昨日、ワイツゼッカーの言葉を引いた。「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」という有名な言葉を。
その演説はこんな言葉で始まっている・・・。
“ 五月八日は記憶の日である。記憶とは、ある出来事を誠実かつ純粋に思い起こすことを意味する。
われわれは戦争と暴力の支配で亡くなったすべての人の悲しみを、とりわけ強制収容所で殺された六百万人のユダヤ人を思い起こす。戦争に苦しんだすべての民族、命を落とした同胞たちを思い起こす。虐殺されたロマや同性愛者、宗教的・政治的な信念のために死ななければならなかった人たちを思い起こす。ドイツ占領下の国々での抵抗運動の犠牲者を思い起こす。数えられないほどの死者の傍らで、悲しみの山がそびえ立っている。
この犯罪を行ったのは少数の者だった。あまりにも多くの人が、起こっていたことを知ろうとしなかった。良心をまひさせ、自分には関わりがないとし、目をそらし、沈黙した。戦争が終わり、ホロコーストの筆舌に尽くせない真実が明らかになったとき、それについて全く何も知らなかったとか、うすうす気付いていただけだと主張した“。
“盲目”の意味を考える。それは、今、よくいわれ、使われる言葉としての「思考停止」ということではないかと。
アイヒマンが全く無表情のように、虐殺のボタンを押していたこと。彼の日常としての行為。
アイヒマンの中にあった思考停止。
「悪の凡庸さ」とハンナ・アーレントは呼んだが・・・。
あの「イスラム国」の殺人者、残忍な殺害行為。彼のすでにして思考停止に陥っていた奴なのだろう。
思考が停止しているから、勝手に「神」を持ち出す。アラーの名を使う。そこには“自己”は存在していない。
戦場とは常に“狂気”が支配する場所だ。人を殺すということへの正常な思考は全く働かないところだ。
なぜ、「テロ」が起きるか。格差・貧困・教育だと識者は指摘する。教育とは何か。知識だけではないはず。
考える力を養うことだ。
何も考えていないような、アジテートのような言葉が権力者から吐かれる。
「テロとの戦い。テロに屈しない」。これとても思考停止がもたらすものかもしれない。
「屈しない」と、多くの人が言っても、いくら言ってもテロは無くならない。
屈するとは何を指すのか。「屈したい」、「屈するべきだ」と考える人なんていないはず。
もちろん「時代」は違うかもしれないが、あの1977年の赤軍派によるハイジャック事件を思い出す。
“人間の命は地球より重い”。そう言って超法規的措置として、赤軍派の連中を釈放した福田赳夫。
そして福田内閣は総辞職への道を選択したという40数年前に、日本にあった「テロ」の問題・・・。
テロと戦う。それはテロを相手に戦争をすることではない。テロを無くすような努力をするという事ではないか。テロがおこらないような”状況“”環境“を、それを忌む人が図ることではないか。
相変わらず、北海道の北星学園に、朝日の元記者のことで脅迫文が届いたという。受験生に危害を加えるという内容だと言う。
これだった明らかに「テロ」の範疇に入る行為だ。しかし、それは、いわゆるヘイトスピーチの世界と同じように、ある種「正当化」されたものとみなされている。そう見ている人も多い・・・。
「思考停止」。もう一つの意味もあると感じる。
考えることを放棄したということ。考える能力を越えてしまっているということ。考えられなくなっているということ。
原発事故後の、あの官邸や東電本社がそうであったように・・・。
2015年2月5日木曜日
“チェルノブイリ”異聞
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