2012年11月24日土曜日

消えた言葉「差別化」。~言葉について、その5~

ここ何年間か、いつからかは全く記憶に無いが、「差別化」という言葉が生まれ、連日「差別化」という言葉が跋扈し、しかも、それは「正しい言葉、正しさを意味する」ように使われていた。

「他社との差別化を図れ」。企業はそれを合言葉にし、それを大合唱していた。
「他局との差別化」。改編時のテレビ局の合言葉。
あらゆる集まりでも、ミーティングでも、それを使うことが先端を行っていることであり、よきこととして、差別化を用いていた。

その場に行きあうと、激しく注意し、それを平然として使うマスコミに激しく抗議したこともある。言葉を扱う職種にもかかわらず、その意味をわきまえ、理解して使っているのかと。

差別化とは「差別」に「化」をつけたものにすぎない。

子供の頃、学校では「ひいき」という言葉が横行していた。家庭でも「えこひいき」という言葉が使われていた。それは明らかに「差別」の範疇。

自分が、差別される側にいたという自覚は無いが、差別という言葉が大嫌いだった。

村八分にはじまり、人種差別があり、被差別部落があり、学力による差別があり、ハンセン氏病患者にたいする社会的差別があり、水俣病患者にもあおれがあり、政治的、社会的差別としての沖縄があった。沖縄差別はもしかしたら別次元の差別かもしれない。そこに直接刃は向けられていなかったから。いわば「無視」「転嫁」という差別だったのかもしれない。

差別と区別はどう違うのか。そのことすら、誰も問題にせず、それを問題視すべき人までもが好んで「差別化」を言っていた。

「差別化」とは「競争」の言い替えであり、「優位に立つ」ということを表象して使われていたのかもしれないが・・・。

ボク自身の感覚で言えば、「3.・11」後、潮を引くように「差別化」という言葉が消えたように思う。“言葉”としては歓迎だ。しかし、その言葉が消えると同時に、実態としての「差別」が生まれた。言うまでも無く「福島」に対しての。それは口だけでなく行動も伴った、およそ理解し難い差別。
被差別者としての福島県人が生まれた。

被差別者を作ることで、差別者は、どこかで優位に立ったような錯覚に陥り、ある種の“快感”すら覚える。そこに安易な同情が加わるともっと始末が悪い。

依然として、その社会的、政治的差別の渦中に置かれたままの沖縄。本土の人間は、多くが“同情”する。しかし、それまでの話だ。そこは娯楽としての“観光”の対象にしか過ぎないような。

差別と言う言葉を挟んで、沖縄と福島にある、その相似性と相反性。

テレビでは、解散翌日に危惧した通り、連日のように各党が出演、いや、局の方が出演させ、見ている側には疲労感や徒労感しか与えない“論戦”とやらが繰り返されている。もう、すでに「飽きた」とう人の声も多数聞く。

政策なる物を語り合う。不思議なことに、かつてはそれを好んで使っていた政治家が「差別化」という言葉を使わないようになった。なぜだろう・・・。

そして、政治家の言葉はますます貧困になり、劣化しているように思えてならない。

辞書は、時折「改定版」を出す。新語なるものも所蔵する。「差別化」なる言葉が、ある時代に徒花(あだばな)のように流行り、それを使う事が先端を行っていると誤解していた、言葉の歴史的過ちとして残されるのかどうか・・・。

「3・11後」、変わるべきものとして「言葉」があった、それは、語るべき言葉を持たないという意味も含めて、一つの変化だったのだろうか。事実を突き付けられた時、「化」は失われたということを。

“チェルノブイリ”異聞

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