2015年2月24日火曜日

皇室と安倍政権との間にある「壁」

昨日は皇太子の誕生日だった。55歳。談話を出された。その談話を聞き、読み、再読し、皇室と安倍政権の間にある壁、あるいは溝、いやそれは亀裂といっていいのかもしれない。埋めがたい「歴史認識」があることを再確認した。

「天皇陛下がいて助かった」。戦後史を振り返って田中角栄がしみじみとして語った言葉だ。

昭和天皇の存在が戦後の混乱期、この国の中に動乱が起きず、同じ民族同士が争うことなく、その混乱期を乗り越えられてきたことを指して言った言葉だ。

吉田学校の出身者。「臣 茂」と自らを読んだ吉田茂。その後の保守本流の系譜にあった者としてかどうかはともかく。

「3・11」後、ネットのツイッターに田中角栄語録が「角栄BOT」として流れていた。多くの人がフォローしていた。その中に「天皇陛下がいて助かった」という語録もあったはず。

そしてそれは「事実」として再現された。大震災というあの“国難”。原発事故と言う“文明の崩壊”。その中で、動乱も大混乱の起きず、被災地の人たちがあまた矜持を保ち、“耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだ”には平成天皇、皇后両陛下がおられたおかげであると思っている。あらためての記述だが。

身をもって皇居内で、暖房を断り、被災者と同じ立場に立とうとされた両陛下。自らの意志を示され、被災地に赴かれた両陛下。
あの避難所の中の両陛下の姿。それは、まさに「寄り添う」ということの象徴であったとあらためて思う。

平成天皇によっても日本国民は救われたのだと。

皇太子の言葉の要旨。
「阪神大震災から二十年を迎え、東日本大震災より四年となります。震災を乗り越え、未来を創造する取り組みも生まれてきているように思います。昨年十一月に訪れた兵庫県では、震災の経験を地域や世代を超えて伝えようとする取り組みがなされていました。東日本大震災からの復興の取り組みとして、昨年八月にパリで行われた『東北復幸祭』に参加した高校生と先日会い、自ら企画した催しが成功を収めたことをうれしく思いました。被災地の復興に心を寄せ、防災に私ができることをやっていきたいと考えています」。

冒頭の部分でもお言葉だ。目線は「被災者目線」だったということ。

そして最近のこと。
「中東などで武力紛争が続き、わが国国民を含め市民を巻き込むテロが発生したことに深く心を痛めています」。
言葉を選んでの懸念の表明。そして、戦後70年の節目にあたっての感想。

「戦争の惨禍を繰り返すことのないよう、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。子どもの頃から沖縄慰霊の日、広島や長崎への原爆投下の日、終戦記念日には両陛下と一緒に黙祷しており、原爆や戦争の痛ましさを伺ってきました。沖縄での地上戦の激しさも伺ったことを記憶しています。私自身、戦争を体験しておりませんが、戦争の記憶が薄れようとしている今日(こんにち)、謙虚に過去を振り返り、戦争を体験した世代から、戦争を知らない世代に悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切だと考えています。わが国は戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています。本年が日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し、平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています」。

そして戦後に関連して昭和天皇に触れ、こう述べている。
「多くの人が昭和天皇のご事跡に関心を持ち、昭和という時代への理解を深めることになればと思います。激動の時代にあって、六十年を超える長きにわたり国民を思われ、真摯(しんし)にご公務に当たられた昭和天皇のお姿がしのばれます」。

そこには安倍政権が目指す、集団的自衛権の発動、行使、戦争へ加担しやすくなる「思想」への、歴代天皇の意向に、教育に添った、意思表示がある。
それは平成天皇のお言葉にあった意向とも重なる。美智子妃殿下の意志とも重なる。

天皇を「錦の御旗」としつらえて、維新を断行した薩長の藩閥政府。明治天皇も、昭和天皇も、「政治利用」されて来た。昭和天皇はあの戦争にも“反対”の意向であった。その意向は軍部によって“無視”されていた。
再度皇太子の言。
「わが国は戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受している。平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思う」。どう読んでも改憲反対って言うことでは無いのか。

元首ではなく象徴であったとしても、天皇の、皇太子の意向を“無視”するかのような政治の方向。

安倍はこの皇太子のお言葉をどう読んだのだろうかと。

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