2015年7月16日木曜日

「忘れる」のだろうか、「忘れない」。

安保法制、不正常な形で衆院を通過した。参院がどうなるか、法案の帰趨がどうなるかは今は語るのをやめておこう。

昨日の委員会。採決強行。官房長官はじめ政府与党の一部は、採決を強行しようと、「国民はすぐに忘れる」と言った。

そう、彼らの政治経験からすればそういうことは言えるのだろう。

人間には「忘れてはならないこと」がある。忘れるという事がいかに罪深い事か、それは「風化」という言葉に置き換えられた3・11の被災地、特に福島の人達は知っているはずだ。

55年前のあの国会前の光景や、あの時の政治の有り様、醜さを僕は忘れていない。
70年以上前からの、全く鮮明な記憶として残っている戦争の幼児体験。戦後の体験。それも全く忘れてはいない。

55年前の国会前の安保反対闘争。そのデモはほとんどが“組織化”されたものだった。労組や学生運動も。
今の国会をとりまくデモ。ほとんが“素人”が集まっている。

18歳の高校生もいた。高齢者もいた。始めた参加するという人もいる。
その場に立った人たちは、決して忘れない。忘れるのは傍観者だけだ。

政治に無関心と言われてきた若者が反対を叫ぶ。若者は、もちろん全部ではないが、「考える」ということをした人は目覚めた、覚醒したのだと思う。

「国民の理解は深まっていないと思う」。安倍はそう言った。“理解”の意味合い、取り方が違うのだ。
彼らは”理解“したのだ。彼らが理解したのは、あの日本語とはとても言えない、常に逃げの答弁に終始している安倍政治の体質を理解したのだ。

集会の輪の中で、持ってきたIT機器で安保法制そのものを読み込んでいる若者もいた。

国会の中で「戦争」という言葉が使われるたびに、それは安倍が連呼している言葉だが、「戦争は嫌だ」という感覚が国民の中に増えていくのだ。

60年安保闘争。それはすべからく暴力的だった。デモにしても本会議の強行採決にしても、警官隊を院内に入れたことも含めて。

今は様相は全く違う。デモの側から「自制」が呼び掛けられ、ある意味整然とした抗議行動だ。今夜の国会周辺の天候がどうなっているか。
雨の中でも抗議の声は上がるだろう。

雨に打たれながら国会の前に行って声を上げた。そのことを忘れる人はいない。
「忘れる」のは常に政治の側だ。

一旦は引くかもしれない。しかし、参院審議が進むにつれて、その勢いは増すだろう。

政権の姿勢は、国民を舐めている。舐められてたまるか。これまで鬱屈してきた感情が、安保法制と重なって“爆発”するはず。

全くの余談、横道を書く。
国会というのはどこか“茶番”の世界だ。強行採決にしても事前に与野党のすり合わせは出来ている。

昨日の採決強行。そこにはかってあったような、それとても打ち合わせ済みではあったのだが、委員長を羽交い絞めにしたり、席から引きずりおろそうという“暴力的風景”はなかった。委員長を守ろうとする与党の議員はいなかった。
プラカードを掲げるだけの、詰め寄る野党議員はいたが、「醜い国会」の姿をさらすのは止めようという前提での“打ち合わせ”があったからだと“推測”する。

採決を待たず安倍は“逃げる”ように委員会室を去った。浜田委員長は仁王立になって「成立しました」と二回言った。「可決されました」のはずなのに。
そんな採決は無効だ。言い間違いの採決なんて。

福島県の南相馬市議会は安保法制廃案の決議を採択した。賛成した自民党の市議は言う。
「原発事故の収拾で身体を張ってくれた自衛隊員を危険な立場に追いやることは出来ない」と。

若者は覚醒した。眠りから醒めようとしている。安穏とした日々に懐疑の念をいだいている。
次に覚醒しなくてはならないのは誰か。

自民党の議員達だ。本音を言えよと呼びかける。往時の自民党を知悉している者の一人として。

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