2012年9月7日金曜日

「書かされている」ということ

政局は佳境に入ってきました。
民主党の代表選は、細野が辞退。どうも野田再選の気配濃厚。
細野の辞退の理由。「原発事故の収束に向けて、福島の問題を抱えている中で、自分がやるべきことは沢山ある。自分の役割はないがしろに出来ない」。

それを潔しとする。原発担当相として、彼にも瑕疵がないとは言わない。しかし、彼は彼なりに福島のために努力していると思う。少なくとも他のどの政治家よりも。

野田再選。内閣改造をやるのか、細野を続投させるのか。「近いうち」の選挙。おそらく政権は変わる。
細野は野に下る・・・。
彼の今の「志」がいつまで生かされるのか・・・。

自民党は。誰がどうするのか、どうなるのか。どうでもいいけど。

誰が代表選に出る、出ない。総裁選に出る、出ない。それでもちきりのここ数日。

マスコミは「書かされている」。利用されているのです。マスコミに報道されることで世論も変わる。

書かすことで、観測気球を上げ、党内や世論の反応をみて、その去就を決める。
寝み歯も無いことも含めて、書かせているのは当の本人だけじゃない。その回り。その回りが書かせるネタに食いついて、毎日変わる政局報道。

書いている方も、書かされているということは、多少はわかっていても、それに食いつくダボハゼ根性。

権力が権力を利用する。今にはじまったことではない。

今更、今の政治家の“理非曲直”を論じる気はない。しても仕方がない。でも、言いたくなる。マスコミの在り様を。

もう「書かされる」のはやめようよ。「利用される」のはやめようと。政治記者も寝る間を惜しんで取材に走っているのは痛いほどわかる。労苦は多とする。
しかし、それが無意味であることを、無意味なことだったと思われるのが忍びないのだ。

原発、電力需給、節電の話も然りだった。完全に書かされていた。政府にしても、電力会社にしても、マスコミを使うことが最大の広報だと知っている。
書きかた、書かせ方で世論を誘導できることを知っている。いや、熟知している。

書かれたもの、見たものに、国民は“誘導”される。マスコミだけでは無い。ネットのツイッターの、どこの誰かもわからない奴が書いた一言だって、それを眼にした人は、その“言”が刷り込まれる。

かつて、世耕弘成というお坊ちゃまが、自民党の広報委員長に就任していた時、彼は徹底してマスコミ対策を練りに練り、自らもテレビの常連となり、マスコミを利用しての世論誘導に躍起となっていた。あらゆる手練手管、知恵を絞って。

ネタという名のばらまかれた餌。素材。それをどう料理するのか、吟味するのか。そして読者、視聴者という「お客様」に提供するのか。
そのネタが本物なのか、まやかしか。吟味、分析。それが君達の仕事の流儀なのだ。

メディアは踊る。メディアは踊らされる。映画の題名にも匹敵しない。踊っているのは東電の会議や、閣僚会議、本会議だけで十分だ。

2012年9月6日木曜日

「花は咲く」

郡山に本部を置く「墨粋会」という書道会が、年に一回、会員たちが書いた書展をやっています。去年は会場にしている郡山市民文化センターは震災の影響で使えず、二年ぶりの開会。

出展作は120点。テーマは「今 私たちの想い」。代表の増子哲舟氏はこう言っています。
「“放射能”汚染は、進行形どころか、まだはじまったばかりだ。一見何事もなかったような日常生活。でも、今までとは何かが違う。そんな中での各自の想いを作品として残しておくべきだ。それが我々に課せられた役目だ」と。

代表の彼は「黙するは雷の如し」と大書しました。災後に沈黙していることを諌めたのか、黙している雷のような怒りがあるということか。

彼の子息は、アクリル板を使って「花は咲く」という復興応援ソングの歌詞の一節を書きました。アクリル板にはいろいろな花の絵も添えられています。
昨夜、NHKでやっていました。この歌の番組を。辻井伸行さんのピアノ伴奏、安積中学校の生徒の合唱。中学生の中には、避難してきている富岡町の中学生たちも交ざっていました。

娘さんは絵を出しています。小さなパステル画。一枚の横長の小さな紙に描かれた10数枚の絵。何事も無かった日常から始まって、やがて大震災、原発事故・・・。それをやさしい筆致で。最後の絵に添えられた一言。「戻らない」。
もう一人の娘さんは、智恵子抄からひいた「ほんとうの空」という詩の一節を。

白居易の漢詩を用いたり、論語をひいたり、金子みすずや谷川俊太郎や永六輔の詩を書いたり。それぞれの人の想いが「書」という形を使って表現されている。

自作の詩を書いた人も多かった。それを数作引用します。

絶望のなか時が流れる じっと昨日過ぎた 今生きている 明日生きる。

己こそ己の寄るべ 己を措きて誰に寄るべぞ
良く整えし己こそ まこと得がたき寄るべなり

こんなにふるえて こんなにあつい あの日から・・・
心は折れてしまったけれど 自分を信じ 歩いていこう
今日からここから この場所から

笑ってみようよ おかしくなるから
どうにもならない運命なんて そんな沢山ないよ

福島県民の歌も書かれていました。

風。結。たった一字に込められた思いもありました。

書は書です。書くは描くに通じます。最初の字は「掻」。意思を想いを、石や岩に刻んで表現したものと言われます。

3・11後、被災者や被災地を思う多くの人が歌を詠み、詩を書き、絵を描き、そこに自分の想いを吐き出し、表現して、それを力にして来ています。

花は咲く。仮設に花を咲かせている人もいました。津波で流された荒れ地を花で蘇らせた人達もいました。そして、子供たちによって歌にもされている。

書展に寄せられた作品は、すべてが「花」だったなと。墨から万華鏡のようにいろいろな色が見て取れるなと。

2012年9月5日水曜日

愚な政争の具にされるということ

赤字公債特例法案が廃案になる。このままだと。国に金が無くなる。

風が吹けば桶屋が儲かる。その逆バージョンとでもいうか。議員がバカだと民草は困窮する。

国債発行出来ない。民主がうって出た手。地方交付金の「支払い停止」。全部が全部ではないけれど、とにかく国から地方に出すべき金が行かなくなる。
地方自治体は、金を作るために金融機関からカネを借りる。その借金には利息がつく。金融機関はもうかる・・・。

法案が成立しないと、国債が市場で売れなくなる。国債市場は混乱し、格付けは下がり、円の価値が・・・。

自治体がいくら手当しても、国民生活に影響する。結局ツケは国民に。

谷垣自民党執行部は喚く。「野田内閣の国会運営が強引だから」とか「問責決議案に賛成したのだから、後には引けない、とにかく解散だ」と。

小沢の能書きじゃないけれど、みんな言ってたよね。「国民の生活が第一」だって。お返しします。「僕たち私たちの選挙が第一だんですね」と。

政党助成金の出さない、申請しないと民主党は言う。みんな政党助成金がほしいからのこれまでの愚挙。カネがなければ選挙は出来ぬ。政党も金融機関にカネを借りる。利子払う。銀行儲かる。

銀行は本当に金繰りに困り、事業資金として必要なカネを貸し渋る。事業だけじゃない、住宅資金にしても何にしても。

むちゃくちゃな屁理屈押し通してきた谷垣自民は万死に値する。それみたことか、谷垣再選には赤信号が。たぶん、自民の支持率も減る。

大阪府も金繰りには困るかもしれないが、まやかし維新で、自民、民主の喧嘩騒ぎをおこぼれ頂戴とばかり、赤い舌を出して待っている。

原子力規制委員会の委員も委員長も、首相が任命する。たまたま法律がそうなっていたから。本来は国会承認人事。

国会が国会として機能しない。

直接民主主義を“論客”が言いだす。

尖閣をめぐって、買うと言いだした東京都には16億円の金が寄せられている。国は20億円を出して買うといいはじめている。カネはないはずなのに。予備費から出すのだそうな。

まさか栗原さん、値段のつり上げを、“競売“もどきを待っているんじゃないんでしょうね。山東昭子センセイが暗躍しているご様子・・。

なぜ、野田がまだ持っているのか。先代、先先代よりはまだましだからっていうことなのか。

どうせ国際社会からは飽きに飽きられて、あきれ果てられている日本の政治。一年限りの首相交代だって、失うものは何も無いはず。

無辜の民の失うものは多すぎる・・・。

玄人筋の政界解説はもうたくさん。なんで、こんなバカな政治家ばかりが輩出される時代になってしまったのだろう。

国民全部がそれを「総括」しないといけない時代だ。ほんと滅びるぜ、この国は。

頭が疲れてきています。昨日かな、テレビでやっていたサッカーの長谷部の話し。「選手の脳が疲れていると判断し、ザックに申し入れた。脳を休ませようと。ザックはそれを受け入れ、一日、ミニゲームをして選手をリラックスさせた。選手にみんな笑顔が戻り、次の試合で勝った」と。

一つのリーダー論。国民全部を疲れさせているのがこの国のリーダー。次なる手、策を持ち合わせていないリーダー。

2012年9月4日火曜日

「地元」。その定義無き区別の意味は・・・

ちなみに、辞書を引いてみる。地元。
「その事に直接関係ある土地、本拠地」とある。「自分の居住する、また勢力範囲である地域」とある。最新の岩波国語辞典。

その通りだが、これだけでは、人々の心の、意識の中にある「地元」という言葉の定義にはならない。いや、それは“定義無き概念”かとも。“概念無き定義”かとも。

地元の反対語は何か。多分誰も答えられない。

福島県には二つの新聞がある。福島民報と福島民友。双方、地元紙という。自他共に。本社が福島県にあり、福島県民が購読者だから。本拠地があり、勢力範囲である地域・・・。

その反対語は中央紙と呼ぶのか全国紙と呼ぶのか。時として、その全国紙の方が、より“地元”に接近した記事を書いている場合もある。
仙台に本拠地を置く河北新報。その新聞は東北6県に読まれている。福島の出来事を、地元紙より詳しく、あるいは、ネタを発掘して書いている。それは福島にとっては地元紙では無いのか。

「あれはブロック紙だ」。業界はうまい表現を使う。

地元局という。民放テレビ4局。それは独立した局ではない。東京のキー局の、いわば“出先”。地方のニュースの収集元。
東京のテレビ局に居た時に、ボクがなんとなく抱いていた概念。

「あれは地元の人じゃないから」。「ボクは地元じゃないから」。そんな言葉が飛び交う時、その根底にあるのは・・・。辞書には“自分の居住する”ってあるのに。

原発事故。原発再稼働。原発をめぐる「地元」という定義はもっと複雑だ。
例えば政府が何かを決める。「これに対して地元の反応は・・」と来る。
その地元とは。福島県全体を指すのか。避難させられている立地地域を指すのか、放射能被害を被っている、立地地域ではない村を指すのか。

「立地地元」があり、「被害地元」がある。

そのことに直接関係がある土地。福島原発の電力を消費していたのは首都圏。直接の濃い関係。彼らをなんと呼べばいいのか。
そう、それは「消費地元」なのだ。

そして、この三つの地元は、えてして、「対立の構図」とされてしまう。

消費地元の中心では毎週、数はともかく大飯原発再稼働反対のデモが行われている。今は、そのスローガンも変わったようだが。再稼働が既成事実になって以降。
そのデモを全国紙が取り上げ始めた頃、地元の新聞も「変わらねば」と言ったという。

原発を持っている地元。再稼働してない原発を持っている地元。
3・11後に出来た「被災3県」という“地元”。

定義の定まらぬ「地元」とは・・・。そして、地元という言葉で区別される人間の意識。せめて「地元」という言葉や概念が、ある意味、「差別の概念」につながっていかないことを願うのだが。

単なる屁理屈、言葉遊びだったのかな。きょうのからから亭の親父の言辞は。

地産地消という言葉がはやった。地産地食とも言った。この「地」は地元の「地」。それは「身土不二」をも意味していたのだが。その看板が消えている福島の実情。

はい、私は好んで地元の野菜を、米を、食品を食べています。求めていますが。

2012年9月3日月曜日

そして「政局」一色に染まっていく・・・。

政局は楽しいものなのです。政治家が一番張り切る場面。そこにはまってしまっている人は、それしか見えない。それが生き甲斐ってくらいに。

今度の政局。自民党の総裁選、民主党の総裁選、そして、なにやら話題の中心は維新の会・・。幅広き取材先。ネタ元。

政治記者は醍醐味を味わっているでしょうね。そして政界人間模様。皆さま、やはり魑魅魍魎と申し上げるしかない。

国会はまだ会期を残しているというのに、事実上の休会。言ってみれば「ずる休み」。国会議員としての仕事はしないけど、お給料は開会時と同じ。とにかく国会につめている職員含めて、ま、職員に罪は全くないけど、ムダ金が費やされている。金のムダ、時間のムダ。

この週末、あちこちに散らばった議員さんたちが、それぞれオダを上げ。メディアはそれを追っかけ伝える。

テレビに出たがる議員さんも増えた。だれそれが立候補だの、維新の会と合流なんて話が流れると、テレビはすぐその人を出演させ、他局もそれに倣い、過去の“亡霊”が、蘇ってくる。始末に悪い。

新聞はもとより、テレビもワイドショーまで加わっての政局の話題。
自民党の総裁選めぐってのだれがどうだのって話を延々。そして言う。「群雄割拠の様相です」。

え、どこのだれが群雄だい。群雄とは英雄とか実力者って意味。右往左往するチンピラ三下奴の、欲ボケ政治家のどこが群雄。
テレビの言語力は著しく低下している。

勝って気ままに言いたい放題。「維新の会が勝つと素人が大勢国会に登場して来て・・・」と前原。そりゃそうだ。だけど、ちょっと前の選挙。大勢の素人チルドレン。それが今の政治に“負”だけをもたらしていることを棚に上げてかい。

猫の目のように発言がころころ変わる橋下くん、時の人。それをとりまく元官僚のおじさんたち。

「維新の会は官僚政治を打破する」と。元官僚だからわかっているでしょ。官僚たちはそんなに軟では無い。人事権を持たない政治家が喚こうと怒鳴ろうと屁の河童。

そういえばあの人、昔言っていたな。「日本は官僚が優秀だから、政治家がどんなにアホでもつぶれません」なんて。
そして維新とは明治維新を模したものだと断言する。どうも腑に落ちない。
官僚政治を作ったのはほかならない、ご維新を成し遂げた明治政府の重鎮さんたちじゃなかったのか。

きょうもいろんな動きが下馬評が。面白いけどくだらない。くだらないニュースに付き合わされ、忘れられたような被災地の事、その数々。事の始末は官僚任せってことなんでしょうか。

政局騒ぎに、領土騒ぎに、国民の眼が逸らされている。その中では東電もしばしのほとぼりさましか。訳のわからない事象がフクイチでは起きているっていうのに。関係省庁のお役人様も、なにやらサボタージュ気味に。

で、政局の行方は・・・。永田町には、議員さんの中に、必ず「情報通」がいるんです。それも的確な。すっと思い出すのは佐藤孝行。とにかく裏事情をよく知っていた。いやいやずいぶんネタをいただきました。

今、そんな事情通はいるのかな。決して表面には出て来ない。

政局ってのは「裏」がわかって面白いんですよ。表面的だけでは面白くない。で、だれがその裏を説けるか。それも居なくなったような。

数週間、マスコミの話題は政局でしょう。それがどういう帰趨をたどるとしても。

無視はしないけど、あえて話題にしたくない。それほどくだらない。

変わることを誓ったはずの日本。だけど政治家は何も変わっていない。変わろうとしない。変わるのは単なる政界地図だけ・・。

2012年9月2日日曜日

ユニゾンな「テレビ」たち~メディアの伝え方~

ユニゾン。音楽用語。一つの音という意味、同じ音の音程とも言われる。翻って「単一」とでもいおうか・・・。

テレビはお笑いタレント、吉本興業、ジャニーズ事務所に“占拠”された感がある。

昨夜のNHKの番組。津波から逃げた子供たち。「釜石の“奇跡”」津波を生き抜いた子供たちから学ぶ命の授業。

司会はジャニーズのタレント。そしてスタジオに居るのが御笑い芸人さんたちを、ジャリタレなど。

タレントが何を語ってもいい。その名の通り、タレント、才能のある人という意味では。お笑い芸人が何を語ってもいい、でも、この番組でも「笑い」をとろうとしている。それは“サガ”なのだが。スタジオが笑いに包まれた時、ふと思ってしまう。被災地はバラエティーのネタなのかと。

ジャニーズの人達も、お笑い芸人も、歌手も、去年、いや今年になっても、被災地支援にかけつけている。そして“有名人”が来たということで、被災地の人たちは慰められ、励まされている。それは全く否定しない。

東京で、大声で“叫んで”いる“普通”の人たちよりも“役割”を果たしているし。

この傾向、NHKだけではない。民放も然り。どの局を見ても、同じような顔ぶれが並んでいる。単一なのだ。

昔、ザ・ピーナツという双子の女性デュオが人気を集めていた。この二人の特徴は3度のハーモニーで歌っていたこと。ユニゾンではなかった。あのハーモニーが聴いている人のこころに飛び込んできたのだ。
チャゲ&飛鳥もそうだった。アリスもそうだった。井上陽水と安全地帯もそうだった。そのハーモニーの美しさに酔わされた。

やがてテレビを席巻するようになったジャニーズの多くのグループ。彼らは何人いようと「ユニゾン」なのだ。単調なのだ。AKB.それもユニゾン。
歌が象徴しているのだろうか。世相を反映しているのだろうか。ハーモニーが失われた世の中を。

そして、歌の世界だけではない。スポーツ番組にも、ほとんど登場してくるジャニーズとお笑い芸人。特にサッカーとバレーボール。

「彼らを使えば視聴率がとれるからさ」とテレビ屋さんは言う。たしかに一理が無くは無い。でも、サッカーはタレントが居なくても十分、視聴率は取れる。

彼らの知ったかぶりの“解説”に鼻白む。ジャニーズの嵐というグループのメンバーはニュースキャスターまでつとめている。
ま、古館だって局アナあがりのタレントみたいなものだが・・・。

ユニゾンの歌が多く歌われているということ。それがテレビのユニゾン化とどこか結びついているように思えるということ。

“調和”を欠いているテレビ番組の数々。

テレビに出ていれば有名人。テレビにでれば金が儲かる・・・。ここ何十年も続いてきたテレビの宿弊。

そして、このユニゾン的手法は、政治報道や政治討論番組、尖閣、竹島報道にもつながっているように見えるのだが。

「テレビがつまらない」。口々に人々は言う。言いながらも見ている。だから、テレビについて語った「先人」達の名言が甦ってくるのかも。そして今のテレビからは迷言しか出てきていないような。

2012年9月1日土曜日

あなたのポケットに入っているものは・・・

田中角栄語録に今を言い当てたような面白い語録があります。
「世の中には他人様の噂話、伝聞をいつもポケットに入れ、それを放出することで、一日が回っているようなアホがいる。自分の言葉の無いのは寂しいことだ」。

田原総一朗をして言わしめた「ツイッターの神々」は、田中角栄の時代を遥かに超えて、噂、伝聞どころか、デマ、誹謗、中傷、与太話の類が毎日飛び交い、放出され、それを一日の生業にしているような人達がいる。

拡散希望、緊急大拡散などと銘打って。扇情に次ぐ扇情。

「拡散」。この言葉は、爆発以降、福島県民にとってはもっとも嫌な、忌み嫌う表現なのです。

3・11後、ツイッターでまともに受け入れられ参考になった情報は、チーム中川など少数の学者。それに毎日新聞記者の言辞だけだったかと。

だからか。今も気心知れた、信用、信頼できる人としたやりとりはしません。
反論、反撃したいツートは山ほどあるけど“無視”します。腹ふくるる思いはのこりますが、罵詈雑言の類と向かい合うのは無意味だと思い。

だからか。ツイッターの呼びかけで集まったというデモには、その根底に懐疑的なものを覚えるのです。

いったい、彼らの“ポケット”の中には何が詰まっているのかと。

郡山に「青い窓」という児童詩誌があります。そこに載せられている子供の詩を一つ。

「ポケット」
お母さんの エプロンの ポケットの中を見ると ボタンや はんけち 小さなえんぴつ ちり紙や ひもも はいっている そのほかにも まだはいっているポケットに手を入れて いそがしそうに はたらいている くしゃみをすると すぐちり紙を出してくれる。妹のかおがきたないと はんけちを出して かおをふく おかあさんのポケットではない みんなのポケットだ

お母さんのポケットにはいぎたない言葉は入っていない。

「トムソーヤのポケットには、たしか、オハジキと青いガラス瓶のカケラと、糸巻きで作った大砲と、カンシャク玉と、子犬の首輪が入っていた・・・」。

丸谷才一のエッセー「男のポケット」にある一節。
ここには子供の夢の“原点”がある。そして丸谷才一は喝破する。「男のポケットには、まだ冗談や世間話が入っている」とも。

このエッセーが書かれたのが30年以上前。今のポケットには冗談や世間話とはとても思えない“悪意”さえ入っているような。

ポケットに入っているのは携帯電話だけなのかも。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...