2017年3月26日日曜日

劣化の中の腐敗

病院通いに明け暮れている。かなり回復してはいるものも”劣化“は進んでいる。身体も頭脳もだ。医者との間の会話には「加齢」という言葉がしばしば登場する。自分が劣化していく中で、この国の劣化を連日見聞きしていることにたまらない焦燥感を覚える。

誰かが嘘をついている。

その嘘を誰が暴けるのか。アガサクリスティーか、刑事コロンボか。


「嘘」や「虚偽」が国権の最高機関であるべき国会の中で、また、我々の生殺与奪の権をもっている官僚の間で、臆面もなく平然と横行していることに言葉は悪いが、思わず嗤ってしまう。

諦めの感情に支配されてくる。


政府は答弁書という公文書の中で総理夫人を「私人」だと位置付けた。
ならば、それでもよかろう。しかし、ならば、その「私人」に国家公務員を「総理夫人付」という”肩書“を付与し、夫人をして”わたしの秘書“と呼ばせるのか。

公人か私人か。靖国参拝時に閣僚にそれを聞きただすことを取材の一つだと思っているマスコミもおかしい。
国から報酬を受け取っている以上、私人は有り得ないのだ。使い分けは許されないのだ。

道徳教育を言うなら、論語に尋ねるまでもなく、こんなことは基本中の基本だ。

自らが置かれた立場や身分に“勘違い”をしているのだ。私人付きの女性官僚が国政に関与する行為をやっている。

矩を超えているのだ。

心の欲する所に従えども矩を踰えず 。すでに70を大幅に超えている者が思い浮かべる言葉だ。


歪んだ国家がさらに劣化している。歪みは腐敗を伴う。

「森友学園問題」。すべからく、あまりにも悲しい喜劇だ。籠池は事実は小説より奇なりと言ったがこんな見苦しい、愚かな喜劇を、小説を書ける人はいないだろう。

道徳を説く学校経営者が、およそ我々が思う道徳の範疇から逸脱し、政治家や官僚を使って己が「我欲」を達成しようと図る。

多くが「知らぬ存ぜぬ」と保身を図る。

政治の劣化だけではない。この国の、我々が戦後手中にした民主主義という理念の根幹が、政治を舞台にして揺るがせにされているのだ。

権力者は往々にして卑怯な振る舞いや言動をする。
それを「政治」ということの理念や哲学を全くわきまえない政治家たちが擁護して回る。

かって堺屋太一という元官僚の作家が、講演でよく語っていた戦後の三大神話。
その一つを書く。

「政治家がいかに無能であっても官僚は優秀だから、何事も官僚に任せておけばいい」。

官僚天国なのだ。公然と行われる「天下り」も含めて。

官僚が総理大臣含め、政治家をうまく操っている。

世論に押されて官僚機構にメスをいれてはみても、その先の、為すべき施術を政治家はわからない。そこに優秀な外科医はいない。

サイコパスが大手を振っている。
平気で嘘をつく。それが悪いことだとは思わない。そんな性格破綻者。

政治を読み解くには心理学者や精神科医の見立てが必要なのかも。

右翼かぶれの大阪のおもろいおっちゃんに、ずる賢いおっちゃんに政治家が振り回されているの”喜劇“。その劇の脇役には、あらゆる”劇“がそうであるように、必ず女性がいる。総理夫人、籠池夫人、顧問弁護士だったひと・・・。

こんなことで政治の中枢がてんやわんやの時、福島では何が起きているか。
帰還問題含めて。福島の課題は枚挙に暇がないはずだが。

2017年3月12日日曜日

そして7年目に・・・

早朝の地震は嫌な感覚でした。さっきもありました。
6年前の3月11日、地震と共にいきなり空が雲に覆われ、雪が舞い、3月とは思えない寒さでした。
そして夜中、どうにか片づけた部屋で、度々の余震に飛び起きながらの仮眠でした。
翌12日の天気は良く覚えていません。何をしたかも記憶に無いのです。
今日のような春を思わせる陽気だったのか。

ようやく入手した小さなテレビで、三陸の大津波の惨状にただただ呆然と見入っていたような気がします。

「3・11」に節目なんてありません。単に月日の経過が6年から7年になっただけです。

「時代を追うこと、それは人間を追うことです」。

ウクライナのノーベル賞作家、スベトラーナ・アレクシェービッチが自作「チェルノブイリの祈り」に書いている言葉です。その通りかもしれません。
被災者の声をひたすら聞き、それに注釈を加えることなく書き続けると言う彼女の文学手法。

被災地の被災した人たちにとって大方は節目の無い時代の流れなのかもしれません。そこで日々さまざまな出来事があったとしても。
時代を追うために人間を追うのか。人間を追うために時代を追うのか。
被災地の、被災した人の姿を追うことが事実としてこの時代を語るということになるのでしょう。

仮設問題はいまだ解決していません。3万人以上もの人が仮設に暮らしています。そこが人間同士が身を寄せ合い、語り合えるコミュニティーとなった仮設もあります。

何回も訪問しましたが、4畳半二間に家族が住む。衣料品だって最小限しか買えない。置くところがないのだから。
天気のいい日は表で勉強している子供もいる・・・。
敗戦後、しばらく復興住宅なるところの一間で暮らしていたものにとっては、それがどんな環境なのか実感としてわかるのです。

仮設で亡くなった人は1,700にものぼるということです。その死をどんな状況で迎えたのか。

入院していた最後の病室はホスピス病棟でした。病室の空きの関係もあったのでしょう。また、そこには神経科の医師もいます。疼痛緩和にはその病棟がよかったのかもしれません。

ホスピス病棟は病院の中でも別次元のような空気がんがれています。
静かで穏やかな空気。
看護師さん達も皆穏やかで丁寧なのです。

乱暴で粗野な言い方ですが、そこは病院の中にあって、病気を治すための病院にあって、“死”に一番近い場所です。多くの方がそこで終焉の時を迎えるのでしょう。
大きな病院で、痛みを緩和するための措置としてモルヒネを投与されながら意識が混濁したまま癌で亡くなっていった友人の姿を思い浮かべます。

痛みが緩和すれば退院できる患者としての自分は、その病棟にあってはまさに「異質の存在」であったと思います。
その病室の中で、薬のせいがあるのかもしれませんが、うとうととしながらどうしても、それは痛みと言う苦痛のせいかもしれませんが、それと闘う気力よりも自分の死と言うことを毎晩のように考えていました。

といってもそれはどんな死に方をするかと言うよりも、葬儀の段取りとかその運営とかきわめて事務的なことであり、しかし、それらで家内に未経験の負担を与えるよりは自分で取り仕切っておこうというおかしな話なのです。

仮設で死ぬと言うこと。そこは病院では無く、「今」の家なのですが、不慮の事故は別にして、孤独死は勿論のこと、「終焉」をどうするか、ある意味身勝手な想像なのです。

子供の頃からも人は死について考えます。大人になって他者の死にかかわると、また、その時の自分の年齢にみあったような考え方をします。
高齢になって入院すれば、それはそれで、また違った考え方をするものです。

それは身内を亡くした被災者の方にとってもそれぞれの捉え方、考え方があうでしょう。

病院の中で考える死。死を考えたということ。それも一つの勉強でした。

2017年3月11日土曜日

“帰還”するといえども

入退院を繰り返して、過日、ようやく帰宅となりました。
帰宅後もほとんどが寝た状態でした。

肺癌そのものはどうやら摘出成功のようで、傷もだいぶ癒えてきました。

問題は「痛み」だったのです。手術に伴う神経の損傷、あるいは過敏。
どうももともとこの種の痛みには敏感だったようで。

疼痛緩和のための入院が長く・・・。
とりあえずは“帰還”しました。
退院後も副作用を伴った痛み止めを服用中です。
薬には相性があるようで、そのクスリにたどりつくのに時間がかかり、痛みは緩和されつつあるも副作用の症状もろもろ。

最たるものが眠気とだるさ。よってほとんど寝ているといったような状態で。

パソコンに向かう気力とてなく、無気力、怠惰のみの後期高齢者だったのです。

きょうばかりは「からから亭日常」を復元させねばなりません。
「3・11」後、「仮設が無くなるまで毎日書き続ける」と豪語しました。

一昨年の脳梗塞でそれが途絶えました。その後はご承知の通り。数日おきであたり週刊のようであったり。そして今回の途絶状態に至り・・・。

慙愧に耐えないのです。

きょうでまる6年です。きょうだけは書かないといけないとおもい慣れない手付きになりながらキーを打っています。
思考能力も大幅低下のようですが。

6年を一括りで語れる言葉なんて持ち合わせていません。
それぞれの6年があったのですから。

それぞれの人がそれぞれの思いで、置かれた場所であの日に思いを馳せると言うことでしょうか。

どんなに言葉を並べてみても、6年前のこと、その後の6年間のこと。語れるものではありません。被災した当事者ではありません。
しかし、一人の人間として、福島県に居住するものとして、考えることは山ほどあるのです。

一生、考えて行かなければならないことばかりです。

原発事故を含め、3・11は人のこころを大きく変えました。良いとか悪いとかではなく。

3・11は「分断」と言う言葉を如実に示してくれました。特に、放射能にまつわることどもは県外・県内の分断。県内どうしの分断、被災者、避難者同士の分断を招きました。

「人間が分断される」。

光景が変わったところもあれば変わらないところもある。
しかし「フクシマ」にあっては多くの事が変わった、変えられてしまった。ということになるのです。

単に6年と言う時日が経過したに過ぎないかもしれません。しかし、6年を契機にいろいろなことが変わろうとしているのです。
変わらざるを得ない状況が作り出されているのです。

最たるものが「帰還問題」です。今月中に一部の帰還困難区域を除いて、その動きが加速されます。
大きな選択を住民は迫られます。

病気を経験した者から言えば、医療機関が全く整備されていないところへの帰還は大問題なのです。
帰還者の多くが高齢者であると言われることからしても尚更のことなのです。

除染やインフラ整備。或る程度改善されたといわれます。
医療機関への言及はあまりありません。
住民へのアンケートによればそれが一番の関心事・問題事なのですが。

極端に言えば、病院が無いということは生きる権利の剥奪でもあるのです。

6年・・・。新たな軋轢が始まる時とでも言えましょうか。
県外避難者への支援打ち切りに始まって・・・。

6年と言うのは歴史の通過点です。

悲劇を悲劇として捉える。そんな「素直な感性」がより求められてくるのです。

東芝の例をもってしても原発事業は儲からない。あの大企業の存立すらあやうくしている。アレバ社だってそうだった。

原発は経済成長や”豊かな暮らし“に逆行している。素直な感性の中で、そのことを考え直すための6年と思ってもらってもいい。

もろもろ、6年以降は、新たな困難の始まりだ。
そんな気がしてもならないのです。

とりあえず力尽きました。きょうはこの辺で・・・。
「復活」する考えですので。

2017年2月12日日曜日

「The Fool on the Hill」、VOL2

病気にはなるけど病人にはなるな。そんな言葉がある。

病院とは医者・看護師・患者のトライアングルで成り立っていると思う。
そのトライアングルは、文字通り、限りなく正三角形であることが必要だ。

病気を治すのは医者だ。外科手術を含めて。
病人を治すのは、いや、病人を作らないのは、患者本人の心の問題であり、そのサポートは看護師の役割だ。と、かねがね経験に基づいて思ってきた。
そして、患者は、その両者に信頼を置くことが肝要だとも。

20数年前、右の肺の中葉に出来た肺癌の摘出手術をした。数か月前から背中に激痛を発症。もろもろの検査結果から肺癌と診断され、結局摘出手術。
背中を肩甲骨のあたりから右わき腹まで袈裟がけに。

3か月間の入院。おもな愁訴は痛みだった。どうも癌が神経にさわっていたとかで。

執刀医は慶応病院の教授。見事な手術だったというが・・・。
痛みの解消についてはあまり関与してもらえなかった。

痛みの症状を理解し、多くの助言をくれ、別の医師も紹介してくれたのは、その病棟の看護師。
励ましも含め、「病人」にならずにすんだのは、数人の看護師“軍団”だった。

彼女たちとは今でも、交流がある。紹介してくれた当時の助教授とも。

病気を治すのは医師。病人を治すのは看護師。なぜなら彼女たちは患者の日常、症状に触れているからよくわかっているのだ。
患者の性格含めて。


この時以来、どうも痛みには滅法弱くなったようだ。
一月前の手術の痛みが取れず、より強くなっているの感。

あすからまた入院します。痛みの緩和やあわよくば治療のため。

また丘の上の住人にしばしなってくるのであります。

DPCとか、90日ルール。オブジーボなどの新薬。高野病院のこと。
丘の上で考えたことのいくつかはまたにということで。 

2017年2月4日土曜日

The Fool on the Hill

「放牧」と勝手に称した事が終わりました。
逆説として「放牧」と言ったのであり、実際は入院していました。

病名は「肺がん」。切除手術。退院した今も傷が痛みます。

痛み止めとの共生です。元来、「痛み」には弱い体質であり。20年以上前、右の肺の中葉を切除しています。
その手術は背中を大きく切り開くというものであり。

術後の痛みが激しく、なかなか退院できませんでした。
そして今度は左の肺。
胸腔鏡手術という方法であり、2カ所「穴」をあけ、ちょっと切りのものでしたがやはり痛みがやってくるのです。


その病院は丘の上にありました。丘の上の白い建物。丘の上から四方が見渡せるのです。

病棟は呼吸器外科病棟。

大方は高齢者がベットに横たわっています。

病室の窓外を眺めながらもろもろのことを考えました。


♪The Fool on the Hill♪、ビートルズの楽曲です。
フールをなんと訳せばいのか。

単に“バカ”か、あるいは“愚者”か、はたまた“おろかもの”か。あるいは“変人”か。

ま、さしずめ「丘の上の変人」と自分には当てはめてみました。

曲を作ったポールマッカートニーによれば「モデル」は天動説に異を唱え、教会に反発して異教徒としえ排斥されても地動説を唱えた、ガリレオ・ガリレイだそうです。
それと彼が飼っていたマーサという名前の犬だそうです。

丘の上で雲を見ていると地動説が立証できるということのようです。

♪今日も変人は丘の上に立って太陽が沈むのを眺めていた。
 先入観の無い眼は真実をみた。
 今日も変人は丘の上に立って太陽が沈むのを見た。
 真実をその目で見た。
地球は太陽を中心に回っている。
真実を見る眼が外側から地球をみる。
彼はわかっていた。誰が本当に愚かなのかを。
その彼を皆が嫌う♪

もろもろ考えたことの一つが大統領に就任したトランプのこと。そして安倍政治のことです。

安倍もトランプも“唯我独尊”、自分を中心に世の中は回っていると思っている。
それは全くの確信に満ちた物であり、まさに両者の思考回路は”同盟“に違わぬ、相似たりの、相似形のようなものだということでした。

偉大なアメリカを取り戻す。日本を取り戻す。似た物同士の思考。
これまでも、事あるごとに言ってきた「何から取り戻す」のかということが霧の中の思考。

病院の起床時間からしばらくすると、日によっては窓外が霧に霞んでいることもある。

飼い主とポチとの関係。三権分立をものともせず、ひたすら独裁者の様相を呈しているということ。

「移民排斥」をトランプは言う。笑ってしまう。だって数百年前にはアメリカ人というのは強圧的な「移民」として、先住民から土地を奪った、いわば「移民の末裔」じゃないのかとも。

やはり痛み故、本日の愚言はここまでとします。
折に触れて丘の上で思ったことを書いていきます。

ご無沙汰をひたすら謝し、今後とものご愛顧を願いつつ。

2017年1月9日月曜日

ボク、「一般の人」なんですけど何か・・・

とにかくこの肩書社会の国。何かの名残だろうか。おおよその書類には職業を記入せねばならないような欄があり、役職欄まである。

職業とは、それを生業にしているものであり、カネを稼ぐ手段なのであり、職種は時にはステータスともなる。
しかし、それを持たない身、“年金生活者”としか書く以外に無い。
“無職”としか書く以外にない。

仮に交通違反を起こし、違反切符に、無職と申告したら、多分、怪しげな眼でみられるのだろう。年金生活と申告すれば、事故を起こす年齢層と区分され、免許証を返納しろと若い警察官から言われるのかもしれない。

無事故・無違反なんだけど。

「一般人」という区分けがあるようだ。

例えば芸能界、テレビに出ている人やテレビ局の中で。
結婚や離婚の報道、お相手は「一般人」と言われる。有名人や著名人ではない、タレントではない、センセイと呼ばれる人でもない場合は。

かねがね疑問に感じていたこの「一般人」という呼称。ワイドショーに毒されたのか、官房長官さままでが使い始めた。

そこまでやるのか、と思う「共謀罪」なるもの。法案の呼称は変えて「「テロ等組織犯罪準備罪」とした。内容も一部変更したが、いわば(安倍の常套句)お得意の単なる言葉の言い換え。しかも”テロ“と言う字を前面に出し、国民の恐怖感を利用としているシロモノ。

テロとはおおよそ無関係なものまでがその法律の適用範囲になっている。
甦るんだよな、高校生の時にはじめてデモに行った、警職法改正の事が。
警察官が恣意的に市民を“犯罪者扱い”にしようとした時のことが。

で、菅官房長官が言った。「一般人は対象としない」という詭弁。彼の思い描く一般人とは誰か。

おおよそ、日本という国の中にあって、一般人ではないのは天皇家だけだ。

政治家だって、一般人だったのが、選挙に出てたまさか当選したにすぎない「ただの人だ」。

“猿は樹から落ちても猿だが、政治家は選挙で落ちればただの人だ”。
永田町で流行った名文句。

政治家はおしなべて「センセイ」と呼ばれる。政治家同士でもそう呼び合う。
大学教授も小・中・高の先生も「センセイ」だ。お互いそう呼び合う。

医者もそうだ。弁護士もそうだ。一般人の家庭の出なのに、国家試験に合格すれば「センセイ」という呼称、肩書を持つ。お互いがそう呼び合う。

官房長官から「一般人」と呼ばれると、なんだか「下にみられている、侮蔑されている」と感じてしまう。

ふざけんなよ、おめえら一般人に名前を書いてもらって当選してきた奴に過ぎないじゃないか。

一般人とは誰か、一般人とは何か。

昔の一般人としてのジャーナリスト、マスコミ人なら食いついただろうに。
あんたらだって下手をすれば「共謀罪」の適用対象になるんだよ。だからビビッているってことかい。

無職の年金生活者、後期高齢者は一般人の中に入っているのだろうか。
「一般人以下」ということなのか。一般人にも入れない“元イッパンジン”。

で、当ブログ、からから亭日乗、「毒舌」はしばらく“放牧”します。
休載へのご懸念は“ご放念”下さりたく。

各種の“メンテナンス”これありにつき。


ただ今日の一言。

ワイドショーは「荒れる成人式」を取り上げるなよ。テレビに映るという彼らの承認欲求を満たすためだけのものだから。

2017年1月5日木曜日

鬼の攪乱ではありませんが

鬼の攪乱とは、普段は健康で病気になんてならないような人が突然病を起こすこと指した言葉であり、普通は風邪のことをいうのを承知の上で。

病に苛まれている後期高齢者の喩えにはならないのですが。それが突然だったと言うこともありで、自らを「優しい鬼」にしてしまいました。

そうなんです。不覚にも、新年、1月1日から風邪を患い、寝たきりの状態でした。
寝ていると夢を見る。高熱にうなされているわけではないのですが、いろいろな夢を見ました。

子どもの頃の夢、学生時代の夢、そして、今の身の回りのことなど。
ホテルのマネージャーと口争いしていたり、有り得ないはずのゴルフ場にいて、何回もティーグラウンドでティーを差していたり。
何の脈絡もないことが重なり合ったり、いつも傍らに黒い姿の見知らぬ影がいたり・・・。
夢とはまったく不明なことばかりです。

今年の干支「丁酉」は、いささか不穏な年回りでもあるような謂れもききます。
すでにしてその予兆すら感じられます。
そう、夢の中にはいつも「アベ」くんが登場してもいるのです。

病気になると(風邪が病気かどうかはともかく)なぜか医者や病院の事を考えます。
広野町にある高野病院の高野院長が、自宅の火災により亡くなったことを知りました。もちろん面識はありませんが、テレビの番組ではお姿を、生き方を拝見していました。

あの「3・11」。全町避難の指示が出ているにも関わらず、高野院長は避難しませんでした。残ってくれたまず少ない職員とともに入院患者を守った人です。
享年81歳。たった一人の老医師。
彼の医師としての魂を貫いているのは「患者を守る」という一点だったとか。
原発被災地の双葉郡にはたった一つしか残されなかった病院だったのです。
後継者は現れるのか。医者としての「使命感」を持った人が表れるのか・・・。

床に臥していて「病院」の夢を見ました。目覚めて「医師」のことを考えました。

郡山に菊池小児科という医院があります。知る限りでは初代の院長は菊池寿子さんという郡山では初めての女医さんでした。
鬼籍に入られて数年。その後には長男の菊池辰夫医師が亡くなりました。震災後、郡山の子供を守るために奮闘されていました。
寿子先生が亡くなったのも原発事故の後。
原発を優しい表現の中に強い意志を込めて糾弾していました。

菊池医院の理念は「すべては患者のために」でした。
年中無休でした。
今は孫の信太郎くんが後を継いでいます。子どもたちの遊び場「ペップ・キッズ」を立ち上げています。

なぜか、郡山にある病院の事が浮かびます。土屋病院というのがああります。
その病院の二男で医師の繁裕さんは若くしてくも膜下出血で突然の他界。
その繁裕さんが書いた本に「ドクター・ハラスメント」というのがあります。

医者の患者いじめの事を書いていました。縁あって、その本の宣伝に協力させてもらいました。もう10年以上前の事ですが。

医師も患者も同じ人間です。人間としては同等であるべきです。
医師は、患者に対しても敬意の念を持つべきです。

しかし、「先生」「先生」と呼ばれているうちに人によってはどこか「勘違い」を起こしてくる。
病院内では権力者となり、どこか患者を「上から目線」で見るようになる。

夢から覚めた夢ですが、すでに到来している高齢化社会。高齢者の患者は増加します。高齢者は体も自由には動かせない場合が多い。
自分の意志や感情を的確に伝えられない場合が多い。
高齢者の患者を怒鳴り上げている若い医師がけっこういる。

「醜い光景」に思えるのです。

医療技術の進歩・向上は必要です。その前に、この高齢化社会にあって、医師と患者との関係はどうあるべきか。
国の社会福祉政策、医療行政制度とは、また違った次元での「在り方」が求められる時代になっているような気もするのです。

「医療従事者の人間学」。そんなものを医療教育の場でせめて一年、学んでもらうというのも必要なのではと。

だから僕は国境なき医師団に加わった医者を尊敬します。看護師を尊敬します。
さだまさしの「風に立つライオン」に感動します。
たまにスーツを用いる時は襟にライオンの襟章をつけます。
一つのささやかな“主張”として。

風邪は癒えました。どうも病は歳月とは無関係のようでありまして。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...