2014年10月5日日曜日

「県外処分」法案は出されたけれど

今日は早朝から町内会のクリーン作戦とやら。
もう寒い季節なんだな・・・。
ゴミ拾いからの連想で。

汚染土、30年以内に最終処分場は福島県外にするー法律は閣議決定され、国会に提出された。

特殊会社「日本環境安全事業」設置法の改正案。
「中間貯蔵開始後30年以内に福島県外で最終処分を完了するための必要な措置を講ずる」とされている。会社名も「中間貯蔵・環境安全事業」に改めた。
法制化するまで汚染土は施設に搬入しないという。

これで最終処分は県外でということが、しっかり「担保」されたと言えるのか。
まだまだ疑問は尽きない。

法律は時に応じていくらでも変えられる。お手の物だ。

現状に即したものに変えられる。役人たちの都合のいいように。
都合のいいものは、明治時代の法律だって、そのまま、現状にそぐわないのに放置され、適応されているのにだ。

野積のフレコンバッグ。仮置き場に置かれた。その量は増えている。山はより高くなっている。除染が進めば尚更。
それがある場所の県民は、大方が中間貯蔵施設の早期完成を了とする。

その施設建設の候補地の地権者はすなおに了とは出来ない。
土地の買い取り、借り上げ。一坪いくらの条件闘争のような側面も見える。
価格の基準をどこに置くかということでの。それに加えての賠償、補償も加味して。

住民説明会も遅々として進まない。

そんな中で「30年以内県外処分」だけが法律化される。スタートが無いのにゴールが決められるといった具合だ。
しかしだ。いったいどこが永久施設、処分場を受け入れるのだろうか。
どこも受け入れないと言ったら、国はどうするのだろうか。
たぶん、受け入れ先は見つからないと思うのだけど。
法律は出来たけど、実際は・・・ということになるはずだ。

パブリックとコミュニティー、そして個。そんな“視点”を考える。

県内にはさまざまな意見がある。多様な意見がある。

迷惑なものは嫌だ。嫌だけど致し方ない。だったら甘んじて受け入れよう。それが永久貯蔵になろうとも。だから、堅牢な、“迷惑にならない”ものにすべきだという意見もある。

原発事故被災県としての“犠牲を伴った覚悟”と言えるかもしれない。

昔からあった一つの考え。

パブリックを公共という言葉に置き換えよう。

「公の為には私を滅することが問題解決策だ。自己犠牲を伴った」。

そして民主主義という考えに立てば、「公」の意思決定は多数決ということになる。

コミュニティーではどうなるか。そこでの意思決定は全員一致だ。そこには建前と本心の葛藤がある。

個となればどうだ。

自分の家の近くに迷惑な“ごみ”がおかれるのは嫌だ。早くどこかに持って行ってくれということになる。

そもそも、その「ゴミ」をある日突然ばらまいたのは誰か、なぜゴミが生まれたのか。その「ゴミ」による迷惑を、どこまで共有できるのか。そんな問いかけは現実の前では無意味になってさえ来ている。

「迷惑なゴミをどうするか」。それを巡って、福島県は、ある意味“分断”に晒され、それぞれの“価値観”が錯綜するなかで、模索に疲れ切っているような空気。

一つの県に「異土」が出来ることをやむをえないとする空気。

まして「県外」となった時に、その当該地域が明示されたときに、その地の人たちは、自己犠牲を、価値観として受け入れることが出来るのだろうか。


法律化されることで、あらたな“苦悩”が生まれるかもしれないと言った皮相的考えだって成り立ちうるし。

なんにしろ、横たわる「30年」という数字・・・。

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