2015年2月11日水曜日

「建国記念日」に思うこと

今日、2月11日は「建国記念日」。国民の祝日。ハッピーマンデーとやらでも動かせない日。

子供の頃、親の世代は「紀元節」と言っていた。そして♪雲にたなびく、高千穂の~~~♪なんて歌を歌っていたような記憶がある。

昭和41年だったか、42年ごろだったか。この建国記念日制定を巡って国会の中は騒然としていた。

2月11日という日がなぜ「建国記念日」なのか。日にちの根拠はいまでもはっきりわからない。わからないというのは、それが旧暦か新暦か。何をもってこの日なのかということもある。

神武天皇にちなんだことなのか、そうではないのか。そもそも「日本」という国は何時からあったのか。
紀元節・建国の日。いわば「天皇の世紀」だ。

古事記をひも解いても、日本書紀をひも解いても“正解”はなかなかみつからないようだ。

紀元節と言われた日を建国記念の日とする。それをめぐって当時、歴史学者を交えて論争が展開されていたし、あの頃の「空気」はまだ戦後をひきずってもいたし。

結果、建国記念の日を政令できめるという法律は出来上がった。その過程であったこと。それはあくまでも「祝日法の改正」という言い方。目的は建国記念日だったのに、ほかにも祝日を設け、どこか“めくらまし”、“本命隠し”のようなやり方でこれが制定されたということ。

どこか今の改憲論議のやり方と似通っている。

9条改正が本命なのに、やれ環境権や福祉権などを前面に出し、多少なりとも本命隠しを図ろうとしてること。

政治のテクニックとしてあり得るということ。

何をもって「建国」とするかの“定義”がきちんと存在していない。それは多くの人がわかっていることだが、「建国」とはいつか、「日本」という国はいつから存在しているのか。それはいまだに「諸説紛々」なのだ。

国旗・国歌法によって日の丸掲揚が法律上は義務付けられる。日の丸を国旗とする。日章旗では無い、日の丸をだ。それはおおかた定着している。国歌としての君が代。それの「謂れ」も、“君”が天皇を指すのではないということも、近年ようやく理解され始めた。

国旗。たとえばフランス国旗。あの三色旗には「理念」が込められている。自由・平等・博愛という理念が。それがあまねく国に浸透しているかどうかはともかく。アメリカ国旗としての星条旗。そこの星はアメリカ合衆国の、それが合衆国であるということから州の数だけ星をあしらった。それにもとずいた「理念」のようなものがある。スターズ、ストライプス・フォーエバーだ。

では、日の丸の理念とは何か。白と赤の色彩のコントラストのことか。違うだろう。赤は太陽を表し、日出る国ということか。白は純潔、赤は博愛と活力を意味するということか。

その昔は船舶が航海するにあたっての標識だったともいわれているし。

この日に異論を唱えているわけではない。

日本青年会議所の世論調査では、日本の建国の日を知っている人は約2割だったという。
若者には特に低い認知度・・・。
アメリカや中国は9割を超えているとか。

絶対的天皇崇拝者であった三島由紀夫は書いている。「“愛国心”という言葉はあまり好きではない。官製の匂いがする」と。そして言ったという。
「本物の愛国者は、自分を愛国者とは言わない」とも。

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