Once upon a time、何て訳せばいいのだろう。「昔」「かつて」・・・。
隣家の子が「七五三」で、お参りと写真撮影に出かけて行った。本当は去年のはずだったのだけれど、去年が三歳だったのだけど、あれから半年経って時点でも、七五三のお祝いをする気になれなかったと親は言う。一年遅れの七五三。さーちゃんは事の他嬉しそうだった。
ボクには七五三のお祝いをしてもらった記憶が無い。終戦直後。そんな“余裕”はどこにもなかったのだろうから。
その頃、まさに、once upon a time。ボクが覚えている言葉。
爆撃、焼夷弾、集団自決、特攻隊、特高警察、疎開、被爆、飢餓、孤児、闇市、闇屋、噂、朝鮮人、復興住宅、配給、傷痍軍人・・・。そして平和・・・。
あれから60年余り。一つ、二つの言葉を省いて、ちょっと置き換えて、「今」その言葉が通用しているということ。
それらの「言葉」は、なくなっていなくてはならなかったものだったにもかかわらず。
津波に根こそぎ持っていかれたところは焼け野原の光景だった。爆発して白煙を上げる原発の光景は、まさにB29の爆撃を受けて、燃え盛る建物の光景だった。そこでなんとか収拾にあたろうとする人達は、まさに特攻隊の様であった。
多くの人が避難した。疎開が行われた。疎開が今でも叫ばれている。飢えに苦しんでいる人がいた。飢えに苦しむ牛もいる。
親を亡くした孤児もいる。“他者”の仕業によって。
闇市とみまがうばかりの、闇成金ならぬ、被災地を餌にした成金だって出現している。
朝鮮人が攻めてくる。こんな流言飛語がどれだけ飛び交っていただろう。それに類するような「放射能が・・・」という流言飛語の類が未だに蔓延している。
あらぬ「噂」は後を絶たない。
避難所での食糧確保はまさに配給だった。それに近い現象は都会でも一時起きていた。
今も1Fで働く人は“特攻隊”なのか。仮設は復興住宅のような「長屋」なのか。そこからどうして抜け出せるのか。
沖縄の空には、オスプレイが飛ぶ。やがて本土の上にも飛ぶ。占領化にあるかの如く、米兵による“事件”が起きている。
あの頃も同じだった。お上は、どこかで「現実」から目をそむけている。
占領軍の駐留。ギブミーチョコレート。朝鮮特需が日本の経済を潤し、急成長の足がかりになった。米軍が駐留しているという苦悶の中で、沖縄の経済の一部は成り立っている・・・。
ふと浮かんだ言葉を取り上げてだけでも思う。「何も変わって無い」と。
歴史は繰り返す。“名言”は言う。語る。でも繰り返して欲しくない“歴史”もある。
戦後、多少大きくなってから耳にしたのはアメリカのジャズ。それにのめりこんでいた。今で思えば「昔」・・・。ある意味古き良き時代・・・。
これからそれを聴きに行く。郡山にあるアマチュアのフルバンド。ベニーグドマンヤグレンミラーを。友人の喜一くんが演奏しているバンド。
聴きながら、また、“戦後”に思いをはせるかもしれない・・・。