2015年7月5日日曜日

「戦争と平和」

なにも文豪トルストイの大作のことを指しているのではない。大昔のロシア戦争を言うのでもない。まして、ナターシャの恋物語を指すのでもなく。

今、連日語られる言葉としての「戦争」と「平和」。

平和とは何か。戦争とは何か、という問題。言葉を考える上での問題。

平和が平和を連れてくる。戦争が戦争を連れてくる。戦争によってもたらされる平和なんて無い。
かたや平和を希求する人たちがいる。かたや戦争を志向する人たちがいる。
対極にある戦争と平和と言う言葉。

平和と言うのは戦争が無い状態のことだけをいうのだろうか。人々の心の中に、言葉の中に“戦争”が無くならなければ、国の最高権力者に戦争思考が無くならない限り、そんな人が権力者として居ないということが大事なんではないだろうか。

しかし、戦争が無ければ「平和」と言えるのだろうか。
憲法には「平和を希求し」という文言がある。それを以って「平和憲法」と呼ぶ。だけど、この世の中は「おしなべて平和」なんだろうか。
少なくとも平和と言う言葉を平穏な日々、平穏な生活と理解するなら、この国は戦争をしなくても平和国家では無いともいえる。

社会問題としての貧富の格差や高齢者の問題。貧困が生み出すさまざまな病弊。
派遣労働者の問題や年金問題。

小学校5年生の時、この国は講和条約が締結され、「平和国家」としての道を歩み始めた。多くの人が平和を歓迎していた。だから冬休みの宿題として出された書初めに「平和日本」と書いて提出した。
それを見た担任の先生が言った。
「平和じゃないから平和って言葉があるのよね。本当に平和だったら平和って言葉は無くてもいい。そんな日本にするためにキミたちも勉強しないとね」。そんな趣旨の言葉だった。

胸に突き刺さるものがあった。わずか12歳の子供にとっても。それ以来、平和と言う言葉を使う時に常に考えるものがあった。
そして、平和の対極にある戦争と言うものについて考えるようになった。戦争に関する本を読んだ。中学になっても高校になっても、それ以降も。

そして、この年になった今、あらためて「平和」という言葉を考え、それを言わなくてはならない時代になってきているということ。
「平和」という言葉に振り回される一生になるのではないかということ。

60年も時代が遡ることが出来れば、考えるきっかけを作ってくれたあの梅田育子先生と話し合ってみたいと思っている。すでにして、もうとっくに亡くなられているのだが。当時すでに50歳を越えたお年だったと記憶している。

戦争。それも国と国が、敵と味方が戦うことだけではないと思う。日本人が好戦的な国民であるとは決して思わないけれど、実際に武力を伴った一般的概念の戦争は起きていない、その気配すらなかった時代から、「戦争」という言葉は半ば日常的に使われていた。

貿易戦争、企業戦争、就職戦争、世代間戦争・・・。そして原子力戦争。

「戦争」という言葉も「平和」と同じように、決して無くならない言葉だったのだ。

果たして日本人は平和を享受してきたのだろうか。経済戦争は常に存在し、たびたび人々の生活を脅かしてきた。
“平和ボケ”という言葉が蔓延し、平和と言う言葉が「何も考えない人」につけられた代名詞みたいに安易に使われていたし。

戦争と平和。安倍はもはや確信的戦争志向だ。
しかもそれは勝つという妄想の戦争だ。アメリカと共に戦争をすれば勝つと言う。勝つ戦争は国を守るということか。アメリカはすでにベトナムでは負けている国だ。

戦争は平和をもたらさない。誰かが戦争を止めねばならに。
戦争で何を守るのか。戦争で国は守れない。


トルストイの戦争と平和。あの分厚い本に込められていたものは何だろう。
一つは、「自分探しを続ける若者たちの成長の物語」だということ。そして「生きがいとは何か、幸せとは何か」という問いかけ。

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