3月12日、全国紙5紙、地元紙2紙に福島県からの全面広告が打たれた。
あなたの思う福島はどんな福島ですか?と題されて。
//福島県と言う名前を変えないと復興は難しいのではないかという人がいます。
海外の方の中には、日本人はみんな、防護服を着ていると思っている人もいるそうです。
あなたの思う福島はどんなふくしまですか?
福島にもさまざまな人が暮らしています。括ることはできません。
うれしいこと。苦しいこと。進むこと、まだまだ足りないこと。光の部分、影の部分。避難区域以外のほとんどの地域は、日常を歩んでいます。
お時間があれば今度ぜひいらしてくださいね。ふらっと福島に。
いろいろな声によって誇張された福島はそこのはありません。おいしいものが、きれいな景色が、知って欲しいことが、たくさんあります。
おもしろい人がたくさんいます。
未来に向かう、こどもたちがいます。
あなたの思う福島はどんなふくしまですか?
あなたと話したい。
五年と、一日目のきょうの朝。
福島の未来は、日本の未来。
昨日までの、あたたかなみなさんからの応援に感謝します。
原発の廃炉は、長い作業が続きます。
名前は変えません。
これからもどうぞよろしくお願いします。
ほんとにありがとない。
このメッセージにはいささかの違和感と不可解さを覚える。
県民にむけたものなのか。県外の全国の人に向けられたものなのか。
これを起草したのは“テレビの寵児”とも思える郡山出身のクリエイティブデザイナーだという。
「灯台もと暗し」という言葉がある。福島県人がどれだけ福島県を知っているかということだ。
“移住”して来た者にとって、福島県を知ろうとそれなりに努力した。歴史、風土含めて。
知る限り、県全部のことを知っている人は少ない。いわきはじめ浜通りの人は会津のことを知らない。逆もまた然りだ。
郡山の人間でも、経験したことだが、「安積開拓」という歴史について知らない人が余りにも多いのに驚かされたことがある。
「福島を知る」、それはまず県内から始めることでは無いか。福島県を知らない県民がいるという現実に対して、あらためて“啓蒙”するということが必要なのではないか。
他県の人はそれほど「福島」に対して無知、無関心なのだろうか。
災後の出会った言葉がある。以前にも書いたかもしれないが。
埼玉県にある立教新座高校の校長のメッセージだ。2011年3月15日に予定されていた卒業式は中止された。彼は式で言いたかったことに「3・11」加筆して、メッセージとして卒業生に伝えた。
「歴史上かってない惨状が日本の地域に存在する。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原発事故には科学の進歩とは何かということを痛烈に思う。
被災地にあって命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人の為に声を上げよう。共にいまここに私たちがいることを。」
2年目、2012年式辞でこう述べた。
「平和なほうがいい。しかし現実は違う。原発はないほうがいい。しかし、現実とは違う。そう考えることで私たちは思考を停止しているのです。
思考の停止は逃避です。たまさか直接の悲嘆から逃れられた私たちの責任は斑紋を、苦悩を共有することです。分かち合うべきは悩むことです。
煩悶は明日へのために共有でききるはずです。
3年目。「福島の海を見よ」と述べた。
「捨てて2時間福島の海を見よ。あらゆるものを捨てて、2時間福島の太平洋に向き合いなさい。身体で凝視しなさい。身についているものすべてを脱ぎ去りなさい。携帯電話・スマートホン、書物もカメラも。友達も恋人も家族も置いていきなさい。
自分をとりまくあらゆる情報からはなれるのです。過剰な情報に沈黙を与えなさい。
君が子供を持った時、君の子供はきっと聞くだろう。「あの時お父さん何してた」と。
君は「忙しかったんだよ」と答えるのか。忙しいと忘れるは同源の語である。
福島に対して忘れたと言える人は日本にはいない。
4年目の去年、こう言っている。
「砂浜にも埋立地にもぎっしり黒いビニールの福らが積み重ねられている。除染された土の山だ。海の前の黒い壁だ。
忘れてはならない。まだ行き場を持てないでいる未来のあることを。未来は絶望ではない。黒い壁の向こうには青い海があるのだ。青い海への道を切り開くのは苦難である。希望は苦難を直視することから生まれる。苦しみが生み出すのは希望である」。
5年目の今年、校長は退官したと言う話だ。話が聴けないのが心残りだが。
福島に“心を寄せている”教育者がいたということ。いるということ。
5年前、彼のメッセージを読んで落涙した記憶は未だに鮮明だ。
fu
2016年3月15日火曜日
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