郡山の知人を介して、なんと、子供の頃の隣の友達と連絡する機会を得た。
不思議なご縁だ。
小学校、中学校の同級生。初台の我が家の庭続きだった家。金子秀史という。
何時の頃か。彼は彼の一家は引っ越していった。
東京の三鷹に住んでいる。今は。
郡山の知人から電話番号を聞き、彼に電話。
「おお、けんちゃん!かい」って。
1時間余りか、電話で話し、いずれの再会を約した。
1時間、それぞれの消息、それよりも初台のことが多かった。街のこと、町並みのこと。
我が家が無くなっているのを、彼はたまたま見たらしい。
彼なりの「失われた時を訪ねて」の時間を持ったからか。
お互いに記憶にある子供時代の街のことを話しあう。記憶が抜けていることが、お互いの話しで“補完”しあう。
変わってしまった街の光景のこと。その中で“個人の思い”は埋没してしまっていた。
「街の復興とともに、個人の思いは封殺されて行く。他人事となって行く」。
被災地の誰かが言っていた言葉だ。消されて行くのだ。思い出や思いが。
境遇は違っているが、その言葉を思いだし、彼に伝えた。
円安だ、株高だ、金融の量的緩和だ。そんなことが日経のメールで立て続けに伝えられてくる。
日本経済はどうなるのか・・・。
それより今日の問題は、ガソリンだ。安売りデーだとメールでお知らせが来ていた。ガソリンを入れに行き、洗車、車内掃除機。クタクタ・・・。
たしかリッター147円だったような気がする。会員価格。
そのスタンドはドトールコヒーと併設されている。手を洗いに店内のトイレへ。
その中で流れていた音楽。自らの意思ではないが、どこかで“封印”していたような時の流れ。50年近いタイムスリップ。
過去への。
♪グッバイ ジミー グッバイ♪。昭和30年代にそこそこ流行っていた曲。
たしか、歌手はキャシー・リンデンと言ったか。
3拍子。比較的優しいコード。リズムもちょうどいい。テネシーワルツに似たような。
ジェームスディーンを偲んだ曲だと記憶している。
ドトールのトイレの中の懐かしい曲との“再会”。そこに居座るわけにはいかないが、その場を離れたくなかった。
「取り戻したような時」にずっと浸っていたかった。
今、回るにあることすべてを「忘れさせてくれるような」調べ。
音楽家が言っていた。
「歌は、歌われた瞬間に作り手から解き放たれ、どこか他のところに飛んで行く」。
そう、解き放たれて、今の時代の、あの頃を知っている僕のところに飛んできてくれたんだ。
“封殺”から“解放”されたような。
今朝の新聞の訃報欄で知った。テレビ朝日の先輩の死。小田久栄門。新潟訛りの抜けない人だった。
今の「報道ステーション」の前、久米宏の「ニュースステーション」を立ち上げた人。
ある種、テレビ報道の「革命児」だったかもしれなかった人。
20年以上も会ってないが、いまさら言ってもしょうがないが、彼に今のテレビをどう思っているかも聞いておきたかった。
邂逅もあれば、別れもあるんだよな・・・。
街だってそうだ。街もそう思っているのかもしれない。
東北は、福島は、「エデンの東」なのかどうか。
2014年10月31日金曜日
2014年10月30日木曜日
“想像”の街の話し、そして現実
晴れた日、犬の散歩で仮設に行く。なぜ犬を連れてか。
ボクは人相が悪い。ビッグパレットが避難所だった時、ヤクザが来たと思われていたと言うから。
そんな男が仮設を歩いていても、誰も話しかけてこない。
小春日和の日。仮設で佇んでいる高齢者を見かける。
声はかけてくれない。犬がいればニコッと笑い、犬に声をかけてくる。そして人間同士の会話が生まれる。
あとどれくらいあそこに居るのだろう・・・。
久しぶりのような青空が広がっていた。秋そのもの。
帰り道、空を見上げて妄想する。一つの街の姿を。
なだからな丘陵地帯。丘の上には老人ホームがある。介護施設がある。
医療機関も併設されている。
その周りは芝生の公園。丘の下には幼稚園や学校がある。
ちっとした商店がある。
そのホームの食道は誰にでも開放されている。入所者も外部の人もスタッフも使える。安くて栄養価のバランスがとれた食事。
隣にはカフェもある。そこは犬が自由に入れる。もちろん入所者も。
施設の窓は大きく、開ければ手すりのついたベランダがある。
園庭や校庭で遊ぶ子供たちの姿を入所者は見ることが出来る。
公園では、赤ちゃんをベビーカーに乗せたお母さんが散策している。
そこは「開放」された場所。
施設の入所者も、市民も、子供も、ペットも。お互いがお互いを眺められる光景。
子供の笑い声で、入所者のお年寄りも、きっと笑みがこぼれるだろう。遊ぶ姿は老人を癒すだろう。老人だけの空間はより老けさせる。
食堂は、それこそ「タニタの社員食堂」のように、栄養が考えられ、美味い。
見知らぬ他人だとて、場を同じくすれば、そこで通い合うものがある。
犬をみれば、触れば、それとても世間とつながっていることになる。
そして、若いお母さんは、年寄りからいろいろなことを教わる。教えることで年寄りの意識も変わる。生甲斐にもなる。
そこに医療従事者も交ざれば、お互いが学ぶことは多いはず。
犬だって、自分の“役割”がわかるはず。
核家族化の時代。社会構造として、こんな“街”が生まれてもいいのになと。
高齢化社会の在り方ではないかなとも。
子どもたちだって、杖をついて歩いている年寄りの姿を見て、感じる物はあるはず。
コンパクトシティー、スマートシティー。そんな議論や構想が交わされている。
そこには、あらゆるものが存在し、お互いを認識できる場であって欲しいのだが。
被災地の新しい町づくりだけの話ではない。この国のあらゆるところで抱えている問題。
老人ホームの料金値上げが俎上にのぼっている。もろもろ、この国の福祉政策は“終焉”を迎えるかもしれない。
さっき、旧知の人と久しぶりに会った。東京の施設に入所していた母親が100歳で亡くなったという。
葬儀までに、10日かかったという。「焼き場」が空いてないからだと。
骨は実家に持って行ったという。実家は石巻。そこに住んでいた彼の弟は、もちろん高齢者だけど、仮設に暮らしているという。
菩提寺も津波に襲われ、住職も犠牲になったという。かろうじて残っていた墓に納骨したと。
前段、後段、脈絡が無い話だ。
でも、どこかで共通しているような話でもある。
行く末・・・・。
ボクは人相が悪い。ビッグパレットが避難所だった時、ヤクザが来たと思われていたと言うから。
そんな男が仮設を歩いていても、誰も話しかけてこない。
小春日和の日。仮設で佇んでいる高齢者を見かける。
声はかけてくれない。犬がいればニコッと笑い、犬に声をかけてくる。そして人間同士の会話が生まれる。
あとどれくらいあそこに居るのだろう・・・。
久しぶりのような青空が広がっていた。秋そのもの。
帰り道、空を見上げて妄想する。一つの街の姿を。
なだからな丘陵地帯。丘の上には老人ホームがある。介護施設がある。
医療機関も併設されている。
その周りは芝生の公園。丘の下には幼稚園や学校がある。
ちっとした商店がある。
そのホームの食道は誰にでも開放されている。入所者も外部の人もスタッフも使える。安くて栄養価のバランスがとれた食事。
隣にはカフェもある。そこは犬が自由に入れる。もちろん入所者も。
施設の窓は大きく、開ければ手すりのついたベランダがある。
園庭や校庭で遊ぶ子供たちの姿を入所者は見ることが出来る。
公園では、赤ちゃんをベビーカーに乗せたお母さんが散策している。
そこは「開放」された場所。
施設の入所者も、市民も、子供も、ペットも。お互いがお互いを眺められる光景。
子供の笑い声で、入所者のお年寄りも、きっと笑みがこぼれるだろう。遊ぶ姿は老人を癒すだろう。老人だけの空間はより老けさせる。
食堂は、それこそ「タニタの社員食堂」のように、栄養が考えられ、美味い。
見知らぬ他人だとて、場を同じくすれば、そこで通い合うものがある。
犬をみれば、触れば、それとても世間とつながっていることになる。
そして、若いお母さんは、年寄りからいろいろなことを教わる。教えることで年寄りの意識も変わる。生甲斐にもなる。
そこに医療従事者も交ざれば、お互いが学ぶことは多いはず。
犬だって、自分の“役割”がわかるはず。
核家族化の時代。社会構造として、こんな“街”が生まれてもいいのになと。
高齢化社会の在り方ではないかなとも。
子どもたちだって、杖をついて歩いている年寄りの姿を見て、感じる物はあるはず。
コンパクトシティー、スマートシティー。そんな議論や構想が交わされている。
そこには、あらゆるものが存在し、お互いを認識できる場であって欲しいのだが。
被災地の新しい町づくりだけの話ではない。この国のあらゆるところで抱えている問題。
老人ホームの料金値上げが俎上にのぼっている。もろもろ、この国の福祉政策は“終焉”を迎えるかもしれない。
さっき、旧知の人と久しぶりに会った。東京の施設に入所していた母親が100歳で亡くなったという。
葬儀までに、10日かかったという。「焼き場」が空いてないからだと。
骨は実家に持って行ったという。実家は石巻。そこに住んでいた彼の弟は、もちろん高齢者だけど、仮設に暮らしているという。
菩提寺も津波に襲われ、住職も犠牲になったという。かろうじて残っていた墓に納骨したと。
前段、後段、脈絡が無い話だ。
でも、どこかで共通しているような話でもある。
行く末・・・・。
2014年10月29日水曜日
校庭の汚染土のこと
今朝の地元紙の一面みて驚いた。言ってみれば目を疑った。
「学校の汚染土、搬入対象外」。
つまり中間貯蔵施設には学校の校庭に埋められている汚染土は、中間貯蔵施設には持っていかないということだ。
2011年を思い出す。5月だったか。6月だったか。
郡山市の薫小学校界隈は、いわゆる「ホットスポット」と言われた。
一帯は線量が高い地域だった。
当時の郡山市長は、いわば“独断”のような形で、校庭の表土剥ぎ取りを行った。それに対して国や県からは、“異論”が出された。“反発”された。
でも、やった。
校庭の隅には一時、剥ぎ取られた土が積まれ、ビニールシートで覆われた状況があった。
それを写真に撮って、「子どもを放射線の中で遊ばせている。子どもを殺すのか」などと言った投稿がネットに氾濫していた。
1年後もその写真は晒されていた。その度に郡山は揶揄されてきた。
やがて表土剥ぎ取り方式は県内の各学校で行われるようになった。地中に埋められた汚染土。
それは、あの時はそれ以外に方法は無かったのだ。校庭で子供を、たとえ時間制限をしたとしても、遊ばせる、走らせる、運動させるためには。
そして、その土は、やがてどこかで「処分される」と多くの人が思っていた。
中間貯蔵施設問題が俎上に上り、そこに、汚染土は運び込まれると思っていた。
うっかりしていた。その時に出来た法律をよく読んでいなかった。
2012年1月に出来た法律。放射性物質汚染対処特別措置法。その施行令では、法律が出来る前に生まれたものは搬入対象外とされていたのだ。
それを知っていた県は反発した。環境省は、そのまま店晒しにして、現在に至るってことだ。
関係者は知っていた。多くの県民は知らなかったということか。
中間貯蔵施設は何のために作られるのか。
「見える物」として仮置き場に置かれている黒い袋の山だけを片付ける、持っていくということか。
見た目を綺麗にするための施設かとも言いたい。
汚染が、線量が一番高かった時期に“処分”されたものは、その対象外だという国の考え。納得が出来るはずも無く。
事例は違うが、子ども・被災者生活支援法というのも2012年の6月に超党派で成立している。
しかし、法律は出来たが「魂」は入れずではないが、店晒しにされ、具体的な施行令は出来ず、極端な言い方だけど、ガラスバッジを、個人線量計での測定に変えたというくらいか。しかも「基準値」を引き上げて。
校庭の問題。県の抗議に対し、環境庁も、いささかは忸怩たるものがあるのだろうか。「法律上は搬入対象に入っていないが、法の施行の前と後で差が出るのは非合理な部分もある」として、検討をすると言っているとか。
県は、8月に中間貯蔵施設の受け入れを「苦渋の決断」とかなんとか言って、受け入れている。なぜその時に、国との交渉過程で、校庭の埋設土のことを質さなかったのか。不可思議だ。
こんな「不条理」が、毎日、どこかで、何かの形で露呈している福島。
「子どもたちが安心して遊べる安全な場所、環境」。政治にかかわる人は判で押したようにみなそういう。でもその裏ではこんなことだってあるのだ。
搬入に手間がかかるということか、カネがかかるということか。不完全な法律をたてにとっていればいいということか。
我が家の庭も「除染」された。もともとがたいした線量では無かったが。
作業後しばらくたってから、計測の担当者が来た。赤い印で囲まれた表土を埋設した場所。
「やはりここの方が線量はいくらか高いですね」とその担当者の弁。
「中間」が出来たら、いの一番に搬入するのは校庭に埋められている汚染土ではなかろうか。
国とは、行政とは、かくのごときものなのか。
3年余りのいきさつを知っているはずの内堀新知事は、さて、どう動くのかだな。
「学校の汚染土、搬入対象外」。
つまり中間貯蔵施設には学校の校庭に埋められている汚染土は、中間貯蔵施設には持っていかないということだ。
2011年を思い出す。5月だったか。6月だったか。
郡山市の薫小学校界隈は、いわゆる「ホットスポット」と言われた。
一帯は線量が高い地域だった。
当時の郡山市長は、いわば“独断”のような形で、校庭の表土剥ぎ取りを行った。それに対して国や県からは、“異論”が出された。“反発”された。
でも、やった。
校庭の隅には一時、剥ぎ取られた土が積まれ、ビニールシートで覆われた状況があった。
それを写真に撮って、「子どもを放射線の中で遊ばせている。子どもを殺すのか」などと言った投稿がネットに氾濫していた。
1年後もその写真は晒されていた。その度に郡山は揶揄されてきた。
やがて表土剥ぎ取り方式は県内の各学校で行われるようになった。地中に埋められた汚染土。
それは、あの時はそれ以外に方法は無かったのだ。校庭で子供を、たとえ時間制限をしたとしても、遊ばせる、走らせる、運動させるためには。
そして、その土は、やがてどこかで「処分される」と多くの人が思っていた。
中間貯蔵施設問題が俎上に上り、そこに、汚染土は運び込まれると思っていた。
うっかりしていた。その時に出来た法律をよく読んでいなかった。
2012年1月に出来た法律。放射性物質汚染対処特別措置法。その施行令では、法律が出来る前に生まれたものは搬入対象外とされていたのだ。
それを知っていた県は反発した。環境省は、そのまま店晒しにして、現在に至るってことだ。
関係者は知っていた。多くの県民は知らなかったということか。
中間貯蔵施設は何のために作られるのか。
「見える物」として仮置き場に置かれている黒い袋の山だけを片付ける、持っていくということか。
見た目を綺麗にするための施設かとも言いたい。
汚染が、線量が一番高かった時期に“処分”されたものは、その対象外だという国の考え。納得が出来るはずも無く。
事例は違うが、子ども・被災者生活支援法というのも2012年の6月に超党派で成立している。
しかし、法律は出来たが「魂」は入れずではないが、店晒しにされ、具体的な施行令は出来ず、極端な言い方だけど、ガラスバッジを、個人線量計での測定に変えたというくらいか。しかも「基準値」を引き上げて。
校庭の問題。県の抗議に対し、環境庁も、いささかは忸怩たるものがあるのだろうか。「法律上は搬入対象に入っていないが、法の施行の前と後で差が出るのは非合理な部分もある」として、検討をすると言っているとか。
県は、8月に中間貯蔵施設の受け入れを「苦渋の決断」とかなんとか言って、受け入れている。なぜその時に、国との交渉過程で、校庭の埋設土のことを質さなかったのか。不可思議だ。
こんな「不条理」が、毎日、どこかで、何かの形で露呈している福島。
「子どもたちが安心して遊べる安全な場所、環境」。政治にかかわる人は判で押したようにみなそういう。でもその裏ではこんなことだってあるのだ。
搬入に手間がかかるということか、カネがかかるということか。不完全な法律をたてにとっていればいいということか。
我が家の庭も「除染」された。もともとがたいした線量では無かったが。
作業後しばらくたってから、計測の担当者が来た。赤い印で囲まれた表土を埋設した場所。
「やはりここの方が線量はいくらか高いですね」とその担当者の弁。
「中間」が出来たら、いの一番に搬入するのは校庭に埋められている汚染土ではなかろうか。
国とは、行政とは、かくのごときものなのか。
3年余りのいきさつを知っているはずの内堀新知事は、さて、どう動くのかだな。
2014年10月28日火曜日
「カネがすべての世の中さ~」
昨夜も今朝も寒いです。とても10月とは思えないくらい。
昨夜、風呂に入りながら、ふと「五右衛門風呂は暖まっていいなあ・・」なんて思っていたら、なんと夢でお会いしましてね。
いやいや、相変わらずの意気軒昂でした。いつものフレーズ。
石川や、浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ~~って。
あの世から、今のこの世を見ているんでしょうな。
盗人って誰?て聞いたら、盗人猛々しい奴らだと。
どうも政治資金の事を言われているみたいであり。そんなこと言うから太閤秀吉の勘気を蒙り死罪になったんだぜと言っておきましたが。
別れ際、大見得切ってやはり言ってましたよ。
「カネがすべての世の中さ」って。綺麗ごとばかり言ってんじゃねえよって具合で。
そんな夢を見るのも、それはそのはず。寝床に行く前にネットで中継されている、深夜12時からの望月環境大臣の緊急記者会見を見てしまったから。
何をいっているのかよくわからなかったが。
要は、賀詞交歓会やゴルフ大会の政治資金収支報告が虚偽記載されていたことへの釈明。どこかのマスコミが書こうとしているのがわかり、それが出る前の釈明だったような。深夜12時に。
少なくとも国に届けられて政治資金収支報告書は誰でも見ようと思えば見えるもの。マスコミが丁寧に読んで行けばボロが見つかるもの。
政治とカネ。
小渕優子に続き、松島みどりのうちわ、うちはは有価物だと思っています。団扇には団扇としての「価値」があるものと。
そして、宮沢経済産業相の外国人からの政治献金。有村治子女性活躍相の脱税企業からの献金問題。そして望月大臣のこの不実記載、虚偽記載。
環境大臣。福島にとっては欠かせない大臣だ。復興大臣とともに、「窓口」の人だ。
不思議なものだ。前大臣は「最後はカネメでしょ」と言って、たぶん政治家としての将来を棒に振った。
現大臣も、なにやら「カネ」にまつわる問題が出てくる。
福島にとって環境大臣は「鬼門」なりやとも。
外国人からの政治献金。民主党の前原はそれで辞任した。同じような問題を暴露された田中慶秋法務大臣に対して安倍自民党総裁は国会でこう言っていたはず。
「前原は辞職した。そういうような要求をしていかなければならない」と。
言葉はブーメランのように返ってくる。
これを指摘されたら、国会で質問されたら安倍はなんと答弁するのだろうか。
国会でのやりとり見ていて五右衛門は言うのだろうか。
「絶景かな、絶景かな」と。
どうでもいいことだけど、元郡山警察署長だった人は、今は“外国人”が経営するパチンコ企業に身を置いている。
もちろん政治資金と盗人とは違う。だけど、かすめっとっているようなものだ。
だから金額の多寡にかかわらず世間の指弾を浴びる。
だからね、五右衛門ついでに鼠小僧次郎吉にも登場願おう。
「盗みはすれど非道はせず」。
どこかの歌舞伎の舞台で大見得を切るかもしれない。観客の大拍手に迎えられて。
はい、お時間がよろしいようで・・・。
昨夜、風呂に入りながら、ふと「五右衛門風呂は暖まっていいなあ・・」なんて思っていたら、なんと夢でお会いしましてね。
いやいや、相変わらずの意気軒昂でした。いつものフレーズ。
石川や、浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ~~って。
あの世から、今のこの世を見ているんでしょうな。
盗人って誰?て聞いたら、盗人猛々しい奴らだと。
どうも政治資金の事を言われているみたいであり。そんなこと言うから太閤秀吉の勘気を蒙り死罪になったんだぜと言っておきましたが。
別れ際、大見得切ってやはり言ってましたよ。
「カネがすべての世の中さ」って。綺麗ごとばかり言ってんじゃねえよって具合で。
そんな夢を見るのも、それはそのはず。寝床に行く前にネットで中継されている、深夜12時からの望月環境大臣の緊急記者会見を見てしまったから。
何をいっているのかよくわからなかったが。
要は、賀詞交歓会やゴルフ大会の政治資金収支報告が虚偽記載されていたことへの釈明。どこかのマスコミが書こうとしているのがわかり、それが出る前の釈明だったような。深夜12時に。
少なくとも国に届けられて政治資金収支報告書は誰でも見ようと思えば見えるもの。マスコミが丁寧に読んで行けばボロが見つかるもの。
政治とカネ。
小渕優子に続き、松島みどりのうちわ、うちはは有価物だと思っています。団扇には団扇としての「価値」があるものと。
そして、宮沢経済産業相の外国人からの政治献金。有村治子女性活躍相の脱税企業からの献金問題。そして望月大臣のこの不実記載、虚偽記載。
環境大臣。福島にとっては欠かせない大臣だ。復興大臣とともに、「窓口」の人だ。
不思議なものだ。前大臣は「最後はカネメでしょ」と言って、たぶん政治家としての将来を棒に振った。
現大臣も、なにやら「カネ」にまつわる問題が出てくる。
福島にとって環境大臣は「鬼門」なりやとも。
外国人からの政治献金。民主党の前原はそれで辞任した。同じような問題を暴露された田中慶秋法務大臣に対して安倍自民党総裁は国会でこう言っていたはず。
「前原は辞職した。そういうような要求をしていかなければならない」と。
言葉はブーメランのように返ってくる。
これを指摘されたら、国会で質問されたら安倍はなんと答弁するのだろうか。
国会でのやりとり見ていて五右衛門は言うのだろうか。
「絶景かな、絶景かな」と。
どうでもいいことだけど、元郡山警察署長だった人は、今は“外国人”が経営するパチンコ企業に身を置いている。
もちろん政治資金と盗人とは違う。だけど、かすめっとっているようなものだ。
だから金額の多寡にかかわらず世間の指弾を浴びる。
だからね、五右衛門ついでに鼠小僧次郎吉にも登場願おう。
「盗みはすれど非道はせず」。
どこかの歌舞伎の舞台で大見得を切るかもしれない。観客の大拍手に迎えられて。
はい、お時間がよろしいようで・・・。
2014年10月27日月曜日
「変わらずに生き残るためには・・・」
知事選の結果を知り、その票や投票率を見ながら、こんな言葉を思い出していた。
「変わらずに生き残るためには、自分が変わらねばならない」。映画「山猫」でアラン・ドロンが言っていたセリフ。
それを今の福島に当てはめればこうなるのではないだろうかとも。
「何かを変えるためには、自分が変わらなければならない」と。
県民の4人に一人は、佐藤雄平県政の継続を支持したということ。
「変わらない」という選択をしたということ。
投票率は過去2番目の低さ。45,85%。郡山市に至っては39,69%。
盛り上がりに欠ける選挙だったと言われる。盛り上がるとはどういうことか。
選挙に関心が無いという人が多かったということか。
たしかに、身近でも、選挙があることも、それが何の選挙であることも知らない人もいた。
誰がなっても同じだという人もいた。
民主主義というのは、選挙という方法でしか「民意」は反映出来ない。それが、投票率がいかに低かろうと、法定得票率に達していれば、県政のトップになれるということだ。
永田町では、自民も公明も民主も、皆、安堵していた。福島県は「原発」につての“発言権”を放棄したのに等しい。「目先」の事を優先させたのだ。
テレビのインタビューで内堀は言っていた。佐藤県政の継承と、国との連携強化を。
また一つの自治体が、中央の「出先機関」のような構図に嵌めこまれる。
その「民意」を「民度」を否定したって始まらない。だって、自分たちが変わることを良しとしなかったのだから。
原発は選挙の焦点にならなかった。復興や地域経済の伸長が必要なこととされた。
反でも脱でもなんでも、「原発依存社会」からの脱却という動きは、被災地で阻止された。
再稼働に力を与えるのか。反原発運動に影響を与えるのか。
中選挙区の時代から、福島は保守王国と位置付けられて来た。保守の意味するものが何であるかはともかく。
「3・11」後、原発被災者が、避難者が集まってきた郡山市。市と県との間には数多くの齟齬があった。
県は、県としての役割を果たしていたとはとても思えない。県を悪しざまにいう人も多くいた。
それらも3年と言う月日の経過とともに、「埋没」してしまったということなのか。国の意のままに動く県政の中で、県民は、生きる術を見つけて行かなければならない。
それは何を意味するか。あらゆることが国に収斂されるということだ。
無表情にテレビのインタビューによどみなく答え、その目からは何も読み取ることが出来なかった内堀。
その内堀が「自ら変わる」ことを選択するのかどうか。浸みこんだ官僚体質からはそれを望むことは適うまい。
何もいたずらに「変わること」や「変革」を求めているつもりはない。内堀の三分の一の得票しか得られなかった熊坂。
彼が何かを「変える」ことが出来たかどうかも不明だ。
現実的選択という民意。四分の一の。
俗に言う「しらけっきった」人達は、この得体の知れない「閉塞感」の中で、何を見つけようとしているのだろうかとも。
またまた“澱”のようなものが溜っていく・・・。
何かを手に入れるためには何かを捨てなければならない。そんな言葉に納得して、好きな趣味を大好きだった楽しみを、捨てては見たのだが・・・・。
「変わらずに生き残るためには、自分が変わらねばならない」。映画「山猫」でアラン・ドロンが言っていたセリフ。
それを今の福島に当てはめればこうなるのではないだろうかとも。
「何かを変えるためには、自分が変わらなければならない」と。
県民の4人に一人は、佐藤雄平県政の継続を支持したということ。
「変わらない」という選択をしたということ。
投票率は過去2番目の低さ。45,85%。郡山市に至っては39,69%。
盛り上がりに欠ける選挙だったと言われる。盛り上がるとはどういうことか。
選挙に関心が無いという人が多かったということか。
たしかに、身近でも、選挙があることも、それが何の選挙であることも知らない人もいた。
誰がなっても同じだという人もいた。
民主主義というのは、選挙という方法でしか「民意」は反映出来ない。それが、投票率がいかに低かろうと、法定得票率に達していれば、県政のトップになれるということだ。
永田町では、自民も公明も民主も、皆、安堵していた。福島県は「原発」につての“発言権”を放棄したのに等しい。「目先」の事を優先させたのだ。
テレビのインタビューで内堀は言っていた。佐藤県政の継承と、国との連携強化を。
また一つの自治体が、中央の「出先機関」のような構図に嵌めこまれる。
その「民意」を「民度」を否定したって始まらない。だって、自分たちが変わることを良しとしなかったのだから。
原発は選挙の焦点にならなかった。復興や地域経済の伸長が必要なこととされた。
反でも脱でもなんでも、「原発依存社会」からの脱却という動きは、被災地で阻止された。
再稼働に力を与えるのか。反原発運動に影響を与えるのか。
中選挙区の時代から、福島は保守王国と位置付けられて来た。保守の意味するものが何であるかはともかく。
「3・11」後、原発被災者が、避難者が集まってきた郡山市。市と県との間には数多くの齟齬があった。
県は、県としての役割を果たしていたとはとても思えない。県を悪しざまにいう人も多くいた。
それらも3年と言う月日の経過とともに、「埋没」してしまったということなのか。国の意のままに動く県政の中で、県民は、生きる術を見つけて行かなければならない。
それは何を意味するか。あらゆることが国に収斂されるということだ。
無表情にテレビのインタビューによどみなく答え、その目からは何も読み取ることが出来なかった内堀。
その内堀が「自ら変わる」ことを選択するのかどうか。浸みこんだ官僚体質からはそれを望むことは適うまい。
何もいたずらに「変わること」や「変革」を求めているつもりはない。内堀の三分の一の得票しか得られなかった熊坂。
彼が何かを「変える」ことが出来たかどうかも不明だ。
現実的選択という民意。四分の一の。
俗に言う「しらけっきった」人達は、この得体の知れない「閉塞感」の中で、何を見つけようとしているのだろうかとも。
またまた“澱”のようなものが溜っていく・・・。
何かを手に入れるためには何かを捨てなければならない。そんな言葉に納得して、好きな趣味を大好きだった楽しみを、捨てては見たのだが・・・・。
2014年10月26日日曜日
「終わり」と「始まり」と
考えてみれば、なんとも不思議な選挙だった。福島県知事選。
いきなりの6人の立候補者。
前哨戦では名前が上がり、そして消え・・・。辞退したりも。
ドタバタ選挙だった感あり。現知事が土壇場まで去就を明らかにしなかったことが大きい。
そして自民党内の「内ゲバ」、なんとも古臭い表現だが。
世にいう「死んだ子の歳を数える」のたとえはおかしいかもしれないが。そもそも論を言っても仕方は無いが。
昨夜大学の同窓会があった。投票日前日なのに、最初自民の候補に擬せられて鉢村を惜しむ声がいまだにあった。
出したい人だったという。真剣に福島を考えて、そこに身を置く覚悟を持っていた人だと・・・。
6人の候補のポスターは貼られずに終わってしまった地域もある。
その象徴的な場所は「仮設」。
それが何を意味しているのか。
投票率に影響を及ぼすのか。
終わりと始まり。そんな言葉が浮かんでくる。終わらなければ何かは始まらないという意味で。
間もなく投票は終わる。数時間後、当落が決まる。
現知事の後継指名者が勝つのか、変革を訴える候補が勝つのか。
後継者が勝てば、何かが終わるのか。単に知事の名が変わっただけで済んでしまうのか。
終わりと始まり。それは「喪失と再起」という言葉に置き換えてもいい。
「3・11」で「福島」は終わったのだ。あらゆる意味で。
だから、再起をはからねばならないと思っているのだろうが。普通の県民は。
明治維新と敗戦。戦後と3・11。時代の対比ともいえる。価値観の変化ともいえる。
今度の知事選が、福島県にとって、何かが終わり何かが始まるきっかけであってくれればいいと念じていたのだが。
何かを終わらせなければ、何も始まらないということなのだ。
しかし、福島に限らず、この国は、いまだ、変わることをおそれている。何かを終わらせることに逡巡している。いや、終わったものがあるのに、それを認めようとしない。
「民主主義」という言葉が、これほど連日のように“登場”した時代はあったのだろうか。
民主主義は終わったと嘆く大人たちがいる。終わったのなら始めようではないかと立ち上がる若者たちがいる。
継承されているような国家の価値観。それを終わりにしなければ、新しい国にはならない。
なにも「革命」を言っているのではない。価値観の一つの基準だ。
だから、それを「福島」で考える。
福島には、何かを始める要素はいくらでも生まれたのだ。
「福島からはじめよう」。そんな言葉を現知事は、確たる意味も持たず言い募っていた。何も終わらせていないのに。だからその「言葉」を僕は嗤った。
彼の時代は終わった。だから真の意味で福島が始まりの端緒となることを祈ったのだが。
国政にも大きな影響を与えるのが、次の知事選。沖縄。
沖縄と言う「島」では、住民たちが日々闘っている。沖縄はさまざまな意味で「戦いの、闘いの島」だ。
福島という「島」はどうか。闘っているのか。闘いを放棄した「島」か。決して語呂合わせのつもりで書いているのではない。
知事選の結果、何も終わったということが感じられなかったら、事実がそうであったら、再び、終わと始まりの“闘い”をしなくてはならない。
それは「終わり」を認識し、「始まり」の声を上げてくれる若者託さねばならないのだとしても。
福島の若者たちが、大人たちが“放棄”した、終わりへの道を、始まりへの道に一本の鍬を振り下ろしてくれることを願って・・・。
いきなりの6人の立候補者。
前哨戦では名前が上がり、そして消え・・・。辞退したりも。
ドタバタ選挙だった感あり。現知事が土壇場まで去就を明らかにしなかったことが大きい。
そして自民党内の「内ゲバ」、なんとも古臭い表現だが。
世にいう「死んだ子の歳を数える」のたとえはおかしいかもしれないが。そもそも論を言っても仕方は無いが。
昨夜大学の同窓会があった。投票日前日なのに、最初自民の候補に擬せられて鉢村を惜しむ声がいまだにあった。
出したい人だったという。真剣に福島を考えて、そこに身を置く覚悟を持っていた人だと・・・。
6人の候補のポスターは貼られずに終わってしまった地域もある。
その象徴的な場所は「仮設」。
それが何を意味しているのか。
投票率に影響を及ぼすのか。
終わりと始まり。そんな言葉が浮かんでくる。終わらなければ何かは始まらないという意味で。
間もなく投票は終わる。数時間後、当落が決まる。
現知事の後継指名者が勝つのか、変革を訴える候補が勝つのか。
後継者が勝てば、何かが終わるのか。単に知事の名が変わっただけで済んでしまうのか。
終わりと始まり。それは「喪失と再起」という言葉に置き換えてもいい。
「3・11」で「福島」は終わったのだ。あらゆる意味で。
だから、再起をはからねばならないと思っているのだろうが。普通の県民は。
明治維新と敗戦。戦後と3・11。時代の対比ともいえる。価値観の変化ともいえる。
今度の知事選が、福島県にとって、何かが終わり何かが始まるきっかけであってくれればいいと念じていたのだが。
何かを終わらせなければ、何も始まらないということなのだ。
しかし、福島に限らず、この国は、いまだ、変わることをおそれている。何かを終わらせることに逡巡している。いや、終わったものがあるのに、それを認めようとしない。
「民主主義」という言葉が、これほど連日のように“登場”した時代はあったのだろうか。
民主主義は終わったと嘆く大人たちがいる。終わったのなら始めようではないかと立ち上がる若者たちがいる。
継承されているような国家の価値観。それを終わりにしなければ、新しい国にはならない。
なにも「革命」を言っているのではない。価値観の一つの基準だ。
だから、それを「福島」で考える。
福島には、何かを始める要素はいくらでも生まれたのだ。
「福島からはじめよう」。そんな言葉を現知事は、確たる意味も持たず言い募っていた。何も終わらせていないのに。だからその「言葉」を僕は嗤った。
彼の時代は終わった。だから真の意味で福島が始まりの端緒となることを祈ったのだが。
国政にも大きな影響を与えるのが、次の知事選。沖縄。
沖縄と言う「島」では、住民たちが日々闘っている。沖縄はさまざまな意味で「戦いの、闘いの島」だ。
福島という「島」はどうか。闘っているのか。闘いを放棄した「島」か。決して語呂合わせのつもりで書いているのではない。
知事選の結果、何も終わったということが感じられなかったら、事実がそうであったら、再び、終わと始まりの“闘い”をしなくてはならない。
それは「終わり」を認識し、「始まり」の声を上げてくれる若者託さねばならないのだとしても。
福島の若者たちが、大人たちが“放棄”した、終わりへの道を、始まりへの道に一本の鍬を振り下ろしてくれることを願って・・・。
2014年10月25日土曜日
「自立」と「支援」と
福島を取り巻いている状況や、福島を語るときに、この「自立」と「支援」、あるいは「依存」と言う言葉がついて回る。如何ともしがたく・・・。
「地方創生」が言われる。その「国の施策」に地方がどれほどかかわれるのか。
それに対しての“発言権”はあるのか。
地方創生。或る意味“新語”だ。アベノミクスという造語も闊歩している。なんか、勝手に名づけて勝手に踊っているみたいだ。
「地方」が付く政治には、もういくつも出会った。そしてその「成果」を聞いたことが無い。
地方自治・地方の時代・地方分権・地域主権・・・。それが何をもたらしたのか。過去の亡霊のような言葉。
地方自治。自治とは「自らおさめる」と書いている。中央から、国から、自立せよということなのだと思うが。
物の言いようはともかく、中央は権限や財源を地方に移譲したいなんて思ってもいない。いや、中には地方自治を理解してくれている官僚もいる。しかし、官僚機構はそれを許さない。
他方、地方自治体の側はどうか。国からの交付金・補助金、それをいかに確保するかに汲々としている。支援という名のもとでの。全くの依存の構造なのだ。
新潟県の山古志村。震災から10年を経て、人口は減ったが「自立」を果たした。その住民の誇らしげな表情をテレビは伝えていた。
「地域づくり、それは、村民が自ら立ち上がったことに尽きる。住民の意識の問題だ」という。
山古志村に似た風景の、それは牛の事だけではなく。飯舘村でも、再三、村民が立ち上がり、村を取り戻そうとした。しかし叶わなかった。
言わずと知れた放射能の汚染だ。
除染は国に依存しなければならない。除染と言う名の「依存」。依存体質がはびこる中では、自立する、立ち上がるという意欲はそがれる。
明日は県知事選だ。県知事選の位置づけを「自立」と「支援」という観点から捉える。
誰が「自立」を目指そうとしているのか。誰が「支援」に重きを置いているのか。
迷わず「自立」を県民は選択すべきだ。
なまじっか、政治のプロを自認する県議会議員、市町村議会の議員。あまりにも自立への気概に欠ける。そう見える。
旧態依然とした構図でしか知事選を捉えない。
福島は変わらなくてはならない。全国の範に足り得るような自治体に生まれ変わるべきだ。
過去に拘っていてどうする。選挙が終わってしまったら、また、もとの「つまらない一東北の県」を見なされる。それでいいのか。
「3・11」が突き付けたものを、真正面から受け止めるべきなのだ。そう思う。
そして、それは冷静に考えるべきことだとも。
ネットで見る限り、なにやらおどろおどろしい画像を付けて、相手候補の攻撃に、それも、あまりにも見苦しい言葉させ羅列して。
普通の県民には、それは馴染まない。かえって引く。
昔からある言葉。「贔屓の引き倒し」。
選挙は明日。いまさら何を寝ぼけたことをと言われるかもしれない。
ありふれた、通り一遍の選挙情勢報道なんていらない。
地方自治とは何か。地方の独自性、それこそ“地域主権”とは何か。数時間あれば考えが及ぶはずとも思い。
綺麗ごとを書いているつもりはさらさら無い。まさに矜持を問うているのだ。
そして再度言う。知事選と国策とは別次元ではないと。今、中央にものもうさずしていつ言うのか。いつ示すのか。民主主義で与えられている権利の行使。
山古志村。自立。新潟県。県知事は、国にしかともの申している。だからこそ村に“再生”が、地域起こしが出来上がったのではないかとも。
「地方創生」が言われる。その「国の施策」に地方がどれほどかかわれるのか。
それに対しての“発言権”はあるのか。
地方創生。或る意味“新語”だ。アベノミクスという造語も闊歩している。なんか、勝手に名づけて勝手に踊っているみたいだ。
「地方」が付く政治には、もういくつも出会った。そしてその「成果」を聞いたことが無い。
地方自治・地方の時代・地方分権・地域主権・・・。それが何をもたらしたのか。過去の亡霊のような言葉。
地方自治。自治とは「自らおさめる」と書いている。中央から、国から、自立せよということなのだと思うが。
物の言いようはともかく、中央は権限や財源を地方に移譲したいなんて思ってもいない。いや、中には地方自治を理解してくれている官僚もいる。しかし、官僚機構はそれを許さない。
他方、地方自治体の側はどうか。国からの交付金・補助金、それをいかに確保するかに汲々としている。支援という名のもとでの。全くの依存の構造なのだ。
新潟県の山古志村。震災から10年を経て、人口は減ったが「自立」を果たした。その住民の誇らしげな表情をテレビは伝えていた。
「地域づくり、それは、村民が自ら立ち上がったことに尽きる。住民の意識の問題だ」という。
山古志村に似た風景の、それは牛の事だけではなく。飯舘村でも、再三、村民が立ち上がり、村を取り戻そうとした。しかし叶わなかった。
言わずと知れた放射能の汚染だ。
除染は国に依存しなければならない。除染と言う名の「依存」。依存体質がはびこる中では、自立する、立ち上がるという意欲はそがれる。
明日は県知事選だ。県知事選の位置づけを「自立」と「支援」という観点から捉える。
誰が「自立」を目指そうとしているのか。誰が「支援」に重きを置いているのか。
迷わず「自立」を県民は選択すべきだ。
なまじっか、政治のプロを自認する県議会議員、市町村議会の議員。あまりにも自立への気概に欠ける。そう見える。
旧態依然とした構図でしか知事選を捉えない。
福島は変わらなくてはならない。全国の範に足り得るような自治体に生まれ変わるべきだ。
過去に拘っていてどうする。選挙が終わってしまったら、また、もとの「つまらない一東北の県」を見なされる。それでいいのか。
「3・11」が突き付けたものを、真正面から受け止めるべきなのだ。そう思う。
そして、それは冷静に考えるべきことだとも。
ネットで見る限り、なにやらおどろおどろしい画像を付けて、相手候補の攻撃に、それも、あまりにも見苦しい言葉させ羅列して。
普通の県民には、それは馴染まない。かえって引く。
昔からある言葉。「贔屓の引き倒し」。
選挙は明日。いまさら何を寝ぼけたことをと言われるかもしれない。
ありふれた、通り一遍の選挙情勢報道なんていらない。
地方自治とは何か。地方の独自性、それこそ“地域主権”とは何か。数時間あれば考えが及ぶはずとも思い。
綺麗ごとを書いているつもりはさらさら無い。まさに矜持を問うているのだ。
そして再度言う。知事選と国策とは別次元ではないと。今、中央にものもうさずしていつ言うのか。いつ示すのか。民主主義で与えられている権利の行使。
山古志村。自立。新潟県。県知事は、国にしかともの申している。だからこそ村に“再生”が、地域起こしが出来上がったのではないかとも。
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