ご存知、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節。
賢治がいた時代にも冷夏があったのだろう。冷害があり、飢饉に苦しめられたこともあったと聞く。
飢饉、東北の歴史にはついてまわっていた悲劇だ。
オホーツク海高気圧がもたらす湿った冷たい風を「やませ」という。
“やませ吹く谷に一揆の墓ならぶ” 大西八洲雄
「やませ」の影響なのだろう。今年の八月は異常だ。
列島はゲリラ豪雨に見舞われ、天災に見舞われている。
寒暖の差が激しい。日照時間が極端に少ない。
農作物への影響は大きい。
野菜の価格が高騰している。値段だけでは無い。味覚にも影響している。
今年収穫されるコメはどうなのだろう。今から気がかりだ。
病を得た身にはこの気象が堪える。体調は不全だ。
現代の異常気象の原因は温暖化にあるとされる。地球温暖化を招いたのは人間の所為だ。
海産物、魚の漁獲量も今年の変動は激しい。
不漁のものが続出している。たとえばイカ、たとえばサンマ。
海の生態系が変わってしまったのも人間の所為だ。
乱獲もある。海中へのゴミの不法投棄による汚染・・・。
八月の飢饉。それは72年前の“飢餓”を想起させる。
家を焼夷弾で焼かれ、疎開した農家の離れ。
日々、餓えていた。
東京大空襲、終戦。
焼け野原の中を人々は食べ物を求めてさ迷い歩いていた。
一家をあげて上京した少年は、着物を米に替えるべく東北本線で地方にむかう母親につれられて上野駅の構内を歩いていた。
上野駅の地下道。そこには浮浪児が、孤児が溢れていた。その子たちの眼差しからは“怖さ”が伝わって来た。
着物が”化けた“コメは臨検で没収された。
浮浪児狩りが行われ、あの子供たちはトラックに放り込まれ、どこかに運ばれて行った。
あの子たちは72年後の今、どうしているのだろう。
東北の飢饉は娘の「身売り」という現象を生んだ。食い物のために娘を手放す親の心中・・・。
戦後、東京の街には進駐軍があふれていた。いつの間にか子供たちは進駐軍から食い物を貰うようになっていた。
「ギブミーチョコレート」の世界。
進駐軍の「お相手」をする若い女性が生まれて行った。数寄屋橋にはその溜り場が出来ていた。
そこには戦争未亡人もいた。こどもに食わせるために致し方なくの選択。
72年後、捨てられる食品は一日60万トンともいわれる。
物の豊かさと心の貧しさが同居している戦後72年。
不順な天候の中、束の間の晴れ間をぬってリハビリのために歩いている。
その様は賢治の詠った「オロオロアルキ」のようにも思えてきて。
2017年8月22日火曜日
“チェルノブイリ”異聞
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