2015年7月7日火曜日

♪何度でも、何度でも・・・

少なくとも、「戦争法案」をめぐって「解釈改憲」をめぐって“安倍政治反対”を叫ぶ人達の声が安倍のもとに届いているのだろうか。

彼の中ではそれは単なる「騒音」としかとられていないのだろう。
「声なき声」どころか「聞こえない声」「聴く耳持たない声」なのだろう。

でも、多くの人たちが声を上げはじめている。上げ続けている。
その声は、田舎町の片隅に住む僕の元へも陰に陽に届いてくる。

通称「ドリカム」という歌のグループは何年も歌い続けている曲がある。
“何度でも”という歌。もちろんそれは「恋」の歌ではあるのだが、そこにある歌詞が、呼びかけが、都心はもとより、全国各地に広がる街頭行動、市民集会、国会前デモ、渋谷での抗議行動に集まった人達への“応援歌”のように聞こえるのだ。


♪こみ上げてくる涙を 何回拭いたら
伝えたい言葉は 届くだろう?

誰かや何かに怒っても 出口はないなら

何度でも何度でも何度でも 立ち上がり呼ぶよ きみの名前 声が涸れるまで
悔しくて苦しくて がんばってもどうしようもない時も きみを思い出すよ

10000回だめで へとへとになっても
10001回目は 何か 変わるかもしれない

何度でも何度でも何度でも 立ち上がり呼ぶよ きみの名前 声が涸れるまで
落ち込んでやる気ももう底ついて がんばれない時も きみを思い出すよ

10000回だめで かっこ悪くても
10001回目は 何か 変わるかもしれない

前を向いてしがみついて胸掻きむしってあきらめないで叫べ!

この先も躓いて傷ついて傷つけて終わりのないやり場のない怒りさえ
もどかしく抱きながら
どうしてわからないんだ?伝わらないんだ? 喘ぎ嘆きながら
自分と戦ってみるよ

10000回だめで 望みなくなっても
10001回目は 来る

きみを叫ぶ声 力にしていくよ 何度も
明日がその10001回目かもしれない…♪


1万回はダメでも1万1回目には「届くかもしれない」。そう信じて声を上げることが今を生きていると言うことなのだと。「きみ」を「あべ」に置き換えれば明瞭だ。

歌手のさだまさしが20年くらい前に書いた曲がある。
「風に立つライオン」。
ケニアで現地の人たちの医療に携わる知人でもある医師をモデルにした歌だ。恋人から別の人と結婚すると告げられての返信。

その中の一節。

♪三年の間あちらこちらを廻り
その感動を君と分けたいと思ったことが沢山ありました

ビクトリア湖の朝焼け 100万羽のフラミンゴが
一斉に翔び発つ時 暗くなる空や
キリマンジャロの白い雪 草原の象のシルエット
何より僕の患者たちの 瞳の美しさ

この偉大な自然の中で病と向かい合えば
神様について ヒトについて 考えるものですね
やはり僕たちの国は残念だけれど何か
大切な処で道を間違えたようですね

診療所に集まる人々は病気だけれど
少なくとも心は僕より健康なのですよ
僕はやはり来てよかったと思っています
辛くないと言えば嘘になるけど しあわせです

あなたや日本を捨てた訳ではなく
僕は「現在(いま)」を生きることに思い上がりたくないのです

空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命(いのち)を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい♪

ライオンというのは、悩みや挫折しそうな辛い事がたくさんあるような逆境の中でも「くじけるもんか」という意味だとさだまさし自身が語っているという。

たしかにこの国は道を間違えたのだ。さらに道を間違えようとしている。

だから今、街頭に立って声を上げる人たちに、限りなく「ライオン」であって欲しいと思う。
そして、そのライオンと浪江の“希望の牧場”の「ベコ・トラ」に掲げられた牛の像が重なる。

2015年7月6日月曜日

「なでしこジャパン」で想ったこと

女子サッカーワールドカップ。なでしこジャパンは準優勝に終わった。
試合が終わったあとの彼女たちは「グッドルーザー」だった。悪びれない敗者だった。

4年前、まだ「3・11」の余韻が日本中を覆っている時、彼女たちはやはり大きな力を被災地にくれた。予選を通して「頑張ろう東北」の横断幕を掲げてグラウンドを歩く姿は美しかった。

悪びれない敗者に惜しみない声援を拍手を送っていた人達がいる。
原発事故で仮設住まいを余儀なくされている楢葉町の人達。多くが高齢者だ。
集会所でテレビを見ながら声援を送っていた。

なでしこのメンバーの中には地元にあった「マリーゼ」の選手たちがいる。
マリーゼとは海のマリーンと風のブリーズを組み合わせた「造語」だ。

Jビレッジを拠点にしたチームだった。東電の社員だった。彼女たちは。マリーゼのメンバーが原発事故後。すべてがどうしたかはわからない。一部のメンバーはサッカーを続けた。そして、代表になった人たちもいる。
被災地岩手出身の選手もいる。

地元の人たちは口々に言っていた。「褒めてあげたい。ありがとう。まだ生きる希望が生まれた」などと。

躍動する若いスポーツ選手の姿はやはり“偉大”なのだ。
若さとは偉大なものなのだ。

3・11の影響で卒業式が出来なかった学校はいくつもある。その一つの立教新座高校。校長は式辞に代えてメッセージを卒業生に贈った。
「海を見る自由」と題して。

その中の一部を借りる。

「 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか」。そんな問いかけから始まって、校長はこう言う。

「誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
 言葉を変えるならば、“立ち止まる自由”を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい」と。

「大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。
今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない」と訴える。

これらの言葉は災後、若者たちに向けられたはなむけの言葉だった。若者の“
覚悟“を問うものだった。

あれから4年後、今、若者たちは「立ち上げっている」ように思える。
自分たちが持っている自由。社会から制約されない自由を、若者の“特権”を行使しはじめている。

安保法制、戦争法案に反対するデモで彼らは彼女たちは声を上げ始めた。同じ世代の声は同じ世代の者に伝わる。共感を生む。
政治に向かって声を上げ始めた若者たち。まだ“知識”は“口調”は稚拙かもしれない。

若者の姿、声に、時には“大人”も共鳴する。負けてはいられないと声を上げ始める人だって出てくるだろう。
参政権は18歳に引き下げられた。18歳は物を言う、声を上げる自由を持っている。彼らの「自由」はまだ制約されていない。彼らは「委縮」もしていない。

彼らは白い帆を上げるかわりにプラカードを上げる時だと自覚し始めたのだ。

若き日の自分と重ね合わせながら、そんな事を想ってみた・・・。

2015年7月5日日曜日

「戦争と平和」

なにも文豪トルストイの大作のことを指しているのではない。大昔のロシア戦争を言うのでもない。まして、ナターシャの恋物語を指すのでもなく。

今、連日語られる言葉としての「戦争」と「平和」。

平和とは何か。戦争とは何か、という問題。言葉を考える上での問題。

平和が平和を連れてくる。戦争が戦争を連れてくる。戦争によってもたらされる平和なんて無い。
かたや平和を希求する人たちがいる。かたや戦争を志向する人たちがいる。
対極にある戦争と平和と言う言葉。

平和と言うのは戦争が無い状態のことだけをいうのだろうか。人々の心の中に、言葉の中に“戦争”が無くならなければ、国の最高権力者に戦争思考が無くならない限り、そんな人が権力者として居ないということが大事なんではないだろうか。

しかし、戦争が無ければ「平和」と言えるのだろうか。
憲法には「平和を希求し」という文言がある。それを以って「平和憲法」と呼ぶ。だけど、この世の中は「おしなべて平和」なんだろうか。
少なくとも平和と言う言葉を平穏な日々、平穏な生活と理解するなら、この国は戦争をしなくても平和国家では無いともいえる。

社会問題としての貧富の格差や高齢者の問題。貧困が生み出すさまざまな病弊。
派遣労働者の問題や年金問題。

小学校5年生の時、この国は講和条約が締結され、「平和国家」としての道を歩み始めた。多くの人が平和を歓迎していた。だから冬休みの宿題として出された書初めに「平和日本」と書いて提出した。
それを見た担任の先生が言った。
「平和じゃないから平和って言葉があるのよね。本当に平和だったら平和って言葉は無くてもいい。そんな日本にするためにキミたちも勉強しないとね」。そんな趣旨の言葉だった。

胸に突き刺さるものがあった。わずか12歳の子供にとっても。それ以来、平和と言う言葉を使う時に常に考えるものがあった。
そして、平和の対極にある戦争と言うものについて考えるようになった。戦争に関する本を読んだ。中学になっても高校になっても、それ以降も。

そして、この年になった今、あらためて「平和」という言葉を考え、それを言わなくてはならない時代になってきているということ。
「平和」という言葉に振り回される一生になるのではないかということ。

60年も時代が遡ることが出来れば、考えるきっかけを作ってくれたあの梅田育子先生と話し合ってみたいと思っている。すでにして、もうとっくに亡くなられているのだが。当時すでに50歳を越えたお年だったと記憶している。

戦争。それも国と国が、敵と味方が戦うことだけではないと思う。日本人が好戦的な国民であるとは決して思わないけれど、実際に武力を伴った一般的概念の戦争は起きていない、その気配すらなかった時代から、「戦争」という言葉は半ば日常的に使われていた。

貿易戦争、企業戦争、就職戦争、世代間戦争・・・。そして原子力戦争。

「戦争」という言葉も「平和」と同じように、決して無くならない言葉だったのだ。

果たして日本人は平和を享受してきたのだろうか。経済戦争は常に存在し、たびたび人々の生活を脅かしてきた。
“平和ボケ”という言葉が蔓延し、平和と言う言葉が「何も考えない人」につけられた代名詞みたいに安易に使われていたし。

戦争と平和。安倍はもはや確信的戦争志向だ。
しかもそれは勝つという妄想の戦争だ。アメリカと共に戦争をすれば勝つと言う。勝つ戦争は国を守るということか。アメリカはすでにベトナムでは負けている国だ。

戦争は平和をもたらさない。誰かが戦争を止めねばならに。
戦争で何を守るのか。戦争で国は守れない。


トルストイの戦争と平和。あの分厚い本に込められていたものは何だろう。
一つは、「自分探しを続ける若者たちの成長の物語」だということ。そして「生きがいとは何か、幸せとは何か」という問いかけ。

2015年7月4日土曜日

「百田発言」の根底にある怖さ

あの元放送作家で、安倍の仲良しでもある百田なにやら。今問題視されている発言よりも、それを読んだ時、それがもし「福島」に向けられたら・・・というある種の恐怖感を覚えた。

下世話な心証だが、どうもあの男は「カネ」にこだわる人みたいだ。
その一つが「沖縄」を巡る発言。

「普天間飛行場はもともと田んぼの中にあり、周りは何もなかった。基地の周りに行けば商売になると、みんな何十年もかかって基地の周りに住みだした」。

基地の周辺の住民がカネ目当てで移り住んできたというのだ。
事実とは違う。普天間飛行場内に戦前、役場や小学校のほか、五つの集落が存在していた。沖縄戦で住民は土地を強制的に接収され、人口増加に伴い、基地の周辺に住まざるを得なくなった経緯がある。

そしてこんなこともあの“勉強会”では言っているようだ。
 「基地の地主さんは年収何千万円なんですよ、みんな」。「ですからその基地の地主さんが、六本木ヒルズとかに住んでいる。大金持ちなんですよ」とも。

 普天間飛行場の周辺住民約2千人が起こした騒音補償にも触れ、「うるさいのは分かるが、そこを選んで住んだのは誰だと言いたい」と、自己責任だとの見解を示したという。

さらに、「基地の地主は大金持ち。基地が出て行くとお金がなくなるから困る。沖縄は本当に被害者なのか」とも言っていたという。

“広告停止”も「カネ」のことだ。発言の根底にある「カネ」を基準にして物事を考えると言う発想のイヤシさ・・・。

今、いや、以前からもそうだが、福島が抱えるジレンマ、悩み、苦悩、軋轢の一つが「カネ」だ。避難者に対する一人10万円の慰謝料、賠償金の問題。

県外からの非難はある。県内でも、その「10万円」を巡っての軋轢や感情の亀裂は深刻化している。

あの男の沖縄を巡る言葉から、僕の中に、一つの「妄想的発言」が浮かぶ。

「大体ね、福島県なんてさんざん原発のカネで潤ってきたところなんですよ。
そりゃ避難しなくてはいけなくなったことは気の毒だ。でも、あの避難区域に好んで住んでいた。これは自己責任でしょ。
無料の仮設住宅に住んでいて、今、その人たちが避難先で乗っている車は何だと思います。外車ですよ。外車。
大金を避難するときに持ってきた人だっている。それを入れていたカバンは皆、ブランド商品なんですよ」。
「国家というレベルで物を考えてください。賠償や除染にかかる費用は、東電が支払うことになっている。でも東電にはそんな資金は無いから国が支援している。国は金融機関から借金をして、それをまかなっている。今わかっているだけでも総額7兆円以上ですよ。金融機関には国が利子を払わなくてはいけない。その利子はどこから出るのか。国民の税金ですよ。
賠償が終わるかはわからない。それが無くなるという可能性は“永遠にゼロ”なんですよ」。
「福島県というところはいま、住宅着工件数が非常に高い。そのカネは大方賠償金ですよ。観光地や旅館なども全国から集まる作業員でいつも満室だという。儲かっているんですよ」。くらいのことまで・・・。

安倍さんのお仲間だという、価値観を共有しているという知性溢れたお方。まさか、この老いぼれが抱く妄想のようなことをおっしゃるはずはないと思うけれど・・・。何らかのきっかけで、矛先が福島に向いたら、そんなことまで言いかねないという「恐怖感」。

それに賛同する福島県人だっていないとも限らないし・・・。

アホンダラと言ってみたって始まらない。お上品に言おうか。ケッタイな方やな、と“はんなり”言ってみても始まらないだろうけど。

やはり僕は“疲れて”いるんだ。妄想の虜にさいなまれているんだろうな。

2015年7月3日金曜日

「沈黙は容認と同じだ」ということ

昨夜はこのところ“恒例”となった国会前の安保法制、安倍政権打倒を訴える国会前の抗議集会の日だった。

東京に知り合いの看護師さんがいる。60歳くらいだ。四谷のイグナチオ教会に通う熱心なカトリック信者だ。
一月ほど前か。茶話会のような集まりで司祭の一人に誘われてという。
「抗議デモに行こう」と。

彼女はデモなどとは全く無縁のところにいた。政治の流れはなんとなく知ってはいたが。でも、なんとなく「不安」なものを感じていた。
場違いのところに行くことに恐怖すら覚えたが、よく考えて、信仰を含めて考えて、行くことを決意した。

昨夜は4,5回目の参加だった。夜7時頃、我が家に電話があった。携帯から。彼女の携帯電話からは会場の音が伝わってくる。大声で話さないと“会話”は出来ない。
「とにかく今夜も来ている」ということを半ば興奮状態の中で、高揚感を持っている中で伝えたかったらしい。最初にデモに行った時から彼女の中に芽生えるものがあったらしい。

とにかく毎週参加しようと決めた。

その電話の脇を通りながら受話器に向かって怒鳴った。「あなたは偉い」と。

デモの会場でいろんな人と知り合いになったという。高齢者もいれば若いお母さんもいる。地方から駆け付けた人もいる。若い女の子もいる。
そこに居る人たちは「活動家」や「市民運動家」ではなく、みんな普通の人たちだった。
その場で言葉を交わした人から、散会後「お疲れさん会」に誘われた。彼女は酒は飲めないが、いろな人の話を聞いてみたいと思い、そう、それは患者さんお話をちゃんと聞くのが使命だと思っていたからだろうか、それは推測に過ぎないけれど、話を聞いてみたいと思って居酒屋に行った。

二時間、戦争の話しや憲法の話し、問題の安保法制の話しの輪に身を置いた。
居酒屋談義は街場の政治談議の場だったという。ごくごく普通の人たちの。

そして彼女は彼女なりに「声を上げなくてはならない」と感じたと言う。
「沈黙は容認に等しい」と思ったという。

60年安保闘争とは全く違う様相の場になっている。今回のデモは。
自発的に参加する一般市民や若者が多いということ。
全国各地で半ば自然発生的に起きている今時の若者が声を上げ始めたデモや集会。過激な行動の無い抗議の意思表示の数々。

それが何を物語っているのか。

木曜集会から一夜明けたきょうの国会。なぜか安倍は殊勝な答弁に終始しているようにも見えた。

野党がいくら反対しても国会の中では強行採決によって法案は可決されるだろう。阻止する手段は無いのだ。
デモが何万人に膨らもうとも安倍はそれに耳を貸すつもりは皆無だ。
「60日ルール」が適用され、成立するはずだ。

それを阻むことが出来るのは誰か。他ならない自民党内部なのだ。自民党が一枚岩となって安倍のもとに結集しているわけではないと思うのだが。

総裁選の経緯を振り返ってみればそれは一目瞭然のはずだ。全国の党員を交えた“予備選”では安倍は石破に負けている。国会議員だけの“本選挙”で僅かの差で勝ったに過ぎない。

きのう石破が自分のグループの会合で言ったこと。
「なんとなく自民党は感じが悪いんだよねという国民の意識が高まって来た時、危機を迎える」。

そう、こんな反応が党内から出ることを安倍は一番恐れていることなのだ。それは安保法制そのものに対してでは無く、「応援団」の集まりで調子に乗って報道批判や誹謗をやってのけた奴らのことを言ってはいるのだろうが。
その雰囲気を捉えての石破の「言外」の意志表示、安倍への“警告”だったとも思われるから。
村上誠一郎を除いて多くの自民党議員は沈黙のなかにいる。御身安泰をだけ願って。国よりも自分という価値観。

原発問題も然りだ。活動家だけの反原発では国民的なレベルには至らない。沈黙は容認に等しい。それは「福島」にも与ええられている言葉なんだと。
沖縄にしてもそうであるように。

2015年7月2日木曜日

「言論の自由」に思うこと

憲法21条第1項の規程。
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」

憲法は「立憲主義」という思想に基づいて出来ている。
立憲主義とは何か。憲法とは国民が国家権力を縛るものだという考えだ。
憲法を守るのは国家権力の側なのである。

こんな中学校の教科書にあるようなことを今更言い出すのも、それを「知らない人」があまりにも多いと思うからだ。

「知憲のすすめ」ということを言ってきた。「すすめ」とはあまねく日本人が尊敬し崇拝する、お札の顔にもされた福沢諭吉の著作「学問のすすめ」を真似てみたからだ。

この数日間、「言論の自由・報道の自由」について、およそ愚かな議論が交わされている。あまりにも無知な議論が。もう辟易とするくらいに。

そして「言論の自由」という“権利”をはき違えて自己撞着に陥っている人もいる。

言論の自由とはある意味「高邁な思想であり哲学だ」と思っている。
何を言おうと勝手だ。ということでは断じてない。

単に「言葉の暴力」を言論とは言わない。

言論とはそれがいかなる政治思想や立場にあろうと、その言論の是非や理非曲直を、それを聞いた第三者に判断を委ねるということだ。

カタカナ語は使いたくないが「リスペクト」という倫理観が伴ってあることだ。

「私は私の言いたいことを、考えを言う。あなたも自分の意見を言う。それをどう受け止めるかはそれを聞いた、読んだ人達の判断にお任せする」ということだ。

言論の自由と言う“権利”が天賦のものではなく、人々がそれを必要だと思って出来上がったものだ。

それは現行憲法にだけ書かれたものでは無い。組み込まれたものでも無い。
明治憲法、大日本帝国憲法にもその記述はあった。

「第二十九條 日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス」と。ここにある「法律の許す限り」という字句が、どの法律を指すのかは難しいが。例えば治安維持法を指すのかどうかも含めて。
帝国憲法であっても憲法は最高法規であったことには変わりがないはずだけど。

聞く人の判断にゆだねる。それは裁判官裁判を例にして考えれば一目瞭然だ。
裁判官は法廷内で、その自由が保障された原告、被告の側の言い分を聞いて罪科を判断する。
陪審員が、どちらかの意見が気に食わないと言って、その発言を封殺する権利は無い。

あの元放送作家の、バラエティー番組作家の言い分はあまりにも無知だ。放送作家は番組の視聴率を上げるためにだけ、視聴者という人達に「受ける」ために、ある事無い事の話を作り上げる。視聴者の判断、それは見るか見ないかに任される。逆に言えば「見られる番組」を作るためには「何でも有り」ということにもなる。
根拠の無い、架空の作り話に「言論」という言葉はあてはまらない。

まして、彼は言論を封殺するべきだと考えている。聞く耳持たずどころか・・・。

国家議員に、国家権力の側に言論の自由があるのかどうか。国会議員とて国民だ。でも、権力の側の人間になった時、それは「制約」を受ける。

国会議員に保障されている言論の自由。
それは憲法51条にある「免責特権」だ。

「議院で行った演説・討論・表決について、院外で責任を問われない」という条項。

院外で党本部の会合で言ったことはこの条項とどう整合性が保たれるのか。院内の廊下での記者会見で言ったことは免責特権の範疇にあるのかないのか。

総理大臣にも「言論の自由がある」と官房長官が公言した。総理大臣という立場で、資格での発言。それは51条も含めて「言論の自由」という概念の中で許されることかどうか、それこそ法制局長官にお伺いしたいところだ。

当たり前だと思っていた言論の自由。それが今更大問題になり、論争の争点になっているということ。
結局は「憲法の何を知ってきたのか」というその人の資質の問題ですらある。

日本人は何を学んできたのか。NHK特集ででもやってくれないかな。どう「料理」するかはともかくとして。

2015年7月1日水曜日

「窮屈」な世の中

あれはいつの頃からだったのだろう。“テロ”や“爆発物”の世間が敏感だったのは。

新幹線の駅ではゴミ箱がことごとく撤去されていた。
新幹線に乗ると車内アナウンスがあった。
「不審物を見かけたら車掌にお知らせ下さい」と。

車掌が何処に乗っているのかわからないけど、たぶんグリーン車の近くに車掌室というのがあった気もするけど。

座席に車掌の呼び出しボタンが設置してあるわけでもなかったけど。

「鉄道警察隊が車内を巡回します。ご迷惑をおかけしますがご了承ください」。そんなアナウンスもあった。
確かに屈強な二人一組の警察隊が車内を見回っていた。
仮にデッキに“不審物”があれば、誰の物かと誰何されていた。

今のように全自動改札で無いころは、車掌が必ず「検札」に車内を回っていた。
そんな光景が懐かしい。今も検札ではないが、座席の「確認」に車掌が回っている光景はあるが・・・。

とにかく、世の中不審物に敏感だった。
公共施設からもゴミ箱は撤去されたり、使用禁止の蓋がしてあったような。

“不審物”に敏感だったある時期・・・。
なんとなく「窮屈な感じ」のする世の中だった。

瀬川賢一と言う“不審物”は大手を振って歩いていたけれど。

マスコミが権力の側から、その報道を巡って「懲らしめ」の対象にされている。
気にくわないということで非難の対象とされる。
広告主にまで、圧力に加担しろと呼びかける。

なんとも「窮屈」な時代だ。それはかってもあったことだが。

自民党の二階総務会長は言う。「言いたい放題を言って歩いたらいいというもんじゃない」と。
百田や大西ら。これらは「言葉の不審者」だ。そしてその不審な言動は「確信犯」であるということ。
“不審”を見つけてもお咎め無しだ。厳重注意ってお咎めの中には入らない。

確信犯であるが故、注意しようと何しようと、中には「とりあえず釈明、お詫び」ってとってつけた言葉で逃げを打つが、それらの暴言はその人たちの思想、信条を反映して言葉として発せられたもの。
本質は変わるわけもなく・・・。
十分気を付けなさいって党幹部が言ったって、裏から“指令”が出ている。歓迎されている。

マスコミにとっても窮屈な時代なのか。まして、彼らの言動を支持する国民だっているんだし。選挙区の人たちだっているんだし。
東京16区の有権者が目覚めたって、「落ちた猿」はきっとわめきつづけるのだろうし。

「梅雨空に九条守れの女性デモ」って俳句を投稿したら公民館側はそれを忌避した。
「基地の空鳥は自由に沖縄忌」という句を詠んだら、イデオロギーの強いものはいかがなものかと世話役から批判された人もいるという。

普通の人が詠む俳句だって、自己表現だって「窮屈な思い」をさせられている。

窮屈な世の中。70数年前に十分に堪能させてもらっている。自由にモノが言えない。自由に好きな本も読めない。
「灯火管制」の一言で、家の中の電燈を消さねばならなかった時代。服装にまで気を遣っていたあの「窮屈」な時代、世の中。
隣組は告げ口の窓口だったという「唇寒し」の時代。

どこか似てきているような。

もはや「不審な老人」と化した瀬川クンが徘徊していますよ。時々「窮屈な思い」もさせられながらも。“バカ”を相手にするのもバカバカしいけど。

はい、1F構内での不審者チェックはまことに厳しくありますよ。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...