2012年11月19日月曜日

「不自由」で「不可解」な言葉たち。その1。

「災後に“言葉”を探す」。去年、塾で取り上げたテーマの一つだった。

「災後」、この言葉だって、表現だって、ボクが「3・11」後に勝手に作った言葉だ。それは「戦後」と対比し、同様なものとして考えたかったから。
そのことは去年、ずいぶん書いた。

今朝、ツィッターにあった「言葉」、いや「つぶやき」を、ついリツイートした。
会津に住んでいる人だと思う。時々拝見する。時々と言うのはボクがほとんどツィッターに“参加”しないから。一日一回、このブログをお知らせするだけの時が多い。あとは、時たまの「反応」だけ。

今朝読んだつぶやき。Yumi8139という方。
「1年8カ月が経った今、福島県民も色々。県外に避難した人、故郷を離れ、仮設住宅で暮らしている人、あたしみたいに、震災前と変わらない生活をしている人。けどみんないつだって、「放射能」の恐怖を忘れずにいるし、福島の復興を願っている」。

平易な言葉で淡々と綴られた数十文字。それは、今の「福島」を素直に言い表していると思ったから。

驚いた。何人もの人が、知ってる人もあれば、知らない県内の人、東北の人、それも、多分東京在住の方だと思う人まで、リツイートしてくれていた。
それらは多分「同感」のリツイートだと思う。

誰を攻撃するのでもない、誰に反論するのではない。でも核心をついている。

「福島」を「フクシマ」とカタカナ表記にすれば、カタカナで呼ぶのは侮辱であり、誹謗だと言う人もいる。これについては、後日、あらためて、去年と同様に書いてみるつもりだが・・・。

言葉が不自由になった。いろんな意味で。「3・11」前には、普通に使っていた言葉が、災後には使えなくなった。それはボク自身のことだけど。これもまた、あらためてのテーマだ。
今、最も不可解な言葉。既成政党と第三極。選挙があるゆえの「業界用語」。

3.11のずっと前からもそうだったが、言葉が簡略化されている。TPPという言葉をもっても然り。何でも略される言葉達。不自由で不可解な言葉達。

既成政党ってなんでも一括り、三極と呼んで一括り。「福島」と呼んで一括り。
だから、冒頭の「いろんな福島」というツイートに賛意を表したかったのだ。

じゃ、こっちも一括りで言わせてもらおう。石原新党なるもの。都知事と大阪市長の“野合”。言ってみれば都市政党だ。大都市政党だ。老人は原発推進を高らかにうたい、若造は脱原発の姿勢を見事に“撤回”した。

福島県からもみんなの党を離れて、みんなの党のおかげで当選した奴が維新に入った。「維新」は原発に言及しない。官僚叩きにだけ意を注ぐ。それは、この国を語る上で、当然のことではあるが、今、福島県民がそれだけを望んでいるのか。

石原も橋下も、なにかというと「地方」を語る。彼らの言う地方に、東北地方、福島県はどれだけの位置をしめているのか。やはり些細なことなのだろう。

福島県民が、その曖昧な定義によって生まれた「第三極」なるものに、どれだけ関心を寄せ、共感するのか。

だから思う。今度の選挙と福島とは全く相入れないものだという位置づけ。

反原発と言う人達も、イコール福島では決して無い。

まさに、いろんな意味で「福島」は選挙の空白区なのかもしれないと。

おそらく多くの福島県人にとって、選挙でも最大の関心事は「汚染された土地」「失われた故郷」、そして農業県であるが故にのTPP,関税撤廃につながる環太平洋パートナーシップだけなのでは。これって、狭隘な考えだろうか・・・。

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