2015年2月14日土曜日

なぜ今「三島由紀夫」なのか

多少、数日前の投稿と重複するけれど・・・。

なぜか不思議なのだ。このところ随所に「三島由紀夫」が“登場”してくるのだ。

昨夜、気の置けない友人たち6人との会合があった。話しのどんな脈絡から出て来たのかは思い出せないが、一人が「最近、三島由紀夫の豊穣の海を読んだ」と言い出した。

輪廻転生を描いたものだと言い、その文体の美しさにあらためて惹かれたと言っていた。
しばらくは「盾の会」、三島の自決をめぐっての会話が続いた。

今朝のテレビ番組。サワコの朝。ゲストは美輪明弘。三島の戯曲「黒蜥蜴」の公演を最後にするという。

「あの芝居は大変なの。特にセリフ。三島さんの日本語はあまりにも美しいのよ」。失われた日本語の美しさがそこにはあるということと聞いた。

週刊朝日ではドナルド・キーンが書いていた。三島のことを。親交の深かった文学者として。彼の礼儀正しさに日本人を見たとも。
「自決の理由はわからない」と結んであった。

そして数日前の塾で三島のことを僕は話していた。祖父、平岡定一郎は、明治30年代の福島県知事だったということから始まって。

いや、その前に「国家」という話をした。それがプラトンの書いた本の題名であり、プラトンはこよなく自分の肉体を美しく保ったということ。
そして「プラトニックラブ」と言う言葉もプラトンの名から来ているということ。

エロスとミューズをアカデミアという理想国家の理念としていたということ。

哲学の理念としてある「真・善・美」。その美の探求者であったということ。
プラトンを否定しては三島の美学も成り立たないということ。などなどを。

三島を敬愛していたという“新右翼”、一水会の代表だった鈴木邦男は郡山生まれだったということ。その鈴木が否定している安倍政治。

三島の自衛隊事件の「檄文」にも触れた。自衛隊は憲法違反である。違反のまま放置されている自衛隊。警察の「補完勢力」でしかない自衛隊。やがてそれはアメリカの“傭兵”とされるという論理構成。

山本七平はユダヤ人、イザヤベンダサンの名で、「日本教について」という本を書き、その中で三島の檄文に頁を費やし、あの檄文がいかに冷静で論理的に構成されているかを述べているかという見方を話した。

なぜ、意図したかしないかはともかく、今、三島由紀夫が各所に登場してくるのか。その美しいとされる日本語、そこにある「美学」。

まさに安倍なるものへの「美しい国日本」を言い出した、その無味乾燥さ、そして、今のなんら論理的構成も無い軍事化路線への、アンチテーゼをいくばくかの人が模索し、それの“帰結”を三島に求めた、探したということではないのかと。

東大安田講堂に単身乗り込み、数百人の全共闘を相手に長時間議論を重ねた三島。どこかに議論し合うことでの「右」と「左」という大きな溝を埋めようとしたのではないかと思われるその行動。

三島が自決したのは11月25日。その3か月前、ドナルドキーンは三島と海に行っている。三島の遠くを見る目を気にしたキーンは「何か心配事があるなら言って下さい」と言った。三島は視線をそらして何も言わなかった。「きっと彼はその時、11月25日のことを考えていたのでしょう・・・」とキーンは述懐している。

キーンの一文のタイトルは「昭和からの遺言」。

もし三島存命であれば、平成の今の「安倍政治」、「安倍的なもの」に何を語っただろうか・・・。

言葉も姿も全く美しくない、今の日本。その宰相。それをよしとする政治・

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