2017年10月14日土曜日

見苦しき者、汝の名は政治家なり。

隣の田んぼの稲が刈られていました。稲は今年の役割を終えた。役割を果たした。と言わんばかりに・・・。
また来る季節の為に土は眠りにつく・・・。

また脳梗塞を発症してしまいました。しばし入院していました。大事に至らずに退院出来たのですが・・・。

この間に大事な事を二つ果たせなかった。
親しい知人が逝った。その別れの場に行けなかったこと。別れを言えなかったこと。


生々流転、有為転変・・。

選挙が始まった。始まったというか佳境の様子。
何のための選挙だかわからない選挙なのに。

常在戦場という決まり文句がある。
田の草取り、手入れと言う決まり文句の政界用語があります。

政界は「1強多弱」とここ数年言われてきた。強者はその地位に胡坐をかき、全くの哲学、倫理観を持たない、やりたい放題の政治を行ってきた。

マスコミが伝えることの選挙にまつわること。それを見聞きしていると、
ストレスのタネは尽きません。ストレスに蔽われることしきりです。
考え事ばかりしてるのは病気に悪いよと医師はいいますが。

稲刈りを遅らせた田んぼの前で安倍は選挙遊説の第一声を発していました。
支持者だけを集めた会場だったそうです。夫人が製造に関係しているとかいう酒瓶を掲げていました。
おにぎりをぱくついていました。それは全くの”演技“にしか思えませんでした。

福島での第一声。安部にとっては縁起のいい場所でした。過去の選挙にならうと。
しかし、安倍政治が「福島に及んでいる」かどうか。全く安倍政治の中からは福島は「阻害され」ています。

マスコミの世論調査では自公が300議席を上回るとか伝えられています。
「世論調査」は精度を増しています。おおかた外れたことはありません。

それは「野党勢力が分散されたから」と言われます。

幼馴染に金子秀史というのがいます。彼の従兄弟は映画監督をやっています。
2004年だったか。総理府の依頼で選挙啓発映画、棄権防止の短編映画を作りました。
映画の題名は「希望の党」。ある家庭が舞台です。父親も母親も選挙には関心がありません。投票日には遊びに行ってしまいます。
子供はその親に反発します。毎回選挙に行っていました。

希望の党が出現し、選挙で支持を受け、政権政党になります。政権は選挙に行かなかった人、過去3回棄権している人に罰を与えます。
投票に行ってその党を支持していた娘には要職が与えられます。

その党は蓋を開けてみればとんだファシスト政権でした。徴兵制を採り、とんでもない社会となって行きます。

「選挙にいかないとこんな社会になりますよ」。そんな警鐘を鳴らす映画でしたが。

少なくとも党名だけは現実に出現しました。”野党“の一部もそこになびいていきました。その結果は・・・。

18歳まで選挙権年齢が引き下げられました。しかし、旧態依然とした選挙の中ではほとんど話題になりません。

選挙制度を変えるべきです。小選挙区比例代表制は「民意」を正しく反映しません。
しかし、選挙で勝った党は「民意に支持された」と、さらなる暴政、言葉を持たない反知性的政治を加速させるでしょう。

政党政治、政党本位の選挙とはなんなのか。
無所属と言う立場の候補者も、いや、無所属で出られる選挙制度が必要なのではないか。資金が無くても、組織が無くても選挙に参加しやすい制度が。

昔あった参院の「緑風会」を思い出します。その人たちは「知性」の側に立っていたという歴史の事実。

これまで「ミソをつけてきた、政治家として失格」と思われる人も当選してくる情勢だとか。

政治家はあらゆる意味でその立場にいる限り「強者」です。一般市民としての有権者は「弱者」です。しかし、選挙の時は立場が逆転します。弱者である有権者に頭を下げまくる候補者たち。当選すれば強者。

選挙というのは弱者が一時的に強者を作り上げる過程に過ぎないのでしょうか。

政治は劣化しています。見苦しく立ち回っている人を多く見ます。
なんかディストピア物語としての選挙のような。ユートピアを語れる政治家は存在しないという事。

久々に愚痴を並べている自分も悲しい・・・。

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