2020年6月3日水曜日

安倍政権への限りない憤怒

鳴り物入りで設置され、安倍の“私的諮問機関”のような様相が見て取れる
政府のコロナ対策専門家会議。
安倍の記者会見に座長代理が常に同席している姿を何回も見ていて、その異様さに驚いていた。

政治家と政治記者との会見に医学者がアドバイザーの如く補佐する。やはりおかしい。そして時には“政治”の分野にかかわる発言もする。

コロナ問題を巡っては、医学者による「専門家会議」、「有識者会議」、「諮問委員会」があるという。
その有識者会議のは医学者だけでなく、他分野の人たちも加えるべきだ。
経済界から一人加わったようだが、社会学者・心理学者・宗教学者・哲学者も加えるべきだとかねがね思っている。

科学者の知見に他分野の有識者も加えなければ「まともな会議」にはならない。

それはさて置きだー。
安倍の錦の御旗のような専門家会議。その議事録が無いという。
議事録の無い会議。それは会議そのものが無かったというに等しい。
座長も、座長代理もそれを承知で会議に参加、名を連ねているのか。

国民の生命にかかわる会議に議事録が無い。そのことをメンバーは了承しているのだろうか。
学者の良心として、それへの参加は拒否すべきだ。

知人の医師が言っていた。怒気を含んで。
「その会議で自分が何を発言したか。その発言の正確性を確認し、次に意見を述べる際の参考資料だ。あらゆる学会で“議事録”が無いということはあり得ない」と。

その時の専門家会議で、何が議論され、賛成意見だけでなく反対意見があったであろうことは議事録でしか確認しようが無い。

菅官房長官は「議事録があると自由な意見の開陳が妨げられる」と“暴論”で事を正当化しようとする。

世の中、連日「三密」と連呼されている。
政権の「密」とは、密室で密議を凝らし、内容は国民に対して秘密にする。ということなのだ。

企業や官公庁などで「不祥事」が露見すると、当事者は一様に「第三者委員会」で協議して原因や再発防止の検討をお願いする。流行の手法だ。
第三者委員会などではなく、当事者の例えば経営者で結論が出せることまで。

第三者委員会という隠れ蓑。それは政界とても同じだ。

あるはずのものを隠す。徹底的に隠す。身に不利益が及ぶから。典型的安倍的手法。


「歴史的緊急事態」と安倍は公言した。
安倍は新型コロナ対応のさまざまな場面で「専門家の意見を踏まえて」判断したと繰り返し述べてきた。
その判断のもととなった専門家会議の議論は当然、誰がどんな発言をおこなったのかも含め、すべて国民に公開されなければならない。

政府は今回の新型コロナを、3月10日、公文書管理のガイドラインに基づく「歴史的緊急事態」に指定した。
「歴史的緊急事態」では当然、平時よりも厳格な公文書の作成と管理がおこなわれなければならないはず。

コロナ感染の判断基準。
「37.5度以上4日以上」。PCR検査への目安。この数値に多くの人は振り回された。この目安設定にも、専門家会議の中で異論があったと聞いている。異論は隠蔽された。そして無駄な時間が費やされた結果、今はこの基準は「無意味だった」とされるに至っている。

だから、国民の「混乱」に拍車がかかるのだ。
安心を得ることが出来ない。それは政治の致命的欠陥だと思うのだが。


マスク、コロナ騒動の当初、感染防止への有用性は無いとされてきた。しかし、マスクは消えた。社会的混乱を引き起こした。
そして「アベノマスク」が登場する。
WHOは(テドロス事務局長は信用が置けない人物と思うが)以前、マスクの有用性に少なからず疑問を呈しているようだ。

我が家はまだ届いていない。その処置に悩む。
10万円もまだだ。それの使い方にも悩む。
原発時の8万円の時を想起する。

コロナに終わりは見えない。漠然とした不安に国中が覆われている。
安倍は「有事」の宰相でないことだけは確かだ。
コロナを巡っての彼の行って来た「愚策」の数々がそれを物語っている。

憤怒の川でも渡ろうとするか。

2020年5月24日日曜日

今、ボクが考えている「正しさ」ということ

大方、人は「正しくありたい」と思っている。
その場合の「正しくある」とは、自分たちの物事への向き合い方を見つめなおし、複眼の視点で問題が抱える様々を考えてみることだと思っている。


「正しく知って正しく恐れよう」。原発事故後、この標語のような言葉をずっと聞かされてきた。
しかし、何が正しくて、どう怖がればいいのか。正しく知る術を持ち得なかった。テレビの登場する「専門家」という名の学者。彼らの見識は、知見はばらばらだった。

結局何もわからなかった。

テレビや新聞は、大方その解説を「専門家」に任せた。専門家とは“学者”の代名詞。様々な解説が飛び交う中で人々は迷い、戸惑い、不安を募らせていた。
不要不急の外出をするな。外出するなら「マスク」「帽子」は必須。
帰宅したならまずウガイ、手洗い。着ていたものは玄関で脱ぐ、はらう。

原発には「安全神話」があった。それが崩壊した。
人々は何が正しいのか分からなくなった。

人は常に「正しい側」に居たいという本能がある。
その「正しさ」は時として間違った方向に向かい、他者を糾弾する、差別するという「正しくない」方向に走った。そして、それが「正しいこと」とされてしまった。
福島の食品は忌避され、排除され、福島ナンバーの車は県外に出ることを許されないという風潮が「正しさ」として拡散された。

それは今ほとんど姿を消した。差別、糾弾に飽きたからだ。非を認めたわけではない。

そしてコロナ渦。新型コロナの感染が拡大、深刻化するにつれて、再び「正しさ」の押し付けが始まった。専門家や有名人らの新型コロナウイルスについての見解が入り乱れ、「正しさ」争いが激化する。

国は無力だった。やたら権力の行使に走った。
突然のように総理大臣が「全校休業」を宣言する。
それは“市民生活”の実態、そう、”現場“を知らない「お上」の発想。
教育現場の混乱や教師、父兄らの困惑は実体験した「当事者」でないとわかるまい。

そして、緊急事態宣言。おかしな日本語が“粗製乱造”されていく。
不要不急の外出はするな。
三密を避ける。
そして、すべてが”自粛“”自粛“。
外出者を8割減らさないと40万人が死ぬ。そんな”理論“がまかり通っていた。

マスクの「有用性」、いまも医学的な、科学的な正解は無い。
しかし、マスクをしていないと医療機関はおろかコンビニまでも“着用義務付け”が正義の言葉として押し付けられる。

手作りのカラフルなマスクが流行っている。そのマスクは”善意“に基づいて他者への好意として作られたものもあることは百も承知だが。

戦時中、子供も「防空頭巾」を強要されていた。祖母は綿入れの防空頭巾に空襲による火災の火がついて、頭巾が燃えていることに気付かず、大火傷を負った。

75年前の光景とマスクの時代の光景が交錯する。

やたら「自粛」が強要されている気がする。
”解除“への動きがある中でも、”自粛“は正義の御旗だ。

戦時中、自警団という組織があって市民生活を見張っていた。非国民という錦の御旗を掲げて。
空襲警報発令と自警団がメガホンで叫ぶ。電灯にボール紙を黒く塗った傘で明かりを隠す。明かりが漏れていたら自警団から激しい非難と攻撃を受ける。

町の人出を”市民警察“が見張っている。強制された時間内営業を見張っている。時間外営業を攻撃の的として、営業阻止の行動やSNSでの攻撃に精を出す。
飲食店の死活問題、「生存権」はそこには存在していない。“市民警察”は月光仮面となり、“間違った正義”を振りまき、行使する。

安倍晋三は「コロナの時代の新たな日常を取り戻す」と語り、生活ルールの細部にまで言及する。それは正解なのか。
馬鹿馬鹿しい政治の典型だ。
 なぜなら、今は異常事態で非日常のまっただ中なのに、これを「新たな日常」などと言うなんて。生きるために必死で働き、苦労している人たちに、「それが日常」だなんてあり得ないからだ。

西村担当大臣も東京都知事も「新しい生活様式の時代」とほざく。
今の生活様式は「コロナ」が終息するまでの仮の生活様式、それも自粛ではなく“強粛”されたもの。
 安倍の発した言葉で、生活ルールの細部にまで踏み込んだ発言で、またひとつ、無意味な、新しい「正しさ」が生まれてしまった気がする。
 そもそも、「多様性」を求めていたはずの政府が、個人の生活スタイルに枠を設けるなど、民主国家のすることではない。

コンビニでもスーパーでも客と店員との間にはビニールによる境界が出来ている。
レジの前には足跡が書かれ、そこで待機しろと強要される。

他県の人間が来ることを拒否する。駅に「来るな!」というプラカードを持った人が立つ。
井上ひさしの「吉里吉里国」の再来か。

見えないものは恐ろしい。放射線もみえないものだ。だから人々はより恐れた。
コロナも顕微鏡で拡大されたウイルスの写真しか見えない。
だから人は恐れる。ワクチンもない、治療薬もない。
「新型コロナ」のことは実は誰もわかっていないはず。
わかっていない方、未知の事だから人は恐怖にかられる。
わからないことをわかったように言う人たちがいるから人々は戸惑う。
原発時と同じような光景。

 何より、自粛とは、自らの判断で、慎めばよいのであって、誰かに要請されるものではない。現状は、強制的に慎む、「強粛」というべきだろう。そんな矛盾した行動を、国民に連呼するような人の「正しさ」に負けてはいけない。
 我々はいま、新型ウイルスより恐ろしい「正義」という伝染病に立ち向かっているようだ。

誰もが政治に望んだのは「コロナ対策」。コロナの終焉。
しかし政治の世界は全く別のことに関心があった。
検察官の殊遇。その裏にあること。
その政治は正しさのかけらもない。

すべてを疑う。疑うということの正しさ。原発でまなんだこと。

出来ないことの言い訳に終始する国。
少なくとも望んでいるのは、「ワクチン」であり、「治療薬」なのだが。

マスク644億円のムダ金、コロナ患者受け入れた病院の破産危機。

「正しさ」をめぐる混乱した頭脳は、明るい春の光景にはきっとなじまないのだろうか。

2020年4月30日木曜日

"f複合汚染”

かつて、「複合汚染」という言葉が流行った時代があった。その言葉を生んだのは有吉佐和子の小説“複合汚染”。
もちろん小説は公害を主としたものであったが、今の「コロナウイルス」問題を考えていると、その言葉が浮かび、さまざまな事象にそれが当てはまるような気がして。

「コロナウイルス」に関してはわからないことだらけだ。
「ワカラナイ」がこの問題についての結論。

だいたい、このウイルスがどこで発生したのか。
武漢はそうだろうが、ヨーロッパやアメリカを席捲しているのは「武漢」からのものなのか。

あのクルーズ船での集団感染。
なぜ、14日間、密閉空間に人々を隔離しておかねばならなかったのか。

このウイルスが「何者」なのか、まだ、専門家と称する人たちもわかっていない。もちろん政府もだ。

あの14日という数字の“正当性”は何処にあるのか。
未知のウイルスとされながら、既知の如くに対処されてきた。

最初のころの大いなる疑問。

マスクについて書く。
当初、マスクは感染者が咳やくしゃみを防御するために用意されたものだったはず。
原発事故時の「マスク」とは意味が違うとされてきた。
WHOも医師会も「感染防御にはマスクは役立たない」としてきた。だから、それを信じた。いつの間にかの「手のひら返し」。

マスク狂奏曲の開演。そして「奪い合い」「転売」のいつの世にもいる他人の不幸を利得にする輩。
どうにかしてマスクを手に入れる。そんな世情を見て安倍は人気回復の“秘策”として、突如「マスク2枚の贈り物」を言う。
しかし、「贈り物」はカビが生えていた、縫製もデタラメだった。
それは、特に幼児向けとして配られたもの。

多分、カビのマスクを使って入れば新たな感染症が生まれるかも。
それごらん、複合汚染じゃないかい。

オリンピックのことしか頭になかった安倍と小池と森とバッハ。
ようやく気付く、このウイルスの厄介さ。1年延期で、とりあえずオリンピック問題を収めての安倍と小池のグータッチ。

それを機に「コロナ」は一気に「政治利用」されている。
小池は知事再選の布石。天敵だった自民との共同歩調。
「コロナを機に日本の社会システムを変える」と豪語される女帝様。
安倍は総理大臣の地位をいかに安泰にさせるかに考えを巡らす。

そうだ、カネで釣ろう。政治家特有のカネがすべての世渡り術。
「一人10万円」の「見舞金」。

これは、本当に困っている人や医療機関に回すべきだと思うが。
医療現場は「過酷」なのだ。機材も資材もない。

そして、緊急事態宣言。
各自治体も同調。

子供は学校にいけない。大人は自粛・自粛で戸惑いの日々。

諺にいわく。「二兎を追うものは一兎も得ず」。

コロナ対策と経済問題の両立を目論む。
コロナ担当相に、経済再生担当相を兼務させる。

コロナは終焉の兆しとてなく、経済は赤字だらけの、赤字増殖の実相。

PCR検査が、検査ですよ。それが何よりの「医療手段」。
検査を受けられない人、多々あり。
窓口は基本的に「帰国者・接触者相談センター」なるところ。

もはや「帰国者」はいないはず。

医療崩壊が叫ばれている。当該医療機関では。
人間ドッグや健康診断をやっている病院は、それらをすべて中止。
患者は減っている。多分、赤字になるだろうという素人の推測。
こんな形の医療崩壊だって出てくる。

老人ホームや老人収容施設では「集団感染」が相次ぐ。
スーパースプレッダーは誰だ。

唯一の期待は治療薬、ワクチン。
アビガンやレムデシベルや。
ワクチン、思い出すのは「丸山ワクチン」騒ぎがかってあったこと。

緊急事態宣言は「延長」されるという。
「専門家会議の意見も聞いて」と安倍は言う。
あの政府の専門家会議って何だい。科学者としての知見は安倍政治を補完しているようなもの。

福島県には未だ原発事故による非常事態宣言が出されたまま。やっと排気塔の切断、解体作業が。切断によってあの周辺は汚染されるかも。  

緊急事態宣言が延長され、友達と遊びたいという子供の願いは届かず、大人は、巣籠、籠の鳥生活を余儀なくされる。

「朝三暮四」のお国の姿勢。意味不明の専門家会議。

テレワークという言葉も聞き飽きた。

「日本を丸ごと洗濯したく候」。竜馬の声は今は無意味。

PCR検査を希望する人がいくら電話をしてもつながらない。
そりゃそうだ。限られた人員で対応しているのだから。
保健所の管轄は市町村。人員を割けないものか。

「オペレーター増員してお電話お待ちしています」。通販みたいにはいかないけど、通販で買い物する主婦は増えているんだろうな・・・。

政治は複合汚染の主役かも
fuku

2020年4月16日木曜日

“感染列島”を生ききる

正直、心底疲弊している。
「新型コロナウイルス」の騒擾の中で。テレビのワイドショーの無意味さが国民を混乱さす。出てくる専門家の勝手な意見にも何が正解なのか、受けとり方に戸惑う。。
事の本質を見失いがちになりそうな己への危惧。

日増しに周りからも非常時感が伝わってくる。

リハビリに通う病院。行くたびに「様相」が変わっている。
入り口で「問診表」を渡され、検温。
待合室の椅子にはテープが張られ、いわゆる流行の「ソーシャル・ディスタンシング」。
いきなりちょっと”余談“。テレビに出てくる専門家やコメンテーター、司会者。ソーシャルディスタンスと申されているが正確には違う。

コロナ騒動が始まってから、やたら「カタカナ語」が乱用されている。
エアゾル・クラスター・ピークアウト・オーバーシュート・ロックダウン・・・。
PCR・CRP・アビガン・・・。

病院の話に戻る。
マスク着用・アルコール消毒。面会禁止。雰囲気がどこかピリピリと。
院内感染を防ぐための最低手段。病院は患者を守る。患者も病院を守らないといけない。患者としての義務だ。
そんな思いでもろもろ考えを巡らすが・・・。

10年前、「感染列島」という映画があった。あらすじは・・・。
“2011年1月、東京のある病院に患者が救急搬送されてきた。その患者は異様な亡くなり方をした。悪魔のウイルスが日本に舞い降りた瞬間。当初は新型インフルエンザとされたが、そうではなかった。
感染は瞬く間に院内に広がり、医療崩壊が現実のものとなり、感染は日本列島全土にひろがった。患者数千万人。
主人公の医師は患者に血清を輸血する方法を採る。第一患者から採取した血清を知り合いとなった患者に打ち、その子は回復に向かう。
そして半年後にワクチンが完成する。沈静化に向かう。
他方、ウイルスの正体を探す医師は旧知の医師を頼りに、その足跡を追う。
ウイルスの正体は、感染源は海外の洞窟に潜むコウモリだと突き止める。“

おおよそそんな内容の映画。まさに新型コロナに揺れる今を描いたような。

緊急事態宣言が出された日の夜、早朝に繁華街を取材していたテレビカメラが、路上のゴミから逃げていくネズミの姿を撮らえていた。
ぞっとした。

あのカミュの「ぺスト」の始まりは、主人公の医師が階段でつまずいて転んだ黒い物体。ネズミの死骸だったから。

「ペスト」の終末にカミュはこう書いている。
“ペストの終息を喜び、歓喜の声を聞きながら、この歓喜が常に脅かされていることを思い出した。
ペスト菌は決して死ぬことも、消滅することもない。数十年間も、家具や布製品の中で眠りながら生き残り、寝室や地下倉庫やトランクやハンカチや紙束の中で忍耐強く待ち続ける。そして、おそらくいつの日か、人間に不幸と教えをもたらすために、ペストはネズミたちを目覚めさせ、どこか幸福な町で死なせるために送り込むのである“

今、カミュの「ペスト」という本が売れているという。さもありなん。

COVIDO-19をめぐり、この国は揺れに揺れている。
指導者の立場にある人は、なんら定見を持たない。絶望的な国。
マスク2枚を全国民に配るという愚策。466億円。
病院の看護師さんも言っていた。マスクに不自由さを覚えながらも。
肉屋の親父も言っていた。
「466億の金を医療施設の充実に回すべきだ。医療従事者の保全、保護のために使うべきだ」と。まったく同感だ。

検査・隔離だけではことは済まない。
陽性患者への治療薬が必要だ。ワクチンも必要だ。その為に国の予算が
使われるのなら納得出来る。しかし、安倍の人気取りに予算が使われることに、例えマスクに不自由している人でも大喜びできるだろうか。

今、治療薬に「アビガン」という錠剤が有力候補に挙がっている。すでに完成している薬品。投与に踏み切るべきではなかろうか。
原発事故の後、各家庭に自治体の決断で「安定ヨウ素剤」が配布された。
飲む許可を国が出さないうちに一部の人たちが飲用した。
もしかしたら、ヨウ素剤は「精神安定」の効果を発揮したのかもしれない。
「アビガン」についても同じことが言えるかも。

安倍は全国に緊急事態宣言を適用するという。
一所帯10万円を支給するという。昨日までは30万の補償だったが。

揺れに揺れている政府の、安倍の対策。
絶望的な指導者像。

絶望かー。

カミュは「ペスト」の中にこんな言葉を書いている。
「絶望に慣らされてしまうことは、絶望そのものよりもさらに悪い」と。

カミユの言葉を反芻しながら、この感染列島を「生ききる」つもりだ。

2020年4月6日月曜日

「タイガーマスク」と「アベノマスク」

今から10年ほど前の12月25日、群馬県の児童相談所の前に真新しいランドセルが10個置かれていた。伊達直人という名前で。タイガーマスクの漫画の主人公の名前で。
伊達直人はその後相模原市などに出現。ランドセル以外に筆記用具やプラモデル、食品などを置いて行っていた。
タイガーマスク運動と名付けられ、“善意”として拡散された。

原発事故。津波災害。あの頃も人は人に対して優しかった。

政治が劣化し、機能不全を起こしてから久しい。その中で新型コロナウイルスによる災厄が起きた。予想通り「パンデミック」が起きた。

すべてが「後手後手」の対応がもたらしたこと。

2月のある日から、マスクが店頭から消えた。買占めがあり、高価な転売があり、なんでも金儲けにと考える輩が居た。
次にトイレットペーパーが消えた。

人間は人間に対して優しくなくなっているように感じる。

官房長官はマスク6億枚の確保を明言したが、画にかいた餅だった。
ある時から国会はマスクで口を覆った人たちの群れと化し、安倍は記者会見で得意満面に「1所帯2枚」のマスクを郵送すると大見得を切った。

時を同じくして、医師会やWHO(こいつは曲者集団)はマスクはコロナウイルスの予防には役立たないと言った。

医者がマスクの有用性に疑問を呈し、政治家はマスクで口を塞ぐ。

今更ながらの見方だが、武漢で感染爆発が起き、チャーター機が数回、在留日本人を救出し、千葉の三日月ホテルに逗留させた。
ここまではある意味順調だった。

問題は大型クルーズ船ダイアモンド・プリンセスの乗客・乗員の扱い。
「三密」に背くかの如く、“監禁”された。
厚労省の指示だ。
香港で下船したスーパースプレッダーの残滓が船内に残り、感染を拡大させた。
乗客を直ちに下船させ、陸地で対応すべきだった。

結果、下船を許された乗客たちは通常の交通機関で帰宅。ウイルスが拡散された。

政府の動きは鈍かった。何故だかわからない。何かがあったからだ。

WHOはパンデミクス宣言を出さず、模様眺めが続いた。

そして今。感染者は全国に拡大し続けている。
感染源の追跡調査不明とテレビは言う。

PCR検査が問題にされていた。その検査が十分になされていれば「感染源不明」の患者は減ったはず。

「PCR検査を保険適用することを決断しました。国民のみなさまは安心して検査を受けられます」。安倍は公言した。

実態は違う。検査をしたくても保健所が首を縦に振らない。保健所の物理的事情もあるだろうが、検査を受けられない感染者が町を自由に歩き回る。
自覚症状の無い人は特にだ。
経路不明の感染者拡大。「検査」がなされなかったことによるもの。

医療、検査体制があまりにも不十分だった。
厚労省は何を考えていたのか。医師会も表面には出なかった。

検査をしない、できない国。韓国ではドライブスルーも含めて出来得る最大の体制をとっていた。

感染者が拡大し、死者も増える同盟国アメリカ。日本に在留する米国人を帰国させるという。
日本の医療施設はパンク状態。突きつけられる悲惨な現実の数々。

安倍は明日、「緊急事態宣言」を出すという。

ある歴史学者・哲学者の言を借りる。
 “今日、人類が深刻な危機に直面しているのは、新型コロナウイルスのせいばかりではなく、人間どうしの信頼の欠如のせいでもある。
感染症を打ち負かすためには、人々は科学の専門家を信頼し、国民は公的機関を信頼し、各国は互いを信頼する必要がある。この数年間、無責任な政治家たちが、科学や公的機関や国際協力に対する信頼を、故意に損なってきた。その結果、今や私たちは、協調的でグローバルな対応を奨励し、組織し、資金を出すグローバルな指導者が不在の状態で、今回の危機に直面している“。

明日、安倍が国民の信頼に足り得る「言葉」を役人の書いた原稿を読まずに語り掛けることができるのか。

それによって、「コロナウイルス」に対する国民の態度も変わり得ると思うのだが。

2020年3月28日土曜日

「政治判断」なるものの怪

「五輪」と「コロナ」。コロナウイルスが急速に拡大していく中、当然の事だが、五輪の延期が決まった。安倍は自らの主導権を言いつのり、IOCのバッハ会長は40日以内に結論を出すという前言を翻し、延期は自分の判断だという。安倍の提案を受け入れたと。

電話会談に陪席した、小池都知事や五輪担当大臣、森JOC会長はただ、電話会談の“権威付け”のための付属品だったのか。
東京オリンピック。その責任者は都知事のはずだ。安倍は首相であってもIOCと直接話し合い、五輪に関することを決める立場では無いはずと思うのだが。

こんな決定ずっと前から為されるものだった。大方の国民も他国の多くが予想したこと。英断でも決断でもない。

♪何を今更言ってるのか。気まぐれ夜風に情けなんってあるものか。捨てっちゃえ、捨てちゃえ、どうせ拾った地位だもの~そんなコロンビアローズの唄が頭の中で聞こえてくる。
嘘で拾った恋じゃもの~と続いて出てくる。


「延期でよかった。中止でないもの」。
と言うことは「中止」も視野にあったということか。

電話会談後の安倍と小池の「グータッチ」。その意味わからん。
強固な関係ができたということか。

何かとカタカナ語がお好きで、教養指数とばかりに発音よろしくお使い召さる小池。横文字使って、それがわからない記者に「あんたこれぐらいのことわからないの」と颯爽とショール翻して立ち去る小池さん。

決まり文句は、選挙時は「都民ファースト」。今回は「アスリートファースト」。ハイソサイティーは上級国民は「ファースト」がお好み。

安倍が突然ほざいた「一斉休校」のお触れ。あれで、教育現場や子を持つ家庭はどれだけ混乱させられたか。世の非難受けると、再開などは担当閣僚に振る。
責任回避の上手さ。

専門家会議なるものの議を経ないでの独走発言。うん、格好いいぜ。さすがは三権の長。
それからは何でも「専門家会議」。この専門家会議というものもよくわからん。
誰が選んだメンバーなのか。

国民に自粛を呼びかけながら、都内の高級レストランの庭園で、花見の宴に興ずる内助の功著しい昭恵夫人のご乱行。国会で追及されて例の如くうろたえながら、いわばですね~を繰り返す醜さ。
まさに
夫婦善哉、いや、三文漫才。
昭恵はまさに濃厚接触の「ハイ・ポーズ」。ウイルス拡散の「お手本となる笑顔」。
スーパースプレッダーだ。

原発はコントロールとの嘘。嘘で固めた人生行路。
原発はコントロール出来てもバカ女房はコントロール能わず。

安倍にK-1イベントを誹る資格なし。

強いリーダーシップの大きな勘違いを恬として恥じない晋三クン。

「五輪延期」でカタがついたらその翌日は百合子姫の大号令。

これでグータッチの謎が判明する。
延期決定で、安倍は任期一杯の首相の座を確保。挙句、子飼いのNHK記者に「4選」と言わせる。
小池は自民と手を組み、再選を確実なものに。

オリンピックという自己の政治利用。

前日に「東京ロックダウン」を匂わせ、会見では「オーバーシュート」を連呼。外出規制。家をでることまからぬ、のお達し。
テレビで流れるや否や都内のスーパーは食料品確保のための爆発的買い物行列。
またも出現。買いだめで束の間の”安心“を得る都民の群れ。

そんな不安が「スポット効果」を呼ぶことは原発事故後の世相で体験済みなのに。

我々は3蜜の世界にいる。
換気の悪い密室空間を避ける。
人の密集する場所は避ける。
近距離での会話、発生する密接場面を避ける。

「密」の世界は「ミチ」の世界。同じ「ミツ」なら壇蜜がいいな。

安倍がまた無意味な会見をやっている。経済のV字回復を目指すと。
オリンピックの延期に未練がましい言葉を愚痴めいてのプロンプター会見。

自民党の族議員の集まりではバカバカしいことが言われている。
和牛券の発行、お魚券の発行。
実態が飲み込まれていないのだ。

政治判断とはなにか。それには重大な責任を伴うというのが憲政の常道。
格好付けはいい加減にしようぜ。

「ペスト」以来、人類とウイルスのことを考えている。勝敗ではなく、人類の歴史として。
きょうの記者会見でNHKの記者がしていた。
いつになったら終息するのか、その出口戦略はと。

バカだね、こいつら。
「コロナのことはコロナに聞け」。禅語の一つ「松のことは松に聞け」をもじる。無意味だけど。

余談。
安倍首相曰く「PCR検査を保険適用にした。これで全員が検査を受けられるようになります」。
あんな安易な発言はどんな口から出たのだろうか。
seiji

2020年3月22日日曜日

人の死せんとする、その言やよし。

論語にこういう一節がある。

「曾子言ひて曰く、鳥の将(まさ)に死なんとする、其の鳴くや哀し。
人の将(まさ)に死なんとする、其の言ふや善し。」

口語体にすれば、おおよそこういうことだ。
「鳥の死にぎわの悲鳴には、人の胸をえぐるような悲痛さがこもっている。
人が死を前にして言う言葉には、真実がこもっている」。

新型ウイルス問題が医療を含めて大問題になっている中、書かねばならぬことがある。
安倍晋三夫妻の“犯罪”の一つである、「森友問題」。
学校法人「森友学園」の国有地売却問題を担当していた財務省近畿財務局赤木俊夫氏が、佐川宣寿元国税庁長官の指示で決裁文書改ざんを強制され自殺に追い込まれた事件。

その遺書が週刊文春で「公表」された。

最後の手書きの部分。
“今回の問題は、すべて理財局が行った。指示のもとは佐川元理財局長と思います。最後は下部がしっぽを切られる。
なんて世の中だ。手がふるえる。怖い。
命 大切な命 終止符“


NHKの元記者の相沢氏が公表、公開に貢献した。彼の正義感とNHK内の“安倍内閣”との相似性。
彼は彼でNHKの内部を暴露する。
超本人は当時の東京の報道局長小池某。

官僚の「悪事」は安倍が国会での答弁で「私や妻がかかわっていれば、総理はおろか国会議員も辞めます」と興奮して喚いた一言。この言葉が悲劇の引き金。
官邸の指示か、財務大臣の指示か。

財務官僚は安倍の「狂言」を正当化するため、資料の破棄、改ざんに血道をあげた。その張本人が佐川。
赤木氏はいわゆるノンキャリア。キャリアの上級官僚から徹底的ないじめをうける。嫌がらせを受ける。「パワハラ」の典型だったような。

「公務員の犯罪」は地位や身分の乱用で起きる。保身のために起きる。

財務省に大阪地検が加担した。地検特捜部長は不起訴を決め、函館地検の検事正に栄転。また大阪地検の次席に舞い戻りの出世。

例えば元TBS記者の山口某の強姦問題。
閣僚の相次ぐ不祥事。もみ消され不問に付され。

なぜ乗り切ってこられたのか。理解不能だ。
そして、安倍が言えば何でもまかり通る空気が国民にも伝染し、「意志を持たない民」が誕生している。

籠池側の訴訟はすべて棄却。籠池は有罪、佐川はお咎めなしの栄転。大阪地検特捜部長も前述のように栄転。

腐りきった日本の官僚組織の実態を物語っている。それが赤木夫人の“決断”で日の目を見た「遺書」。
奥さんは国と佐川氏に計約1億1300万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。

この提訴を司法はどう扱うのか。再び問う。

政治家の”犯罪“はこれまでも多々あった。司法が機能したと思えるものもあたし司法は死んだと思われるものもあった。

安倍内閣になってから、「司法」は無いに等しい三権の一つとなった。

森友事件、もう一つの問題は安倍夫人の言動、行動。秘書官とされていた
谷査恵子氏はすべてを知っている。しかし、今は異国の地に飛ばされている。



今、新型コロナウイルス問題で、世界は騒然としている。
このコロナ問題でもいきなり「一斉休校」を言い出したり。自分が言ったことの「負の連鎖」には気がまわらない。
面倒になってくると省庁に丸投げする。

コロナの問題からは手を引いてもらいたい。

森友問題。次は野党が佐川を国会の証人喚問に呼び出せるかだ。
もはや刑事訴追の恐れがあるためという言い訳は通用しなくなっているはず。

そしてメディア。
心ある記者には圧力を掛ける。東京新聞の望月 衣塑子記者はめげない。
閑職に追いやられる記者もいる。
前述のNHKの相沢記者はNHKを退社し、大阪の新聞社に身を置いている。
直近では朝日新聞の福島ともつながりが深い
青木 美希いう人は記事審査室に移動させられたこと。朝日新聞においておや。

遺書の公開を機に、この問題を国民は放っておいて良いわけはない。
官僚は誰のために働いているのか。政治家ではなく、国民のためのはず。そうでない現状は政治の仕組みが崩壊しているという事の証左。
国会は政治家が嘘をつく場所になり、官僚が公文書と言う事実を抹消する日本の政治。放っておいて良いわけがない。

それにしても「文春」。
田中角栄は立花隆の「田中角栄研究」で田中金脈を書かれ、児玉隆也の「悲しき越山会の女王」と相まって、世間の指弾を浴び、志半ばにして、潔く首相の座を去った。
これは月刊誌の文芸春秋。
今回の「安倍ゲート」は週刊文春。まさに「アメリカのウオーターゲート」事件をもじってだが。

今の日本のジャーナリズムを考える。考えて、また考える。

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