きのう、安倍は施政方針演説を行った。大音声で「戦後以来の大改革」を叫んでいた。でも、何をどうしようというのかはさっぱりわからなかったけど。
安倍の演説の全文を読んだけど、そこに「福島」という言葉は無かった。
原発に関しての言及は“再稼働”させるだけ。
2年前、参院選時、遊説の第一声に福島を選んだ安倍。そこでこう言ってのけた。
「福島の復興無くして日本の再生無し」と。
それを聞いた福島の人達がどれだけ評価したのかはわからない。でも、自民は勝った。
去年暮れの衆院選。南相馬だったか。やはり安倍は同じようなことを言ったはず。自民は勝った。
「福島」は彼の“方便”に使われたのだ。
一昨年の参院選。安倍が演説する駅前に、“聴衆”の後ろに、一人の女性が、ボードを持って立っていた。「総理、原発廃炉に賛成ですか、反対ですか」とだけ書いたボード。
彼女は“警備の人間”によって排除された。その人たちは時の候補の森まさ子の秘書や自民党関係者、警察官だったと聞く。
福島県民が福島県民を「排除」するという図。
彼女は二本松市のお寺の住職の奥さん。母親。今も、子供たちの支援活動に励んでいるのだろう。
沖縄辺野古にいまある光景と、あの時の光景が重なる。県民が県民を排除すると言う構図。
2年前は過去か。たしかに過去ではある。あの時と、さらには去年の暮と、「フクシマ」をめぐる状況は変わったのか。なにも変わっていない。変わったのは多少の風景だけ。壊れたものが撤去されただけ。自動車道が出来ただけ。
復興無くして再生無し。論理的には矛盾したものだったが、彼の言う日本再生は、「戦後以来の大改革」に代わったのだ。
福島の復興とは単なる選挙の口実だったのだ。
悲しくないですか。
昨日の大演説を聞いて、議場で聞いて、福島県選出の議員はどう思ったのだろうか。何も思わなかったのだろう。
福島県議はどう聞いたのか。市町村議員はどう聞いたのか・・・。その心中を聞いてみたい思いだ。
あなた方は地元では、何かというと、実態のあるなしに関わらず「復興」「復興」と言っているではないか。
だから、昨日書いたワイツゼッカーの演説があるのだ。目を閉ざしているのではない、「無かったこと」としている。現在に対して盲目か。そうだ、こと福島に関しては盲目であることをよしとしているような。
正体見たり枯れ尾花。
しかし、かれは枯れ尾花ではない。君臨する帝王だ。
まだ「フクシマ」はいわば全国に継続中だ。進行形だ。過去でもなんでの無いのに。
福島の視点から、あの演説内容に言及したメディアも、僕は見ていない。
そして多くの論調は、福島を通り越して「再稼働」の話しに向かっている。
原発事故は有り得る。
その前提に狂いは無い。いつ、どこがかの問題だ。
福島の“過去”に目を塞いでいるのかと。
デマ、風評は相変わらず飛び交っている。それには目を閉ざさない。勝手に“真実”だとして、拡散することに余念が無い人たちがいる。
半年前、福島で吐いた“公約”。一年ちょっと前に吐いた“公約”。日本再生のキーワードとしての福島。それになんら言及しない。
歴史の“汚点”として残る「名演説」だったと“評価”しておこう。「フクシマ」は政治の場からは消えたということを記憶する。
2015年2月13日金曜日
“チェルノブイリ”異聞
ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...
-
新しい年となった。雪の中だ。 良寛の詩作を引く。「草庵雪夜作」の題名。 回首七十有餘年 首 ( こうべ ) を回(めぐ)らせば七十有餘年 人間是非飽看破 人間の是非看破(かんぱ)に飽きたり 往来跡幽深夜雪 ...
-
ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...
-
そう、あれは6月の初めだったか。 急に視力が悪く、パソコンの画面が見え難くなった。 脳梗塞で入院した時、最初に診察してくれた当直の麻酔科の医師が「白内障が出てます。手術した方がいいですよ」と教えてくれていた。 その後転倒して、それも二回。 CT 検...