2015年7月14日火曜日

「法の支配」と「力の支配」

誰がどう考えようと、民主主義を標榜する国家は「法の支配」のもとで成り立っている。

何を今更、何を今頃・・と言われるかもしれないが。

そして「法」の最高法規は「憲法」である。これは改憲論議とは別だ。
たとえ「改憲」が実現しても、「法の支配」という思想は変わらない。

法の支配を否定するという事は、憲法を否定するという事は、この国のアイデンティティーを無くすということに等しい。

憲法学者が“戦争法案”をいくら「違憲」」だと言っても、それに聞く耳を持たず、あまつさえ憲法学者の存在すら否定するという今の政権のやり方。

なんでも「政権が決める」という発想は、「力の支配」以外何ものでもない。

そう、なんで今更、、、なのだが。

安保法制をめぐる国会審議。その特別委員会の審議のやり方は予算委員会に似ている。
総括質問があり、一般質問があり、一言で言えば首相が出席しているかどうかの違いなんだけど。そして公聴会、締めくくりの総括質疑、採決という段取り。
予算委員会と一つ違う点がある。分科会審議という手順が無いということ。

11の法案を一括りにした安保法制。一本一本の法律について、11の分科会があっても然るべきなのに。なんで野党はそれを強行に言わなかったのだろう。

もはや門外漢の立場ではあるが、かっての“住人”としては合点の行かないところだ。

審議時間が110時間になった。審議は尽くされた。そろそろ採決。相撲の制限時間ではあるまいし、80時間と言うのを誰が決めたんだ。野党もそれになんで異を唱えなかったのだ。

論点は整理されたという。そう論点が整理されたというのはそこから審議がはじまるということだ。

この国の存在そのものが問われる法案。時間で縛る性質のものでは断じて無い。
あくまでも「内容」なのだ。

安倍は「丁寧な説明」をしてきたという。どこが丁寧なのだ。はぐらかし、逃げ、意味不明の答弁や、泥棒や不良に例えた的外れの語録。
あのネットテレビの長広舌に納得した人はいない。むしろ「疑問、疑念」が深まるばかりだ。

でも、「力の支配」を目指す安倍は、言われるように採決を強行するだろう。
言ってみれば“ど素人”ばかりの議員。親方の意向に背けない議員たち。
中にあって、衆院議長の大島は手練れだ。

どんな形で本会議採決に持ち込もうとするのか。まさか清瀬一郎の二の舞はしないとも思うけれど。

きょう、永田町界隈ではあらゆる“策略”が練られているはず。

毎日、朝日、日テレ、NHK。世論調査の結果が報じられた。いずれも安倍内閣支持は不支持を下回った。

世論がどうであろうと、国会の中で働くのは多数決の原理。

果たして二者択一ともいえる多数決原理、多数決民主主義が、本当の民意を反映した民主主義といえるのだろうか。

24日までには参院に送付される。参院の野党がどう戦えるのか。

いろんな意味で、この国の民主主義が今ほど試されている時期は無い。国会を始め、全国で起きている反対行動。

そんな光景を見るのは55年ぶりのことだ。

原発再稼働反対のあの運動を凌駕している。老いも若きも、国民はバカではないということだ。

それにしてもNHK。世論調査の結果を伝えたのは昨夜の7時のニュースの終わり頃だった。
自民党の役員会など、採決に向けた動きはトップで伝え、審議時間110時間と字幕でも掲げておいて。
どう考えても関連するニュースなのに。世論調査の結果は。

一週間前、東京であった昔仲間の会合。最後まで一緒にいたのはNHKにいた記者だ。彼は別れ際に言った。
「もうロクなもんはおらん」と。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...