知事選の結果を知り、その票や投票率を見ながら、こんな言葉を思い出していた。
「変わらずに生き残るためには、自分が変わらねばならない」。映画「山猫」でアラン・ドロンが言っていたセリフ。
それを今の福島に当てはめればこうなるのではないだろうかとも。
「何かを変えるためには、自分が変わらなければならない」と。
県民の4人に一人は、佐藤雄平県政の継続を支持したということ。
「変わらない」という選択をしたということ。
投票率は過去2番目の低さ。45,85%。郡山市に至っては39,69%。
盛り上がりに欠ける選挙だったと言われる。盛り上がるとはどういうことか。
選挙に関心が無いという人が多かったということか。
たしかに、身近でも、選挙があることも、それが何の選挙であることも知らない人もいた。
誰がなっても同じだという人もいた。
民主主義というのは、選挙という方法でしか「民意」は反映出来ない。それが、投票率がいかに低かろうと、法定得票率に達していれば、県政のトップになれるということだ。
永田町では、自民も公明も民主も、皆、安堵していた。福島県は「原発」につての“発言権”を放棄したのに等しい。「目先」の事を優先させたのだ。
テレビのインタビューで内堀は言っていた。佐藤県政の継承と、国との連携強化を。
また一つの自治体が、中央の「出先機関」のような構図に嵌めこまれる。
その「民意」を「民度」を否定したって始まらない。だって、自分たちが変わることを良しとしなかったのだから。
原発は選挙の焦点にならなかった。復興や地域経済の伸長が必要なこととされた。
反でも脱でもなんでも、「原発依存社会」からの脱却という動きは、被災地で阻止された。
再稼働に力を与えるのか。反原発運動に影響を与えるのか。
中選挙区の時代から、福島は保守王国と位置付けられて来た。保守の意味するものが何であるかはともかく。
「3・11」後、原発被災者が、避難者が集まってきた郡山市。市と県との間には数多くの齟齬があった。
県は、県としての役割を果たしていたとはとても思えない。県を悪しざまにいう人も多くいた。
それらも3年と言う月日の経過とともに、「埋没」してしまったということなのか。国の意のままに動く県政の中で、県民は、生きる術を見つけて行かなければならない。
それは何を意味するか。あらゆることが国に収斂されるということだ。
無表情にテレビのインタビューによどみなく答え、その目からは何も読み取ることが出来なかった内堀。
その内堀が「自ら変わる」ことを選択するのかどうか。浸みこんだ官僚体質からはそれを望むことは適うまい。
何もいたずらに「変わること」や「変革」を求めているつもりはない。内堀の三分の一の得票しか得られなかった熊坂。
彼が何かを「変える」ことが出来たかどうかも不明だ。
現実的選択という民意。四分の一の。
俗に言う「しらけっきった」人達は、この得体の知れない「閉塞感」の中で、何を見つけようとしているのだろうかとも。
またまた“澱”のようなものが溜っていく・・・。
何かを手に入れるためには何かを捨てなければならない。そんな言葉に納得して、好きな趣味を大好きだった楽しみを、捨てては見たのだが・・・・。
2014年10月27日月曜日
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