一冊の本のお話です。
そもそも法とは万人に対して平等でり、公平、公正である。しかるに、その基本理念は放棄され、あまねく不平等、不公正を生みだしている。吾、それを遺憾とするところなり。
法学を体系化させたるモンテスキューが唱えし、三権分流なる法の精神も、今や形骸化の一途をたどり、三権が介入し合い,その精神は失われるにあり。
それ、まさに法の壁を善となし、人民を苦しめることが、法の執行者と考え、錯覚しおる、まさに曲学阿世の徒というべきなり。それをいたずらに輩出せりは、国家の存亡を危うくすることにも成りかねぬものなり。
およそ法の仕事に携われるものは、その身を律し、多言を弄することなく、人間が人間たる所以の倫理観、正義感、道徳観を以って、それに当たるべきにもかかわらず、己の本分をわきまえず、その地位、名声なるが故を以って、諸行に勤しまんとす。これ、法の本義にもとるものなり。
序説でこう述べたこの「概論」は、逐条、現代における法の、法に携わる者の問題点を指摘している。
いかなる法律とて、自然災害に立ち向かう術をもたない。法が目指す者は、多くの被災者、弱者に対して、法の「大義」に基づいた、その執行を心がけるべきである。そこにある法の壁を如何に打破すべきかに意を用いるべきである。
闇雲に訴訟権を乱用し、実態をわきまえない告訴を排すべきである。私的、恣意的文章をもって、人間の存立の根幹である「宣言」を発することは、地に乱を生じる恐れありである。
官によって任じられた、裁判官や検察官は、罪ある者を作りあげることでなく、現実を真摯に受け止め、その本義に立ちかえらねばならない。
民の立場に立つ弁護士は、いたずらに権力を欲して、他の二権の長たるを目指すべきは本義にあらず。民として官に対峙すべきである。
黒を白と言いくるめ、白もって黒とすべきは、その職の本意ではない。司法の場、裁判の場で培った、力量を法定外に適用し、己が権力欲を満たすべきではない。
法廷技術に長けたものは、裁判官のよき心証を得んがため、得てして口舌の徒になりがちである。
選挙に於いての裁判官は、すなわち、有権者たる国民である。その裁判官たる国民に対して、右顧左眄たる言辞を披歴し、以って「自利」をもくろむは、論外である。等々・・・。
この本、著者不明、出版もされていません。でも「警世の書」として。好事家には読まれているようですよ。御参考までに。