1960年代、テレビマンたちは「テレビ」について、テレビとは何かについて、テレビはいかにあるべきかにについて、日夜語りあっていた。
たとえば映画界出身者、たとえば演劇関係出身者、たとえば雑誌出身者。「未知との遭遇としてのテレビ」。そこにそれぞれが“価値観”を見出し、寄り集まり、そして「いかにあるべきか」「そもそもテレビとは何か」を模索していた。
彼らが出した結論、結論と言うより、そういう言葉でしかまとめられなかったこと。
「お前はただの現在にすぎない」。
「お前」とはテレビを指すものであり、はたまたテレビの仕事に携わる者たち、それを見る人たちへの“総称”ではなかったかと思っている。
彼らがまとめた「お前に捧げる18の言葉」というのがある。幾つかを抜き出してみる。
*テレビは時間である。(移り変わりゆくそのこと。終わりの無さ)
*テレビは現在である。(後戻りの無さ。予定調和の無さ。整序の拒否。視る人・視られる人同士の、超空間での“時間の共有”)
*テレビかケ“日常”である。(生活そのものー送り手にとっても、受け手にとても。俗。聖なるものとの出会いまでの膨大なディテイル。日付のあるドラマ)
*テレビはわが身のことである。(刻々の情念、刻々の生活。刻々の思想、刻々の生、刻々の死―わが身の刻々)
*テレビは窓である。(覗けば見える。覗かなくても見えている。考えれば見える。考えなくても見えている)
*テレビは対面である。テレビは参加である。テレビは装置である。テレビは機構である・・・などとある。そして最後に。
*テレビは非芸術・反権力である。(即ち、装置による表現。現在による表現。表現とはすなわち私。装置による私。現在による私。民衆による私)。で結ばれている。
生中継を多用すべきか、ドキュメンタリーなのか。立ち位置はどうあるべきか。
まだフィルム映像の時代にして、真剣に考え抜いていた男たちがいた。
それから幾星霜。テレビの“装置”としてデジタル技術が登場し、どこにでも
小型の衛星中継車が出動し、その技法も演出の思想も大きく変わった。
でも50年も前、テレビマンたちが語ったテレビの在り方、この18の言葉は
普遍性を持っていると思うのだ。
「3・11」。その実相を伝えたのはテレビだった。テレビから多くのものを視
た。視て考えた人も、考えなかった人もいる。
多くの“情報”をテレビに頼った。その期待に応えていたかどうかはともかく。
が、しかしだ。デジタル技術の氾濫はテレビの在り様も変えたようだ。意図的
に画像は作られる。1秒24コマだったものが15コマにも36コマにも変え
られる。時にはテレビの画像が「現在」ではなく「虚」の世界も作れる。
デジタル技術。テレビだけではない。ネットの社会を席巻している。「加工映像」
「加工画像」が“情報”として流される。過去が現在にもすり替えられる。
視る側に、それへのリテラシー能力を求めるのは愚だ。
デジタルという「加工技術」を前にして、アナログであるべき人間は、その狭
間で戸惑うのだ。
思考は限りなく「アナログ」であるべきなのに。
漠然とした言い方だが、そこに「思考停止」を招いた一つの要因があるのでは
なかろうかとも。
「テレビは反権力である」。この言葉は重い。それはジャーナリズム論につなが
って行く。そして「現在」とは何かということも。
そんなことをちょっと思った。
そして、哂えるようだが、“ラジオ体操”を、そう名付けられた体操をテレビが
やっているということ。
2015年2月21日土曜日
“チェルノブイリ”異聞
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