特定秘密保護法が成立した。
大方のマスコミはその“暴挙”を言い募る。もちろん言い続けるべきだ。その法に対しての反旗をひるがえし、反対しつづけることを。
委員会の速記録、「聴取不能」。それをもってして採決の不当性を言う。普通の世界であるなら当然そうだ。しかし、国会は違う。何度も言うが国会は多数の力でなんでも出来てしまうところなのだ。
見せかけの議会制民主主義の“酔って”いたってはじまらない。マスコミ人の多くも、ある意味では「傍観者」だったのだ。
担当記者がそのおかしさ、あやしさ、疑問を書いても、同じマスコミ人としては、その場に“応援”に行かない限り「傍観者」を決め込んでいたのだ。
多数がなんでもできる国会。それはまったくよしとしない。しかし、そういうところであり、市井の民の声とは全く乖離したところで、事が運ばれるというのは、国会の中では当たり前のことだということを、多少知っているボクは、何も知らないキミたちのために、道を譲る。
現場に行ってこそ知り得たことの数々があることも。
連日、連夜。国会周辺に集まり声をあげていた一個人の方々。敬意を表する。運動のための運動、特定のイデオロギーに支配されたのではない一個人、一個人に。
あなた方は法案成立によって、その戦いが負けたのではない。いや、むしろ勝ったのだ。
扱いの大小はあっても、あなた方の声がマスコミを動かしたともいえる。
法案成立によって安倍は勝ったと思っているのだろうか。信念を貫き通したことに快哉を叫んでいるのだろうか。
安倍自民党、公明党というヌエにような政党は、実は大きなものを失ったのだ。
支持率は確実に低下するだろう。もう、こんな国会運営は出来なかろう。とてもじゃないが「改憲」なぞ持ちだせるわけもない。
失ったことの大きさに安倍は気付いていない。
与党の中でさえ疑義を持っている人たちもいた。反対に回ったものもいた。党議拘束という名のもとに“沈黙”を貫いた人達もいた。
国会が終わる。議員たちは選挙区に帰る。どういう反応を選挙民から示されるのだろうか。もちろん、大歓迎という人たちだっている。それを、心地よい声だけを選挙民の声だと思うなよ。
舐めてかかってはいけないのだ。
2013年12月6日。この日に何があったのか。この日何をしていたのか。
国会前に行っていた人は、そのことを決して忘れてはならない。
自民党の幹部がこう言っていた。自分の経験に基づいて。
「なぜ採決を急ぐのか。選挙は3年後だ。それまでに国民は、このことを忘れるからだ」と。
決して忘れない。一生かけてもそのことは記憶にとどめる。その覚悟をなくさないで欲しい。忘れないことが「始まり」につながるのだから。
法案は1年以内には施行される。
声を上げ続けるべきだ。傍観者だった人達も、今、そのことに気づいたら傍観者であることをやめるべきだ。
たとえ、秘密に迫ろうとして“逮捕”されたとしても、マスコミ人は書くことに躊躇すべきじゃない。委縮なんて言葉を誰が持ってきたのか。
委縮するのは権力の側であり、我々では無い。
国会に目を奪われている間に、東電は重大な発表をしている。1Fの主排気塔の下部でこれまでに最高値の毎時25シーベルトの放射性物質を、周辺の測定値からの推計として発表している。案の定、メディアの扱いは小さい。この数値は20分も浴びれば死に至る数値。それへの対策はお手上げ。ベントによって残った放射性物質が、配管に付着しているとの見解。どうするのか。どうしよも無い。お手上げ。
原発事故は福島県の中に閉じ込められ、「忘れられよう」としている。
被災地でも「忘れられている実感」の声を多く聞く。
そして「忘れたい」「もう放っておいて欲しい」という声さえも聞こえるようになった。2年9カ月と言う月日の経過で。
3年後の選挙まで「忘れない」という意識と覚悟を持ち続けられるのか。持たねばならない。それが、あの国会前に行った者たちの責務だ。いっときの”運動“はなんの意味も持たないのだ。
どさくさついでというか。経産省は「エネルギー基本計画」の原案をまとめ、原子力発電を「重要なベース電源」と打ちあげた。
安倍の思い通りに事は運んでいる。安倍に意見、異見をいう自民党の議員はいない。
忘れないためにはどうするか。語り続けること。そこであったことを言い続けること。そして多くが傍観者であることをやめること。
そう、もう、あなた方は多くの事を知ったのだから・・・。
2013年12月7日土曜日
2013年12月6日金曜日
「院」の内、外。
院の内(うち)外(そと)。院とは、そう衆議院、参議院。国会の事だ。
内、外とも怒号が飛び交い、騒音に囲まれ、騒然とした雰囲気であり・・・。
国会の中では、院内では、およそ、すべての秩序を無視したような、国権の最高機関である場所が、その品位の欠片すら無い様な行いが続いている。あらゆる“暴挙”が繰り返されている。
強行採決。その現場は何回も見てきた。何回も経験している。速記録に聴取不能と書かれていても、それは採決の有効性にはなんら影響を与えるものではない。
与党の絶対多数の中にあっては、前にも書いた通り、たとえ「物理的抵抗、牛歩戦術」などをやっても、参院はすでに押ボタン投票になっているし、国会は何でも出来る。男を女に変える以外は。
二日間延長が強行議決され、あらゆる国会対策、戦術。不信任案、解任決議案、問責決議案をことごとく否決するのは難しいことではない。
唯一、伊吹衆院議長が“良識”をもってして、延長のための本会議開会のベルを押さない限りは。
これまでも有ったことだ。国会は「無法地帯」と化している。
多くの国民が、汚染水問題をはじめ、その目が原発に注がれているなか、この法案は着々と準備されていた。
参院選で「ねじれ」が解消された時から、この日は予想されてしかるべきだった。
5か月前、この法案が動き始めた時に、もっとメディアはマスコミは気付くべきだった。
その役割をすでに“放棄”していたとはいえ、この法案の“危険性”をもっとわかりやすく伝えるべきだった。
議会制民主主義は死んだ。そう言ったとて、多くの国民は無関心であり、それを「知らない」ということ。その責めはマスコミにある。
安倍の祖父、岸信介。安保改定が「信念」だった。十重二十重に国会をデモ隊が囲み、死者を出しても、その信念は貫かれた。
同じ想いを安倍も持っているという。デモ隊が太鼓を鳴らし、反対を叫ぶ中、公邸で側近と食事をしながら、信念を貫く決意を語っていたという。
きょうも、多くの人たちが「国会」に駆け付けているだろう。延長されれば、明日、明後日は仕事は休み。多くの人が反対を訴えにいくだろう。
院内は“無法地帯”にある。院外、デモ隊は、大方、整然としている。警察官と小競り合いも起こしていないようだ。
安保の時は違っていた。殴られ、叩かれ、水を掛けられ・・・。
公務執行妨害による逮捕者も出ていない。
大音声の鳴り物は異様だ。歩道を占拠している状況は通行人に迷惑かもしれない。しかし、あそこを通る人のほとんどは国会関係者だ。
そして、デモの参加者に高齢者のなんと多いことか。高校生も含めた若者がなんと多いことか。
なんら思想的背景も持たず、一個人として、国会前で、岸と“対峙”していたあの時のボクの姿がよみがえる。
とにかく、不法、無法行為は絶対犯さない抗議行動であって欲しい。
国会の中では、国会議員による“議会制民主主義”への「テロ」が公然と行われている。彼らに、「テロ」呼ばわりをされ、法案の前触れみたいになるような口実を与えないためにも、「声を上げる」場であって欲しい。
そして・・・。法案は通る。案が無くなり法になる。しかし、それをもってして、デモに参加した人は敗北感を覚える必要は一切ない。むしろその場にいたことに誇りを持っていい。
国会議員の”暴論、暴挙“をあぶり出したことで、あなた方はすでにして勝っているのだ。
内、外とも怒号が飛び交い、騒音に囲まれ、騒然とした雰囲気であり・・・。
国会の中では、院内では、およそ、すべての秩序を無視したような、国権の最高機関である場所が、その品位の欠片すら無い様な行いが続いている。あらゆる“暴挙”が繰り返されている。
強行採決。その現場は何回も見てきた。何回も経験している。速記録に聴取不能と書かれていても、それは採決の有効性にはなんら影響を与えるものではない。
与党の絶対多数の中にあっては、前にも書いた通り、たとえ「物理的抵抗、牛歩戦術」などをやっても、参院はすでに押ボタン投票になっているし、国会は何でも出来る。男を女に変える以外は。
二日間延長が強行議決され、あらゆる国会対策、戦術。不信任案、解任決議案、問責決議案をことごとく否決するのは難しいことではない。
唯一、伊吹衆院議長が“良識”をもってして、延長のための本会議開会のベルを押さない限りは。
これまでも有ったことだ。国会は「無法地帯」と化している。
多くの国民が、汚染水問題をはじめ、その目が原発に注がれているなか、この法案は着々と準備されていた。
参院選で「ねじれ」が解消された時から、この日は予想されてしかるべきだった。
5か月前、この法案が動き始めた時に、もっとメディアはマスコミは気付くべきだった。
その役割をすでに“放棄”していたとはいえ、この法案の“危険性”をもっとわかりやすく伝えるべきだった。
議会制民主主義は死んだ。そう言ったとて、多くの国民は無関心であり、それを「知らない」ということ。その責めはマスコミにある。
安倍の祖父、岸信介。安保改定が「信念」だった。十重二十重に国会をデモ隊が囲み、死者を出しても、その信念は貫かれた。
同じ想いを安倍も持っているという。デモ隊が太鼓を鳴らし、反対を叫ぶ中、公邸で側近と食事をしながら、信念を貫く決意を語っていたという。
きょうも、多くの人たちが「国会」に駆け付けているだろう。延長されれば、明日、明後日は仕事は休み。多くの人が反対を訴えにいくだろう。
院内は“無法地帯”にある。院外、デモ隊は、大方、整然としている。警察官と小競り合いも起こしていないようだ。
安保の時は違っていた。殴られ、叩かれ、水を掛けられ・・・。
公務執行妨害による逮捕者も出ていない。
大音声の鳴り物は異様だ。歩道を占拠している状況は通行人に迷惑かもしれない。しかし、あそこを通る人のほとんどは国会関係者だ。
そして、デモの参加者に高齢者のなんと多いことか。高校生も含めた若者がなんと多いことか。
なんら思想的背景も持たず、一個人として、国会前で、岸と“対峙”していたあの時のボクの姿がよみがえる。
とにかく、不法、無法行為は絶対犯さない抗議行動であって欲しい。
国会の中では、国会議員による“議会制民主主義”への「テロ」が公然と行われている。彼らに、「テロ」呼ばわりをされ、法案の前触れみたいになるような口実を与えないためにも、「声を上げる」場であって欲しい。
そして・・・。法案は通る。案が無くなり法になる。しかし、それをもってして、デモに参加した人は敗北感を覚える必要は一切ない。むしろその場にいたことに誇りを持っていい。
国会議員の”暴論、暴挙“をあぶり出したことで、あなた方はすでにして勝っているのだ。
2013年12月5日木曜日
「喪中葉書」の舞い込む季節
またこの季節がやってきた。嫌な季節。毎日のように届く喪中葉書。
一枚は大学時代の同級生だった。
慌てて仲の良かった同級生に消息を聞く。癌だったとか。ストレスなるものが癌を早めていたとか。90歳を越える病床の両親、痴呆を患ってしまった奥さん。その介護、看病で疲れきっていたという。
一枚は東京の我が家に下宿していて、結婚もとっくにし、子供も大きくなったであろう新潟に住む子。そうだ、子と言っても大学生二人の母親。彼女の姉も我が家に下宿していた。
新潟県加茂市の開業医の娘さん。彼女のお母さんからはいろいろなことを教わった。
ご主人が亡くなった1年後の命日の日、一周忌の日にそれを知らせてくれた。1年前に連絡すれば弔問に駆け付けて来ることになるだろう。それでは迷惑をかける。1年待った・・・。
そして、「3・11」。新潟地震を経験しているそのお母さんは、物流が復活すると同時に、多くの“支援”を送ってくれた。
「人との付き合い方はかくあるべし」。それを何かにつけて学ばせて貰っていたように思う。気遣いのあるべき姿も。
次女の訃報を知り、電話で話した。84歳。多少からだに“不具合”はあるものの、いたってお元気だった。
届いた喪中葉書。30枚くらいか。多くが親御さんのこと。兄弟のこと。
葉書一枚一枚を「つつしみて」読む・・・。
そして今年、多くの「文化人」が亡くなった。「知識人」がなくなった。これでもかといった具合に。戦争を知っている世代が。
それを書き、語れる人がいなくなるという現実。無力感すら伴う。
書きながら思いつくままにでも、作家の山崎豊子。彼女なりの視点で戦後をえぐった。小説という手法で。
漫画家のやなせたかし。漫画という手法を使い、限りなく”平和“の必要性を訴えていた。自分の顔をちぎって飢えた子どもたちに食糧として分け与えるアンパンマン。
広告評論家、コラムニストの天野祐吉。普通の人の感覚で、世相をえぐり、政治を批判し、経済成長に名を借りた原発をこよなく嫌った。
作詞家の岩谷時子。彼女の作詞は、戦後の世相を歌に託して、その時代を見事に表現していた。
辻井喬、本名堤清二。西武グループの総帥、衆議院議長も務めた康次郎の子でありながら、限りなく反権力であり、書かれた小説や詩に酔った・・・。
文化人ではないが、東京電力福島第一発電所の所長だった吉田昌男。語って欲し事がもっとあった。彼が健在であれば「廃炉」作業にも影響はあっただろうし、国との問題も、もっと市民目線であったかもしれないとも思う。
そしてもう一人。橋本 武という学校の先生。
戦後、黒塗りされた教科書に嫌気がさし、中勘助の小説「銀の匙」を3年間かけて読み、読ませるという“掘り下げること”の大事さを実践した先生。
彼らは、彼女たちは、今の、いや昨日今日の「国会」、秘密保護法で揺れるこの国の姿を見ていたらどう思っただろうか。
何を語ったのだろうか。痛恨の極みと言っていいのかどうか。知らないでいてくれてよかったような気もするし、“予感”していたかもしれないが。
戦争をかろうじてでも知る世代。まだ活躍中の人も多い。
樺太の悲劇を“終わらざる夏”という小説に書いた浅田次郎。映画監督の山田太一、そしてなんと言っても、アニメ映画「風立ちぬ」の監督宮崎駿。
彼らを行動に駆り立てているものは何か。
特定秘密保護法案は、明日には成立する。それがどんな手段を取られるにしても。どんなに反対の意見が国会議事堂を取り巻いても。
少なくとも5割の日本人は、「喪中葉書」を書かねばならない。日本の民主主義は死んだと。議会制民主主義は幻想にしか過ぎなかったと。
政治は死んだと。
民の声は消し去られたと。
そう、そして、その喪中葉書は、国会議員に対して送らねばならない。安倍官邸に対して送らねばならない。
そして、その「死」を忘れることなく、一周忌のお知らせ、三回忌のお知らせとして、未来に対する遺言として送り続けなければならないのかも。
「終わり」を「始まり」とするためにも。
一枚は大学時代の同級生だった。
慌てて仲の良かった同級生に消息を聞く。癌だったとか。ストレスなるものが癌を早めていたとか。90歳を越える病床の両親、痴呆を患ってしまった奥さん。その介護、看病で疲れきっていたという。
一枚は東京の我が家に下宿していて、結婚もとっくにし、子供も大きくなったであろう新潟に住む子。そうだ、子と言っても大学生二人の母親。彼女の姉も我が家に下宿していた。
新潟県加茂市の開業医の娘さん。彼女のお母さんからはいろいろなことを教わった。
ご主人が亡くなった1年後の命日の日、一周忌の日にそれを知らせてくれた。1年前に連絡すれば弔問に駆け付けて来ることになるだろう。それでは迷惑をかける。1年待った・・・。
そして、「3・11」。新潟地震を経験しているそのお母さんは、物流が復活すると同時に、多くの“支援”を送ってくれた。
「人との付き合い方はかくあるべし」。それを何かにつけて学ばせて貰っていたように思う。気遣いのあるべき姿も。
次女の訃報を知り、電話で話した。84歳。多少からだに“不具合”はあるものの、いたってお元気だった。
届いた喪中葉書。30枚くらいか。多くが親御さんのこと。兄弟のこと。
葉書一枚一枚を「つつしみて」読む・・・。
そして今年、多くの「文化人」が亡くなった。「知識人」がなくなった。これでもかといった具合に。戦争を知っている世代が。
それを書き、語れる人がいなくなるという現実。無力感すら伴う。
書きながら思いつくままにでも、作家の山崎豊子。彼女なりの視点で戦後をえぐった。小説という手法で。
漫画家のやなせたかし。漫画という手法を使い、限りなく”平和“の必要性を訴えていた。自分の顔をちぎって飢えた子どもたちに食糧として分け与えるアンパンマン。
広告評論家、コラムニストの天野祐吉。普通の人の感覚で、世相をえぐり、政治を批判し、経済成長に名を借りた原発をこよなく嫌った。
作詞家の岩谷時子。彼女の作詞は、戦後の世相を歌に託して、その時代を見事に表現していた。
辻井喬、本名堤清二。西武グループの総帥、衆議院議長も務めた康次郎の子でありながら、限りなく反権力であり、書かれた小説や詩に酔った・・・。
文化人ではないが、東京電力福島第一発電所の所長だった吉田昌男。語って欲し事がもっとあった。彼が健在であれば「廃炉」作業にも影響はあっただろうし、国との問題も、もっと市民目線であったかもしれないとも思う。
そしてもう一人。橋本 武という学校の先生。
戦後、黒塗りされた教科書に嫌気がさし、中勘助の小説「銀の匙」を3年間かけて読み、読ませるという“掘り下げること”の大事さを実践した先生。
彼らは、彼女たちは、今の、いや昨日今日の「国会」、秘密保護法で揺れるこの国の姿を見ていたらどう思っただろうか。
何を語ったのだろうか。痛恨の極みと言っていいのかどうか。知らないでいてくれてよかったような気もするし、“予感”していたかもしれないが。
戦争をかろうじてでも知る世代。まだ活躍中の人も多い。
樺太の悲劇を“終わらざる夏”という小説に書いた浅田次郎。映画監督の山田太一、そしてなんと言っても、アニメ映画「風立ちぬ」の監督宮崎駿。
彼らを行動に駆り立てているものは何か。
特定秘密保護法案は、明日には成立する。それがどんな手段を取られるにしても。どんなに反対の意見が国会議事堂を取り巻いても。
少なくとも5割の日本人は、「喪中葉書」を書かねばならない。日本の民主主義は死んだと。議会制民主主義は幻想にしか過ぎなかったと。
政治は死んだと。
民の声は消し去られたと。
そう、そして、その喪中葉書は、国会議員に対して送らねばならない。安倍官邸に対して送らねばならない。
そして、その「死」を忘れることなく、一周忌のお知らせ、三回忌のお知らせとして、未来に対する遺言として送り続けなければならないのかも。
「終わり」を「始まり」とするためにも。
2013年12月4日水曜日
1、000日、それは一つの分水嶺
死者、1万5,883人。行方不明者2、651人。仮設住宅、借り上げ住宅での避難生活者、27万7、609人。
福島県の避難者およそ14万人。
東日本大震災・原発事故から1,000日が経ったきょうの「事実」としてある数字。
1、000日という月日の経過が何をもたらしたのか。何を変えたのか。何を無くしたのか。何を生み出したのか・・・。
苦しみや悲しみから、一歩でも這い出ようと努力している人達もいる。諦めに支配されてしまっている人達もいる。
原発。4号機の燃料棒取り出し作業が始まった。きょうも“順調”に推移しているのか。
手つかずの1~3号機。ロボットで状況把握。明らかに汚染水漏れの箇所が見つかる。しkし、それに打つ手は無い。汚染水は毎日漏れて、排出されているはず。
終わりなき戦い。
帰還困難区域、立入り禁止区域。そこは荒れ果てるだけ。家はネズミに食い荒らされ、けもの道のような、人のしらないような道を通って泥棒が跋扈している。
数か所に設けられた一時立ち入り許可の“検問所”。まもなく冬季を持って閉鎖されるという。ネズミ駆除剤を配布する。一日10軒前後の“帰宅者”へ。
これでは効かないんだよねと言いながらそれを受けとる住民。
帰還希望者の数は減少している。まだ仮設には8割の人が住んでいる。冬がプレハブにも到来する。
ボランティアの数も激減した。ボランティアの内容も変わった。なんでもお手伝いから、ケアや専門的知識を持った人たちへの支援要望。
自治体からの応援職員も減った。無理からぬことだが。
だから、被災地は、自ら立ち上がることを模索している。
風化、忘れられている。そんな感情を持つ人も多い。人のこころの移り変わりも「当然」と受けとめ、毎日、何かの努力をしている。
震災遺構のことで町の意見は二分される。正解は無い。
帰るか帰らないかを決める”分水嶺”の時とも。
国会には復興特別委員会というのが設置されているはず。でも、今の国会で何かが審議された気配すら無い。
1、000日が失ったもの。1,000日が生み出したもの・・・。
福島県川俣町に山木屋地区と言う部落がある。高線量地区。伝統芸能の山木屋太鼓。それを保存しようと子供たちは避難先で練習に明け暮れている。
空いている建物の一室を借りて。作家の鐸木能光氏がその様子を伝えてくれていた。素足にジャージ姿の小学生から高校生まで。
練習でその子たちが振り下ろすバチの音は鋭い。
一昨年、夏。陸前高田を含め、三陸地方では、伝統芸能の祭りを復活させようと大人も子供も動いていた。死者への鎮魂の意味も込めて。
原発を勉強する子供たちも増えている。事故ももちろんからめて。
高校生が被災地の在り様について提言をまとめている。
学ぶところが多い。
とにかく1,000日。刻まれる日にちは、毎日何を語ってくるのだろうかと。
来週、ある大学の同窓会で講演をすることになっている。全国から集まってくるらしい。講演のタイトルは「忘れないという支援」ということにした。
何を伝えるか、話すか。いろいろなことが頭を駆け巡っている。持ち時間は1時間。僕が考えていることはとてもじゃないが3時間、4時間喋っても語りきれないだろう。このタイトルに収斂させても。
「見、聞きし、わかり、決して忘れず」。宮沢賢治の詩の一節だけは伝えたい。普遍性を持った原則として。
福島県の避難者およそ14万人。
東日本大震災・原発事故から1,000日が経ったきょうの「事実」としてある数字。
1、000日という月日の経過が何をもたらしたのか。何を変えたのか。何を無くしたのか。何を生み出したのか・・・。
苦しみや悲しみから、一歩でも這い出ようと努力している人達もいる。諦めに支配されてしまっている人達もいる。
原発。4号機の燃料棒取り出し作業が始まった。きょうも“順調”に推移しているのか。
手つかずの1~3号機。ロボットで状況把握。明らかに汚染水漏れの箇所が見つかる。しkし、それに打つ手は無い。汚染水は毎日漏れて、排出されているはず。
終わりなき戦い。
帰還困難区域、立入り禁止区域。そこは荒れ果てるだけ。家はネズミに食い荒らされ、けもの道のような、人のしらないような道を通って泥棒が跋扈している。
数か所に設けられた一時立ち入り許可の“検問所”。まもなく冬季を持って閉鎖されるという。ネズミ駆除剤を配布する。一日10軒前後の“帰宅者”へ。
これでは効かないんだよねと言いながらそれを受けとる住民。
帰還希望者の数は減少している。まだ仮設には8割の人が住んでいる。冬がプレハブにも到来する。
ボランティアの数も激減した。ボランティアの内容も変わった。なんでもお手伝いから、ケアや専門的知識を持った人たちへの支援要望。
自治体からの応援職員も減った。無理からぬことだが。
だから、被災地は、自ら立ち上がることを模索している。
風化、忘れられている。そんな感情を持つ人も多い。人のこころの移り変わりも「当然」と受けとめ、毎日、何かの努力をしている。
震災遺構のことで町の意見は二分される。正解は無い。
帰るか帰らないかを決める”分水嶺”の時とも。
国会には復興特別委員会というのが設置されているはず。でも、今の国会で何かが審議された気配すら無い。
1、000日が失ったもの。1,000日が生み出したもの・・・。
福島県川俣町に山木屋地区と言う部落がある。高線量地区。伝統芸能の山木屋太鼓。それを保存しようと子供たちは避難先で練習に明け暮れている。
空いている建物の一室を借りて。作家の鐸木能光氏がその様子を伝えてくれていた。素足にジャージ姿の小学生から高校生まで。
練習でその子たちが振り下ろすバチの音は鋭い。
一昨年、夏。陸前高田を含め、三陸地方では、伝統芸能の祭りを復活させようと大人も子供も動いていた。死者への鎮魂の意味も込めて。
原発を勉強する子供たちも増えている。事故ももちろんからめて。
高校生が被災地の在り様について提言をまとめている。
学ぶところが多い。
とにかく1,000日。刻まれる日にちは、毎日何を語ってくるのだろうかと。
来週、ある大学の同窓会で講演をすることになっている。全国から集まってくるらしい。講演のタイトルは「忘れないという支援」ということにした。
何を伝えるか、話すか。いろいろなことが頭を駆け巡っている。持ち時間は1時間。僕が考えていることはとてもじゃないが3時間、4時間喋っても語りきれないだろう。このタイトルに収斂させても。
「見、聞きし、わかり、決して忘れず」。宮沢賢治の詩の一節だけは伝えたい。普遍性を持った原則として。
2013年12月3日火曜日
「言」と「語」への限りない失望
新語・流行語大賞にテレビは浮かれている。ばかばかしいの一言に尽きるの感。
テレビが生み出した、作り出した言葉が、その年の流行語とされ、話題をさらうという事。違和感が大だ。
「じぇじぇじぇ」。岩手県久慈市小袖地区の方言。あまちゃんというドラマで使われ、いや、たまたま発掘され、テレビの視聴率と相まって全国に伝播する。
方言が全国に伝播する。結構なことだ。でも方言は「言葉遊び」の道具ではない。
「3・11」後、しばらく準備を重ねて「東北学」という話をくどいようにしてきた。まだするつもりだ。
その中で当然「方言」についても話をした。その「方言」の由来も出来るだけ調べ、「方言」が持つ意味を考え、かつて「方言」を放棄しようとさえした東北人の心理を考え、「方言」が、その復活が「復興」の一助となるかもしれないとも話した。
「方言」とは、まさに、その地方の言葉である。その土地の臭い、空気の中で生まれた言葉である。ある時は征服者によって持ち込まれた言葉でもあった。
「じぇじぇ」は長崎県の一部にも存在する言葉である。言葉の分布は、その民の成り立ちにも関係してくる。
全国区になる「じぇじぇじぇ」。それを好んで、はやり言葉として使う都の人たちは、そう流行に敏感な、そして、何よりも「同調意識」を持とうとする、大勢依存体質から抜け切れない人たちの、“遊び道具”とも思える。
3・11後、地域コミュニティーなる言葉が“流行り”、たしかにそれは機能した。そのコミュニティーを支えていたのは「方言」。
東京の人たちが流行り言葉として使う方言。その深層心理には、「変わった言葉を使う」という、どこか蔑視の心理があるようにも見える。
著名なジャーナリストさえ加わった選考員会。そんなことまでは考えてもいないだろう。
「うじゃうじゃする」という表現がある。もちろん方言。悪寒がするという意味。被災地支援で向かった医師は、その土地の方言を習得しようとした。それでないと患者の症状や訴えを理解できないから。コミュニケーションが取れないから。地方自治体の応援職員もそうだった。そうしないと「相談」に乗れないから。
「じぇじぇじぇ」を連発しながら、東京の人たちは、東北の何を思うのだろうか。
「倍返し」。もっとくだらない。視聴率を取れた、取れた理由は、サラリーマンの閉塞感とそれを打破しようとする潜在意識の代弁として人気があがったのだろうが。所詮はテレビドラマが生み出したもの。
「今でしょ」。CMが生み出したもの。
「お・も・て・な・し」。言葉の持つ意味をはき違えた軽薄な使い方。まして何で合掌がつくのだ。
こんな風潮にうつつをぬかしているから、テレビはお祭りのように取り上げるから、だんだん日本語は衰退していくのだ。
天野祐吉さんなら、どう書いただろうかとも思う。言葉に敏感だった彼なら。
朝日新聞に天声人語というコラムがある。風刺に富み、世相を切り取り、今を切るコラムだと思っていた。なにせ“教材”にまで浸透しているという。
今朝のこのコラムは何だ。書くべきこと、取り上げるべきことは「彗星」の話ではない。
紙面が問題にしている秘密保護法をめぐるさまざまな動きではないのか。とてもじゃないが「天の声」には聞こえない。彗星は天にあるものだといなされてしまえばそれまでだが。
あの朝日新聞だって目をそらせようとしているの感。全紙一丸では決してないということ。
そして石破の「言語力」。デモをテロと置き換えるその認識力。国会で、さすがに森雅子も菅官房長官もデモはテロではないと言った。ならば石破の言う民主主義とは何か。それを各人に問い、政府・与党の統一した解釈、定義、認識を示して欲しい。でも、野党はそういう発想にはならない。稚拙な質問に、テロとデモだけに終始している。
各人各様の民主主義。漠然とした民主主義。
もし「じぇじぇじぇ」が東北に目を向けた、それを理解するための新語・流行語だというなら、楽天の嶋が言った「見せましょう東北の底力を。見せましょう野球の底力を」。球場の観客が皆泣いたあの言葉こそ、今年の言葉だと思うのだが。
東北の津波で流された町。町中が流された地区。そこにあった方言は消えるという。人がいなくなるから。それに危機感を持った役場や地元の有志が、「方言事典」を作ろうとしている。消してはならないものとして。
一過性のテレビに流されて欲しくないな・・・。
テレビが生み出した、作り出した言葉が、その年の流行語とされ、話題をさらうという事。違和感が大だ。
「じぇじぇじぇ」。岩手県久慈市小袖地区の方言。あまちゃんというドラマで使われ、いや、たまたま発掘され、テレビの視聴率と相まって全国に伝播する。
方言が全国に伝播する。結構なことだ。でも方言は「言葉遊び」の道具ではない。
「3・11」後、しばらく準備を重ねて「東北学」という話をくどいようにしてきた。まだするつもりだ。
その中で当然「方言」についても話をした。その「方言」の由来も出来るだけ調べ、「方言」が持つ意味を考え、かつて「方言」を放棄しようとさえした東北人の心理を考え、「方言」が、その復活が「復興」の一助となるかもしれないとも話した。
「方言」とは、まさに、その地方の言葉である。その土地の臭い、空気の中で生まれた言葉である。ある時は征服者によって持ち込まれた言葉でもあった。
「じぇじぇ」は長崎県の一部にも存在する言葉である。言葉の分布は、その民の成り立ちにも関係してくる。
全国区になる「じぇじぇじぇ」。それを好んで、はやり言葉として使う都の人たちは、そう流行に敏感な、そして、何よりも「同調意識」を持とうとする、大勢依存体質から抜け切れない人たちの、“遊び道具”とも思える。
3・11後、地域コミュニティーなる言葉が“流行り”、たしかにそれは機能した。そのコミュニティーを支えていたのは「方言」。
東京の人たちが流行り言葉として使う方言。その深層心理には、「変わった言葉を使う」という、どこか蔑視の心理があるようにも見える。
著名なジャーナリストさえ加わった選考員会。そんなことまでは考えてもいないだろう。
「うじゃうじゃする」という表現がある。もちろん方言。悪寒がするという意味。被災地支援で向かった医師は、その土地の方言を習得しようとした。それでないと患者の症状や訴えを理解できないから。コミュニケーションが取れないから。地方自治体の応援職員もそうだった。そうしないと「相談」に乗れないから。
「じぇじぇじぇ」を連発しながら、東京の人たちは、東北の何を思うのだろうか。
「倍返し」。もっとくだらない。視聴率を取れた、取れた理由は、サラリーマンの閉塞感とそれを打破しようとする潜在意識の代弁として人気があがったのだろうが。所詮はテレビドラマが生み出したもの。
「今でしょ」。CMが生み出したもの。
「お・も・て・な・し」。言葉の持つ意味をはき違えた軽薄な使い方。まして何で合掌がつくのだ。
こんな風潮にうつつをぬかしているから、テレビはお祭りのように取り上げるから、だんだん日本語は衰退していくのだ。
天野祐吉さんなら、どう書いただろうかとも思う。言葉に敏感だった彼なら。
朝日新聞に天声人語というコラムがある。風刺に富み、世相を切り取り、今を切るコラムだと思っていた。なにせ“教材”にまで浸透しているという。
今朝のこのコラムは何だ。書くべきこと、取り上げるべきことは「彗星」の話ではない。
紙面が問題にしている秘密保護法をめぐるさまざまな動きではないのか。とてもじゃないが「天の声」には聞こえない。彗星は天にあるものだといなされてしまえばそれまでだが。
あの朝日新聞だって目をそらせようとしているの感。全紙一丸では決してないということ。
そして石破の「言語力」。デモをテロと置き換えるその認識力。国会で、さすがに森雅子も菅官房長官もデモはテロではないと言った。ならば石破の言う民主主義とは何か。それを各人に問い、政府・与党の統一した解釈、定義、認識を示して欲しい。でも、野党はそういう発想にはならない。稚拙な質問に、テロとデモだけに終始している。
各人各様の民主主義。漠然とした民主主義。
もし「じぇじぇじぇ」が東北に目を向けた、それを理解するための新語・流行語だというなら、楽天の嶋が言った「見せましょう東北の底力を。見せましょう野球の底力を」。球場の観客が皆泣いたあの言葉こそ、今年の言葉だと思うのだが。
東北の津波で流された町。町中が流された地区。そこにあった方言は消えるという。人がいなくなるから。それに危機感を持った役場や地元の有志が、「方言事典」を作ろうとしている。消してはならないものとして。
一過性のテレビに流されて欲しくないな・・・。
2013年12月2日月曜日
「テロルの決算」
数日前から、書棚で光を放ているような本があった。吸い寄せられるように、その黄ばんだ本を手に取り読み返す。
3・11で「破壊」された書棚。廃棄処分にせざるを得なかった本の中で生き残っていた一冊。この日に読み返されることを望んでいたかのような。
沢木耕太郎が1953年に書いたノンフィクション。右翼の青年、山口二矢が社会党の浅沼稲次郎を日比谷公会堂で刺殺したテロ事件のこと。
その後も、右翼による野村秋介らによる“テロ事件”はあったが、浅沼事件ほど衝撃を与えた事件はなかったように思う。映像はその瞬間を捉えていたし・・・。
一昨年、ボクは書いた。大震災、津波、原発事故。それになんらの対応の出来ず右往左往している政府。原発があれほどの悲惨な事故であり、とてつもない被害を与えているというのに、再稼働を言う権力。それに対して、ある種の「テロ」を予感した。なぜテロが起きないのかとも論じた。ある種のテロへの“期待”も言った。そう、テロが起きてもおかしくなかった状況だったと感じたから。
そのテロとは思想を背景にしたものでは決してない。怒りの発露としての“テロ”。しかし、それはなかった。そして美徳だけが、美しい話だけが伝えられていた。
官邸を「再稼働反対」の鳴り物を携えたデモ隊は包囲していた時もあった。それには常に疑義を抱いて見ていたが。運動のための運動に見えたから。そしてそれはテロリズムとは無縁のものであったから。
その再稼働反対デモは、今、特定秘密保護法反対のデモに昇華している。
今週、国会はどういう展開になるのか。強行採決に行くのか、引くのか。
これほど多くの国民が反対を言う法案もなかろう。もっとも、中には、依然として無関心、知らないという人がいることも事実だが。
辞書を引く。テロルとは「暴力を手段にして敵対者を威嚇すること」とある。
テロとは「テロル、テロリズムの略」とある。
テロリズムとは「政治的目的を実現するために暗殺・暴力・破壊活動などの恐怖手段や、その脅威に訴えることを是とする主義」とある。
国会を取り巻き、各所で行われている、それは澎湃として湧き上がるかもしれない特定秘密法案への反対行動。それが「テロル」という辞書の言葉に該当しているか。していない。
特定秘密保護法案の第12条にはテロリズムに関しての定義が書かれている。
テロリズム(政治上そのたの主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要し、または社会に不安もしくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、または重要な施設その他のものを破壊するための活動を言う)。
つまり括弧の中はテロリズムというものの“説明”。政府としての見解。
秘密保護法反対デモがこれにすら該当するのか。しない。しかるに石破茂は言った。ブログに書いていた。「主義主張を実現したければ、民主主義に従って、一人でも理解者を増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為と、その本質にあまり変わらないように思えます」。
ブログの書き出しは、今も議員会館の外では・・・。議員会館にそれほど“騒音”が届いているのかい。二重サッシの窓ガラスを越えて。
自民党の幹事長室、国会の奥。しかも面しているのはデモとは一番遠い場所。
ブログへの批判が多かったせいか。二日後には講演で言いわけを始めた。
「もし表現に足らざるところがあるならお詫びしなければならない」。「テロと同じとみたと受け取られる部分があったとすれば、そこは撤回させていただく」と記者会見で。
ふざけんなよ。石破には多少の好意をもっていたが、やめた。
博識の石破なら知っているだろう。
「綸言汗の如し」という言葉を。
撤回で事を済ませてはいけない。撤回を求め、それに応じると、許すという風潮がある。ばかばかしい。許せないものは許せない。
撤回するのは発言でなく法案そのものだ。
もう一つの辞書を引く。テロリズムの項にこういう一行も記されている。
「恐怖政治」と。
そうなのだ、この法案自体が国家の国民に対するテロ行為なのだ。
撤回こそが決算に値することかも。
3・11で「破壊」された書棚。廃棄処分にせざるを得なかった本の中で生き残っていた一冊。この日に読み返されることを望んでいたかのような。
沢木耕太郎が1953年に書いたノンフィクション。右翼の青年、山口二矢が社会党の浅沼稲次郎を日比谷公会堂で刺殺したテロ事件のこと。
その後も、右翼による野村秋介らによる“テロ事件”はあったが、浅沼事件ほど衝撃を与えた事件はなかったように思う。映像はその瞬間を捉えていたし・・・。
一昨年、ボクは書いた。大震災、津波、原発事故。それになんらの対応の出来ず右往左往している政府。原発があれほどの悲惨な事故であり、とてつもない被害を与えているというのに、再稼働を言う権力。それに対して、ある種の「テロ」を予感した。なぜテロが起きないのかとも論じた。ある種のテロへの“期待”も言った。そう、テロが起きてもおかしくなかった状況だったと感じたから。
そのテロとは思想を背景にしたものでは決してない。怒りの発露としての“テロ”。しかし、それはなかった。そして美徳だけが、美しい話だけが伝えられていた。
官邸を「再稼働反対」の鳴り物を携えたデモ隊は包囲していた時もあった。それには常に疑義を抱いて見ていたが。運動のための運動に見えたから。そしてそれはテロリズムとは無縁のものであったから。
その再稼働反対デモは、今、特定秘密保護法反対のデモに昇華している。
今週、国会はどういう展開になるのか。強行採決に行くのか、引くのか。
これほど多くの国民が反対を言う法案もなかろう。もっとも、中には、依然として無関心、知らないという人がいることも事実だが。
辞書を引く。テロルとは「暴力を手段にして敵対者を威嚇すること」とある。
テロとは「テロル、テロリズムの略」とある。
テロリズムとは「政治的目的を実現するために暗殺・暴力・破壊活動などの恐怖手段や、その脅威に訴えることを是とする主義」とある。
国会を取り巻き、各所で行われている、それは澎湃として湧き上がるかもしれない特定秘密法案への反対行動。それが「テロル」という辞書の言葉に該当しているか。していない。
特定秘密保護法案の第12条にはテロリズムに関しての定義が書かれている。
テロリズム(政治上そのたの主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要し、または社会に不安もしくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、または重要な施設その他のものを破壊するための活動を言う)。
つまり括弧の中はテロリズムというものの“説明”。政府としての見解。
秘密保護法反対デモがこれにすら該当するのか。しない。しかるに石破茂は言った。ブログに書いていた。「主義主張を実現したければ、民主主義に従って、一人でも理解者を増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為と、その本質にあまり変わらないように思えます」。
ブログの書き出しは、今も議員会館の外では・・・。議員会館にそれほど“騒音”が届いているのかい。二重サッシの窓ガラスを越えて。
自民党の幹事長室、国会の奥。しかも面しているのはデモとは一番遠い場所。
ブログへの批判が多かったせいか。二日後には講演で言いわけを始めた。
「もし表現に足らざるところがあるならお詫びしなければならない」。「テロと同じとみたと受け取られる部分があったとすれば、そこは撤回させていただく」と記者会見で。
ふざけんなよ。石破には多少の好意をもっていたが、やめた。
博識の石破なら知っているだろう。
「綸言汗の如し」という言葉を。
撤回で事を済ませてはいけない。撤回を求め、それに応じると、許すという風潮がある。ばかばかしい。許せないものは許せない。
撤回するのは発言でなく法案そのものだ。
もう一つの辞書を引く。テロリズムの項にこういう一行も記されている。
「恐怖政治」と。
そうなのだ、この法案自体が国家の国民に対するテロ行為なのだ。
撤回こそが決算に値することかも。
2013年12月1日日曜日
それでも福島は「東京」に電気を送る
福島原発が作る電気が、延々と張り巡らされた送電線を通して、東京に供給されていたこと。東京の電気は福島で作られていたこと。
「3・11」後、そんな自明の事を初めて知ったという人たちが大勢いたということ。
大方の人がそれを知ったと思っていたが、なお、そんな“仕組み”さえまだ知らない人がいるということ。
今更原発立地の経緯や、その構図を言い募る気はないが・・・。
原発が無くてもとりあえず電気はまかなわれている。この冬場を迎えても、北海道では一部“電力不足”を危惧する声があるが、たの地域ではそれはもう聞かれなくなった。
しかし、まだ電気を必要とする人達がいる。
東京電力は、最新鋭の火力発電所を、福島県内に、原発の近くに二基建設すると発表している。
発電量100万キロワット。その電気も「東京」に送られる。完成は8年先のことではあるが。
原発事故があり、多くの避難者、悲惨な生活を送っている人が、いまだ「そのまま」であるにも関わらず、何がどうあろうと「福島は東京の電力供給基地」であるということ。
2Fの廃炉問題も解決していない中、それが火力であろうとも電力を供給するということ。
広野火発と勿来火力の敷地内に増設されるこの最新鋭火力発電所。建設費用は2千億円から3千億円。
表向きは東電には金が無いから、三菱重工業などで作る“特定目的会社”で設立するとか。しかし、実態は東電だ。
広野も勿来も、特に広野は避難指示解除準備区域のすぐ隣。環境アセスメント(影響評価)を地元自治体に早急に要望するとか。
東京への電力供給基地。あいかわらず「飴」も忘れない。
建設にあたり1日2千人の雇用が生まれるとする。
そして効率の良い発電所は電力を安く作れるという。
雇用を餌に、安いを売り物に・・・。
こうして、またもや「東京」は福島で生まれたものを収奪していく。そんな「思い」。
東京の繁栄のために、日本の繁栄のために、かつて若い労働力を奪った。
労働力の供給基地としての福島。
食料の供給基地としての福島。
電力の供給基地としての福島。
収奪の構図、社会システムは変わらない・・・。たぶん、永遠に福島はそうあり続けるのだろう。
原発の“ゴミ”、汚染された数々は福島に閉じ込めようとする。
雇用が生まれることを手放しで“歓迎”していていいのだろうか。
雇用が生まれ、人が集まり、町は賑わう。かもしれない。
それでいいのだろうか。
40年以上も前の原発建設の時の様相と似ているのではないか。
また「飴」に酔わされるような。
経済効果は1,500億円だと東電は言う。またもいわれる経済効果。
「経済効果」が何かを失っていかなければいいが・・・。
きょうから12月。街はクリスマス1色。電飾がまばゆい。灯りは人のこころを豊かにする。
しかし、いつもある“違和感”。LEDだというけれど、あれほど人工の灯りが夜の街を飾るということ。
それが虚飾に見えてしまうのは間違いだろうか・・・。
神が好むのは蝋燭のほのかな灯りではないのだろうかとも思いつつ。
灯りの街からは星空は見えない。星も決して姿を現さない。
「3・11」後、そんな自明の事を初めて知ったという人たちが大勢いたということ。
大方の人がそれを知ったと思っていたが、なお、そんな“仕組み”さえまだ知らない人がいるということ。
今更原発立地の経緯や、その構図を言い募る気はないが・・・。
原発が無くてもとりあえず電気はまかなわれている。この冬場を迎えても、北海道では一部“電力不足”を危惧する声があるが、たの地域ではそれはもう聞かれなくなった。
しかし、まだ電気を必要とする人達がいる。
東京電力は、最新鋭の火力発電所を、福島県内に、原発の近くに二基建設すると発表している。
発電量100万キロワット。その電気も「東京」に送られる。完成は8年先のことではあるが。
原発事故があり、多くの避難者、悲惨な生活を送っている人が、いまだ「そのまま」であるにも関わらず、何がどうあろうと「福島は東京の電力供給基地」であるということ。
2Fの廃炉問題も解決していない中、それが火力であろうとも電力を供給するということ。
広野火発と勿来火力の敷地内に増設されるこの最新鋭火力発電所。建設費用は2千億円から3千億円。
表向きは東電には金が無いから、三菱重工業などで作る“特定目的会社”で設立するとか。しかし、実態は東電だ。
広野も勿来も、特に広野は避難指示解除準備区域のすぐ隣。環境アセスメント(影響評価)を地元自治体に早急に要望するとか。
東京への電力供給基地。あいかわらず「飴」も忘れない。
建設にあたり1日2千人の雇用が生まれるとする。
そして効率の良い発電所は電力を安く作れるという。
雇用を餌に、安いを売り物に・・・。
こうして、またもや「東京」は福島で生まれたものを収奪していく。そんな「思い」。
東京の繁栄のために、日本の繁栄のために、かつて若い労働力を奪った。
労働力の供給基地としての福島。
食料の供給基地としての福島。
電力の供給基地としての福島。
収奪の構図、社会システムは変わらない・・・。たぶん、永遠に福島はそうあり続けるのだろう。
原発の“ゴミ”、汚染された数々は福島に閉じ込めようとする。
雇用が生まれることを手放しで“歓迎”していていいのだろうか。
雇用が生まれ、人が集まり、町は賑わう。かもしれない。
それでいいのだろうか。
40年以上も前の原発建設の時の様相と似ているのではないか。
また「飴」に酔わされるような。
経済効果は1,500億円だと東電は言う。またもいわれる経済効果。
「経済効果」が何かを失っていかなければいいが・・・。
きょうから12月。街はクリスマス1色。電飾がまばゆい。灯りは人のこころを豊かにする。
しかし、いつもある“違和感”。LEDだというけれど、あれほど人工の灯りが夜の街を飾るということ。
それが虚飾に見えてしまうのは間違いだろうか・・・。
神が好むのは蝋燭のほのかな灯りではないのだろうかとも思いつつ。
灯りの街からは星空は見えない。星も決して姿を現さない。
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