2014年4月30日水曜日

「鼻血」のこと、「美味しんぼ」という漫画のこと

ここ二十年以上、漫画はほとんど接していない。麻生太郎のような好事家ではないし。

のらくろ、冒険ダン吉、ターザン、海底二万哩、そしてサザエさん。子供の頃よく読んだ漫画だった。

裸足のゲンも読んだ。

ゴルゴ13に熱中し、釣りバカ日誌にのめり込み、子連れ狼にはまり・・・。そうそう、あしたのジョーもよかった。
子連れ狼は勉強になった。


美味しんぼという漫画雑誌の連載があるという。そこで原発事故に由来する鼻血のことが話題になっているとか。

作者の雁屋哲という人は“由緒正しき”経歴の持ち主。

漫画では原発現場に取材に行ったジャーナリストが鼻血が出るようになったとか全身倦怠に襲われたとある。

そして当時の町長も「私も鼻血が出ます。今度立候補を取りやめたのは疲労感が耐え難いまでになったからです」と言っている。


新聞記事によれば、筆者は、2011年11月〜13年5月に福島第1原発の敷地内などを取材したことを明かし、「帰って夕食を食べている時に、突然鼻血が出て止まらなくなった」「同行したスタッフも鼻血と倦怠(けんたい)感に悩まされていた」などと語っていた。

ということだ。

当の井戸川町長も新聞社の取材に「雁屋さんから取材されて答えたことがそのまま描かれている。(描写や吹き出しの文章は)本当のことで、それ以上のコメントはない」と話した。


たしかに被ばくしてそうなったとは漫画には描かれていない。巧妙な手口だ。

「風評被害を助長する」という多くの抗議に対して、ビッグコミックスピリッツという雑誌を出している小学館は、「そんな意図は毛頭ない」と言い訳たらたらのコメント。

福島県への風評被害についても「作中で食品検査はきちんと行われており、安心安全は食品を無理解で買わないのは消費者にとっても損失ですと述べている」とも。

風評被害だけではない。これは侮辱であり、デマの流布だ。

そんな漫画を掲載すること自体が。作者と編集者、出版社の幹部とどういう意図のすり合わせがあったのかわからないが。

“双葉から離れて”というドキュメンタリー映画がある。双葉町民が避難してきた埼玉県の騎西高校校舎を舞台にした。そこには井戸川町長も何度も“出演”している。そこで「鼻血」の血の字も語られていない。


原発事故後、あれだけ話題になった、問題視された子供の鼻血の症状のこと。甲状腺被ばくの顕著な症例とまで言われたこと。

それは全く話には出てこない。


双葉の人も、富岡の人も、浪江の人も、大熊の人も知っている。知人がいる。「3・11」について話をする。接した限りの人で鼻血を出した人のことは聞いていない。

まして、食品を生産する30キロ圏外、郡山ででも、周りに鼻血を出した子供のこと、大人のこと、それが止まらなくなったという人はいない。

最近、鼻血が出た。鼻毛を切ろうとしたはさみで傷つけたから。鼻炎で鼻をかみすぎて粘膜が切れたから。

60年も前、子供は常に鼻血を出していた。年中鼻血だった。鼻の穴にちり紙を丸めて入れておいてしばらくすると止まった。
鼻血が出ると首を後ろにそらせて首筋をトントンとたたかれた。それで終わり。

高校時代、ラグビーでぶつかって鼻血があふれるように出た。やはり首筋トントン。

チョコレートを食べすぎると鼻血が出るといわれた。十代後半の鼻血は「青春のシンボル」だった。

今、タケノコの季節。精が強いから食べすぎると鼻血が出ると教わってきた。子供の頃。美味しいものを食べすぎるから鼻血が出るんだぞと漫画誌に言いたい。

「いちえふ」という漫画もある。モーニングという漫画誌に載っている。原発作業員を経験した人の描いた漫画。事実を淡々と描いている。作業員の日常を。

ハッピーさんという漫画の登場人物のようなHNで毎日のようにつぶやいている作業員。そこにも鼻血の記述は無い。

少しは考えろよな。“活動家”のようなこともしている漫画家さんよ。漫画の影響は大きいらしいから。元総理だって感化されるくらいなんだから。

2014年4月29日火曜日

きょうは“天皇誕生日”なのだ

昭和生まれの、昭和を約半世紀生きてきた人間にとっては、4月29日は、天皇誕生日なのだ。
親の世代は“天長節”と言っていた。

昭和天皇が亡くなってからこの日はみどりの日と言われ、今は昭和の日。みどりの日は5月4日に移行。かくて「大型連休」なるものが出来上がる。

そして人はそれをゴールデンウイークと呼びならわす。

子どもの頃、家にはなぜかビロウドで装丁された昭和天皇、裕仁天皇の写真集があった。飽きずに見入っていた。

たしかそこには天皇としての裕仁と生物学者としての裕仁が“同居”していたような。
行幸の様子もあった。

昭和という時代を懐古しているわけではないが、もはや昭和レトロと言われるようになった63年間。
戦争を挟んでの昭和という時代。

通常国会の開会式。参院本会議場。毎年、昭和天皇の姿を見、「お言葉」を書いて送っていた。

どうも何々の日という「国民の祝日」というのに抵抗感がある。

その祝日法は建国記念日を決めるときに与野党で相当の混乱があり、なんだか雨後の竹の子のように祝日、休日が増えていった。ハッピーマンデーなるものも登場して。

記念の日は動かしてはならないと思うから。

で、国民の祝日は、元日・建国記念日・天皇誕生日・憲法記念日・春分の日・秋分の日。それくらいでいいのではないかと思う。

成人の日。いまだに成人は何歳をもってするかで議論が交わされている。国民投票は18歳。刑法適用は20歳。

こどもの日。昔は端午の節句といった。いつの間にか男の子の祝日になった。鯉幟を揚げる日になった。

老人は敬われていないのに敬老の日があり、いつも運動している人が多いのにもかかわらず体育の日。それは昭和39年の東京オリンピックを契機に出来た日のはず。

国旗を掲げて祝う日なのか。あげく噴飯なるもの海の日、そして出来るであろう山の日。なにをかいわんやである。

文化の日は明治天皇の誕生日だった。名を変えた。大正天皇の誕生日にちなんだ祝日は無い。

いっそ、祝日では無く、国民の記念日というのも作ったらどうかとさえ思う。
沖縄の日、原爆の日、そして阪神淡路大震災の日、東日本大震災の日というのも。祈念の日として。休日にするかどうかはともかく。

昭和天皇の誕生日。開戦の詔書、終戦の詔書、憲法に記されている御名御璽を思う。
昭和天皇は戦争に積極的ではなかったし、終戦を急がれていたし。質素を旨とした日常生活を送られていたし。

それは今の平成天皇になっても変わらない皇室の姿勢だと思う。

明治維新にさかのぼっても、時の「権力者達」は、なんだかんだと言って天皇を“政治利用”してきたじゃないか。

天皇の意向に背くこともしてきたじゃないか。しているじゃないか。

昭和から平成へ。天皇も変わり元号も変わった。しかし、時代の空気というものはそこに確たる線引きは無い。昭和の延長としての平成という思いすらする。

田中角栄がいみじくも言っていた。「天皇陛下がおられてこの国は助かった」と。
敗戦後、極度の混乱もなかった。騒乱もなかった。3・11でも平成天皇の言葉や行動がどれだけこの国を、称賛される国と印象付けたか。

昭和天皇を懐かしむ。そして平成天皇、美智子妃に限りない尊崇の念を抱く・・・。
平成天皇の在り様が大きな支えになっていることを、なったことに感謝する。

つまらない記念日と一緒に天皇誕生日を並べるのは嫌だ。

2014年4月28日月曜日

高度成長の“ひずみ”

東京話の続きのようですが・・・。

OB会ということで昔懐かしい場所、六本木での会合だった一昨日。それぞれが街の変貌に戸惑いながらの昔話で・・・。

今もテレ朝通りって残っているのだろうか、その名称。どうもあるらしいのだが。

かつての社屋があったところ。昔、材木町、今、六本木六丁目。そこから有栖川公園の方に曲がったところに李家苑という中国料理の店がありました。
昼は“社員食堂”状態。庭園もあり、二階は宴会場。

そこに「スープそば」というメニューがあった。たぶん一番廉価だったはず。
好んでそれを注文していた。

ある時からか、そこの店の店員さんが、今でいうホールのサービスする人がかなり変わった。増えた。

その人たちはいつも不機嫌そうだった。無口だし。客が気をつかうくらいの。

“料金を払って食べさせてもらっている”。そんな雰囲気。

ある日、極端に不機嫌そうなその人が、スープそばを運んできた。テーブルにどすんと置く。スープがこぼれる。何も言わずに去っていく・・・。

黙って拭きにはきたが。今の外食産業では有り得ないような光景。

一緒にいた先輩が一言言った。
「これが高度経済成長のひずみっていうもんだな」と。そう、どこも人手不足だった時代。

それからしばらくはその人が注文を取りにくると「ひずみ、ひずみ」と聞こえないように言っていたっけ。

そのことを思い出してその場所に行ってみた。無かった。その李家苑は。


「ひずみ」ー。辞書にはこうある。
形がゆがんでいること。いびつ。比喩的にある事の結果として現れた悪い影響と。

いろんなことがいろんな“ひずみ”を生む。

バブルのひずみていうのもあったのだろう。

低成長のひずみというのもあったのだろう。

一握りの富者と大方の普通の暮らしの人、一握りの敗者、貧者。

戦後はルンペンといった。浮浪者のことを。ホームレスという言葉はいつからうまれたのだろう。それだった一つの“ひずみ”としての社会現象。

ホームレスとは言わないのだろうが、ネットカフェに寝泊まりしている若者。


きょう久しぶりに歌壇にホームレスを名乗る人が登場していた。例の公田さんではないが。

「この夜をどこで過ごそうと行く背後 次々とシャッター降ろさるる音」


貧困とはひずみなのか怠惰のゆえなのか。わからない。

高度成長が原発を作った。成長を目指すこの国は、またその原発を求めている。
原発は、そこにあった“ひずみ”の故に、それは物理的な“ひずみ”ではあったが、“ひずみ”を認めようとしない人間が被害を拡大させた。

東日本大震災で、「痛みを分かち合う」として削減されていた国会議員の歳費は来月から元に戻る。

月に160万円の歳費。それをして自民党の幹事長は言った。
「議員が生活にに困窮するのはいかがなものか」と。

歳費とは、生活費だ。自由に使える生活費。税金の話はともかく160万でなんで困窮するのか。

政治活動費は政治資金団体から出る。政党助成金だって配分もある。議員の懐具合をとやかく細かく言わないが・・・。

安い家賃の議員宿舎に住んでいた奴が、いつの間にか豪邸を建てている。

「井戸塀政治家」という言葉があったが、それも今や“死語”だ。

石破発言も、ある意味“ひずみ”だ。感覚としての“ひずみ”。

例を挙げればきりがない「ひずみ社会」を生きているということ。

2014年4月27日日曜日

“バベルの塔”を見上げて来た

分不相応というか、勘違いというか。身の程知らずというか。聖書にある言葉を比喩的にもちいて「バベルの塔」という。

人間が神により近きところに立とうと思い、人間が幾層にも積んで作り上げた塔、それを怒った神は壊したとも言われる。


久しぶりに東京へ行ってきた。昔の会社のOB会。

東京は半分はよく知っているが、半分はわからない。人の流れ、変貌する町並み。めまいがするような。

それはともかく、やはり、そこにはバベルの塔が立ち並んでいた。高層ビル、高層ビル群。

どこが何のビルかわからない。戸惑う。もはや公共交通機関の乗り方、乗り換え、場所すらわからない。上にはバベルの塔。地中には煩雑な交通網、インフラ網。

一時揶揄したもんだ。バベルの塔ではなくて「バブルの塔」だと。
確実に「バブル」が再来しているようにも見受けられて。


それは今や日本だけのことではない。中国、中東、特にオマーンやドバイなど。
孔子さまもびっくり、アラーの神もびっくりといわんばかりに高層ビルが建設中だとか。

そして、そう、横浜のランドマークタワーがそうであったように、高速エレベーターがその建物の中を走っている。超高速エレベーター、その技術は日本の会社が優れているという。日立・三菱・東芝・・・。

なんだい、ほとんど原発関連産業じゃないか。

ちょっと前、テレビのニュースがやっていた。時速72キロの高速エレベーター。
外国のビルに使うとか。
速いし振動も無い。

日本の科学技術の粋を集めた成果。エレベーター。

それを伝えるナレーション読みの女性アナウンサーの声、読み方。どこか国威発揚を言う北朝鮮のアナウンサーの口調にも似ていたような気さえして。

凄さよりも、怖さの方が先に立つ感覚。もし事故があったら・・・と。

高層ビルの中を高速でエレバーターが昇降する。その空間の中で。
そんな必要ってあるのだろうか。

必要は発明の母なのか、発明が必要の母なのか。もうわからない。

かつてはデパートのエレベーターガールは花形だった。白い手袋で扉を開け閉めし、右手ではボタンを押す。いや、ハンドルのようなものを回していたような記憶もある。

発電所のエレベーターはゆっくり昇降していた。1Fでも2Fでも。広野の火力に至っては最上階に行くのにずいぶん時間がかかった。まるで手動で動かしているみたいだった。ドアは手動で開閉していたと思う。

今、1Fではエレベーターは動いていないのだろう。上層階に上がるために作業員の人たちは歩いているのだろうか。

高層ビルではないけれど、原発だって、文明っていうことで捉えれば、やはり「バベルの塔」であった。神の怒りにふれたのかどうかはともかくとして。

「空中権」なるものが設定されているという東京駅。おのぼりさんよろしく写真を撮りましたよ。駅の煉瓦色と無機質な色彩の高層ビルの「コントラスト」・・・。

六本木には残っていたな。金谷マンションビル。煉瓦色。中はどうなっているかわからないけど外観あるだけで記憶のよすがとなるような。

富岡製糸工場跡、世界遺産登録へとか。

郡山にもちょっと前まではあったんだ。煉瓦の塀が。パラマウント、日東紡、その前の橋本製糸会社。その壮大な煉瓦塀は、どこも壊され、その痕跡すら無い。

製糸工場が郡山の経済を支えていたのかもしれない。そこに“女工哀史”があったかどうかはともかく・・・。

その煉瓦塀のあったところの内側には、やはり、高層マンションが建っている。

あの煉瓦塀。30万都市の「文化遺産」であってもよかったんじゃないかって。

2014年4月26日土曜日

「子どもは土を見る、大人は土地を見る」

郡山の児童詩誌「青い窓」。その創設者だった佐藤浩さん。元は学校の先生だった。宗教に造詣の深い人だった。

浩さんは亡くなったが、その灯は今も受け継がれている。

その佐藤先生が言った言葉の一つに「子どもは土を見る。大人は土地を見る」というのがある。

子どもは純粋に土に触れ、土を観察し、土の中にいる生き物を友達にする。
大人はお金を友達にしてしまった。土地を見るとは土地の価格を見るということ。

今、語られた言葉ではない。たぶんバブルの頃だったろうか。この言葉はこんな子供の詩に、小学校2年生の子の詩に触発されて生まれたのだという。


「土の中」

みみずのす
せみのようちゅうのす
かぶと虫のようちゅうのす
ありのす
もぐらのいえ
土の中は
まるで 大きなアパートのようだ


そうなんだよな。子供の言うアパートとは、いろんな生き物が住んでいるということなんだよな。

大人はそこにマンションを建てる。土をコンクリートで固め、基礎を打ち、瀟洒なマンションを。

土が確実に減っている。土のある光景が。コンクリートやU字溝。生き物の生態系は確実に変わっていく。「生き残った土」は放射能というコンクリートで覆われた科学の粋を集めた中で作られたもので汚染される。

農民の土も奪われた。笑ってはいけないけれど高層マンションに住む人は土を恋しがる。

皮肉な光景。

河川の堤防。防災のためにといって護岸工事でコンクリに覆われる。

津波で被害を受けたところにはコンクリートの巨大防潮堤が作られていく。

なんだかおかしいのだ。

中学生の時、生意気にも、長塚節の「土」という小説に挑んだ。難解な文章。
要は農民の労苦を、結論があるようなないようなかたちで書いたもの。

近々、我が家にも除染なるものがやってくるらしい。土ははがされ袋に入れて埋められる。

我が家では飼っていた犬が他界すると記念に樹を植える。思い出に。

初台からごっそりその樹を運んできて植えてある。
月下美人・金木犀・ひめかずら・うつぎ・郡山で植えた柊木犀。

除染の前に、どこかうまいこと、しまわないと・・・。

金子みすずが書いていた。「土」という詩を。

こッつん こッつん 打(ぶ)たれる土は
よい畠になって よい麦生むよ。
朝から晩まで 踏まれる土は
よい路になって
車を通すよ。

打たれぬ土は 踏まれぬ土は 要らない土か。
いえいえそれは 名のない草の お宿をするのよ。


桜の季節が終わり、名の無い草や名のある花の季節になった・・・。

土の匂いを懐かしむ。

2014年4月25日金曜日

「食べ物」のこと「ゴミ」のこと

東京の知人。90歳の老夫婦。このご婦人が凄い。例えば果物の皮は冷凍庫に保管し、たまったら刻んで煮込んでママレードを作る。
送ってくれるそのママレードは実に美味い。

食べ物に無駄な部分は無い、要らないとこは無いといった具合に。
包装紙はとっておく。それで栞を作ったり、封筒を作る。

戦争経験者、戦後の食糧難。それを乗り越えて来たからか。「無駄」「倹約」などを知っているからか・・・。


燃えるゴミの日、生ゴミの日。集積所は山ほどの「ゴミ」であふれている。
中身を“点検”しているわけではないが。

子供の頃、ゴミ置き場なんていうのが無かった時代。どうにも処分出来ないゴミは庭に穴を掘って埋めていた。
ゴミは極端に少なかった。

たとえばスイカのへたは切って漬物にする。仏壇にあげたご飯は「仏さんのおさがり」と言って茶漬けで食べる。使えない紙は庭で燃やす。大根には葉っぱがついていた。葉っぱをきざんで塩でもみ、ご飯の上にかけて食べた。

「物は大事にしろ」と教えられた。無駄・節約・倹約。徹底して言われた。魚の骨はあぶって食べた。「カルシューム」だと言って。魚の目玉は母親の大好物だった。ポリ袋もビニール袋もない。たいがいのものは新聞紙にくるまれ、竹の皮に包まれていた。洗えば何度でも使えた。

処分出来ない生ゴミは畑の肥やしともされていた。還流だ。

挙げればきりがないが。

みんな工夫を凝らしていた。なんにでも応用した。

飽食の時代、大量消費時代・・・・。物はどんどん捨てられた。使い捨て文化が蔓延した。

賞味期限なるものが作られ、期限切れのものはどんどん捨てられていく。

飲食店から捨てられるゴミの数々。売れ残って捨てられる弁当の数々。
廃棄される食糧。

豊かな国・・・・。

廃棄物処理場、ゴミの焼却場に行くゴミの40%は家庭ゴミだという。
使えるものも多々ある。不燃物として捨てられているものには。

椅子、机、棚、衣料品・・・。捨てられる。捨てられる。

合言葉は「断捨離」だとか。

そして片や、美徳のように言われる3Rとやら。
リサイクル・リユース・リデュース。

捨てられている段ボールの山。過剰包装なのだ。

4年前、福島に来た人たち、帰郷してきた人たち。土産に渡された福島の食べ物を、たとえば菓子にしろ。途中で捨てた。
帰途の高速のサービスエリアにそれがうずたかく、そのまま捨てられていた。

だから、なんとなく思う。やがて人間は捨てられる時代になるのかと。いや、もう言葉としてはある。

使い捨てという言葉が。年をとった人間は要らない人間か。
姥捨て山という言葉があった。楢山節考という小説もあった。

年期の入った年寄りの知恵は逞しい。

徘徊老人が列車事故を起こした。85歳の妻に慰謝料を払えとする判決。いや、それ以前に告訴したJR。

ゴミ置き場に捨てられたアルミの空き缶。一個1円で売れるという。町内会の資源回収に出せば、新聞紙も段ボールもカネになり、町内会の資金になる。

でも、それはいつもゴミ置き場に捨てられている・・・。

福島の米は、いまだ、一部では忌避されているという。

間もなく田植えの季節を迎える。米を食べ残ししたら、親から叱られた。
「お百姓さんに申し訳ない」と。

2014年4月24日木曜日

「クルミ」が消えた・・・。

焼き菓子を作り知人に送りたいといわれて、「くるみ」を買いに行った。
無い、無い、無い。この前の時はあったのに。

「なんかテレビでやってたらしいですよ。クルミは健康にいいというのを。一挙に売れました。一人で30とか50袋買っていかれる。メーカーも欠品だそうです」。馴染みの店員さんは呆れ顔。
「なんでテレビでやるとこうなるんでしょうかね。あまり売れていなかったものなのに。ばかばかしくなってきますよ」。

店の方でも、売れることを必ずしも喜んでいないのだ。


またか・・。

テレビが「健康にいいもの」をやると、必ずと言っていいほど、その商品はバカ売れする。店頭から消える。

なんだろうこの現象。

午前中のテレビは健康器具の通販番組、健康食品の通販番組。適度な演出を加えて。

そして夜はからだいにい、健康のための食べ物を。
しかもご念がいっている。必ず番組に白衣を着た医者を登場させ、その効能を“実験”も交えてやる。

翌日、その物は店から消える。買いだめされる。

クルミの焼き菓子を楽しみ待っていた人は90歳を越えた人。その人の楽しみは失われた・・・。

テレビが火をつける“同調行動”。

くだんの店員さんはいう。どうせいっときですよ。すぐに飽きられますから。

見抜いているね。そのばかばかしさを。

世にいう”平和ボケ“的現象か。

4年前、土壌の放射能汚染を防ぐため、除去するためにはひまわりが最適といわれた。こぞってひまわりが植えられていた。

その次も何やらがいいとテレビで偉い先生が言った。皆、買占めに走っていた。

バナナがいいといえばバナナは無くなる。値が上がる。

別にテレビの方は煽っているつもりではないだろう。でも、健康ものは数字が稼げる。
手を替え品を替えての健康、健康。

踊らされているとしか思えない消費行動。

大震災後、原発事故後。日本中で商品が無くなった。店頭から。
水はその典型。

東京であったこんな話を思い出す。
赤ん坊を連れた若いお母さんがミルクを飲ませる水をスーパーに買いに行った。

お一人様一本とされていた。残りは僅か。ようやく200ミリリットルのペットボトルを手に入れレジに並んだ。
その人の前には若い男性が並んでいた。ミルクがほしくてむずかる赤ん坊。

レジを通ったあと、その男性が声を掛けてきた。
「僕のと交換しましょう」。その人は500ミリリットルのペットボトルを持っていた。

500のボトルを押し付けるようにして、200のボトルを持って去って行った・・・。

そのお母さんは子供が大きくなったらその時の話をするのだという。
「その人のおかげであなたは大きくなれたのよ」と。

徒労に終わったくるみの買い物。楽しみを奪われた90歳の知人。

春は憂いを伴てやってきているような・・・。

春候鬱々として晴れず。
kurumi

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...