2016年3月6日日曜日

3月の“沈黙”と“饒舌”

あの日から5年。
3月になると「言葉」を失っている自分に気づく。

5年前と同じようにヴィスワバ・シンボルフスカの詩に身を寄せるしかないのだ。
  
//戦争が終わるたびに
 誰かが後片付けをしなければならない
 何といっても、ひとりでに物事が
 それなりに片づいてくれるわけではないのだから

 誰かが瓦礫を道端に
 押しやらなければならない
 死体をいっぱい積んだ
 荷車が通れるように

  (中略9

 原因と結果を
 覆って茂る草むらに
 誰かが横たわり
 穂を噛みながら
 雲に見とれなければならない//


「福島」めぐって、大手メディアはいろいろな事を伝えてくれる。きっとそれは1年以上前から「企画」されていたことだろうけれど。
そして、新たに知ることもある。もう十分に知っていることもある。

「フクシマ」があった以上、誰かがそれを伝え続けなければならない。
どこまで伝え続けられるかはともかく。

廃炉・・・5年前は40年と言われた。“荷車が通れるような”順調な作業が甘い見通しの中でなりたっていたからだろう。

100年というスパンも言われ出した。不手際や予測の甘さが度々作業を中断させてもいる。
荷車が通れるように、毎日7千人もの人が、汗を流している。

メルトダウンした核燃料デブリは、恐竜のように地の底のほうに居座り続けている。それを除去する明確な手立ては誰も持っていないようだ。

放射能を浴びた後遺症、病気のことについても学者の意見は正反対のように別れる。この先どうなるのか。

誰もわかっていないのだ。

わかったふりをしたのは大手をひろげて「アンダーコントロール」と言った安倍だけなのだ。もちろん皮肉だけど。

帰還の問題、人口減の問題、まだまだ問題山積の5年だ。

メディアはもっと饒舌であっていいのかもしれない。

どこかで政治家がバカなことを言っても“沈黙”に等しいものではあったはならないのだから。

10万人もいると言われる避難中の人々。一時帰宅含めて、その人たちの難渋には際限がない。
彼らと取材者の間にはまだまだ垣根が存在する。

あの日の事を問うと必ずと言っていいほど寡黙になる。語ることが出来ない心情があるのだ。

福島の後始末が何も出来ていないのに、それが無かったことのように、もう終わったことのような思い込みをもって「再稼働」が進んでいる。
そして高浜にみられたような些細な「ミス」が大きな影響を伴ってくる。

5年・・・。日本人が考えなくてはならないのはこの国の「エネルギー」の問題なのだ。

再稼働はいつか必ず「事故」を伴う。そしてまた誰かが後始末をしなくてはならない。

当事者は責任を取っていない。当事者とは東電の幹部だけではない。国の側にも多くの責任が存在しているということに誰もが「ほおかむり」しているのだ。

首相が来てトマトを丸かじりし、牛乳を飲み干しても、福島に対する「無知と偏見」に満ちた風評なるものは依然絶えることがないのだ。

無知すぎる議員を担当大臣にする。そのことがすでに罪悪なのに。

あらゆる意味において、苦悩と断絶、そして家族の分離、出せない結論の数々。
それらを語る言葉を未だに持ち得ない。
何かを語ったとて何かが変わるのか。

原因と結果と責任と。全ては人間の欲望にあると。
そう言い捨てても何かが変わる予感すらない・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...