2017年10月21日土曜日

「どちらでもない」、「どっちかと言えば」

総選挙の投票日が明日になった。天候は悪いと言う。
投票率は・・・。おそらく低いだろう。
投票率が低ければ組織政党に有利だ。

世論調査なるものは与党300議席超の勢いと伝えている。

何のための解散だったのか。全くわからないままに600億円もの国費を安倍の一存で行われた選挙。

伝えられる調査結果には唖然とせざるを得ない。
「消費税」も「国難」もとってつけた解散理由。
なぜ民意を問う必要があったのか。なぜ、なぜだらけのままの選挙。

いつも思う事。世論調査のこと。
意識調査も含めて「どちらでもない」という答えが多いという事。
設問の仕方に問題ありとおもうのだが。

政党支持も「どちらかと言えば」という曖昧な“意志表明”。改憲に関しては「どちらともいえない」という意志表明。

政党支持に関して聞けば、いわゆる無党派層と位置付けられる回答が多数を占めているという事。

優る、やや優る、普通、やや劣る、劣る。小中学時代の成績評価だった。
大学は優、良、可、不可。だった。不可だけは赤字、単位をとれなかった。

そんな昔にあったことが、選挙の調査の結果報道と、無関係なのだが、どことなく“二重奏”のように重なる。

曖昧などっちつかず世論調査の方法に改善の方法はないのか。民意をもっと具体的に鮮明に読み取れる方法はないのか。
毎回、ありきたりの定型文のように行われる調査なるもの。

棄権はよくないという。それは同感だ。しかし、今の選挙制度、政党本位とされる選挙。小選挙区比例代表制、政権交代可能な選挙制度という定型文のうたい文句。

この制度に異を唱える人は少ない。決められた枠内の選挙の反発する。
民意は反映されないからだ。
「死に票にも意義がある。民意があると見るべきだ」と訳知り顔でいう識者。
死に票を限りなく少なくする方法を考え抜くのが真の政治なのだ。

「政治討論会の発言の持ち時間は議席数に応じて配分しろ」。かつて自民党は大声でそうテレビを脅した。議席数の少ない共産党を指していた。
いまは一人しかいない「日本のこころの党」に等分の発言時間を与えている。
それは許されるのだ。自民党と同じことを言うのだから。全くの応援団なのだから。

「国難」と安倍自民は強調する。国難とは「3・11」だ。経験したことの無い国難そのものだ。それは今も依然として続いている。
「3・11」を凌駕するような国難に我々は遭遇していない。

第一次安倍政権時代に1Fに15,7M以上の高さの防潮堤が必要だとの学舎の見解が示されていた。
安倍はそれを歯牙にもかけなかった。

「3・11」時、未曽有の国難であるにもかかわらず、自民党はお手並み拝見とばかりに民主党政権がボロを出すのを待っていた。国難であるが故に菅直人は自民に連立を願い出た。時の総裁は谷垣専一だった。「菅とは一回もメシを食ったことも酒を飲んだこともない。どう言う奴かわからない。そんな政権に協力できない」と断った。
永田町の論理、慣行が優先され、国民不在を示した一つの出来事。
その「精神」は今でも引き継がれているのだろう。

あげく安倍は「アンダーコントロール」などという大嘘で世間を、世界を騙した。それに忸怩たる思いを持っている安倍自民の議員はいるのだろうか。

たまたまコンビニに行った。おにぎりもサンドイッチも小さくなっていた。
店の人にそれを指摘した。
「アベノミクスのせいですよ」と店の人は答えた。

コンビニの常連の18歳以上の初めて選挙に臨んだ若者は何をし、何を感じただろうか。

日曜日の夜八時。時報と同時に各テレビは勢力分布を出す。
安倍の高笑いが聞こえる。その速報番組を観ているであろうボクがいる。

選挙は何ものも“浄化”しなかった。
「国民のみなさまに信任を得ました」とワイドスクリーンに映されるテレビのインタビューで誇らしげにいうのだろう。改憲を声高にいうのだろう。
“宰相A”は。

あ、そうそう、選挙中はJアラートは鳴りませんでした。北朝鮮もミサイル発射を控えているようでした。
突然に拉致と言う言葉が“ぬか喜び”を誘っているようでした。


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