2018年2月26日月曜日

戦争が祭りの後に立っているのか

ピョンチャン五輪が終わった。
日々伝えられる日本選手の活躍に国中が湧いた。
「努力は必ず報われる」と競技結果を伝える新聞は書いていた。
なんともありきたりな文章だ。
運が付いて回っていることもオリンピックは証明している。
天候の問題もあれば、他人のミスに巻き込まれるという不運もある。
運は努力で克服出来るものでは無い。

このオリンピックほど政治が外交が介在した「平和の祭典」は無い。
競技とは別に政治の陰が見え隠れしていた。
競技中は選手が主役だったが。

開会式には金正恩の妹らを送り込み、閉会式にも「高位級代表団」を送り込んだ。
韓国の文政権も「政治利用」した。南北融和、祖国統一という旗印を掲げて。
アメリカもそうだ。トランプの愛娘を送り込んだ。
東アジアの戦争の火種となっている北朝鮮とどう対処するのか。

安倍のオリンピック利用外交は徒労に終わった。閉会式には要人は行かない。
行っても無意味だからだ。

なぜ北朝鮮はこれほどオリンピックに“介入”してくるのだろうか。
北の真意や真相は不明だ。なにやら蠢く中国も不気味だ。
祭典が終わらぬうちからトランプは北への制裁を打ち出している。
「瀬どり」を阻止し、それが成果を挙げないのなら次は軍事行動だと威嚇している。

北朝鮮と米国が会談する用意があると北は言った。
アメリカは警戒感を抱きつつも双方腹の探り合いと言うところか。
常に軍事的行動をちらつかせるトランプ。

とにかくトランプと言う男は暴力的な男だ。
武力で事を解決すると言う思想の持ち主だ。
フロリダ州の高校の銃乱射事件を以って、教師に銃を持たせ、持った教師にはボーナスを支給すると言う。
銃でアメリカ社会の病巣である銃社会の秩序が保てるとは思えない。
教鞭の代わりにライフルを教育の場に持ち込むと言う発想。
トランプとはあのカードのジョーカーのように“悪魔”だ。

核をもてあそぶような金正恩と発想は同じなのだろう。
似た者同士の争いと笑って済ませる訳にはいかないのだ。

きのう長年の親交がある元外交官とあった。「アメリカ」についてもろもろ話した。彼は全くの保守の人間だ。
全米ライフル協会といういわば極右の様な団体からの資金援助。それらの人を核とする35%という数字の熱狂的トランプ支持者がいるということ。
彼を辞めさせるには弾劾しか道は無いだろうという事。
アメリカと言う国の威信は大きく揺らいでいるということ。
トランプをどうにかしないと世界の秩序は維持できないかもしれないということ。
そんな事を彼は外交官の矜持を持って語っていた。

聖火がゆっくり消えて行った。アリランの歌声が郷愁を誘った。
次にともるのは聖火ではない。戦争と言う火だ。そんな予感が杞憂であって欲しいと願うのだが。

日本の政権はアメリカに、トランプに追随している。安倍の堅い支持層も35%だ。

米朝もし戦わば。日本は完全に巻き込まれる。
それがもたらす惨禍は・・・。

五輪でメダルを獲得した選手たちは凱旋帰国してくる。出迎えの歓喜の声が湧く。テレビは「後日談」で選手を引きずり回すだろう。

華やかな宴の後はさびしい。その寂しさが戦争と言う悲しみに変わったのでは選手たちがあまりにも気の毒だ。

オリンピックで「戦」という言葉を使うのは止めようよ。あくまでも「競」であるべきなのだから。
「競」であるからこそ結果が出た後にお互いを称えあうことが出来るとのだと思うから。
それを立証してくれた選手もいる。

取りあえずオリンピックと政治について書いてみた。オリンピックと政治は“密接”につながることは否めない事を再認識した次第。

2018年2月20日火曜日

「平昌オリンピック」に思う事

オリンピックは必ず「物語」を連れてくる。その物語は誰をも心の美しさに誘ってくれる。その物語を求めてオリンピックを観る。
そこには閉塞感に満ち溢れた一般社会とはかけ離れた「人間の美しさ」があるからだ。

スケートの小平奈緒選手の光景は美しかった。彼女が勝利したと言うことだけではない。永遠のライバルと言われた韓国の李相花選手とのお互いをリスペクトした光景だ。

そして彼女を支援し続けた茅野市の相沢病院の存在だ。彼女に国は今まで何を支援したか。何もしていない。スケート連盟はプレッシャーだけを与え続けていた。

彼女と李選手の涙の抱擁の姿を見て普通の国民は感動したはず。
一部の嫌韓に凝り固まっている人は別にして。
スポーツの世界ではスポーツを通してしか実践できない“友好”があるのだ。
スケートフィギアの浅田真央とキムヨナもそうだった。

嫌韓のトップである安倍が祝意を表した。李選手との抱擁の光景に感動したとも言った。日の丸の小旗をちらつかせた自分の写真もつけて。

開会式に安倍は出かけた。全く無意味な訪韓だった。
北朝鮮から金与正という金正恩の妹らが韓国に来ていた。
「微笑み外交」と日本のメディアはある種の揶揄を込めた表現をし続けていた。
「北朝鮮に騙されるな」と。

南北朝鮮の合同チーム。文韓国大統領の政治的思惑がそこにあるかもしれない。北には北の思惑があるかもしれない。
それについて他国が憶測を持って論ずることに疑義がある。
同じ民族同士。それに意を用いるべきではないだろうか。
束の間の、見せかけの融和かもしれない。
しかし、何事にもきっかけというのがある。それになったとすれば、それこそオリンピックが平和の祭典と言われる所以に立ち返れるのではとも思う。

開会式での金与正の席の真近に席があった安倍。一度たりとも顔を見ようともしなかった。笑顔で挨拶を交わすだけでも日朝関係に変化がみられるかもしれないのに。

「北への圧力強化」は文大統領にいなされた。拉致を言ったと言うが相手からはそのことは聞かれなかった。


朝鮮半島、そこはかつては日本、大戦後はロシア、侵攻を阻止するアメリカ。
いわゆる大国にいたぶられてきたところだ。

米ロの覇権争い、領土争いで38度線で分断された民族だ。
南北朝鮮はいまだに戦争状態なのだ。単に休戦中なだけだ。理屈を言えばだが。

北と南の分断は果たして半島民族が望んだことだったのだろうか。

政府はすでに金メダルをとったフィギアスケートの羽生や小平に国民栄誉賞を授与する検討に入っていると聞く。国民栄誉賞なるものでオリンピック選手を表彰する。スポーツを人気取りにしようとしているの感大だ。

受けるか受けないかは選手の意思次第だ。
ただ、小平にはお願いしたい。なんとか時間を作って相澤病院にメダルを見せに行って欲しいのだ。
応援した入院患者はそれを心待ちにしているはずだ。
銀メダルを取った時病院に行った彼女は患者から大歓待を受けたとも聞く。

彼女の快挙に日本中が感動した。病床に伏せている人には尚更感動を与えるだろう。病を癒す最高の治療にもなるだろう。
金メダルを獲った選手は強者だ。獲っただけでは単なる強者で終わる。
弱者に目を向けることで真の強者となる。
小平はきっとそうするだろう。
「多くの皆さんに支えられて」。その多くの皆さんと言う言葉の中には病める身ながらも彼女に声援を送り続けたあの病院の患者さんが含まれていたと思う。
病人と言う弱者が強いアスリートに力を与えたのではないかとも。

メダルに手は届かなかったものの,勝者にはならなかったものの、力及ばずだった敗者も大勢いる。時には仲間のサポートに回った選手もいる。
悪びれない敗者も賞賛に値すると思うのだけど。

きょうもNHKのテレビはメダル獲得数を話題にするだろう。メダルだけがオリンピックだけではない。メダル至上主義の日本のメディアにこの国の“後進性”を見るのは“偏見”か。

2018年2月11日日曜日

なみだふるはな

石牟礼道子さんが亡くなった。90歳。パーキンソン病の悪化によりという。
“水俣病”はまた一つ消えていく。

「3・11」の後、福島に対するデマがふりまかれ、原発事故の被災者になった多くの人たちの苦悶の日々を見聞きする中で、文学に逃避していた僕は思い立ったように石牟礼道子の「苦海浄土」を久しぶりに手にしていた。
なぜその本を選んだのか。水俣と福島には重なり合うものがあると思ったからだ。
当時、このブログにもそのことを書いた。

福島と水俣、福島と沖縄、福島と広島、長崎。日本人の一部の奴らが好む「差別」がそこには共通項としてあったからだ。

「苦海浄土」はジャーナリズムとしての完全な文学だ。

チッソが垂れ流した産業廃棄物としての有機水銀中毒事件。これほど水俣の漁師に関る人達を痛め苦しめ、絶望に追いやった事件は無い。
かつて足尾銅山事件と言うのもあった。鉱山から流れ出る有毒な廃棄物の川への垂れ流し。
それと闘った田中正造のこと。
そして、原発の爆発事故という絶望的事件。放射能に怯えて暮らす人々。そして抗議の自死者。

絶望の極限に陥れられた不知火海。そこから抜け出すには浄土に行くしかない。
豊穣の海を破壊し、絶望の海へと変えたものは。

患者一人一人の声に耳を傾け、それを綴り、文学として表現したもの、遠藤周作をして最高の文学と評させた作品。

藤原新也と言う写真家であり作家である人がいる。彼は多分この石牟礼作品を読んでだろう。「日本浄土」という作品を世に出している。
彼が昔練り上げた写真と巧緻な文章による「東京漂流」。
写真は人々の生きざまをレンズを通して表現したまさに写真ジャーナリズムだった。

「3・11」の年、藤原は2か月にわたって福島に身を置き、レンズを通して「福島」を伝えた。

そして石牟礼との対談を一冊の本にした。
「なみだふるはな」

“時を経ていま共震する二つの土地。その闇のかなたにひらく一輪の花の力を念じつつ・・”と藤原は言う。

「1950年代を発端とするミナマタ。そして2011年のフクシマ。
このふたつの東西の土地は60年の時を経ていま、共震している。
非人道的な企業管理と運営の果ての破局。
その結果、長年にわたって危機にさらされている普通の人々の生活と命。
まるで互いが申し合わせるかのように情報を隠蔽し、
さらに国民を危機に陥れようとする政府と企業。
そして、罪なき動物たちの犠牲。
やがて母なる海の汚染」

藤原が序にかえてものした“二つの歴史にかかる橋”という一文の一部。

あとがきにある石牟礼さんの“野苺の記憶”という一文の一部。
「東京漂流と名付けられた本について長いこと考え込んおりましたが、漂流と言う言葉が今世紀を予見していることを具体的に知ることが出来ました。

ある方がこんなことをおっしゃいました。
「東京まで行ってみたがなあ、日本ちゅう国は見つからんじゃった。探しきらんじゃった。
どこにゆけばよかろうか。
水俣は日本の外になっとるにちがいなか。日本から見れば、水俣は行方不明になっとるにちがいなか。
家族全部水俣病になって、もう3代目、いやいやもう4代目になっとる。
ひょっとすればわざと、失くしてなくしとられんかもしれんと邪気をまわしたりして、こりゃ独立して、もう一つこの世ば作れちゅうことじゃなかろかなあ」
今は亡くなった、患者さんの言葉です。

我々は「恥の文化」を忘れている。あらためて痛切にそう思わされた。
3・11後、琉球独立・福島独立と書いた自分がいた。

文学者であり詩人であり、人の道を生きた石牟礼道子さんに弔意を捧げる。

2018年2月5日月曜日

「バカ丸出し」ということ

子供の頃よく言い合った。「バカ丸出し」「まるでバカ」。
自分で自分を「丸バカ」と呼んでたやつもいた。

養老孟司の著作を借りるまでもなく、この国は今「バカの壁」の囲われているような気がする。政治家はまるでバカの集まりのような様。
官僚も物を言えないバカ。
それらのバカどもに我々はバカにされている。

官僚の書いた紙を読むしか能の無いバカ。
質問通告が無いから答えられないという首相のバカ。
日本語を常に読み間違えるバカ。

どんな質問が野党からあっても答えられるのが、その資質を持っているのが首相であり、大臣だ。職責だ。答えないのは職務放棄だ。その任に非ず、だ。

開き直る閣僚に手をこまねいている野党。
政権を追い込める「ネタ」を生かせない野党。
政権に対峙するよりも自分たちのエゴで離合集散を繰り返す野党。
国民のことを考えるより自分たちの都合を優先させる野党。
バカだ。

仮装通貨なるものにのめり込む人々がいることを最近知った。
とにかく儲かる仕組みだったらしい。
ネット一つで億のカネを稼ぐという。
「億り人」と称し、夜な夜な都心の高級バーで話し合いをしているとか。
カネの亡者というバカ。
中には生活費をねん出するためにこの仮装通貨の世界に、ネットの闇に舞い込んだ若者もいるという。悲しい話だ。

不倫報道に血道を上げるワイドショー。相撲界の騒動に時間を割くワイドショー。
視聴者を「バカの道」に誘っているようだ。

フェイクニュースと言う言葉を連発し、自分の意に沿わない政敵の攻撃を政治だと勘違いし、新兵器の開発を誇示し、武力で世界の覇者になろうとするアメリカの大統領。最悪の大統領。その人を支持する37%のアメリカ国民。
バカになったかアメリカ人。

かつて変人、小泉純一郎は田中真紀子を巻き込んで「自民党をぶっ壊す」と連呼して首相になった。
じゃ自民党はぶっ壊れたか。壊れていない。バカは増殖された。
今は反原発の士としてもてはやされている。正義の味方ぶっている。
バカと変人は紙一重だ。
原発推進の自民党に息子は加担し、人気を博している。

その息子の功績だけではないだろうが、名護の市長選では自公が推す候補が勝った。公明党の功績大だ。
名護の人口はここ数年6千人も増えている。

本土の人間が沖縄を語ることにはいささかの躊躇があるが、やはりあの沖縄戦は過去の出来事になったのだろう。
基地よりも日々の経済と苦渋の選択をしたウチナンチューもいるはず。

“バカ丸出し”のような世相を嗤う。

「バカとなんとかは風邪ひかない」と子供の頃言われていた。

「バカ」と書くと差別用語だとご批判なさる向きがある。

3・11のあと、トヨタのリ・ボーンと言うCM。ビートたけしとキムタク。
三陸の海に向かってたけしが叫ぶ。

「ばかやろー」と。

あのばかやろーにはいろんな意味を感じる。津波へのやるせない感情。
手をこまねいている国への怒り・・・。

バカとハサミは使いよう。時としてそれは「真言」となり得るとも思い。

ここ数日、このバカ爺は風邪をひいて寝込んでいました。

2018年1月24日水曜日

大雪と”働き方改革”

きょうの郡山は雪が降ったり,舞ったり,止んだり、時々晴れ間がのぞいたり。
真っ白な田んぼが目に痛い。

日本列島は連日寒波にさらされている。
寒波は大陸からのものだという。
大陸も大雪にさらされているだろう。
しかし、そのニュースは伝えられない。

なにか海外で事故や事件があるとすかさず話題にされるのは「日本人は・・・」。

それにしても、過日の月曜日の大雪は酷かった。
郡山にも大量の積雪。我が家も雪に埋もれた。車も埋もれた。
予定されていた病院も断りを入れた。
担当医は「病院の周りは大変な事になっていますから来ない方がいいですよ」。
優しい先生だ。

テレビや新聞はおおかた東京の大雪被害の話題。連日。
もはや当たり前のようになった大雪による交通網の切断。帰宅難民となった人達。
被害にあったのは会社勤めの人だけではなかろうが大半は「働く人」だ。

雪を覚悟で出社し、閉じ込められた車内で「生き地獄だ」とツイートする。
東京が雪にもろいのは先刻承知の事。
それが判っていても仕事に出掛け帰宅困難者となる。
雪でも働きに出掛けなくてはならないのだ。

交通網がマヒしている中、国会では総理大臣様が「働き方改革」を叫ぶ。
夜は公邸に泊まる。
雪に難儀はしていない。
昨夜は公邸で“宴会”だ。

なんだか嗤える。このばかばかしさは笑う以外に無い。

巨大化した都市東京とはいったい何なんだろう。

一夜明けて雪がおさまった東京。道路には通行不可能やマヒ状態は残ったものの働く人たちは黙々と職場に向かっている。
天候のせいだとはいえ、死ぬような思いまでして行かなければならない会社。

働き方改革ってなんだ。大事な言葉が空疎に感じられる。

ロシアでも先日大寒波があり零下60何度とか。
日本列島をまだ寒波が襲うと気象予報士が言う。

寒波、寒波・・・。地球は温暖化なのか。定説に湧く疑問。
地球はもしかしたら大昔にの様な「氷河期」を迎えているのでは。

幸いなことに、というかなくてよかった大停電。電力需要は95%になっていたとメディアが伝える。

あの大雪が数日続いたら電力はもたない。エネルギーを持たない災害がおこっていたのでは。
交通マヒで物流がストップした。
生活の“非常事態”だ。

草津の白根山が爆発して犠牲者が出た。爆発の予兆がないはずの山だったのに。

明らかに自然の様子がおかしい。不気味だ。小さい地震も多発している。

アラスカでマグニチュード7,8の地震。
フィリピンの火山は大爆発。
あきらかに地球を取り巻く環境はおかしい。

科学技術の留まるところを知らない進歩。それが自然の脅威とどう向き合えるのか。

コンピューターシステムで運行されている電車、地下鉄、バス、タクシー。
システムは自然の前では無力化する。

自然災害はすべて「一過性」にされる。
噴火予知連絡会なる専門家の集まりも、「想定外」という言葉で、無力さを示した。

雪の残る国会では今日から「決して熱くない」論戦なるものが始まる。

質問要旨を渡し、答弁は官僚が書き・・・。

予算委が始まると霞が関は大変だ。
廊下トンビの政府委員なる役人が野党を回って質問要旨を貰いにまわる。
それを受け取った役所では徹夜の構えで大臣答弁を作る。

役所の周りには深夜まで帰宅待ちのタクシーがエンジンをかけたまま待機の長い列。

働き方改革なんでしょ。役人だって対象でしょ。タクシー代は税金ですよ。

なんだか急に安倍はピョンチャン五輪の開会式に行くという。
ほんと、この人目立ちたがり屋なんだね。

意味不明の外遊の多々。かかる膨大な費用。
あなたの“働き方改革”をしたらいかが。
役人が書いた紙しか読めない”無能“な閣僚の方々の働き方改革してみては。

2018年1月17日水曜日

いくつかの大地震のこと

大相撲の初場所が始まっている。
貴の岩への暴行事件をめぐり醜態をさらした相撲協会、しかも立行司の不祥事。なにがあっても連日の大入り満員だ。
何があろうと「声なき声」は国技館に行き土俵に目を凝らし歓声をあげる。

天皇ご夫妻は恒例の観覧を取りやめられた。

相撲中継時にたまたまであろうが地震速報が流される。
きのうも福島県沖、震度1が伝えられた。
このところ地震が多い。数日前は北海道で震度4、宮城沖、福島沖、東京湾、千葉県沖・・・

つい先日は北茨城と富山沖で同時刻に地震。緊急地震速報が携帯電話を鳴らした。

海の向こうでもマグニチュード7以上の地震の情報がしばしば伝えられる。

またこの国のどこかで大地震が発生するのではないか。そんな不安が絶えない。

23年前の今日、あの阪神淡路大震災があった。6434人が犠牲になったあの惨禍。
今も地震があった時刻には遺族を含め、関係者が発生時刻の午前5時46分に合わせて慰霊の灯篭に手を合せる。

郡山でも一時は公園にキャンドルをともして慰霊の気持ちを伝えていた。

25年前には北海道の奥尻島で大地震があった。200人以上が犠牲になった。

2年前には記憶に新しい熊本地震があった。大きな余震が重なった大参事。

そして何よりも間もなく7年を迎える東日本大震災。

神戸ではあの瞬間に誕生した赤ん坊がいた。過酷な環境の中で生を得た子。
「生ましめんかな」の光景ががあの時あった。

東の本大震災時も東北では20人ほどの赤ん坊が誕生している。いわば「奇跡の子」だ。

「災害を語り継ぐには、何があったかを知るだけではなく、被災者がどう感じたか、その“感情の記憶”をつないでいくべきだ」。そう、そこにあった事実だけではなく。

人は感情の記憶を消すことはできない。いや、その記憶を消してはならない。

大災害はその時もその後も「死」をもてくる。
しかもそれらの中にある“孤独死”。

地震はじめ天災の前ではあまりにも人間は無力だ。学者も無力を告白した。
予知は不可能なのだ。

地震がいつ来るのか。誰もわからない。大地震に備えましょう。その呼びかけは「空語」にしか聞こえない。

もし人間に出来ることがあるとすれば、その死を悼むだけではなく、死者をなるべく少なくするような手立てを国を挙げてやるべきだ。
死者を生む兵器の開発、購入に国家予算をつぎ込むのではなく、災後の備えを計ることが政治のはずだ。
食糧や生活必需品の備蓄だけでは無い。
高齢化社会と言う構造の中にあって、医療機関をいかに守るか、患者を守るか、酸素タンクを確保しておくか・・・。
そして子供を・・・。

国民の生命、財産を守る、それは“抑止力の向上”などという戦争ごっこの話しでは無い。

繰り返す。地震はいつ、どこにくるかわからない。防ぎようが無い。戦争は人間の意志で防げる。

きょう17日は親友の祥月命日。はじめての命日。遺影の前でしばし語らってきた。
きゅうの雨は冷たさを伴って降っている。これとても自然の為せる業ではあるが。

2018年1月11日木曜日

変化の年としての平成30年

暦とはある意味非常にうまく作られたものかもしれません。
人の一生についても「干支」をもとにして60歳を還暦としました。
それは時代についてもあてはまりそうです。

今年から60年前は、昭和33年。もろもろ変化を予測させる年でした。
ようやく戦後の空気が変わりはじめていました。

モノクロのテレビが登場したからわずか数年。テレビは各家庭に急速に浸透しはじめていました。
カラー化されるとは誰も予想していませんでした。

フィルムの映像がVTR化されるとも思っていませんでした。
団地族が雨後の竹の子ように生まれていました。

インスタントラーメンが出来ました。今のインスタント時代が幕を開けていたのです。

1万円札も発行されました。岩戸景気の幕開けのような時代でした。

その頃17歳の少年は「警職法反対デモ」に連日のように参加していました。
それは去年の共謀罪法の端緒だったのかもしれません。

テレビが衛星中継機能を持つなんて誰も予想していなかった。
電話もすべての家庭には行き渡らず、電話を引くには多額の債権購入が必要でした。

しかし、誰もが何かの変化を感じ取っていたようです。

そして60年後、テレビは形も機能も変わり、電話は一人一個の携帯電話、スマホになりました。

電話機が世の中を激変させたのです。

「電話が写真の機能を持つようになった。いや、写真機で電話が出来るようになった」。村上春樹の騎士団長殺しという小説の中にある一行です。

スマホという「怪物」が世の中に何をもたらしているのか。
人間性を剥奪する行為に大いに貢献しているような。

SNSという「サイト」は9つもあるそうです。
フェイスブックもインスタも「写真」がなければ意味を持たないような気風。

「個」をさらけだすSNSへの投稿。

プライバシーなるものとSNSは「VS」なのか「WITH」なのか。

アメリカの大統領は常にツイッターなるもので私見を打ち込んでいます。

大方の病院の医師の診察室にはパソコンが常備されています。
レントゲン写真は現像などという手法では無く、撮影すれば瞬時に医師の前のパソコンに画像が届きます。

診療室で医師がパソコンを見る時間と、パソコンと向かい合っている時間と患者の顔を見る時間とどっちが多いか。

スマホの功罪――。
それを持っていれば電話も出来る、メールも出来る、写真も撮れる、さまざまな情報にも接することが出来る。

かたや、ながらスマホは事故を生み、イヤホンを通じて大音量の音楽が頭脳に突き刺さる。スマホ依存症という病名も生まれた。
人間関係がスマホを介在してのみ存在し得る・・・。

そしてスマホは5Gの時代になるそうです。第5世代。スピードが今の何百倍にもなるとか。

そんなにスピードを求めて何が得られるのか。
遺伝子のゲノム編集も進化するそうです。

科学技術の進化は止まるところをしりません。
今年を変化の年とするならば一言。「立ち止まる」ということではないかと。
世の中の流れに無条件で身を置くことでは無いのだと。

「立ち止まる」という詩がある。福島の詩人長田弘が書いたもの。

立ち止まる。
足をとめると、
聴こえてくる声がある。
空の色のような声がある。

「木のことば、水のことば、
 雲のことばが聴こえますか?
「石のことば、雨のことば、
 草のことばを話せますか?

立ち止まらなければ
ゆけない場所がある。
何もないところにしか
見つけられないものがある。


 「人がマインドコントロールを受けやすいのは、情報が過剰に与えられている状態か、極度に不足している状態だ」と言った人がいる。

“スマホの正体”を言った言葉のように思えて・・・。

きょうは11日。あの時スマホが果たした「功罪」。いや、スマホだけではない「ネット」。それを考える日。

“「その日」のために何かをするのではなく、その時にあったことのために何かができるように、世の中の今を見ることが私たちには必要だと思う。”

青森県の16歳の女子高生の言葉に頭を垂れるのです。
この高校生の60年後はどうなっているのだろうとも。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...