考えてみれば、なんとも不思議な選挙だった。福島県知事選。
いきなりの6人の立候補者。
前哨戦では名前が上がり、そして消え・・・。辞退したりも。
ドタバタ選挙だった感あり。現知事が土壇場まで去就を明らかにしなかったことが大きい。
そして自民党内の「内ゲバ」、なんとも古臭い表現だが。
世にいう「死んだ子の歳を数える」のたとえはおかしいかもしれないが。そもそも論を言っても仕方は無いが。
昨夜大学の同窓会があった。投票日前日なのに、最初自民の候補に擬せられて鉢村を惜しむ声がいまだにあった。
出したい人だったという。真剣に福島を考えて、そこに身を置く覚悟を持っていた人だと・・・。
6人の候補のポスターは貼られずに終わってしまった地域もある。
その象徴的な場所は「仮設」。
それが何を意味しているのか。
投票率に影響を及ぼすのか。
終わりと始まり。そんな言葉が浮かんでくる。終わらなければ何かは始まらないという意味で。
間もなく投票は終わる。数時間後、当落が決まる。
現知事の後継指名者が勝つのか、変革を訴える候補が勝つのか。
後継者が勝てば、何かが終わるのか。単に知事の名が変わっただけで済んでしまうのか。
終わりと始まり。それは「喪失と再起」という言葉に置き換えてもいい。
「3・11」で「福島」は終わったのだ。あらゆる意味で。
だから、再起をはからねばならないと思っているのだろうが。普通の県民は。
明治維新と敗戦。戦後と3・11。時代の対比ともいえる。価値観の変化ともいえる。
今度の知事選が、福島県にとって、何かが終わり何かが始まるきっかけであってくれればいいと念じていたのだが。
何かを終わらせなければ、何も始まらないということなのだ。
しかし、福島に限らず、この国は、いまだ、変わることをおそれている。何かを終わらせることに逡巡している。いや、終わったものがあるのに、それを認めようとしない。
「民主主義」という言葉が、これほど連日のように“登場”した時代はあったのだろうか。
民主主義は終わったと嘆く大人たちがいる。終わったのなら始めようではないかと立ち上がる若者たちがいる。
継承されているような国家の価値観。それを終わりにしなければ、新しい国にはならない。
なにも「革命」を言っているのではない。価値観の一つの基準だ。
だから、それを「福島」で考える。
福島には、何かを始める要素はいくらでも生まれたのだ。
「福島からはじめよう」。そんな言葉を現知事は、確たる意味も持たず言い募っていた。何も終わらせていないのに。だからその「言葉」を僕は嗤った。
彼の時代は終わった。だから真の意味で福島が始まりの端緒となることを祈ったのだが。
国政にも大きな影響を与えるのが、次の知事選。沖縄。
沖縄と言う「島」では、住民たちが日々闘っている。沖縄はさまざまな意味で「戦いの、闘いの島」だ。
福島という「島」はどうか。闘っているのか。闘いを放棄した「島」か。決して語呂合わせのつもりで書いているのではない。
知事選の結果、何も終わったということが感じられなかったら、事実がそうであったら、再び、終わと始まりの“闘い”をしなくてはならない。
それは「終わり」を認識し、「始まり」の声を上げてくれる若者託さねばならないのだとしても。
福島の若者たちが、大人たちが“放棄”した、終わりへの道を、始まりへの道に一本の鍬を振り下ろしてくれることを願って・・・。
2014年10月26日日曜日
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