今日の新聞各紙は「オバマ再選」一色。それについて書きたいこともあるが。
オバマもロムニーも10億ドルをその陣営は使ったという。広告にカネを投じたと言う。そんなこと含めて・・・。でもやめた。
週に一回の「歌壇」の話をちょっと。
「前向きに生きると人に言いつつも、前がわからぬと避難者の言う」
最近の朝日新聞の「歌壇」に載っていた一首。投稿者は東京都となっているが、多分、被災地から東京に避難していった人なんではないかと想像する。
短歌。もちろん亭主はそれに手を染めたことはないが、わずか36文字、「みそひともじ」。そこに言葉を選び、言葉をひねり出し、考えをまとめて句にする。
短歌の世界は、表現の手段として奥深い。訴求力がある。と思っている。
わずか36文字。ツイターの三分の一以下の字数。
短歌に触れ、それに興味を持ったのはたぶん小学生の時だった思う。百人一首がなぜか好きだった。たぶん、今でも全部覚えていると思う。「むすめふさほせ」。
3・11後、新聞の歌壇や俳壇は、新聞だけではない。タウン誌まで。歌が多く投稿されていた。3・11に関わる。
いつの間にかその数は少なくなっていたように思う。新聞の歌壇に時折目が行きようになったのは、もう何年前だろう。ある日、その「肩書」にホームレス歌人というのがあってからかもしれない。公田耕一と名乗る人。それはたぶん“偽名”、いや、ペンネームだと思うが。しかし、それはまさに本当のホームレスの人だったと思う。そうでなければ書けないものばかりだったから。
記憶に残っている一首。
(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ
去年の3月に詠まれたものではない。2008年に投稿された作品だ。柔らかい時計。それはあのサルバドール・ダリの有名な作品。時間は人々にとって不平等であることを表した作品。それがカッコの中に使われている。これはただものではないなと思った瞬間・・・。
作品をもう一つ。
パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる
これもあの日以降の句ではない。2009年の作品。
「人はパンのみにて生きるにあらず」。聖書、マタイの福音書にある名言。その言葉を引いているホームレス歌人。
彼の“世界”にずんずんと引き込まれて行った。たぶん、このことはずっと以前のブログにも書いたし、コラムにも書いたと記憶しているが。
毎週、どんな作品が載るのか。楽しみだった。読みながら考えさせられていた。
その公田さんは、ある日突然に消えた。選に漏れたのではない。投稿そのものが無くなったというのだ。残念でたまらなかった。
そして3・11後「ホームレス歌人のいた冬」という本に出会った。三山喬という著者。元新聞記者。本は3・11の直前に発刊されていた。そのころ言われていた「無縁社会」を表象する物として。
著者は公田探しに、突然消えた歌人に会いたくて、あちこちに、その歌にあった地名を頼りに奔走する。結果、出会うことはできなかったが、その取材の過程で、菅直人の側近であり、議員であり、結果、菅に“見捨てられた”ホームレスと出会ってしまう。菅直人の本性を垣間見たがそれはどうでもいい。たぶん、そのことも以前書いたから。
公田作品が、3・11後の「今」にいかにそっくりだったことか。まさにその時のことだったのではないかと、余震の中で読んでいた記憶。
今でも気なる。公田耕一が歌人としていれば、今、どんな歌を書いたのかと。
3・11後、歌壇や俳壇に次々と登場していた作品の数々。流言飛語やいぎたない言葉が飛び交う中で、その歌の数々に、それは被災者その人だけではなく、全国から歌に託して寄せられた「思い」の数々に、どれだけ癒されたことか。
今、被災地でも、仮設でも、短歌を詠む人達が増えているという。作品集も出来ているとも聞く。「言葉の力」があるからか。
冒頭の句と並んで掲載されていた句をもう一つ。
水音がスキデスココガイイノデスちいさき声で溝蕎麦の花
福島市の人の作品。花にたとえて、福島に住むことの清々しさを詠う・・・。気迫さえ感じる・・・。
あまた溢れるニュースの中で、それを論じるのではなく、短歌の世界に身を寄せる・・・。我が胸中は如何なりやと。