2015年2月3日火曜日

今、僕らが考えなくてはならないこと~2~

郡山のテレビ局にいた時、アナウンサーにこんな事を言っていた。
アナウンサーは全員が東京や他県から来た人たち。

「ニュース原稿を読む時、例えば天気予報でも、書かれた地名だけ読んでいたのは“伝えた”ことにはならない。時間を見つけて全県を回れ、その地の風景を見ろ、そこの人と会話しろ、そしてその町の空気と匂いを感じて来い。
その地名を読む時、脳裏にその記憶が蘇るはずだ。そこから発せられる言葉は、読むだけの言葉とは違う。まして読み間違いなんて起こらない」と。

伝えるということはそういうことだと思っていたから。

先日も書いたか。癌で亡くなった看護師、社会福祉士、柴田裕子さん。
「全ては現場にある。そこを見る眼と、その人の言葉を聞く努力、読み取る力を養いなさい」。か細い声で、やせ細った手で後輩の手を握り話し続けていた。

一昨年か、講演を依頼された。演題は「知るという支援」とした。福島を語る上でのこと。

とにかく現地を見る、福島を見る。そして聞く、その地の人の声を。それが「知る」ということ。知れば「考える」。どうすればいいのか、何をすればいのかが見えてくるはず。そんな講釈を垂れた。

「知る」ということ。それがいかに大事なことか。

災後の特に実感していること。

知ると伝える。いわば表裏一体だ。そしてそれが何よりの「支援」だということ。

支援とは金や物だけでは無い。被災地の人間はそのことを思っている。

後藤さんがやって来たこと、やりたかったこと。重なる話だと思う。


「何になりたいかではなく、何をしたいか」。ノーベル賞受賞者天野浩さんの言葉だ。

後藤さんは、あの地に入って何かになりたかったのではない。したいことがあったのだ。ジャーナリストとして。

「大切なことは、何をしたかではなく、何のためにそれをしたか」。俳優、高倉健さんの言葉だ。

健さんの言葉も重なる。

後藤さんには「伝えるべきもの」があった。何のために伝えるかの“大切なこと”を知っていた。

何を伝えるか。何を伝えなかったか。

日本のマスコミ、ジャーナリズムがあらためて問われていると思う。

政治の、官邸の、安倍外交の「検証」が言われる。それはメディアにとってもそうなのだと思う。

後藤さんは日本基督教団に所属する、洗礼も受けたキリスト教信者だった。

まだ、彼の生死が不明な頃、日本のマスコミ、週刊誌はもちろん、彼の出自や経歴、学歴、その他を“取材”しまくり、それを「お茶の間」に流した。

どこかのワイドショーがやっていたという。彼が敬虔なクリスチャンであるという“個人情報”を。
それを聞いた時、「やばい」と危惧した。日本のテレビが何をやっているかを、あの「イスラム国」は全部モニターしている。

最初に拘束された映像が流された時、あの黒ずくめの男が言っていた言葉に「十字軍」というのがあった。
イスラムとキリスト教の間にある歴史的な問題。

キリスト教徒であることをあの「間違った原理主義者」は問題にする。敵だとみなす。

伝える必要の無い情報だったのだ。

新聞の時代からテレビの時代へ。そしてネットの時代へ。

またたく間に駆け巡る「情報」。戦争報道の在り方だって変ってきている。

伝える側が、伝えることの意味を、意義をどれだけ真剣に考えていたのだろうかと。

長くなるが、後藤さんの出身校、法政大学の田中優子総長がこんなコメントを発表している。

「本学は、後藤さんが本学卒業生であることを把握しておりましたが、極めて難しい交渉が続く中、今まで報告や発言をさしひかえていました。
後藤さんは、紛争地域で生きる弱者である子どもたちや市民の素顔を取材し、私たちに伝え続けてきたジャーナリストです。常に平和と人権を希求して現地で仕事をされてきたことに対し、ここに、心からの敬意と、深い哀悼の意を表します。
いかなる理由があろうと、いかなる思想のもとであっても、また、世界中のいかなる国家であろうとも、人の命を奪うことで己を利する行為は、決して正当化されるものではありません。暴力によって言論の自由の要である報道の道を閉ざすことも、あってはならないことです。
法政大学は戦争を放棄した日本国の大学であることを、一日たりとも忘れたことはありません。「自由と進歩」の精神を掲げ、「大学の自治」と「思想信条の自由」を重んじ、民主主義と人権を尊重してきました。さらに、日本の私立大学のグローバル化を牽引する大学として、日本社会や世界の課題を解決する知性を培う場になろうとしています。その決意を新たにした本学が、真価の問われる出来事にさらされた、と考えています。
なぜこのような出来事が起きたのか、この問題の本当の意味での「解決」とは何か、私たちは法政大学の知性を集め、多面的に考えていきたいと思います。
まず全学の学生・生徒・教職員が人ごとではなく、この世界の一員として自らの課題と捉え、卒業生としての後藤さんの価値ある仕事から多くを学びつつ、この問題を見る視点を少しでも深く鋭く養って欲しいと、心から願っています。」

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