縄だけではない。東北だって、ある意味、大和朝廷の搾取の対象であった。
そこにいたはずの蝦夷の民は、“植民地化”されて民として扱われ、追いやられてのかもしれない。
中国だってそうだ。異民族を支配下に収め、中華思想を植え付け、弾圧を繰り返している。
ロシアだってそうだった。ソビエト連邦共和国、それは、植民地政策の帰結として生まれたものだった。
アフリカの大地に眠る資源は大国によって狙われている。南アフリカにあったアパルトヘイト。
「イスラム国」というあの過激で残酷な集団がなぜ誕生したのか。
アメリカによるイラクの独裁政権打倒。シリアの独裁政権打倒。それは、清教徒、キリスト教徒によるイスラム教との宗教対立にも見える。
「イスラム国」なるところには宗教としての“イスラム”は存在していないのだろう。
もろもろ・・・。植民地主義的精神が、世界のあちこちである「戦争」の根底に“横たわっている”ようにも思えてくるのだ。
学校教育では「植民地」の歴史を「コト」として教える。それが何をもたらしているのかまでは行っていないのではないだろうか。
「自由・平等・博愛」。誰しもが否定しない思想。しかし、それを掲げる人たちが現実に行っていることとの隙間。
シャルリーエブドが掲載した“諷刺画”、それを諷刺画とは認めないが、それを日本の出版社が出すという。それが表現の自由という範疇に入るとは思えない。
そんな場でも日本がテロの標的にされかねないということ。
植民地政策が「欲」を伴って行われてきたように、この事とて欲以外の何物でもないと思うのだが・・・。
2015年2月7日土曜日
2015年2月6日金曜日
今、僕たちが考えねばならないこと~5~
「命」ということを考える。「死」ということを考える。あらためて。
人間にとって「絶対」ということは「死を迎える」ということだ。必ずいつかは死ぬ。
だから「絶対」という言葉は使わない。使えない。ずっと前からそう思っている。
「死」はいつも隣り合わせにいる。やがていつか来るであろう自分のことも含めて。
死にもいろんな死がある。寿命が尽きた死もあれば、病を得ての死もある。
突然襲ってくる死もある。
身内や友人、知人の死を知ると、それに接すると「死について」考える。
ニュースでは連日のように殺人事件が伝えられる。その犠牲者は子供であったり、老人であったり。
死者を悼む、それは生者としての“行為”だ。死者が死をどう思っているのかは多分誰もわからない・・・。迷路に入り込むような死についての思考。
「3・11」で我々は、瞬時にして起きた、発生した多くの死者を見た。あまりにその“数”が多すぎるゆえか、「死」について考えることが出来なくなるような。
家族や遺族、その友人たちはその「死」を考え続けている。背負っている。
しかし、いくら多くの死を見、知ったとしても、それは他者にとっては、大方「忘れられて」行く。記録としてだけその「数字」が残る。
「死」とは一体何なのだ・・・。いつも付き纏う曖昧な問い掛け。
今、日本では多くの人が後藤さんや湯川さんの死を悼む。それは、その「死」が投げかけた問題があまりにも多岐に渡り、影響力が大きいからだ。
残酷な言い方かもしれないが、「考える素材」として、その死があったということだろうか。
戦争はどこにでもある。戦争がある限り、それによる死者は絶えない。
報復はまた新たな死者を生む。これまでも、例えば空爆によって、兵士はもとより、民間人や子供が多く殺されている。
その“事実”を知っている人は知っている。知ろうとしない人もいる。
「死」とは何なのだ。「死」に意義があるのか・・・。
それがいかなる形であれ、人は死に恐怖する。
死に対する疑問を例えば宗教は解決してくれるのか。宗教に名を借りた戦争があるというのに。
「日本人には指一本触れさせない」と“主導者”は言った。たった一人の政治家が、権力者が、それを言ったところで「死」は無くならない。
不条理な死が溢れている。それは、また身近なものになった。
戦地で倒れる死は「美しい」ことなのか。特攻隊は「美しい」ことだったのか。
テロ集団が行う「自爆テロ」というのは美しいことなのか。
美しくなんか無い。
後藤さんの死の意味を多くの人が考えている。今は・・・。それは、ジャーナリズムというものと関連してくるからだろうし、彼の「死」は、我々に「イスラム国」というもの、それに端を発した「あらゆること」を考える場を提供してくれた。
誰も、人の死を無駄にしたくないと思う。そう言う。
「3・11」で生じた多数の死者。その死を無駄にしないと言うことは何か。
沖縄で犠牲になった多くの国民の死を無駄にしないということは何か。
原爆で亡くなった人たちの死を無駄にしないということは何か・・・。
死の反対語は生だ。戦争の反対語は平和だ。だから生者は死者を考える。
戦争があるから平和を考える。
長年生きてきて知ったのは、多くのさまざまな「死」があるということ。
不条理な死、無益な死、無意味な死。誰かによってもたらされる死。
それとどう向き合い、それを咀嚼していけばいいのか。
迷路から抜け出せないが、それを考え続けるという“作業”だけは続けねばないらないと思う。自分が死するまでは・・・。
ジャーナリズムの死だとか、この国は死んだとか。「死」という言葉を濫用して欲しくないとも。
人間にとって「絶対」ということは「死を迎える」ということだ。必ずいつかは死ぬ。
だから「絶対」という言葉は使わない。使えない。ずっと前からそう思っている。
「死」はいつも隣り合わせにいる。やがていつか来るであろう自分のことも含めて。
死にもいろんな死がある。寿命が尽きた死もあれば、病を得ての死もある。
突然襲ってくる死もある。
身内や友人、知人の死を知ると、それに接すると「死について」考える。
ニュースでは連日のように殺人事件が伝えられる。その犠牲者は子供であったり、老人であったり。
死者を悼む、それは生者としての“行為”だ。死者が死をどう思っているのかは多分誰もわからない・・・。迷路に入り込むような死についての思考。
「3・11」で我々は、瞬時にして起きた、発生した多くの死者を見た。あまりにその“数”が多すぎるゆえか、「死」について考えることが出来なくなるような。
家族や遺族、その友人たちはその「死」を考え続けている。背負っている。
しかし、いくら多くの死を見、知ったとしても、それは他者にとっては、大方「忘れられて」行く。記録としてだけその「数字」が残る。
「死」とは一体何なのだ・・・。いつも付き纏う曖昧な問い掛け。
今、日本では多くの人が後藤さんや湯川さんの死を悼む。それは、その「死」が投げかけた問題があまりにも多岐に渡り、影響力が大きいからだ。
残酷な言い方かもしれないが、「考える素材」として、その死があったということだろうか。
戦争はどこにでもある。戦争がある限り、それによる死者は絶えない。
報復はまた新たな死者を生む。これまでも、例えば空爆によって、兵士はもとより、民間人や子供が多く殺されている。
その“事実”を知っている人は知っている。知ろうとしない人もいる。
「死」とは何なのだ。「死」に意義があるのか・・・。
それがいかなる形であれ、人は死に恐怖する。
死に対する疑問を例えば宗教は解決してくれるのか。宗教に名を借りた戦争があるというのに。
「日本人には指一本触れさせない」と“主導者”は言った。たった一人の政治家が、権力者が、それを言ったところで「死」は無くならない。
不条理な死が溢れている。それは、また身近なものになった。
戦地で倒れる死は「美しい」ことなのか。特攻隊は「美しい」ことだったのか。
テロ集団が行う「自爆テロ」というのは美しいことなのか。
美しくなんか無い。
後藤さんの死の意味を多くの人が考えている。今は・・・。それは、ジャーナリズムというものと関連してくるからだろうし、彼の「死」は、我々に「イスラム国」というもの、それに端を発した「あらゆること」を考える場を提供してくれた。
誰も、人の死を無駄にしたくないと思う。そう言う。
「3・11」で生じた多数の死者。その死を無駄にしないと言うことは何か。
沖縄で犠牲になった多くの国民の死を無駄にしないということは何か。
原爆で亡くなった人たちの死を無駄にしないということは何か・・・。
死の反対語は生だ。戦争の反対語は平和だ。だから生者は死者を考える。
戦争があるから平和を考える。
長年生きてきて知ったのは、多くのさまざまな「死」があるということ。
不条理な死、無益な死、無意味な死。誰かによってもたらされる死。
それとどう向き合い、それを咀嚼していけばいいのか。
迷路から抜け出せないが、それを考え続けるという“作業”だけは続けねばないらないと思う。自分が死するまでは・・・。
ジャーナリズムの死だとか、この国は死んだとか。「死」という言葉を濫用して欲しくないとも。
2015年2月5日木曜日
今、僕たちが考えねばならないこと~4~
昨日、ワイツゼッカーの言葉を引いた。「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」という有名な言葉を。
その演説はこんな言葉で始まっている・・・。
“ 五月八日は記憶の日である。記憶とは、ある出来事を誠実かつ純粋に思い起こすことを意味する。
われわれは戦争と暴力の支配で亡くなったすべての人の悲しみを、とりわけ強制収容所で殺された六百万人のユダヤ人を思い起こす。戦争に苦しんだすべての民族、命を落とした同胞たちを思い起こす。虐殺されたロマや同性愛者、宗教的・政治的な信念のために死ななければならなかった人たちを思い起こす。ドイツ占領下の国々での抵抗運動の犠牲者を思い起こす。数えられないほどの死者の傍らで、悲しみの山がそびえ立っている。
この犯罪を行ったのは少数の者だった。あまりにも多くの人が、起こっていたことを知ろうとしなかった。良心をまひさせ、自分には関わりがないとし、目をそらし、沈黙した。戦争が終わり、ホロコーストの筆舌に尽くせない真実が明らかになったとき、それについて全く何も知らなかったとか、うすうす気付いていただけだと主張した“。
“盲目”の意味を考える。それは、今、よくいわれ、使われる言葉としての「思考停止」ということではないかと。
アイヒマンが全く無表情のように、虐殺のボタンを押していたこと。彼の日常としての行為。
アイヒマンの中にあった思考停止。
「悪の凡庸さ」とハンナ・アーレントは呼んだが・・・。
あの「イスラム国」の殺人者、残忍な殺害行為。彼のすでにして思考停止に陥っていた奴なのだろう。
思考が停止しているから、勝手に「神」を持ち出す。アラーの名を使う。そこには“自己”は存在していない。
戦場とは常に“狂気”が支配する場所だ。人を殺すということへの正常な思考は全く働かないところだ。
なぜ、「テロ」が起きるか。格差・貧困・教育だと識者は指摘する。教育とは何か。知識だけではないはず。
考える力を養うことだ。
何も考えていないような、アジテートのような言葉が権力者から吐かれる。
「テロとの戦い。テロに屈しない」。これとても思考停止がもたらすものかもしれない。
「屈しない」と、多くの人が言っても、いくら言ってもテロは無くならない。
屈するとは何を指すのか。「屈したい」、「屈するべきだ」と考える人なんていないはず。
もちろん「時代」は違うかもしれないが、あの1977年の赤軍派によるハイジャック事件を思い出す。
“人間の命は地球より重い”。そう言って超法規的措置として、赤軍派の連中を釈放した福田赳夫。
そして福田内閣は総辞職への道を選択したという40数年前に、日本にあった「テロ」の問題・・・。
テロと戦う。それはテロを相手に戦争をすることではない。テロを無くすような努力をするという事ではないか。テロがおこらないような”状況“”環境“を、それを忌む人が図ることではないか。
相変わらず、北海道の北星学園に、朝日の元記者のことで脅迫文が届いたという。受験生に危害を加えるという内容だと言う。
これだった明らかに「テロ」の範疇に入る行為だ。しかし、それは、いわゆるヘイトスピーチの世界と同じように、ある種「正当化」されたものとみなされている。そう見ている人も多い・・・。
「思考停止」。もう一つの意味もあると感じる。
考えることを放棄したということ。考える能力を越えてしまっているということ。考えられなくなっているということ。
原発事故後の、あの官邸や東電本社がそうであったように・・・。
その演説はこんな言葉で始まっている・・・。
“ 五月八日は記憶の日である。記憶とは、ある出来事を誠実かつ純粋に思い起こすことを意味する。
われわれは戦争と暴力の支配で亡くなったすべての人の悲しみを、とりわけ強制収容所で殺された六百万人のユダヤ人を思い起こす。戦争に苦しんだすべての民族、命を落とした同胞たちを思い起こす。虐殺されたロマや同性愛者、宗教的・政治的な信念のために死ななければならなかった人たちを思い起こす。ドイツ占領下の国々での抵抗運動の犠牲者を思い起こす。数えられないほどの死者の傍らで、悲しみの山がそびえ立っている。
この犯罪を行ったのは少数の者だった。あまりにも多くの人が、起こっていたことを知ろうとしなかった。良心をまひさせ、自分には関わりがないとし、目をそらし、沈黙した。戦争が終わり、ホロコーストの筆舌に尽くせない真実が明らかになったとき、それについて全く何も知らなかったとか、うすうす気付いていただけだと主張した“。
“盲目”の意味を考える。それは、今、よくいわれ、使われる言葉としての「思考停止」ということではないかと。
アイヒマンが全く無表情のように、虐殺のボタンを押していたこと。彼の日常としての行為。
アイヒマンの中にあった思考停止。
「悪の凡庸さ」とハンナ・アーレントは呼んだが・・・。
あの「イスラム国」の殺人者、残忍な殺害行為。彼のすでにして思考停止に陥っていた奴なのだろう。
思考が停止しているから、勝手に「神」を持ち出す。アラーの名を使う。そこには“自己”は存在していない。
戦場とは常に“狂気”が支配する場所だ。人を殺すということへの正常な思考は全く働かないところだ。
なぜ、「テロ」が起きるか。格差・貧困・教育だと識者は指摘する。教育とは何か。知識だけではないはず。
考える力を養うことだ。
何も考えていないような、アジテートのような言葉が権力者から吐かれる。
「テロとの戦い。テロに屈しない」。これとても思考停止がもたらすものかもしれない。
「屈しない」と、多くの人が言っても、いくら言ってもテロは無くならない。
屈するとは何を指すのか。「屈したい」、「屈するべきだ」と考える人なんていないはず。
もちろん「時代」は違うかもしれないが、あの1977年の赤軍派によるハイジャック事件を思い出す。
“人間の命は地球より重い”。そう言って超法規的措置として、赤軍派の連中を釈放した福田赳夫。
そして福田内閣は総辞職への道を選択したという40数年前に、日本にあった「テロ」の問題・・・。
テロと戦う。それはテロを相手に戦争をすることではない。テロを無くすような努力をするという事ではないか。テロがおこらないような”状況“”環境“を、それを忌む人が図ることではないか。
相変わらず、北海道の北星学園に、朝日の元記者のことで脅迫文が届いたという。受験生に危害を加えるという内容だと言う。
これだった明らかに「テロ」の範疇に入る行為だ。しかし、それは、いわゆるヘイトスピーチの世界と同じように、ある種「正当化」されたものとみなされている。そう見ている人も多い・・・。
「思考停止」。もう一つの意味もあると感じる。
考えることを放棄したということ。考える能力を越えてしまっているということ。考えられなくなっているということ。
原発事故後の、あの官邸や東電本社がそうであったように・・・。
2015年2月4日水曜日
今、僕たちが考えねばならないこと~3~
なんでテロが起きるのだろう。なんで戦争があるのだろう。
もし子供にそう聞かれて確かな答えを人は持たない。今起きていることだってうまく説明できないだろう。
格差、貧困、差別・・・それが根源だという人もいる。
人間の「欲」だとも思う。
人類の歴史は「戦争」の歴史だということ。
それは大昔からそうだった。戦争が歴史を作ってきた。歴史を語るという事は畢竟「戦争」に行き着く。
日本の歴史、近代史に至るまで「戦争」を抜きにはこの国の歴史は語れない。
戊辰戦争、日清、日露、太平洋戦争・・・。
今年の位置づけは「戦後70年」。
ヨルダンのパイロットはすでに殺害されていた。その画像が公開されると、ヨルダンは女性死刑囚の刑を執行した。
「テロ」という名の、その事象を巡っての報復の連鎖は続くのだろう。
憎しみの連鎖、憎悪の連鎖、報復の連鎖・・・。
テロの被害者である日本の首相も、自らの言葉として「罪を償わさせる」と断言した。
もちろん、戦争を仕掛けるという直接行動では無く、国際司法裁判所に訴えるなどのことを指したのだとは思うが。
そして、この国はテロの標的とみなされるようになった。
事の発端はイラク戦争だ。アメリカ軍のイラク攻撃。2003年。アルカイダからイスラム国へとつながる中東のテロの系譜。
ロシアとウクライナもしかりだ。大国は軍事力をもって制覇をはかる。
アメリカが「アメリカ」で有り続ける限り、戦争は終わらないのかもしれない。
そこに常に犠牲者、死者が出ることを、もう誰もおかしい事と思わなくなったのか。
ハンナ・アーレントの言う「悪の凡庸さ」が正当化されてしまっているのか。
ル・バンの言う「群衆とは」の中に世界中が組み込まれてしまっているのか。
「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」。
あのワイツゼッカーの言葉は、投げかけたメッセージは“戦争指導者”の眼にもとまらず、耳にも届いていないのだろうか。
戦争の原因は「欲」だと書いた。そうだろう。領土欲、資源獲得欲・・・。
同じイルラム圏での戦争。石油資源をめぐる争い。
エネルギーと言う、それを必要とする、それが絶対だとする世界が出来上がってしまった。
戦争放棄を宣言した憲法を「いらない」という日本人も増えている。
「この前までは、ニッポン・ジャパンと書いて服を着てればシリアでもイラクでも人々は歓迎してくれていた。それが出来なくなった。国名を隠さないと危険だ。悲しい」。現地にいるNGOの人が言っていた現実。
難民支援を民間ではできなくなったという現実。軍隊に守ってもらわねばそれが出来ない。いや、軍隊が出来ないから民間が行っていたはずなのに・・・。
宗教戦争・経済戦争・・・。戦争と言う言葉が何にでも適用されるということ。
多分、好戦的言辞を吐くオバマ、それと同じ言葉をつかう日本政府。アメリカのいう「有志連合」は「イスラム国」への軍事行動を激化させるだろう。ヨルダンもそれに加わる。
「イスラム国」を軍事力で壊滅させられるのか。無理だ。その“思想”(悪としての)持った人たちは世界中に散らばっている。その“思想”に懲りかたまった奴らを無くすことは不可能だろう。
だからこの平和憲法なるものを国是としているはずの日本だって標的にされ、すでにして国内警備、警戒が最大課題とされている。
在外邦人だって危険にさらされている。
それこそ大きな「国富」の損失だろう。原発国富論を言う人達よ。
テロ・戦争。21世紀をくくる言葉になってしまったような・・・。
そこから抜け出す出口は無いような。その迷路の中で、自分の思考としての出口を見つける作業をしなければ・・・。“盲目になった”日本人にはなりたくないから。
“目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった”。
後藤健二さんのツイートにあった言葉を考える。
もし子供にそう聞かれて確かな答えを人は持たない。今起きていることだってうまく説明できないだろう。
格差、貧困、差別・・・それが根源だという人もいる。
人間の「欲」だとも思う。
人類の歴史は「戦争」の歴史だということ。
それは大昔からそうだった。戦争が歴史を作ってきた。歴史を語るという事は畢竟「戦争」に行き着く。
日本の歴史、近代史に至るまで「戦争」を抜きにはこの国の歴史は語れない。
戊辰戦争、日清、日露、太平洋戦争・・・。
今年の位置づけは「戦後70年」。
ヨルダンのパイロットはすでに殺害されていた。その画像が公開されると、ヨルダンは女性死刑囚の刑を執行した。
「テロ」という名の、その事象を巡っての報復の連鎖は続くのだろう。
憎しみの連鎖、憎悪の連鎖、報復の連鎖・・・。
テロの被害者である日本の首相も、自らの言葉として「罪を償わさせる」と断言した。
もちろん、戦争を仕掛けるという直接行動では無く、国際司法裁判所に訴えるなどのことを指したのだとは思うが。
そして、この国はテロの標的とみなされるようになった。
事の発端はイラク戦争だ。アメリカ軍のイラク攻撃。2003年。アルカイダからイスラム国へとつながる中東のテロの系譜。
ロシアとウクライナもしかりだ。大国は軍事力をもって制覇をはかる。
アメリカが「アメリカ」で有り続ける限り、戦争は終わらないのかもしれない。
そこに常に犠牲者、死者が出ることを、もう誰もおかしい事と思わなくなったのか。
ハンナ・アーレントの言う「悪の凡庸さ」が正当化されてしまっているのか。
ル・バンの言う「群衆とは」の中に世界中が組み込まれてしまっているのか。
「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」。
あのワイツゼッカーの言葉は、投げかけたメッセージは“戦争指導者”の眼にもとまらず、耳にも届いていないのだろうか。
戦争の原因は「欲」だと書いた。そうだろう。領土欲、資源獲得欲・・・。
同じイルラム圏での戦争。石油資源をめぐる争い。
エネルギーと言う、それを必要とする、それが絶対だとする世界が出来上がってしまった。
戦争放棄を宣言した憲法を「いらない」という日本人も増えている。
「この前までは、ニッポン・ジャパンと書いて服を着てればシリアでもイラクでも人々は歓迎してくれていた。それが出来なくなった。国名を隠さないと危険だ。悲しい」。現地にいるNGOの人が言っていた現実。
難民支援を民間ではできなくなったという現実。軍隊に守ってもらわねばそれが出来ない。いや、軍隊が出来ないから民間が行っていたはずなのに・・・。
宗教戦争・経済戦争・・・。戦争と言う言葉が何にでも適用されるということ。
多分、好戦的言辞を吐くオバマ、それと同じ言葉をつかう日本政府。アメリカのいう「有志連合」は「イスラム国」への軍事行動を激化させるだろう。ヨルダンもそれに加わる。
「イスラム国」を軍事力で壊滅させられるのか。無理だ。その“思想”(悪としての)持った人たちは世界中に散らばっている。その“思想”に懲りかたまった奴らを無くすことは不可能だろう。
だからこの平和憲法なるものを国是としているはずの日本だって標的にされ、すでにして国内警備、警戒が最大課題とされている。
在外邦人だって危険にさらされている。
それこそ大きな「国富」の損失だろう。原発国富論を言う人達よ。
テロ・戦争。21世紀をくくる言葉になってしまったような・・・。
そこから抜け出す出口は無いような。その迷路の中で、自分の思考としての出口を見つける作業をしなければ・・・。“盲目になった”日本人にはなりたくないから。
“目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった”。
後藤健二さんのツイートにあった言葉を考える。
2015年2月3日火曜日
今、僕らが考えなくてはならないこと~2~
郡山のテレビ局にいた時、アナウンサーにこんな事を言っていた。
アナウンサーは全員が東京や他県から来た人たち。
「ニュース原稿を読む時、例えば天気予報でも、書かれた地名だけ読んでいたのは“伝えた”ことにはならない。時間を見つけて全県を回れ、その地の風景を見ろ、そこの人と会話しろ、そしてその町の空気と匂いを感じて来い。
その地名を読む時、脳裏にその記憶が蘇るはずだ。そこから発せられる言葉は、読むだけの言葉とは違う。まして読み間違いなんて起こらない」と。
伝えるということはそういうことだと思っていたから。
先日も書いたか。癌で亡くなった看護師、社会福祉士、柴田裕子さん。
「全ては現場にある。そこを見る眼と、その人の言葉を聞く努力、読み取る力を養いなさい」。か細い声で、やせ細った手で後輩の手を握り話し続けていた。
一昨年か、講演を依頼された。演題は「知るという支援」とした。福島を語る上でのこと。
とにかく現地を見る、福島を見る。そして聞く、その地の人の声を。それが「知る」ということ。知れば「考える」。どうすればいいのか、何をすればいのかが見えてくるはず。そんな講釈を垂れた。
「知る」ということ。それがいかに大事なことか。
災後の特に実感していること。
知ると伝える。いわば表裏一体だ。そしてそれが何よりの「支援」だということ。
支援とは金や物だけでは無い。被災地の人間はそのことを思っている。
後藤さんがやって来たこと、やりたかったこと。重なる話だと思う。
「何になりたいかではなく、何をしたいか」。ノーベル賞受賞者天野浩さんの言葉だ。
後藤さんは、あの地に入って何かになりたかったのではない。したいことがあったのだ。ジャーナリストとして。
「大切なことは、何をしたかではなく、何のためにそれをしたか」。俳優、高倉健さんの言葉だ。
健さんの言葉も重なる。
後藤さんには「伝えるべきもの」があった。何のために伝えるかの“大切なこと”を知っていた。
何を伝えるか。何を伝えなかったか。
日本のマスコミ、ジャーナリズムがあらためて問われていると思う。
政治の、官邸の、安倍外交の「検証」が言われる。それはメディアにとってもそうなのだと思う。
後藤さんは日本基督教団に所属する、洗礼も受けたキリスト教信者だった。
まだ、彼の生死が不明な頃、日本のマスコミ、週刊誌はもちろん、彼の出自や経歴、学歴、その他を“取材”しまくり、それを「お茶の間」に流した。
どこかのワイドショーがやっていたという。彼が敬虔なクリスチャンであるという“個人情報”を。
それを聞いた時、「やばい」と危惧した。日本のテレビが何をやっているかを、あの「イスラム国」は全部モニターしている。
最初に拘束された映像が流された時、あの黒ずくめの男が言っていた言葉に「十字軍」というのがあった。
イスラムとキリスト教の間にある歴史的な問題。
キリスト教徒であることをあの「間違った原理主義者」は問題にする。敵だとみなす。
伝える必要の無い情報だったのだ。
新聞の時代からテレビの時代へ。そしてネットの時代へ。
またたく間に駆け巡る「情報」。戦争報道の在り方だって変ってきている。
伝える側が、伝えることの意味を、意義をどれだけ真剣に考えていたのだろうかと。
長くなるが、後藤さんの出身校、法政大学の田中優子総長がこんなコメントを発表している。
「本学は、後藤さんが本学卒業生であることを把握しておりましたが、極めて難しい交渉が続く中、今まで報告や発言をさしひかえていました。
後藤さんは、紛争地域で生きる弱者である子どもたちや市民の素顔を取材し、私たちに伝え続けてきたジャーナリストです。常に平和と人権を希求して現地で仕事をされてきたことに対し、ここに、心からの敬意と、深い哀悼の意を表します。
いかなる理由があろうと、いかなる思想のもとであっても、また、世界中のいかなる国家であろうとも、人の命を奪うことで己を利する行為は、決して正当化されるものではありません。暴力によって言論の自由の要である報道の道を閉ざすことも、あってはならないことです。
法政大学は戦争を放棄した日本国の大学であることを、一日たりとも忘れたことはありません。「自由と進歩」の精神を掲げ、「大学の自治」と「思想信条の自由」を重んじ、民主主義と人権を尊重してきました。さらに、日本の私立大学のグローバル化を牽引する大学として、日本社会や世界の課題を解決する知性を培う場になろうとしています。その決意を新たにした本学が、真価の問われる出来事にさらされた、と考えています。
なぜこのような出来事が起きたのか、この問題の本当の意味での「解決」とは何か、私たちは法政大学の知性を集め、多面的に考えていきたいと思います。
まず全学の学生・生徒・教職員が人ごとではなく、この世界の一員として自らの課題と捉え、卒業生としての後藤さんの価値ある仕事から多くを学びつつ、この問題を見る視点を少しでも深く鋭く養って欲しいと、心から願っています。」
アナウンサーは全員が東京や他県から来た人たち。
「ニュース原稿を読む時、例えば天気予報でも、書かれた地名だけ読んでいたのは“伝えた”ことにはならない。時間を見つけて全県を回れ、その地の風景を見ろ、そこの人と会話しろ、そしてその町の空気と匂いを感じて来い。
その地名を読む時、脳裏にその記憶が蘇るはずだ。そこから発せられる言葉は、読むだけの言葉とは違う。まして読み間違いなんて起こらない」と。
伝えるということはそういうことだと思っていたから。
先日も書いたか。癌で亡くなった看護師、社会福祉士、柴田裕子さん。
「全ては現場にある。そこを見る眼と、その人の言葉を聞く努力、読み取る力を養いなさい」。か細い声で、やせ細った手で後輩の手を握り話し続けていた。
一昨年か、講演を依頼された。演題は「知るという支援」とした。福島を語る上でのこと。
とにかく現地を見る、福島を見る。そして聞く、その地の人の声を。それが「知る」ということ。知れば「考える」。どうすればいいのか、何をすればいのかが見えてくるはず。そんな講釈を垂れた。
「知る」ということ。それがいかに大事なことか。
災後の特に実感していること。
知ると伝える。いわば表裏一体だ。そしてそれが何よりの「支援」だということ。
支援とは金や物だけでは無い。被災地の人間はそのことを思っている。
後藤さんがやって来たこと、やりたかったこと。重なる話だと思う。
「何になりたいかではなく、何をしたいか」。ノーベル賞受賞者天野浩さんの言葉だ。
後藤さんは、あの地に入って何かになりたかったのではない。したいことがあったのだ。ジャーナリストとして。
「大切なことは、何をしたかではなく、何のためにそれをしたか」。俳優、高倉健さんの言葉だ。
健さんの言葉も重なる。
後藤さんには「伝えるべきもの」があった。何のために伝えるかの“大切なこと”を知っていた。
何を伝えるか。何を伝えなかったか。
日本のマスコミ、ジャーナリズムがあらためて問われていると思う。
政治の、官邸の、安倍外交の「検証」が言われる。それはメディアにとってもそうなのだと思う。
後藤さんは日本基督教団に所属する、洗礼も受けたキリスト教信者だった。
まだ、彼の生死が不明な頃、日本のマスコミ、週刊誌はもちろん、彼の出自や経歴、学歴、その他を“取材”しまくり、それを「お茶の間」に流した。
どこかのワイドショーがやっていたという。彼が敬虔なクリスチャンであるという“個人情報”を。
それを聞いた時、「やばい」と危惧した。日本のテレビが何をやっているかを、あの「イスラム国」は全部モニターしている。
最初に拘束された映像が流された時、あの黒ずくめの男が言っていた言葉に「十字軍」というのがあった。
イスラムとキリスト教の間にある歴史的な問題。
キリスト教徒であることをあの「間違った原理主義者」は問題にする。敵だとみなす。
伝える必要の無い情報だったのだ。
新聞の時代からテレビの時代へ。そしてネットの時代へ。
またたく間に駆け巡る「情報」。戦争報道の在り方だって変ってきている。
伝える側が、伝えることの意味を、意義をどれだけ真剣に考えていたのだろうかと。
長くなるが、後藤さんの出身校、法政大学の田中優子総長がこんなコメントを発表している。
「本学は、後藤さんが本学卒業生であることを把握しておりましたが、極めて難しい交渉が続く中、今まで報告や発言をさしひかえていました。
後藤さんは、紛争地域で生きる弱者である子どもたちや市民の素顔を取材し、私たちに伝え続けてきたジャーナリストです。常に平和と人権を希求して現地で仕事をされてきたことに対し、ここに、心からの敬意と、深い哀悼の意を表します。
いかなる理由があろうと、いかなる思想のもとであっても、また、世界中のいかなる国家であろうとも、人の命を奪うことで己を利する行為は、決して正当化されるものではありません。暴力によって言論の自由の要である報道の道を閉ざすことも、あってはならないことです。
法政大学は戦争を放棄した日本国の大学であることを、一日たりとも忘れたことはありません。「自由と進歩」の精神を掲げ、「大学の自治」と「思想信条の自由」を重んじ、民主主義と人権を尊重してきました。さらに、日本の私立大学のグローバル化を牽引する大学として、日本社会や世界の課題を解決する知性を培う場になろうとしています。その決意を新たにした本学が、真価の問われる出来事にさらされた、と考えています。
なぜこのような出来事が起きたのか、この問題の本当の意味での「解決」とは何か、私たちは法政大学の知性を集め、多面的に考えていきたいと思います。
まず全学の学生・生徒・教職員が人ごとではなく、この世界の一員として自らの課題と捉え、卒業生としての後藤さんの価値ある仕事から多くを学びつつ、この問題を見る視点を少しでも深く鋭く養って欲しいと、心から願っています。」
2015年2月2日月曜日
今、僕らが考えねばならないこと
ベトナム戦争時、日本の新聞社もベトナムの戦地に特派員を送った。それは「伝える」必要があると考えてのことだったと思う。
毎日新聞に連載されて「泥と炎のインドシナ」。記者は大森実という人だった。
取材拠点は南ベトナム、つまり米軍の側に身を置いてではあったが。
彼の「ベトナム戦記」は、その戦争の実相を伝えてくれた。書かれた記事によって、「ニュース」とは違う視点で、あの戦争の一面を知ることが出来た。
そして朝日や読売も取材団をベトナムに派遣した。朝日の本多勝一郎だったか。はじめて北ベトナムから見た戦争を戦場のルポルタージュを書いた。
それらは多くが文字だった。ついで、戦場にカメラマンが入った。岡村昭彦、石川文洋、沢田教一・・・。写真で「戦場」を伝えた。彼らは通信社の契約特派員という“身分”だった。
沢田が撮った写真。「安全への逃避」~川をわたる母子~。戦場で逃げ惑い、生死の境に生きる人々の姿を捉えていた。
そしてテレビ。牛山純一という人、日本テレビの「ドキュメンタリー劇場」という番組を手がけていた人、彼もテレビ屋として、ベトナムを撮った。彼の作品は“反米感情を煽る”という理由から政治的圧力で放送中止になった。
これらの報道が、べ平連運動を刺激したかどうかはともかく。兵士だけではない、常に犠牲になる市民の姿を捉えることが彼らの目線にあったと思う。
彼らはいずれも「命を賭して」いた。「死」を覚悟していた。それでも、そこを取材する事、伝えることに「使命感」を感じていた。
今、シリアのアレッポには朝日新聞の記者が入っている。彼の記事によって我々はシリアの、それがたとえ断片であろうとも、その地のことを知ることが出来る。そして、他紙はそれを批判する・・・。
この一週間、「イスラム国」のことを考えていた。昨日、後藤健二さんが殺害されて事を知ってから、また考えた。
なぜジャーナリストは戦場に行くのかということを。
それがどこかの会社に所属している人であろうと、フリーと呼ばれる人であろうと、その「戦場」の実相を、そこに暮らす人たちの実態を伝えなくてはならない、そう、例えばクレヨンを持って画を描くことすら知らない子どもたちがいるということを、誰かが伝えなくてはならないからだ。
例えば、シリアには日本の在外公館は無い。そこを知るのはあの「イスラム国」が全くのポロパガンダとして流す映像、ラジオだけなのだ。
毎日、戦果を誇る「イスラム国」のラジオ。まさに、70数年前の大本営発表のようなものだ。
平和な日本という国に暮らしているからこそ、餓えと恐怖と貧困にあえぐ、かの地の姿を伝えねばならないという“仕事”があるという認識。
そこに「自己責任」などという、まったくもって無責任な言葉を浴びせる余地は無い。
たしかに、拘束され脅迫されたということ、それを“救出”するために、国に“迷惑”かけたとうこと。そういう見方まで排除はしない。いや、排除した方がいいのか。後藤さんの為に払った国の努力。それは、平和な環境の中で暮らす日本人の、あまねく「共通のリスク」として負担してもいいのじゃないか。
イラク戦争時の高遠菜穂子さん、シリアのアレッポで亡くなった山本美香さん。取材者でもあったし、その地の人達を支援し、援助するNGOのメンバーでもあった人達。拘禁された人もいる銃弾で命を亡くした人もいる。沢田教一だってカンボジアで銃弾によって殺されている。
その人たちがいなければ、後藤さんのような人達がいなければ、我々は「戦争」を知ることがなかなか出来ない。
「戦争」は知らなくてはいけないものだということ・・・。
戦争を知らなければ戦争は終わらないということ。
毎日新聞に連載されて「泥と炎のインドシナ」。記者は大森実という人だった。
取材拠点は南ベトナム、つまり米軍の側に身を置いてではあったが。
彼の「ベトナム戦記」は、その戦争の実相を伝えてくれた。書かれた記事によって、「ニュース」とは違う視点で、あの戦争の一面を知ることが出来た。
そして朝日や読売も取材団をベトナムに派遣した。朝日の本多勝一郎だったか。はじめて北ベトナムから見た戦争を戦場のルポルタージュを書いた。
それらは多くが文字だった。ついで、戦場にカメラマンが入った。岡村昭彦、石川文洋、沢田教一・・・。写真で「戦場」を伝えた。彼らは通信社の契約特派員という“身分”だった。
沢田が撮った写真。「安全への逃避」~川をわたる母子~。戦場で逃げ惑い、生死の境に生きる人々の姿を捉えていた。
そしてテレビ。牛山純一という人、日本テレビの「ドキュメンタリー劇場」という番組を手がけていた人、彼もテレビ屋として、ベトナムを撮った。彼の作品は“反米感情を煽る”という理由から政治的圧力で放送中止になった。
これらの報道が、べ平連運動を刺激したかどうかはともかく。兵士だけではない、常に犠牲になる市民の姿を捉えることが彼らの目線にあったと思う。
彼らはいずれも「命を賭して」いた。「死」を覚悟していた。それでも、そこを取材する事、伝えることに「使命感」を感じていた。
今、シリアのアレッポには朝日新聞の記者が入っている。彼の記事によって我々はシリアの、それがたとえ断片であろうとも、その地のことを知ることが出来る。そして、他紙はそれを批判する・・・。
この一週間、「イスラム国」のことを考えていた。昨日、後藤健二さんが殺害されて事を知ってから、また考えた。
なぜジャーナリストは戦場に行くのかということを。
それがどこかの会社に所属している人であろうと、フリーと呼ばれる人であろうと、その「戦場」の実相を、そこに暮らす人たちの実態を伝えなくてはならない、そう、例えばクレヨンを持って画を描くことすら知らない子どもたちがいるということを、誰かが伝えなくてはならないからだ。
例えば、シリアには日本の在外公館は無い。そこを知るのはあの「イスラム国」が全くのポロパガンダとして流す映像、ラジオだけなのだ。
毎日、戦果を誇る「イスラム国」のラジオ。まさに、70数年前の大本営発表のようなものだ。
平和な日本という国に暮らしているからこそ、餓えと恐怖と貧困にあえぐ、かの地の姿を伝えねばならないという“仕事”があるという認識。
そこに「自己責任」などという、まったくもって無責任な言葉を浴びせる余地は無い。
たしかに、拘束され脅迫されたということ、それを“救出”するために、国に“迷惑”かけたとうこと。そういう見方まで排除はしない。いや、排除した方がいいのか。後藤さんの為に払った国の努力。それは、平和な環境の中で暮らす日本人の、あまねく「共通のリスク」として負担してもいいのじゃないか。
イラク戦争時の高遠菜穂子さん、シリアのアレッポで亡くなった山本美香さん。取材者でもあったし、その地の人達を支援し、援助するNGOのメンバーでもあった人達。拘禁された人もいる銃弾で命を亡くした人もいる。沢田教一だってカンボジアで銃弾によって殺されている。
その人たちがいなければ、後藤さんのような人達がいなければ、我々は「戦争」を知ることがなかなか出来ない。
「戦争」は知らなくてはいけないものだということ・・・。
戦争を知らなければ戦争は終わらないということ。
2015年2月1日日曜日
「死」と「生」と
早朝飛び込んできたニュース。後藤さん「殺害」との報。言葉も無い。
彼の「死」を語るに言葉はあまりにも“無力”だとも思う。
これが、すべての意味を含めて、今の“世界”なのだと。
そして、それを“理解”すること、読み解くことも出来ない。
今日は僕の誕生日だ。74回目の。
誕生、そう僕が生まれた日に、一人のジャーナリストが無法にも”殺され“た。
74年の生を僕は受けている。彼は47歳で死を持った。
74年間、いろいろな死を見て来た。接してきた。最初に出会った死は、「戦争」のよるものだった。焼けた死体をこどもの僕はこの目で見た。
子供ながらに「戦争」を嫌悪した。やってはならないと思った。
肉親の死もあった。親や親せき。特に親の死をどう受け止めるかに苦悩した。
仕事柄もあってか、いろんな事故現場に行き、無残な死も見た。
幾つもの死が隣り合わせにあった。
でも、今度の見せつけられた「死」は、いささか異なるように受け止める。
「イスラム国」・・・。後藤さんを殺す必要はないはずだ。少なくとも彼はその「国」を敵視してはいなかった。
シリアの現状を伝えようとしていただけ。そこに苦しむ子供の姿を世界に伝えたいとしていただけ。だと思う。
彼を“殺害”したのは、あの地の人、アラブの民だったのか。他国、それも西欧からあの国に“憧れて”行った人なのか。
彼を殺す必要は無かった。でも、殺した。その狂気。
多分、この“暴力”に対しては、”暴力“をもって報いる、それによって償いを求めるという「死の連鎖」「負の連鎖」が始まるだろう。
西欧諸国だけではない。同じイスラムの国からも彼らは標的にされるだろう。
その“戦争”によって、シリアやイラクの子供たちが被害に合う。
後藤さんは子供たちを救いたかった。それが結果、真逆に動く・・・。
「イスラム国」というテロ集団は、半年で1,900人もの人を殺しているという。
中東のあの地の惨状を後藤さんは伝えたかった。これからはよりあの地のことは伝わらなくなるだろう。
あの「犯行声明」にあった如く、あの集団は、日本と言う国を名指しで敵とした。首相の名をあげて。
我々は、あの地を再び「遠い国」としてしまうのか。彼の志した「子ども達を救う」という意志を無駄にしてしまうのか。誰かが受け継ぐのか。
世界は「軍事力」という「力」にものを言わせた動きとなっている。そこに日本も必定、組み込まれていくのだろう。
力をもって力を制するという・・・。
この事件が我々に突き付けた問題は大きい。
この事件を契機にして、日本の中でどういう声が、動きが出てくるのか。
人道支援とは何なのか、何をすべきなのか・・・。
数日前、東日本大震災シリーズで「傷ついた人に寄り添って」という番組で、阪神淡路大震災から3・11に至るまで、被災者の支援を行ってきた看護師、黒田裕子さんの“物語”が放映されていた。癌で亡くなるまで、彼女は「仕事」のことを言い続けていた。
現場にしか真実は無い。見るべきものを見ないと真実はわからない。聞くべき耳を持たないと真実の声は聞こえない。と。
そして「生き切る」と何度も病床で言っていた。
74歳。どこまで生き切れるかはわからない。彼女のドキュメンタリーを涙して見、後藤さんの全くの不条理の“死”を知って、「生き切る」ということに留意したいと、何を為せるかはともかく、何かを為していかなければと、「新たな覚悟」を決めた。
自分の「死」は脇に置いておこうと・・・。言いようの無い「74歳の誕生日・・・」。「生」を受けた日・・・。
彼の「死」を語るに言葉はあまりにも“無力”だとも思う。
これが、すべての意味を含めて、今の“世界”なのだと。
そして、それを“理解”すること、読み解くことも出来ない。
今日は僕の誕生日だ。74回目の。
誕生、そう僕が生まれた日に、一人のジャーナリストが無法にも”殺され“た。
74年の生を僕は受けている。彼は47歳で死を持った。
74年間、いろいろな死を見て来た。接してきた。最初に出会った死は、「戦争」のよるものだった。焼けた死体をこどもの僕はこの目で見た。
子供ながらに「戦争」を嫌悪した。やってはならないと思った。
肉親の死もあった。親や親せき。特に親の死をどう受け止めるかに苦悩した。
仕事柄もあってか、いろんな事故現場に行き、無残な死も見た。
幾つもの死が隣り合わせにあった。
でも、今度の見せつけられた「死」は、いささか異なるように受け止める。
「イスラム国」・・・。後藤さんを殺す必要はないはずだ。少なくとも彼はその「国」を敵視してはいなかった。
シリアの現状を伝えようとしていただけ。そこに苦しむ子供の姿を世界に伝えたいとしていただけ。だと思う。
彼を“殺害”したのは、あの地の人、アラブの民だったのか。他国、それも西欧からあの国に“憧れて”行った人なのか。
彼を殺す必要は無かった。でも、殺した。その狂気。
多分、この“暴力”に対しては、”暴力“をもって報いる、それによって償いを求めるという「死の連鎖」「負の連鎖」が始まるだろう。
西欧諸国だけではない。同じイスラムの国からも彼らは標的にされるだろう。
その“戦争”によって、シリアやイラクの子供たちが被害に合う。
後藤さんは子供たちを救いたかった。それが結果、真逆に動く・・・。
「イスラム国」というテロ集団は、半年で1,900人もの人を殺しているという。
中東のあの地の惨状を後藤さんは伝えたかった。これからはよりあの地のことは伝わらなくなるだろう。
あの「犯行声明」にあった如く、あの集団は、日本と言う国を名指しで敵とした。首相の名をあげて。
我々は、あの地を再び「遠い国」としてしまうのか。彼の志した「子ども達を救う」という意志を無駄にしてしまうのか。誰かが受け継ぐのか。
世界は「軍事力」という「力」にものを言わせた動きとなっている。そこに日本も必定、組み込まれていくのだろう。
力をもって力を制するという・・・。
この事件が我々に突き付けた問題は大きい。
この事件を契機にして、日本の中でどういう声が、動きが出てくるのか。
人道支援とは何なのか、何をすべきなのか・・・。
数日前、東日本大震災シリーズで「傷ついた人に寄り添って」という番組で、阪神淡路大震災から3・11に至るまで、被災者の支援を行ってきた看護師、黒田裕子さんの“物語”が放映されていた。癌で亡くなるまで、彼女は「仕事」のことを言い続けていた。
現場にしか真実は無い。見るべきものを見ないと真実はわからない。聞くべき耳を持たないと真実の声は聞こえない。と。
そして「生き切る」と何度も病床で言っていた。
74歳。どこまで生き切れるかはわからない。彼女のドキュメンタリーを涙して見、後藤さんの全くの不条理の“死”を知って、「生き切る」ということに留意したいと、何を為せるかはともかく、何かを為していかなければと、「新たな覚悟」を決めた。
自分の「死」は脇に置いておこうと・・・。言いようの無い「74歳の誕生日・・・」。「生」を受けた日・・・。
登録:
投稿 (Atom)
“チェルノブイリ”異聞
ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...
-
新しい年となった。雪の中だ。 良寛の詩作を引く。「草庵雪夜作」の題名。 回首七十有餘年 首 ( こうべ ) を回(めぐ)らせば七十有餘年 人間是非飽看破 人間の是非看破(かんぱ)に飽きたり 往来跡幽深夜雪 ...
-
そう、あれは6月の初めだったか。 急に視力が悪く、パソコンの画面が見え難くなった。 脳梗塞で入院した時、最初に診察してくれた当直の麻酔科の医師が「白内障が出てます。手術した方がいいですよ」と教えてくれていた。 その後転倒して、それも二回。 CT 検...
-
ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...