2015年2月17日火曜日

「ふるさと」とは・・・「家」とは・・・

演歌の歌詞にこんな一節がある。
♪人は皆故郷が恋しくなって
一度は泣きに帰るものなの・・・♪

富岡町に住む、いや正確には住んでいた人。一時帰宅し、娘のためにお雛さまを飾ってあげた。居間を綺麗に片付けて。

今年が最後の雛祭りだという。

そこに住むのを諦めたから、そこには住めなくなったから。
避難先にその雛飾りは持っていけない。なぜなからそれらは放射能汚染物だから・・・。

雛飾りが「汚染物質」とされるということ・・・。人の営みが「物質」にされてしまうということ。

間もなく4年になる避難地域の一つの家にあったことだが。白い防護服のまま、お雛さまの前にたたずむその女性・・・。

「3・11」後、さまざまな「故郷論」があった。その中で答えがみつけられないこと。それはもう帰れないとわかっていても、頭が理解していても、なお「帰りたい」という心情。

その心情の一つには「骨を埋める場所」としての故郷があるのかもしれない。骨を埋める、つまり人生の終焉。その地を本能的に求めているということではないかということ。

故郷と書いて、「こきょう」とは読みたくない。音読みしたくない。日本語、大和言葉としての訓読み。「ふるさと」「ふ・る・さ・と」と呼びたい。

僕は故郷は東京の渋谷区初台だと思っている。40年間住んだ地。きのう、初台に住む知人から、あの町の変貌ぶり伝える便りがあった。

三河屋酒店が、吉沢コメ店が・・・。その他いろいろな景色が・・・。変わって行ったという。

代々飼っていた犬のマーキング場所、電柱や壁。それらも無くなるのだろう。
なんか「泣きたくなる」のだ。

事情はなんであれ、故郷を捨てたのではなく、故郷に捨てられたという想いに捉われる。

「家」となにか、どういう存在か。あの「3・11」の日、あの夜、東京でも多くの人がまったく交通手段が無いにも関わらず、徒歩ででも家路についていた。その行列・・・。
なんで「家」に帰るのか。旅行に行けば何日でも家を空けるのに。

帰るところとして存在する家。ただいまと声を掛けられる家。帰趨本能ということなのだろう。

例え段ボール作りであってもビニールシートであっても路上生活者にとって、そこは家だ。戻るべきところとして作った家だ。それを無価値なものしてみるか、大事なこのとして見るか・・・。

鳥であっても巣を奪わそうになるとその侵入者を攻撃する。巣を守ろうとする。
帰巣本能だ。

街ごと津波に奪われて人、家ももちろん流された人。その人たちが帰る場所は・・・故郷は・・・。答えを持てない。

他人事のように言ったことがある。海というふるさとがあるではないか。と。迎え入れてくれる海があるではないかと。海と言う字の中には“母”がいるではないかと。なんの慰めにも励ましにも足しにもならない言葉だったが。

自分の中での「故郷論」。きちんと構築しなければならない年齢になってきた。
「郡山に骨を埋めるんだね」と人に言われる。戸惑う。たぶん、ここに住み続けることだけは確かだ。しかしその先・・・墓の問題はまだ自分の中で解決していない。東京の八王子にある都営の霊園には母が眠っている。祖母の分骨もある。幼くして逝った弟の子もそこにはいる。

そこが「帰る場所」なのか・・・。また戸惑いも生まれる。

“ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの
よしやうらぶれて異土の乞食となるとても帰るところにあるまじや”

室生犀星の詩が、また重くのしかかってくる・・・。

故郷とは、家とは。解を持たない、持てない問い掛けをまたあらためて書くのでありました。

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