2012年11月7日水曜日

またまたテレビについて一言、“正義”とは無関係な。

元テレビ屋が、テレビを批判し、時には悪しざまに言うのはおかしいかもしれない。
でも、元テレビ屋だからこそ見えるもの、感じる物がある。だから時々、自己反省も含めて思いついたことを書いている。

それは元東電社員が、原発事故についてその問題点や根源を語るのに似ているのかもしれないし、元特捜検事が、今の司法の在り方を語るのに似ているかもしれないと思いつつ・・・。

テレビは優れた広告媒体である。民放テレビは広告収入によって成り立っている。当たり前だが。
電力会社は大手のスポンサーだった。だから、あの事故後、テレビ局と電力会社の「カネ」にまつわる話が多く語られた。

それはテレビに限ったことではない。新聞とて、電力会社からの広告料収入はバカにできないほどあった。

福島に来て、報道担当として、後年営業担当として、東京電力や東北電力と、さまざまな関係を持った。持つようになった。

原発について言えば、田中角栄が電源立地三法のいわば生みの親であり、その経緯も多少は知悉していた。

今で言う“情報カメラ”、当時は“お天気カメラ”と言った。無人のリモコン操作によるカメラ。それを最初に設置する時、「原発」を撮れる所にしようと提案した。阿武隈の山地にそれを作った。もし、事故があったら・・・それがその理由。

電力会社がスポンサーになった番組も数本作った。その番組は、どれをとっても原発の安全性を訴えるものではなかった。送電線を守る人の話であったり、電力会社主催のコンサートであったり。Jビレッジ活用のための物であったり。

原発を巡って、電力会社からの“圧力”を受けた記憶は無い。敢えて危険性を訴えた番組を作った覚えも無い。

そして、あの日のあの事故。翌日の、その次の日のあの事故。福島中央テレビの“情報カメラ”が、たまたま捉えたあの映像。

あの日から、テレビジャーナリズムが、原発事故を、事故の後をどう伝えているか、伝えていくかに大きな関心を寄せていた。
期待もした。しかし・・・・。期待は裏切られていた。さまざまな“規制”に自分たちもはまりこんで、その機能を、役割を果たしていない。悔しかった。

CM自粛に始まって、テレビはその有りようを大きく変えるだろうと思った。現役のテレビ屋さんたちも一時はそう思った。

今のテレビ。何回も言うが「変わっていない」。電力会社の、原発に関わるCMが無くなっただけ。

CMは瀟洒な家を紹介する。家の灯りの癒しを流す。4畳半二間の仮設で、避難してきている人はそのCMをどんな思いで見ているのか。

電気によって、限りなく便利な物が生み出された。その便利な物は、もうあの日で終わりでよかったのではないか。
だけど、CMには、より便利な物が次々に登場している。家電製品はじめとして・・・。

人間が関知しないでも止まる自動車まで。車の運転とは「考える」ことの延長にある。だから運転の上手い下手と言われた。ぶつかりそうになったら止まる車、ナビを搭載していれば、地図を片手に考えていた道を考える必要も無い。

人は誰しも便利なものを好む。結局、あの事故があっても、あの災害があっても、家や人や動物が流されても、人間の欲望には変わりがなかった。

民放の宿命だから仕方がないが。あのキンキン声の社長がテレショップ番組で叫ぶ。「お得ですよ、お安いですよ」と。
新しいIT機器。民放の番組は世紀の発明のごとく中継車まで出して、その発売初日の模様を歓声をあげて伝える。スマートフォンの利便性が、これもできるあれも出来るとその「賢さ」を伝える。

それがどれだけ普及しているのかはわからないが。ボクの周りにはそれらと無縁の人が大勢いることをボクは知っているのだが。

志望動機が何であったにせよ、これからのテレビを担って行くはずの若いテレビマン達よ。「テレビのこれから」を真剣に議論してみないかい。創世記のテレビマン達がそうであったように。

ネットの中で数多くの動画が披歴され、映像を武器とするテレビの役割も、変わってきているはず。それをどう受け止め、どうな「テレビ」を創っていくのか。

震災後、現地に取材に行ったテレビマン達は、今も、そこに赴くテレビマン達は、何かを感じ取っているはず。変わらなければいけないと思っているはず。
その漠然とした思いを、形として、伝え方として、在り様として、どこかに結実させる。そんな熱いテレビ論が、明るい都会のネオンの中の一角で交わされないのだろうかと。

2012年11月6日火曜日

だからテレビは嫌われる・・・。~テレビの正義~について

数か月前の政府の発表でも、東日本大震災による死者は18,877人、行方不明者は2843人に上る。
そして今は、遺体の“取り違え”が問題視されている。

未だ、多くの「死」と向き合っている被災地の現実。

一挙に2万人の命が奪われてのだ。

そして災害関連死というのがある。主として避難所暮らしが影響したもの。それも復帰庁によれば1633人、実際はもっと多いはず。そして自殺者も20人弱。これも実際はもっと多いはず。把握出来ていないものもある。

被災者の住む仮設の多くには、仮の仏壇が置かれ、家族は、毎日その死を悼む。
そうでない人も、生かされた人も、生き残った人も、それぞれが、突然に襲った「死」について考え、多くの「死」を悼む。

学友や家族を失った子供たちは、みな、こころに多くの傷を抱えている。子供にしかわからい傷を。

多くの人のそばに「死」があった。その「死」は現実のものとして、その人達の周りに横たわっている。その死をどう“消化”するのか、悩みに悩んでいる。
受け入れがたい死・・・。

東京発のテレビ番組。そのほとんどが、2年前に戻った。多くの「死」があったことが無かったかのように、連日、ゴールデンタイムのドラマでは、人が殺されている。それもリアリティーを持った映像で。
テレビ番組の中で、ドラマで「死」が「消費」されている。
殺人事件を扱わないとテレビドラマは成り立たないのか。それはNHKの大河ドラマにだって言える。

「死」を扱うドラマや小説、映画・・・。それらが“日常”として届けられているということ。テレビの罪は重いを思う。

不遇の死に向かい合い、テレビとしての役割、それは、テレビにとっての一つの正義と言ってもいい。それをたまに扱うのがNHKの、おそらくローカルだけの番組。

テレビのワイドショーが連日取り上げているのは、尼崎や岡山、高松を舞台にした大量殺人の猟奇的事件のこと。その扱い方は、殺されて人の目線では無く、興味は、殺した女の方に向けられている。

たまたま、震災前に読んだ。天童荒太の「悼む人」という本。見ず知らずの人の死を悼むという行為を続ける若者。

もう「悼む人」は居ないのか。テレビドラマに見入る人達は、「死」に対して思考停止に陥っていて、その無駄な時間を浪費していないのかとも。

そしてもう一つ。意味の無い、ただそうすればいいという高笑いの声だけが響く、テレビのバラエティー番組。
笑いを“封印”したかのような被災地の子供たちもいるというのに。

テレビは何も変わっていない。

死を娯楽の材料として提供していることになんの戸惑いも見られないテレビ。

「死」が娯楽に供されている。

もっとも、それは、今に始まったことではない。娯楽としての映画では、時代劇含め、外国映画含め、そこには人が人を殺すということが、何の抵抗も無く描かれていた。悪人が切られると観客は拍手喝采をしていたが。

人が人を殺さなければ、テレビドラマは成り立たないのか。「殺人」という“原罪”をテーマにしなければ作家は小説としての表現を出来ないのか。

日常の光景として人が人を殺す。それを見なれたせいではないと言いたいが、現実でも、なぜか安易に、そう、極めて安易に人の命が奪われているような気がする。

ひとくくりで今のテレビを語るのには無理があるだろうが、「だからテレビは嫌われる」と敢えて言いたくなるのだ。

これは真正面から向き合ったテレビの正義論ではないかもしれない。一つの断面からでしか捉えていないことかもしれない。
しかし、正義を考える上でのテレビの在り方は向き合う必要がある。人が人を殺すということは決して正義ではないと思うから。

2012年11月5日月曜日

「国家の正義」と「個人の正義」

もはや取り立てて誰かを、どこかを非難しようとしているものではない。
ただ、最近、正義と言う言葉が使われだした。たぶん、「正義」という言葉を使わないで済んだ、考えなくてもいい時代、そう、よに言う「失われた時代」があったからだろうか。ロストジェネレーションという言葉が生まれていたからだろうか。

いろんな意味で「思考停止」に陥ってしまっていたこの国。「正義」という普遍的なものを考える必要がなかったからではないか。

でも、それは、常に考えていなければならないテーマだし、探究される問題だと思うから、常に、いや、時折考える。

少なくとも、戦時下にあっての正義とは、国家の正義とは、戦争を完遂することであり、国民全部が戦争に“参戦”することが正義とされていた。その正義に背く者は“非国民”と呼ばれた。

でもよく考えてみよう。国家の正義、国家の大義はすべての国民にあてはまっているものだったのか。

戦地に赴いた兵士には、兵士としての正義があった。銃後の守りについている人たちには、その人たちの正義があった。その筈。

今、国家を統治している政治家や官僚。彼には彼らの正義がある。きっと皆、正義感を持って、事に当たっているはず。と思うのだが・・・。

自民党や公明党、野党はこぞって「解散」を言う。それが国民に対する正義だとして。帰結は見えてきたような気がするが、赤字国債法案や選挙制度改革を“人質”にしても、自分たちが思う解散総選挙という正義を全うしようと躍起になっている。
その法案が通らないと国は財政出動が出来ない。滞っている。地方交付金はストップされている。地方自治体は悲鳴を上げている。もちろん借金をしてでも、必要最小限の住民サービスは行われるだろう。と思う。

地方交付金を支払えない。これが本当に実情なのかどうか。もしかしたら“政権”も脅しの材料にしているのかもしれない。国家の正義、政党の正義の見極めは難しい。誰もが今の政治に辟易として居ることだけは事実だが。

敢えて言わしてもらう。東京都は財政健全化がなされている。ずいぶん前から。石原の功績ではない。
よって東京は不交付団体である。国に頼らなくて済む。だからか、都民の多くは政局談議に浮身をやつしているように思える。

そして、また敢えて言う。田舎者の国会議員が東京に居を移し、東京の垢に染まっていく中で、己の本分を忘れ、政党の“正義”なるものに埋没している。

滑稽だ。

もうすぐ冬になる。雪が降る。財政が厳しいが故に除雪車が揃わない。道路が除雪されないままでいると事故はきっと起きる。生命にかかわる事故も。極端な話しだが。
雪道でも車を駆って人助けに向かわねばならない人達もいる。消防だって、医師だって、ヘルパーさんだって。それは正義の仕事なのだから。そして事故になったら・・・。

国家や政党の正義が、どこかで起きるかも知れない事故によって個人の正義は果たされない事になる。

福島にとっての正義とは何なのか。福島県人の正義とは何なのか、福島に「対する」正義とは何なのか・・・。

正義を身近なものとして考えた時に、そこには様々な正義が存在する。

企業としての東電には、組織としての東電の正義がある。東電の社員には社員としての正義がある。それらが合致しているのかどうか。

除染事業を請け負った企業。ゼネコン大手。それらの会社には企業理念があり、それを“正義”と捉えているだろう。
しかし、多くの下請け制度の故か、直接、その作業に当たっている現場の作業員には、その手当が渡されていないという。

働いて対価を得る。それは労働者としての正義だ。それが曖昧な社会構造の中で踏みにじられている・・・。

被災者には被災者の正義があり、被災者が求める正義がある。だから、考えなくてはならない。
「これからの正義の話し」ではなく、「今、この国の正義」を。

被災地の、家を家族を流されて子供が言っていた。将来の夢はと問われて。
「朝起きて、メシ食って、働いて、夜になったら寝る。そんな普通の暮らしが夢かもしれない」と。

この子の言葉は、一つの正義の在り方を問うていたようにも聞こえた。
結論が出せない「正義」ということについて、考えれば考えるほどわからなくなる。

疲れる。でも、また、今日も明日も考えるかもしれない。誰かを批判、非難するということでは無く。

2012年11月4日日曜日

ワンス・アポン ア・タイム・・・

Once upon a time、何て訳せばいいのだろう。「昔」「かつて」・・・。

隣家の子が「七五三」で、お参りと写真撮影に出かけて行った。本当は去年のはずだったのだけれど、去年が三歳だったのだけど、あれから半年経って時点でも、七五三のお祝いをする気になれなかったと親は言う。一年遅れの七五三。さーちゃんは事の他嬉しそうだった。

ボクには七五三のお祝いをしてもらった記憶が無い。終戦直後。そんな“余裕”はどこにもなかったのだろうから。

その頃、まさに、once upon a time。ボクが覚えている言葉。
爆撃、焼夷弾、集団自決、特攻隊、特高警察、疎開、被爆、飢餓、孤児、闇市、闇屋、噂、朝鮮人、復興住宅、配給、傷痍軍人・・・。そして平和・・・。

あれから60年余り。一つ、二つの言葉を省いて、ちょっと置き換えて、「今」その言葉が通用しているということ。
それらの「言葉」は、なくなっていなくてはならなかったものだったにもかかわらず。

津波に根こそぎ持っていかれたところは焼け野原の光景だった。爆発して白煙を上げる原発の光景は、まさにB29の爆撃を受けて、燃え盛る建物の光景だった。そこでなんとか収拾にあたろうとする人達は、まさに特攻隊の様であった。

多くの人が避難した。疎開が行われた。疎開が今でも叫ばれている。飢えに苦しんでいる人がいた。飢えに苦しむ牛もいる。
親を亡くした孤児もいる。“他者”の仕業によって。
闇市とみまがうばかりの、闇成金ならぬ、被災地を餌にした成金だって出現している。

朝鮮人が攻めてくる。こんな流言飛語がどれだけ飛び交っていただろう。それに類するような「放射能が・・・」という流言飛語の類が未だに蔓延している。
あらぬ「噂」は後を絶たない。

避難所での食糧確保はまさに配給だった。それに近い現象は都会でも一時起きていた。

今も1Fで働く人は“特攻隊”なのか。仮設は復興住宅のような「長屋」なのか。そこからどうして抜け出せるのか。

沖縄の空には、オスプレイが飛ぶ。やがて本土の上にも飛ぶ。占領化にあるかの如く、米兵による“事件”が起きている。
あの頃も同じだった。お上は、どこかで「現実」から目をそむけている。

占領軍の駐留。ギブミーチョコレート。朝鮮特需が日本の経済を潤し、急成長の足がかりになった。米軍が駐留しているという苦悶の中で、沖縄の経済の一部は成り立っている・・・。

ふと浮かんだ言葉を取り上げてだけでも思う。「何も変わって無い」と。

歴史は繰り返す。“名言”は言う。語る。でも繰り返して欲しくない“歴史”もある。

戦後、多少大きくなってから耳にしたのはアメリカのジャズ。それにのめりこんでいた。今で思えば「昔」・・・。ある意味古き良き時代・・・。

これからそれを聴きに行く。郡山にあるアマチュアのフルバンド。ベニーグドマンヤグレンミラーを。友人の喜一くんが演奏しているバンド。

聴きながら、また、“戦後”に思いをはせるかもしれない・・・。

2012年11月3日土曜日

「アトム」の親は言う

ヨークベニマルというスーパーがある。郡山を発祥とするセブンアイグループの中核企業。

家の近所の店舗。店内に流れる音楽。それが時折「鉄腕アトム」になる時がある。メロディーだけだが。♪空をこえて、ラララ、星の彼方、いくぞ、アトム、ジェットの限り~~♪。そう慣れ親しんだあのアニメの主題歌。

突然余計な事を考える亭主。「3・11」後、その“アトム”が流れていることに違和感があった。アトムは原子だったから。

なぜ鉄腕アトムなのか。事情通に聞いてみた。「きっとね。それは、なんかの合図なんだよ。レジが混んでいるとか、万引き犯がいるとかっていう従業員に向けた合図じゃないかな。店内の音楽ってそういう使われ方をしているよ」と。

喧騒に満ちた店内に流れるアトムの主題歌は、なんか、早く買えとせっつかされてような気がしたが・・・。

それはともかく、手塚治のアニメって良かったなと思う。子供は“夢”を膨らませていたのかもしれない。主人公になったように、空を飛ぶアトムに自分を置き換えたような。

手塚治。漫画の主人公に「アトム」という名をつけた。なぜだかはしらない。アトムという原子の名を付けながらも。作者は原発にかなり批判的だった人だと言う。

こんな彼の言葉かある。

「ひたすら進歩のみを目指して完走する科学技術が、どんなに深い亀裂や、歪みを、社会にもたらし、差別を生み、人間や生命あるものを無残に傷つけて行くのか」。

彼の作品の中で語った言葉だという。

繰り返すようだが、アトムとは元素記号であり、原子を意味する。鉄腕アトムには、ウランちゃんだったり、コバルトくんなど元素記号のなまえを持った“人物”が登場する。お茶の水博士という科学者も。

鉄腕アトムは原子の核融合で動く地球に住むロボットでえある。だからと言って手塚治が原子力推進、原発推進論者だったわけではない。これも繰り返しだ。

むしろ、原子で動くロボットを未来予想図として登場させ、科学技術の進歩とともに人間が暴走することの警告を発していたのではなかったのだろうかとも思うのだ。

すでにして、今の、この世の中は「予測」されていたのだとも思う。

ニューヨークを襲ったハリケーン。あの大都会に、魔天楼に甚大な被害を及ぼした。地下を主とする浸水以外に、今も続く被害。それは「停電」。

摩天楼は電気が無ければ機能しない。50階、80階という高層マンションに、高層ビルにいた人達は、まさに“戦争”状態だ。水を求め、食糧を求め、日用品を求めて。身体の不自由な人たちは・・・。

どこか去年のあの時の光景と重なるものがある。そこでは助け合いも為されているという。

電気によって成り立っている都市。
米題は『ASTRO BOY(アストロ・ボーイ)』。でも、それが映画化されたものの公開されたかどうかは知らない。もし、ニューヨーカー達がアトムを知っていれば、超高層ビルの窓から助けを求めていたのかもしれないが。

マンハッタンの流通はマヒしているはず。スーパーの機能していない。冷凍食品は・・・。生鮮食品は・・・。
「電気の無い生活」。人類はそれ無しでは生きていけない。たかが電気じゃないのだ。必要不可欠な電気だからこそ、それを生み出すシステムを社会構造を、亀裂や差別を生まないように作りだしていかなければと。
アトムはどう思っているのだろう・・・

2012年11月2日金曜日

「電波塔」が「電波塔」にならないということ

急に寒くなってきました。寒い中での「寒い話し」を。
鳴り物入りで完成し、東京名物になった「東京スカイツリー」。それはもともとはテレビのデジタル化に合わせて、デジタル波が東京はもとより、関東一円に届くための、難視聴区域を無くすために、超高層のタワーにした電波塔だったはず。東京タワーに替っての。

スカイツリーの完成はビッグニュースになった。テレビは過剰なまでにその完成を連日伝え、「3・11の大地震にも耐え、そこでその時働いていた人達の「物語」を特番にして放送していた。

東京タワーだって、地震に耐えた。そこから送られる電波が地震や津波、原発事故を連日伝えていた・・・。

スカイツリー落成後、その中に入ったショッピングフロア、「ソラマチ」の様子が連日話題になり、駅名も変えた。地元の商店街や住民も湧いた。
展望台には多くの人が押し寄せた。今も連日賑わっているという。

それらはいわば「付属物」。電波を出さないと意味が無い。その筈。でも、それが伝えられない。なんとなく疑問に思っていたら、案の定。
もっとも、スカイツリーからのテレビの本放送開始は来年の1月の予定だったから、杞憂であればいのだが・・・。

新聞が伝えていた。
「スカイツリー発の電波受信に不安。TVが映らない世帯も。アンテナの向きなど原因」と。

試験電波は何回も出した。調べたら、映像がまったく映らない世帯があることがわかったという。
高層ビルの林立による電波障害を避けるために、東京タワーの1,9倍もある高さにした電波塔。関係者はいう。「全くの想定外」だったと。

聞き飽きた「想定外」がここにも登場した。想定外を想定しておくのが知恵と原発事故で教わったはずなのに。

NHKの会長は昨日の記者会見で言ったという。「影響を最小化してから“移転”するが、まだ時期は決められない。出来るだけ早く、来年の春ごろにはと思っている」と。

当初の計画、来年1月はずれる。なんか「近いうち解散」と似ている。

そのうちどうにかするのだろうが、電波が出せない電波塔。電波塔が電波塔で無く商業施設としてだけその威容を誇っているという現状。

原発周辺のオフサイトセンター。福島では、そのオフサイトセンターがオフサイトセンターにならなかった。機能しなかった。それがどれだけ多くの影響を与えたか。

政治にまで援用する気はないが、「それが、それとして機能してない」と言うことが、技術の粋を集めたはずの電波塔にもあてはまっってしまったということ。

粗さがしのようかもしれないけれど、すべてが「バベルの塔」に見えてきてしまうという“寒い”お話・・・。

2012年11月1日木曜日

“ビッグパレット”のこと


原発事故後、県内最大の避難所は郡山にあるビッグパレットというコンベンション施設だった。

あれから600日余り。きょう11月1日。当時半壊状態のようであったビッグパレトが修復工事終わり、完全に再開された。

秋の陽光を浴びて威容を誇っているかのように見える。空から見てください。その隣には“百軒長屋”のように仮設住宅が並んでいる。

復旧された施設にも、“復旧されない”住環境の人達にも、秋の柔らかな日差しは“公平”に降り注いでいる・・・。

去年の3月、4月、5月、6月、7月・・・。段ボールの仕切りだけで作られた、作った棲家。靴のまま人が歩きまわり、館内は常に埃に満ちていた。
そこに居るしか仕方がない。そこ以外に行き場が無い。無言のまま、一日寝ころんで暮らしていた人達の、口には出さない無念と恨みの声が今でも聞こえるようだ。

人間が日々を過ごす場所ではなかった。当初は食べ物にも不自由していた。

ふと思った時がある。犯罪を犯して留置所や刑務所に入れば、少なくとも三食には困らない。犯罪者で無い人が食べることに困っている。不条理だという言葉だけでは語れない。おそらく人間としての尊厳がことごとく奪われていくような光景。
唯一違うのは、“自由”が許されていたこと。あったこと。それも単に動き回るだけの。表に出るだけの。煙草を吸いに出るだけの。会話と通信の自由だけだったかも。

もう、あんな光景は見たくない。

「防災計画」が30キロ圏で言われている。避難所が見つかったとしよう。そこまで行きつけたとしよう。でも、そこにある光景は・・・。

ビッグパレットの中の管理事務所は、わずかの坪数の町役場であり、村役場であった。人がごったがえしていた。
廊下の壁にはいたるところに安否確認含め、お知らせ含め、所せましと張り紙が。入口の扉にはペットレスキューの案内が・・・。

館内にペットは入れない。車の中で寒い夜を過ごしていたペット。自転車置き場を使ってのペットの収容場所。ケージに入った、つながれたペット達は、人をみれば泣いて出してくれと言う。あるいは怒っている。具合の悪い子は寝たまま・・・。支援物資の食糧は置いてあったけど。

時々視察が来る。来ては疾風のように去っていく。東電の社長も謝りに来た。誰が何をしても、状況は変わらない。

そして、人は、その環境に馴らされていく。家畜人ヤプーを思い出す。それはストーリーとしての物で無く、暗喩として語られている“差別”・・・。

しばらくして自衛隊による風呂が出来た。皆喜んだ。でも狭いし、気兼ねもある。何人か知り合いになっていた。一人の人に声をかける。「郡山には温泉がいっぱいある。案内するから温泉行こうよ」と。「いや、自衛隊さんの風呂に入るよ」と答えが返ってくる。すでにして、その場は、慣れ親しんだような棲家、我が家になっていたのかもしれない。

写真を撮ろうと思ったこともある。でも、やめた。この光景は、この人達の事はボクの頭の中に、はっきりとした「記憶」として残すべきだと。ボクの頭の中に「記録」すべきだと思ったから。ボク個人としては・・・。

仮設が出来て皆移った。借り上げにも移った。役場も他に移動した。ビッグパレットの中庭広場にあった狭いプレハブだったものが。

仮設に移ってからも、知り合いの何人かが亡くなった。まだ人が戻れない、戻らない墓に安置されていると言う。「お盆と彼岸だけはお参りするけどさ」と家族は言う・・・。

断片的なビッグパレットの“思い出”。昨夜も学会のようなものがあったらしい。多くの人が全国から来ていたと言うが・・・。仮設に目が行ったのだろうか。

数日前、何を思ったか「古典」のことを書いた。徒然草を書いた。きょうは「古典の日」だという。何とかという日を作るのがどれだけ好きな国民だろう。
天声人語が書いていた。更科日記と源氏物語、そして徒然草を。
「ひとり燈のもとに文を広げて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなり」と引用して。

古典を引くなら、やはり「方丈記」であろう。「大地震(なゐ)ふること侍りき」の段であろうと。

あらためて考える。あそこに居た人達にとって、避難をさせられた人達にとっての「正義」とは。だれも「それ」を口にはしなかったが・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...