2015年10月30日金曜日

「公約」は「膏薬」ではないということ

「膏薬は貼りかえるほどよく効く」。そんなセリフが日本にはある。

安倍が安保法案の異常事態など無かったことのように、そう、選挙の時には改憲を封印し、アベノミクスなる経済政策を前面に打ち出して“勝利”したように、今度はアベノミクス第二弾。

一億総活躍社会のキャッチフレーズのもとに、GDP600兆円。出生率1.8とか。介護離職ゼロとか。またもや「子供だまし」みたいなことを言ってシラケさせてくれた。

子供だましとはその言を揶揄した表現。今の子供は、そう中学生から高校生まで、そして大学生に至るまで、「だまし」を見破っている。

子供だましじゃない。単細胞の“安倍信者”である大人だましとでも言った方がいいのか。

安倍の言う「一億」という表現に感じる違和感。真意は不明だが、総国民とも受け取れる。

しかし、日本の人口や如何に。1億3千万人のはずだ。正確には2千万人後半だろうが。安倍が「活躍」を期待する、担当大臣まで置いての鳴り物入りの浅知恵。そこからは3,000万人が“除外”されているのだ。
活躍を期待しない人が人口の4割いるということだ。

それが誰を指すのかどの層をイメージしているのか。

幼児かい? 後期高齢者かい?

活躍を期待されるのは「生産可能人口」であり、その他の人は・・・ってことじゃないのかという“総”という字の解釈。1億というスローガンは70年前だったんだぜ。

公約としてのアベノミクス第一弾。それがどれだけ効果をあげ、成功したのかどうか。経済活性化につながっていたのかどうか。そんな検証はされともいない。

「なんとなく終わり」で「なんとなく第二弾」の公約ってことか。貼りかえた二枚目の膏薬。ただし安倍の貼る膏薬は効き目が薄いと“専門医”は嘆いておるわい。

目先を変えるっていう政治手法が彼の得意技らしい。目くらましって言ったほうがいいのか。

どうも初めの公約はボロが出始めていたようだ。そのボロ隠しの“膏薬”として貼り付けた次の“公約”って気がしてならない。

アベノミクス、新アベノミクス。除外された3,000万人はもとより、国民の半数以上が、そんなに経済成長をのぞんでいるのだろうか。

「3・11」で問われた豊かさとは何かという疑問。なにかわからないままに求めていたような一億総中流という空気。
原発にしても安保法制にしても、「そのうちなんとかなるだろう」ってあまり考えようともしない空気。

沖縄には訳のわからないカネをばらまき、そう、口封じの膏薬を貼ってごまかそうとしている。
なっだかんだと口封じの膏薬貼りという安倍政治。

膏薬を貼るってことは“対症”策。“治療”策ではないはずなんだけど。

「一億総白痴化」という言葉があった。大宅壮一の指摘だ。経済成長をひたすら追い求めていた“三種の神器”の時代。

それは「テレビ」に向けられた、テレビが各家庭に浸透し始めた頃のものだったが、あの頃と比べて、「テレビ」はどう変わったのだろうか。

笑えるくらい何も変わっていない。デジタルという技術が画面だけを綺麗に取り繕っただけのような。

膏薬も公約も貼りつけたり、その場を取り繕ったり、貼りかえてよしとしているだけのシロモノか。

「良薬口に苦し」。そんな言葉もあったっけ。今、口に苦い「クスリ」は決して良薬ではない。

甘さに騙された偽薬のご用心っていうところか。

2015年10月28日水曜日

「アグリカルチャー」

郡山に収穫の時期に合わせて行われるイベント、「あぐり市」と言うのがある。
日曜日、駅前の商店街が歩行者専用になるのに合わせて。もう15年も続けられている農産品の“直売”。この日曜日50回を数えた。

郡山農学校、郡山農業青年会議所、青虫くらぶなどと言った農家や農に関心がある人達が主催している“イベント”。

特に、農学校は「農業」に関心がある人達が集まり、農家の畑を借り、実習も兼ねて作物を作り、自らタネを植え、栽培し、収穫し、出来上がったものを直販している。

「農夫・農婦」たちは皆手弁当。もちろん手当も無い。

彼らを一番困らせ、悩ませたもの。それはあの原発事故だった。放射能が拡散され、汚染が広がった時。
彼らは独自で勉強会を立ち上げ、必死に農を守ろうとした。

ひまわりが効果的だとされればひまわりを。ゼオライトが効果的だといわれればゼオライトを。

試行錯誤を繰り返してきた。

当時まだ高価だった測定器をいち早く買い求め、検査機器も整えた。

50回目の市では郡山産の米の試食会も行われた。農作物を使った巨大な壁画を作った。モチーフは「北風と太陽」。数日間かけて作り上げ最後の夜は徹夜だったという。

農業を英語では、agricultureと言う。アグリカルチャー。カルチャーとは文化って意味だ。あぐりは勿論農業のこと。
農業っていうには「文化」だということ。

だから「あぐり市」は「農業文化の場」でもあるのだ。

農産物を見ていると、それを食べると、あらためて「身土不二」という言葉を想起する。

「身土不二」、それは農業文化と食文化の“哲学”なのだとも。

安全保障という言葉がこの国を覆っている。語られるのは軍事力による安全保障のことばかりだ。
人間、食わなければ生きていけない。「食う」ということは何にも勝る安全保障なのだ。

TPP問題。それは食の安全保障の根幹にかかわることだ。食の自給率、それも根幹にかかわることだ。
その根幹が大きく揺らいでいるということ。

食品添加物や着色剤、産地偽装。それらだけが食の安全の問題では無い。

あきらかに農産物の生産量は減っている。酪農も含めて。

TPPによって、それの全貌はいまだもって明らかではないが、大筋言えることは関税の廃止に、低減によって安価な食品が身の回りに溢れるということだ。

消費者は、とりあえず価格によって購買を決める。家計のたしにと。

生産者はどうだ。今、農家の現状は「米を作れば作るほど赤字」だということだ。大規模な農家に集約しても解決策にはならない。

我が家の周りからも農地がどんどん宅地化されている。

稲穂が実っている時、それをたとえば車窓から見る人は「豊かな田園風景」として農村を鑑賞対象として誇るだろう。

こと福島に限って言えば、放射能に次いでのTPPということになるような気がする。

何があっても多少の畑があれば自前で食っていける。それは農の「個別的自衛権」だ。

煙草、酒、缶詰・・・なんでも“舶来品”を有難がっていた時代は終わっているはず。

米だって国産米が美味いに決まっている。肉だって国産が美味いに決まっている。

農業は延々と続いてきた日本ならではの「食文化」なのだ。裏の畑でとってきた野菜が食卓にのる。それが農村の「おもてなし」なのだ。農家はそのおもてなしを最上の喜びとしてきたのだ。

東北の片隅に住むことになって四半世紀以上。そこで学んだことの一つだ。
身土不二を体感したことも含めて。

そういえば農民文学とか農村詩人などという文化も無くなってきたような気がして。

2015年10月24日土曜日

“偽装社会”と呼んでみたい

何から何まで”偽装“されているような気になってくる。

横浜のマンションの杭打ちのデータ偽装。この事件からもすべてが透けて見えるようだ。

この国は国家が“偽装”している。何を偽装しているのか。民主国家という思想の偽装だ。
絶望を希望に“偽装”する政治だ。

安保法案を成立させた先の国会。「丁寧な説明をしていく」と首相は殊勝にも言った。そのあとこの問題を巡って丁寧な説明なんてどこでも聞いたことが無い。
説明どころか、それは「終わったこと」とされ、世の関心は見事に他事に移って行った。

丁寧な説明。もともと出来ることではなかったのだ。説明しようにも、その能力すら、言語力すら持っていなかったのだから。
官僚や秘書官が書く原稿を時には棒読みし、時にはプロンプターの画面をなぞる。どこにも自分の言葉は無い。
しかし、自分の言葉のように取り繕う。

答弁、発言の”偽装“だ。民主政治も民主主義の標榜も”偽装“されている。

マンションの工事偽装の話に戻る。
杭打ちのデータが偽装されていた。「犯人」は現場代理人という職種の人に収れんされようとしている。

やった奴は工期などを勘案し、「上」の意向を忖度してやったことだろうと当事者も認めている。言われたとおりにしないと身の保全が危うい。言ってみれば心の偽装だ。

忖度。政治の世界でもそうだ。与党の議員は首相の意向を忖度する。官僚もだ。
なにより「人事権」でやられてしまうのだから。
忖度、慮り。

マスコミの世界にだってその“思考”は広がっている。

「偽装をチェックする仕組みが必要だ」と識者はいう。いまさら何をって。そんなもん当然あって然るべきだったはずのこと。

仕組みや制度の話ではない。仕組みや制度には必ずと言ってよいほど「抜け道」があるのだ。

要は「人の倫理観」の問題なのだ。しかし、今の世の中、今の社会の在り方は倫理がカネにその座を奪われたのだ。大企業が儲ける仕組みの「カネ」。それに倫理観が負けている。そんな世の中なのだ。

工期と厳守する。それが何にも勝る最優先事項なのだ。工期が守らなければ企業の儲けも信用も失墜するという「目先」優先。

だからー。原子力発電所にだってどこかに“偽装”があったのかもしれない。これからもあるかもしれない。そんな疑念をいつも持っている。

有名企業、大企業だから「安心」。違うんだよ。自動車の世界でもそれは経験しているじゃないか。

5年後の東京オリンピックを思う。工期はひっ迫するはず。間に合わなければ国際問題だ。
何が何でも完成させるだろうスタジアム。もし、そこで”偽装“が行われていたら・・・。

今は妄想にしか過ぎないけれど。

改ざん、偽装。それは盗人と同じように、そのタネは尽きまじということか。
「真砂」は花崗岩が“風化”して出来た砂だ。

“風化”も人為に於いては尽きないものなのだろう。

ハロウインという祭りがやってくる。仮装を偽装とは言わないけれど、それは楽しい由緒ある祭りらしい。
とうことは”偽装“というのは「許された」ことなのかもしれないと。

2015年10月22日木曜日

だから、やはり「フクシマ」と書く

1Fの作業員だった人が原発事故による被ばくで白血病になったと認定された。
最初のことだ。

何十年かかるかわからない廃炉作業。15ミリシーベルト以上の線量を浴びた人の数はもっともっといるはずだ。
当該機関がその気になれば認定患者はどんどん増えてくるのだろう。

これらの人にどれだけの補償がされるのだろうか。
そもそも「認定」が遅すぎる。

1Fの作業はこれからが高線量とのたたかいだ。従事する作業員の成り手は減ってくるかもしれない。いや、減るだろう。
特に熟練の人、もっとも必要な人は減る。

作業に当たる人は福島県人だけでは無い。日本全国からの手が必要なのだ。

小児の甲状腺がん患者も増えている。
それは福島県だけのことだろうか。
隣県では検査などまともに行われていない。

各地でいまだもって高線量地域があることも判明している。

事故による避難者。楢葉が全町帰還といっても、帰った人は300人余りだ。
“普通の暮らし”を失った人がどれほど多いことか。

自主避難した人は福島県人だけではない。関東圏、首都圏にだって避難した人は少なからずいる。

被ばく者の「認定」。どこか水俣と重なる。水俣の認定の耐えがたい遅れ。因果関係云々が主因だ。
原発事故だってそういうことになる。

原発事故は「福島」という言葉の中に封じ込められているような気がする。
「福島」、それは明治政府が決めた単なる行政区画だ。行政区画だけをもって事を運ぶ行政。

原発事故はその被災は福島の問題ではない。日本という国の問題だ。なぜかそれを「福島」という言葉で片付けてしまうような空気。

「福島県産」という“表記”ですませてしまう空気。

どうもこの国はどこかに「封じ込めて」しまうことをよしとする民族性があるのかもしれない。

米軍基地を沖縄に封じ込めて平然としているのもその顕著な例だ。

やはり原発事故は行政区画である福島県で語るものではない。
「フクシマ」として全国民が共有する問題であるべきなのだ。

原発の再稼働の動きが激しい。川内で事故があれば、いや、もはや「想定内」としてあり得ることなのだが、150ミリ以上被ばくすれば白血病を発症することが現実として判明した。

作業員の確保はどうするのか。当然発生する「避難」の問題をどうするのか。
福島原発の廃炉に多額の、予想不可能なような費用が投入されている。もう一回あり得る事故が起きればこの国の経済は破綻するだ。

その政策を推し進める人たちの思考回路の中には、作業員の健康・生命や避難した人たちの悲惨な人生なんて“存在”していないのだろう。

すべて「使い捨て」でいいということなのだろう。

だってこの国は経済成長至上主義の道を選択したのだから。

今さら何をだが今さらでも考えなくてはならない問題。

800人余りが海外に資産3兆円を保持している。それがセレブレイトされた、成功者としてもてはやされるということ。

原発問題は、あらゆる社会問題と連関しているという認識が欠如しているということ。

結語が書けない。「フクシマ」というのは日本のことなのだということぐらいしか。

2015年10月20日火曜日

美智子皇后のうた

きょうは美智子皇后の81歳の誕生日だ。

誕生日にあたり寄せられた言葉に、今年はいつもより以上にこころ動かされる。

半日がかりの病院から帰り、しばし「美智子皇后さまのうた」という本を紐解いていた。
3・11後、皇后の詠まれた歌に慰められ、励まされ、そしてなによりも「教え」られた。

去年の御歌
「帰りくるを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず」

きょうのお言葉の中にもあった。

「この世に悲しみを負って生きている人がどれほど多く、その人たちにとり、死者は別れた後も長く共に生きる人々であることをあらためて考えさせられた」と。

この方の視点は常に”弱いもの“にあるということ。

今、この国にある“空気”を皇后はどう感じておられるのだろう。
平成7年の全国植樹祭を詠まれた歌。

「初夏の光の中に苗木植うるこの子供らに戦(いくさ)あらすな」。

この思いは今とても同じなのだろう。

戦(いくさ)あらすな。美しい日本語だ。

戦後70年、次世代やその次の世代の人たちが、「真剣に戦争や平和につき考えようと努めていることを心強く思っています」と記されている。

天皇・皇后夫妻は、それぞれの幼少期からずっと「平和」について「戦争」について考えに考えぬいてきたのだろう。
そして、それらへの“思い”には揺るぎが無かったと受け止めている。

2011年、いち早く避難所を訪問し、避難している人たちに言葉を掛けられたこと。同じ目線で話しあっていたあの姿。

4年前にも書いたけど、両陛下の「存在」がなければ、あの姿がなければ、その後の被災地の在り様も変わっていたかもしれないとあらためて思う。

「天皇陛下がいて助かった」。終戦時を語る時に、田中角栄がたびたび口にしていた“懐古”の弁だ。
天皇陛下がいなかったら、もしかしたら、日本人同士が憎みあい、争っていたかもしれない。そうであったなら高度経済成長期を迎えることが出来た日本もなかったというあの時期を生き抜いた角栄の体験にもとづく的確な歴史判断だったのだろうとも。

広島、長崎、沖縄、サイパン、パラオ・・・。

その地にあった戦争の悲劇。
沖縄を想い詠まれた歌。

「雨はげしくそそぐ摩文仁の岡の辺(へ)に傷つきしものあまりにも多く」。

“戦争”“平和”。それを思い考え続けられてきた両陛下。

安倍自民とは対極にあるような気がしている。

皇室の言動を官邸は“こころよく”は思っていないと聞いた。

彼我を同等に論じるのは全くもって無意味だと思いつつ。

今の皇室があってこそ、この自分でさえも、まだ「助かった」と思っているのだから。

2015年10月18日日曜日

SENTIMENTAL TRASH

土曜日の夜。郡山のライブハウスでロックのコンサートがあった。

ロックは門外漢だが。
Ken Yokoyamaというバンドがある。
若者に人気があるし、かなりメジャーなバンドのようだ。

そのバンドが再結成されたのがあの「3・11」のちょっと前。そこに加わったドラマーの子が古くからの知り合い。

「ケンイチさんのことは母のお腹の中にいる時から知っています」などとほざく子だ。

彼らのバンドが最初に郡山にきたのが2011年の、あの年の今頃だった。被災地ツアーで。
街は、まだ暗く沈んでいるような頃だった。彼から連絡が来てライブ会場のヒプショットというところに行った。

ライブが始まって1曲目の演奏が終わった時、リーダーのken yokoyamaは大きな声で叫んでいた。

“原発のばかやろう。原発よ、長い間ごくろうさん。もうおさらばしようぜ!”。

埋め尽くした観衆から大きな拍手と声が上がったのをよく覚えている。
それは彼のメッセージに賛意を示したものか、ライブの盛り上がりでのことかどうかはわからないが。

4年後、またそのバンドが来た。

旧知の太鼓叩きから前日突然の連絡。会いたいと。

開演前の数時間をともにし、昔話含め、音楽のことなど話し合った。

家に来て犬とじゃれ合い、メシを食い・・・。

スマホを取り出し、「一緒に写真を」ときたけれど、写真は苦手。スマホの“主役”は犬に任せ・・・(笑)

お土産に持ってきてくれたのが先月新発売となったニューアルバム、♪sentimental trash♪のロゴが書き込まれたTシャツ。

機会があればそのTシャツを着て老人ロッカーになってやろうか。

ニューアルバムの中の収録曲の一つに♪0ne last time♪というのがある。その中で唄われている言葉。

//夢見る頃はとっくに過ぎたけど
それでも生きていくのさ
まだ役目が何か残っているんじゃないかと
さがしながら
俺はそれをもまた夢とよぼう//

病んでいるおじさんにもハッと思わせるものがあったぜ。感じること多々だったぜ。

なんか、まだ「お役目」が残っているのだろうか。自分にも。

センチメンタル トラッシュ。味のあるアルバム名だ。意訳すれば、中原中也じゃないか。汚れちまった悲しみじゃないかと。

「3・11」をきっかけにして、それまで無縁だったロックという音楽のジャンルがどこか、いろんな意味で身近になっているのもあったし。

「今は、親子でライブに来てくれる人増えています。高校生の子どもとその親と。フアン層が広がっているような気がします」。

彼の言葉をきっかけに「音楽とは何か」「ロックの可能性は」なんて話もしてみた。

時間はすぐ経つ。彼を会場の楽屋口まで送っていった。

また会おうぜ。連絡くれよな。車の窓を開けて手を振る。

閉めるのを忘れ、開けたままだった窓から風を感じた。

「10月は少し冷たく」感じられた。

2015年10月11日日曜日

4年7か月。~一杯の味噌汁~。

あれから、4年7か月が経った「11日」だ。
かすかな、微小な、一縷の望みを託してはいるのだろう。「行方不明者」の海上からの捜索が行われていた。
鎮魂の証ともいえるかもしれない。

関連死も含めて2万人以上が亡くなった東日本大震災、原発事故。

やはり思う。「3・11」は何かを変える機会だったということを。

安保法制に反対する若者たちの行動の端緒は、当時は高校生だった若者たちに、もろもろ考えるきっかけを与えたものであるということを。
主体性を持って、一人一人が声をあげる、行動する。そんな若者が「出現」するとは当時夢想だにしなかったが・・・。

昨日、不自由な体をおして結婚披露宴に行った。10年前までいたテレビ局の部下だった者の結婚式。
「3・11」時にも記者活動をしていたというやつの結婚式。47歳の“春”だ。
新婦は、宮城県出身。被災した家族だと聞いた。

式場のホテルの椅子に座っているのは苦痛だった。座布団を置いてもらうと言うわがまま。

きのうは10日。常総市の大水害から一か月だった。まだ400人が避難所に身を置いているという。たまたま見たテレビの映像。身体が不自由だと思われる高齢者がパイプ椅子に座り、“限りない不安”を口にしていた。

椅子に座ったままでいるということも、決して楽ではないということ。

いまさらみっともないことだけど、自分が不自由になってこそ不自由であることの現実がわかる。頭脳と体のアンバランスに、言い表せない複雑にかけめぐる感情・・・。

それでも、どうにかまだ”普通“にすれば出来ないことが少ないともいうある種の幸運。

急に秋めいてきたこのひと月余り。夕餉、最初に口にする一杯の味噌汁、豚汁。口に入れた時に思わず出る「声」。「う~、美味い」。

不思議な事なのだが、寒い時に口にする暖かもの、熱いものがこんなにも有りがたかったのかということ。
味噌汁を飲みながら、浮かぶ光景がある。ほぼ毎日のように。

あの時の避難所の光景だ。段ボールハウスの光景だ。酸素マスクをつけた人もいた。身体の不自由な人もいた。
避難所が開設されて数日後、郡山の若者たちの手による豚汁の炊き出しがあった。長蛇の列が出来ていた。人々は餓えていたのだ。命をつなぐだけのパンや冷えたおにぎりだけではなく、温かいものに。

発砲スチロールの椀を手にして、それを味わう人たちには笑顔があった。生気が戻っていた。起きられない人の分を貰おうとその列に加わっていた。顔見知りの青年が豚汁をすくいながら、なんで・・・というような不思議な顔で声を掛けてきた。事情はすぐにわかってもらえたが。

温かいラーメンの炊き出しも好評だった。

汁がある食事、温まる風呂。それを日常というかどうかはともかく、それがいかに有りがたい事だったのかということ。

そんな些細なことを今も思い起こしている。一杯の味噌汁、一杯の豚汁。それを味わうことが出来ると言う小さな幸せを。

3・11の時の避難所、一か月たった常総の避難所・・・。味噌汁さえ飲めなかった戦後の一時期の幼年時・・・。

あってはならない原発事故による避難所。そのことの意味。

今夜も出されるであろう味噌汁。同じ思いが浮かぶのだろう。きっと。

この秋の寒さは、4年7か月前の3月の寒さにも似ているようであり。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...