小学生の時、書初めで「平和日本」と書いた時から、この国は「平和な国」だと思ってきた。もちろん、国内では事件や事故があり、“騒乱”のようなことはあったが、この国は平和を希求する国であると思ってきた。
勘違いだったのだ。
平和と言うものの「価値観」は人によって違う。多様性を持っていることはいいことだ。
でも、明らかに「好戦的」な“感情”を持っている人が首相になり、平和と言うものの意味がわからなくなり、国を守るという概念が変わり、戦争をする、平和でない国になろうとしているように思えてならない。
それは首相個人だけがそうだということではない。
戦後70年、そこにあった「平和」に倦んだ人たちが増えたのだろうか。
まったく意味のわからない「積極的平和外交」なんていう言葉が乱造され、他国を攻撃するための「有志連合」に加わる。
「平和」は遠のいていく・・・。身近にあると思っていたものが。
そのために「憲法」を改正しようとする。改正という正の字は使いたくないが。
その本丸としてある「憲法第9条」。その他はいわば付け足しというか目くらまし。
この国は「自由」な国だと思ってきた。言論の自由は保障されているものと思ってきた。
隠れて行われてきたことが公然と行われるようになった。その言葉の意味のはき違いも含めて。
その自由の剥奪が当然視されるようになった。
シリアに取材に行こうとする人の旅券が返還させられた。逮捕するという言葉まで使って。
8.500キロ離れた国の実情を知ることが難しくなった。
渡航禁止、報道の自由。それを強権力が阻止する。それは憲法違反だ。訴訟にあたいする。それを「知って」いながら“禁止”する。
「面倒なことは避けたい」。そんな国の“怠慢”が底に潜んでいるような感じがする。
「自由」についても勘違いしていだのだ。
言わずもがな。原発の安全性。「安全」ということについても国が保証している限り安全なものだと思っていた。それも勘違いだった。
あんなことがあったら誰かが責任を取るものだと思っていた。「責任」というものが存在するから国は成り立っているのだと思っていた。
それも勘違いだった・・・。
大震災も原発事故も、誰も忘れない、忘れ得ないことだと思っていた。
でも、大方が「忘れる」という選択を、その風潮に身を置いているようにも思える。
なんかみんな、かんちがいだったのだ・・・。
アメリカという国は「平和」を希求する国だと思っていた。自由・平等の国だと思っていた。どうやらそれも違っていたみたいだ。
自分の中にあった「勘違い」を責める以外にないのだろうか・・・。
2015年2月8日日曜日
“チェルノブイリ”異聞
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