2014年10月24日金曜日

時のすぎゆくままに

以前にもこの歌を引用したかもしれない。
沢田研二が歌っていた♪時の過ぎゆくまま♪にという曲。

阿久悠の作詞。その一節。
「からだの傷ならなおせるけれど、心の痛みは癒せはしない」。

「復興」という言葉や姿に出会うたびに、この歌が重なるのだ。

復興。確かに建物は復旧した。町並みは変わったが、それとても復興なのだろう。道路もなおった。

あれから3年半以上の歳月、時の経過・・・。

形あるものは復興にと進んでいるのかもしれない。体の傷は治ってきているのかもしれない。
しかし、汚れた土は・・・。大地と言う体は・・・。

福島原発。1号機の「解体」に向けた作業が始まった。そこからあらためて放射性物質が飛散するのかどうか。
解体して、核燃料を取り出さない限り「廃炉」にはむかえない。

そこには、「期待」と「不安」と「悩み」が錯綜している。
原発作業員の“被ばく問題”も然りだ。

「原発さえなければ・・・」。多くの人が思っている。

家族を亡くした。家族が離散した。子どもの“被ばく”に悩む人。ストレス。
未だに仮設に暮らす人・・・。

こころの傷を負った人。癒せない悲しみ、苦しみ。

仮に40年で廃炉が達成できたとしよう。その40年後、こころに傷を負った人達は、癒されているのだろうか。

癒されないだろう。その傷は時が過ぎゆく中で、ますます心の襞の中に埋め込まれていくのかもしれない。

いまだもって、福島をめぐり、原発とカネの事が言われる。あの地の住民に対してだ。

原発とカネと地元。そのある種の「負い目」とてこころの傷になっている。

眼に見えないこころの傷。痛手。誰が癒せるのか。自分か、他人か。それとも時の経過か・・・。

時々、「人間の復興」とか「こころの復興」とかを書く。県民に向けて書いているのか。いや、この国全部の人へという思いがある。

この地にいて、あの日に出会った。それなりの心の傷は残ったままだ。
癒すつもりもない。抱えていく。
心の傷は肉体にも影響する。それでも、それから逃れられない。

歌に託した冗談で紛らわすか・・・。♪傷だらけの人生♪と言って。
それとも♪時の流れに身をまかせ♪とでも唄えばいいのか。

昔の歌にこころ惹かれ、今を重ねる。それっておかしい事なのかもと思いつつ。

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