今の時代、と言うよりも古今東西か。我々が日々目にする耳にする言葉の数々。
例えば「平和」。何回も問うているが、平和の意味が判らなくなっている。
「平和憲法」というものが否定されはじめている。積極的平和主義とかが言われる。
平和とは何か。戦争がないこと、戦争の反対が平和か。
そうれだけでもなかろう。
小学生の時、書き初めに「平和日本」と書いた。平和という事をしっかり理解していて書いたものではない。あの頃の、いわば“はやりことば”のようなものだったから。
高齢に女性教師が、それを見て言った。
「平和という言葉が無くなった時が本当の平和なのよね」と。
その言葉が胸に突き刺さった。今でも忘れられない「一つの命題」として突き付けられたような「教え」だった。
その先生の一言は、今でも僕の中に静かに横たわっている。
誰しもが、平和、平和という。なんとなく感覚的な捉え方としての平和という言葉の意味だと思う。
原子力発電だって、平和のエネルギーという言葉に、価値観に置き換えられたくらいだから。
イスラム、その語源は、アラビア語で平和を意味する“サラーム”から生まれたものだと言う。
あの過激派の行動から、どうやって平和を読み取れるのか。
平和の名のもとになんでも許されるということなのか。
責任。
言葉だけが一人歩きしている。少なくとも、あの戦争について責任を明確にした人はいない。誰も責任を問われてはいない。70年経った今も、それは先送りされたままだ。
自己責任という言葉が幅を効かせる。その対処に当たった国は、それの責任は口にしない。
強い人たちは責任を取らない。責任を負わない。弱いものに責任を押し付けてすべてを終わりにしようとしている。
とにかく「原発事故」の責任はどこでも明らかにされず、誰も責任をとっていないということ。それは明らかに責任を負うべきことであったにも関わらずだ。
そして自由。
それの意味もよく理解できない。誰しもが、全く違った立場や環境にあってもそれぞれが「自由」と叫ぶ。
自由の反対語は何か。不自由という言葉か。
それだけでは説明がつかない。
今、僕たちが何気なく使っている、当然のように使っている言葉。それらを毎日のように目にし、耳にするたびに、との対象を考える時に、言葉の迷路、言葉の森、それは出口の見えない森なんだけど、そこに迷い込んでしまったような思いに捉われる。
弄ばれているような言葉の数々。
言葉の語源を「言霊」と見る以上、それに向き合うにもっと真摯であるべきと思うのだが。
さっき、新聞の朝刊に目を通した。天声人語が「平和」という言葉について書いていた。
//使用頻度が高い言葉ほど手垢に汚れ、切れ味が鈍麻し、意味が曖昧になる。そう言って井上ひさしさんがまずあげていたのが「平和」だった。たしかに敗戦この方使い古されて言葉本来の力がすり減ってしまった感がつよい//と。
たまには良い事指摘するじゃないか天声人語も。
俺が書いているのは「転生塵語」だと思うけれど、塵には塵の「意地」ってものがあるんだ。そう“わめきたく”なってきた・・・。
2015年2月16日月曜日
“チェルノブイリ”異聞
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