2012年11月29日木曜日

「エゴイスト」の群れ

エゴイスト。辞書をひくとこうある。「利己主義者、自我論者」と。利己主義をひく。「自己の利害だけを行為の基準とし、社会一般の利害を念頭におかない考え方」とある。反対語は「利他」。

中森明菜の曲に「EGOIST」と言うのがある。流行った。その一部。「誰も悲しきエゴイストで、ただ我がまま繰り返すから、わかりあえずにすれ違うだけ」。

要は、自分だけが当選すればいいとばかり、政党を渡り歩く前議員さんたち。その数のなんと多いことか。
国を思うのではなく、自分だけを思っているような人たちの群れ。

エゴイスト選挙とでも名付けようか。

この国に、エゴイズムという風潮が蔓延しているように思えてならない。そうでない人も大勢いるのだが。なぜかエゴイズムが目につく。

岩手県大槌町の震災瓦礫。その処理を新潟市が受け入れた。いざ試験処分となった時、反対運動が起きた。新潟市はとりあえず処分を断念。瓦礫を岩手に送り返した。

住民による反対運動。新潟でもそうだ。その、住民の実相がわからない。

新潟市には、郡山から自主避難している人達がかなりいる。県内の“仮設”にいる人たちよりも“厚遇”されている。
新潟は大地震を経験している。その時受けた支援に感謝するという気持ちもあるのだろうが、大方、福島県からの避難者に対して寛容だ。
その自主避難している人達の中には、亭主の知人も何人かいる。“母子家庭”として。最低、月一回は夫は新潟に向かう。

なぜ自主避難したか。言うまでも無い。放射線量の問題だ。それに恐怖を覚え、子供たちの健康を考えてだ。もし、被曝したら、子供が病気になる恐れがある。病気に対する恐れ。極言すれば、将来、ガンになって“死”が早まるという、その人達が持っている危惧。
瓦礫処分反対運動をやっている人達の中に、福島県からの自主避難者がいると聞いた。先頭に立って反対運動を展開しているとも。

「お世話になっている」新潟市の方針に異を唱える一部福島県民。異様に思える。
処分場で、きちんと焼却される「岩手県の瓦れき」。同じ被災地である福島県民がなんで異を言うのだ。

大槌町の瓦礫、それは、多くの人達の死を伴ったもの。
放射能の恐怖に取りつかれた人達に中にある「自分たちさえ良ければ」という、ある種のエゴイズム。

たまたまそこに住んでいる。そう、福島県県人も多種多様なのだということ。

県内でも、仮置き場の場所や、中間貯蔵施設の建設をめぐって、県民同士が、町民や村民同士の「反目」が目だってきた。「なんで、俺のところなんだ」と。

被災3県でも“分断”があるような。県内でも“分断”があるような。

人間誰しもが持っているであろうエゴイズム。

被災3県を語るに、大きな一括りでは語れないのだ。神は細部に宿るではないが、一つ一つの個々の事例を語り、それを積み上げて行く。アプローチの仕方を考え直さねばならない時期になってきたのかも。

瓦礫はまだある。それを処分しないと“復興”なるものにはつなげない。

「共助」という考えをイズムが阻む・・・。

政党は個々のエゴイズムの隠れ場所か・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...