2014年10月15日水曜日

「一過性」ということ

昨日、「台風一過」の「一過」と言う言葉に”敏感“に反応した。それは「一過性」という言葉、現象を連想させるからだ。

台風19号、やはり1Fには影響があった。高濃度の“汚染水”、セシウム25万㏃/1ℓが検出されたという。過去最高の値だという。
セシウム134、セシウム137、ストロンチウム、マンガン・・・。

これがどう影響を与えるのか。海に流れ込むのか、汲みあげられてタンクに貯蔵されるのか、“放置”され自然消滅を待つのか。

敷地内に高濃度の汚染水があるということ。それは、空中に飛散するかもしれない・・・そんな危惧。
構内で働く作業員たちへの影響だけは大きいだろうとも。素人の想像。

だから、台風情報の中で、このようなことを伝えるべきだったと。「直ちに影響は無い」としてもだ。

先週の18号台風でもそうだった。汚染水が検出されたと報道される。それが、その後どうなったか。どう処理されたのか。影響は・・・。どこも報道しない。

1F報道、それはまさに「一過性」のものになったような。

今週末、郡山では「B1グランプリ」という食の祭典が開催される。全国から二日間で4万人の人が訪れるという話だ。

なぜ食の祭典が郡山なのか。もちろん、うたい文句は風評被害を無くす、地域経済の活性化などと言うことだろう。支援という言葉もあったような。

すでにホテルは満室。土産物店などは売り上げ増を見込んでいる。

多くの人が郡山の今を見る。いいことだ。皆、普通に生活しているのだから。

東京の知人も、会社としてのボランティア活動に参加して、この“祭典”の手伝いにくると言ってきた。初日はゴミ拾い、翌日は受付係りだとか。

災後、郡山でも、大規模なイベントがさまざま開催されてきた。

来年はJR東日本のデステネーションキャンペーンがあるという。

人が来る、人で賑わう、多少なりとも地域経済が潤う。結構なことだ、有りがたいことだ。

でも、ちょっと立ち止まって考えたら、どれも「一過性」のことでは無いのか。
数日間での「儲け」はあても、それだけのことで終わってしまわないのか。

NHKの大河ドラマの舞台となった会津が、その年だけは観光客が戻ってきて、翌年からは観光客減少・・・。

地域起こし、町おこし。いわゆる、いうところの“復興”。「一過性」では何も解決しないと言うこと。

郡山の被災地と位置付けるなら、そこで行われる有効な事どもは、すべからく「持続可能」のものではないとならないのではと。「一過性」ではダメなんだと。

しかし、一過性で有ろうと無かろうと、何かをやることに意義があるとする考えもある。

報道も含めて、何もかも、いまこの国を覆っている空気は「一過性」のもののような。

一過性のイベントを、一過性のものを持続可能なものに結び付けられるのか。
それは「地方」の力量かもしれない。

論議を呼んでいる「地方創生」。本質はこんなところにあるような。

市を挙げてのビッグイベント、というか、多数の人が集まると言うこと。幹線道路は交通規制。各所で渋滞。それに「苦情」が出るかどうかも地方の在り方だとも。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...