2015年7月3日金曜日

「沈黙は容認と同じだ」ということ

昨夜はこのところ“恒例”となった国会前の安保法制、安倍政権打倒を訴える国会前の抗議集会の日だった。

東京に知り合いの看護師さんがいる。60歳くらいだ。四谷のイグナチオ教会に通う熱心なカトリック信者だ。
一月ほど前か。茶話会のような集まりで司祭の一人に誘われてという。
「抗議デモに行こう」と。

彼女はデモなどとは全く無縁のところにいた。政治の流れはなんとなく知ってはいたが。でも、なんとなく「不安」なものを感じていた。
場違いのところに行くことに恐怖すら覚えたが、よく考えて、信仰を含めて考えて、行くことを決意した。

昨夜は4,5回目の参加だった。夜7時頃、我が家に電話があった。携帯から。彼女の携帯電話からは会場の音が伝わってくる。大声で話さないと“会話”は出来ない。
「とにかく今夜も来ている」ということを半ば興奮状態の中で、高揚感を持っている中で伝えたかったらしい。最初にデモに行った時から彼女の中に芽生えるものがあったらしい。

とにかく毎週参加しようと決めた。

その電話の脇を通りながら受話器に向かって怒鳴った。「あなたは偉い」と。

デモの会場でいろんな人と知り合いになったという。高齢者もいれば若いお母さんもいる。地方から駆け付けた人もいる。若い女の子もいる。
そこに居る人たちは「活動家」や「市民運動家」ではなく、みんな普通の人たちだった。
その場で言葉を交わした人から、散会後「お疲れさん会」に誘われた。彼女は酒は飲めないが、いろな人の話を聞いてみたいと思い、そう、それは患者さんお話をちゃんと聞くのが使命だと思っていたからだろうか、それは推測に過ぎないけれど、話を聞いてみたいと思って居酒屋に行った。

二時間、戦争の話しや憲法の話し、問題の安保法制の話しの輪に身を置いた。
居酒屋談義は街場の政治談議の場だったという。ごくごく普通の人たちの。

そして彼女は彼女なりに「声を上げなくてはならない」と感じたと言う。
「沈黙は容認に等しい」と思ったという。

60年安保闘争とは全く違う様相の場になっている。今回のデモは。
自発的に参加する一般市民や若者が多いということ。
全国各地で半ば自然発生的に起きている今時の若者が声を上げ始めたデモや集会。過激な行動の無い抗議の意思表示の数々。

それが何を物語っているのか。

木曜集会から一夜明けたきょうの国会。なぜか安倍は殊勝な答弁に終始しているようにも見えた。

野党がいくら反対しても国会の中では強行採決によって法案は可決されるだろう。阻止する手段は無いのだ。
デモが何万人に膨らもうとも安倍はそれに耳を貸すつもりは皆無だ。
「60日ルール」が適用され、成立するはずだ。

それを阻むことが出来るのは誰か。他ならない自民党内部なのだ。自民党が一枚岩となって安倍のもとに結集しているわけではないと思うのだが。

総裁選の経緯を振り返ってみればそれは一目瞭然のはずだ。全国の党員を交えた“予備選”では安倍は石破に負けている。国会議員だけの“本選挙”で僅かの差で勝ったに過ぎない。

きのう石破が自分のグループの会合で言ったこと。
「なんとなく自民党は感じが悪いんだよねという国民の意識が高まって来た時、危機を迎える」。

そう、こんな反応が党内から出ることを安倍は一番恐れていることなのだ。それは安保法制そのものに対してでは無く、「応援団」の集まりで調子に乗って報道批判や誹謗をやってのけた奴らのことを言ってはいるのだろうが。
その雰囲気を捉えての石破の「言外」の意志表示、安倍への“警告”だったとも思われるから。
村上誠一郎を除いて多くの自民党議員は沈黙のなかにいる。御身安泰をだけ願って。国よりも自分という価値観。

原発問題も然りだ。活動家だけの反原発では国民的なレベルには至らない。沈黙は容認に等しい。それは「福島」にも与ええられている言葉なんだと。
沖縄にしてもそうであるように。

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