2012年11月27日火曜日

「希望」・・・

あの日から、あの日から数日経ってからか。ボクの周りには「頑張ろう」という言葉が溢れていた。頑張ろうニッポン。頑張ろう東北。頑張ろう福島・・。
その言葉の渦に圧迫感すら覚えていた。
「頑張ろうって、何をがんばればいいんだい。もう十分頑張ってきたよ」。避難所の人の一言に救われたような思いがあった。

宮城県利府町で行われていたフィギアスケート大会。フィナーレの場面、リンクにデジタル技術が生み出した”モニュメント“。「希望」という字が描き出されていた。

「希望」か・・・。

「希望」という字を冠した本を、3・11後2冊読んだ。なぜそれを手にしたか。きっと知らず知らずのうちに、“希望”を探していたからかもしれない。

「希望の地図」。重松清。好きな作家だ。ずいぶん前に読んだ、「哀愁的東京」には泣かされた。自分のどこかに郷愁的なものがあったせいか・・・。

自閉症で、不登校の友人の子供を伴って被災地の取材に向かう主人公。津波に流された跡であり、放射能が降った村、飯舘であったり。

主人公の口を借りて作家は語る。
 
「俺たちの取材は『希望の地図』という題名で連載しているわけだけど、それは『絶望の地図』と表裏一体なんだよな。前に向かって進む『希望』の隣には、打ちひしがれた『絶望』もあるんだ。それを絶対に忘れちゃいけないんだよ。
「希望というのは、未来があるから使える言葉なんだよ」と。

もう一冊。映画を作った、園 子温の本「希望の国」。

希望について彼はこう書いている。

「この希望とは、目に見える物体としての希望じゃない。どこもかしこも、目に見えるものは絶望ばかりー具体的な希望なんかどこを探しても見つかりはしない。でも、こころにだけは光が作れる。外が真っ暗でもーこの飯舘の夜みたいに闇ばかりでもー心は暗くない。大丈夫だ、大丈夫だ。「愛があれば大丈夫」と真っ暗な夜の真ん中で呟いた」。

これを引き出したきっかけ。それは「さみし犬」。ロケかロケハンかはわからないけど、南相馬で、飼い主に置いていかれてさまよう犬に出会う。さみしそうな目をしていた犬。飯舘に行った時、再びその犬に会う。「さみし犬」と勝手に名付けた犬に。飼い主のあとを追ってか、飯舘まで来ていた犬。その犬に会いたくて、再訪する。そこに居たのは「奥さん」を連れた「さみし犬」。

そこから「希望」と「愛」という言葉が生まれたらしい。

映画は見ていないが、本から読み取れる映画の光景。痴呆症の妻を抱えて避難命令を拒否する主人公。農家、酪農家。庭に引かれた規制線。

痴呆の妻の口癖は「帰りましょう」。

牛に殺処分命令が出される。彼が家から持ち出した猟銃の音が牛舎に響く。自分の手で牛を・・・。そして、丹精込めていたハナミズキの花畑の中で、妻を抱き締める。やがて聞こえる銃声・・・。

老夫婦が選んだ「愛」。逃避行を続ける、その息子夫婦の「愛」。隣の家にいた恋人同士の「愛」。

希望の見えない希望の国。

警戒区域の中に、希望の牧場というところがある。牛を殺処分から守り、その命を守っている牧場。

そこに行ったことはないが。行政や警察から相当の圧力を受けているらしい。
メディアは取り上げない、その希望の牧場の話を。

希望とは何か。正義とは何かと同じくらい難しい。その「解」は。その人それぞれで違うであろう「希望」。持っている人も、持てない人も。

定義の無い、「希望」、そして「正義」。絶望の対極にある希望。
ボクにとっての「希望の国」とは何か。ボクは「希望の地図」も描けない。

何があっても、何が起きても、ゲンキを「さみし犬」にはしない。ゲンキが元気で長生きしてくれるのが、きょう思った“贅沢”な希望かも。

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