秋・・・。稲刈りが終わった。田んぼのあちこちには「セガケ」、あるいは「ハセガケ」の光景がある。
稲わらの天日干しだ。天日に干されたコメの美味さはまた格段だ。
2010年の秋。福島のどこにでもあった光景だ。翌年、そこにはまた水が引かれ、苗床が植えられ、実りの秋をむかえ、家族総出の稲刈りの光景があったはずだ。
おおまかに言う。20キロ圏内。そこにあった田んぼには、今、ただ黒いビニール袋だけが置かれている。行先の定まらない袋が積まれている。
人を失った、亡くした。思い出や生きがい、田園風景、放射能というやつにそれらは皆奪われた。
元の暮らしは取り戻せない。
福島県は県土が広い。だから一口では語れない。まとめても語れない。
どこに「福島」が存在しているのか。“悲劇”の福島が。
復興という言葉は、相変わらず福島についてまわっている。復興ということも、広い福島の中では、それぞれの人が思っているものが違う。何が復興なのかもわからなくなっている。
メディアの人の中には、当たり前のように使ってきた「復興」という言葉の無意味さを、県内あちこちを見てまわっているうちに気づき、“封印”をした人もいるし。
双葉郡八町村を除いて、多くが普通の生活を取り戻した。元の日常に戻った人は忙しい。日々の暮らしが。
忙しいと言う字は、心を亡くすということと同意語だ。忘れるということとも同意語だ。
「福島」があることは知っていても、よく知っていても、そのことを「忘れ」る。
県知事選が行われている。例えば廃炉については前候補が賛成だといい、それに力を尽くすと訴える。
待って欲しい。
廃炉はすでにその方針は決まっていること。いわば既成事実。
廃炉作業は誰がやっているのか。
1Fにいる作業員たちだ。その多くが地元の県民だ。廃炉を加速させるためには彼らの力をもってする以外に無い。
彼らは「守られて」いるのか。いない。
きのう、ALPSが報道陣に公開された。その後のALPSが。“整えられた”公開。
作業員に言及した知事選の候補者はいるのか。一部の県民が“不在”のまま行われているような知事選とも映る。
県外避難者は数多い。避難者も現住所はそこ。しかし住民票は人の住まないところ。不在者投票用紙が届く。選挙公報も届けられるはず。
居住していた町村から投票の呼びかけがある。
多くの人が言う。「知事選に関心は無い」と。
遠隔地にいる人達は忘れられているようだとも。
「福島」を覆っている空気。真っ暗闇のような現実。先が見えないと言う意味でも。
真っ暗闇に置かれた人に、パンや衣服を持って行っても、食べるすべも、着るすべも無い。必要なのは、蝋燭の灯だ。一条の灯りだ。それを“希望”と言うのなら。
新しい知事が一条の光、灯り足り得るのか・・・。
「福島」を忘れた福島県人。そんな“汚名”はきたくない。かぎかっこを付けた「福島」とは何を指すのか。わかってもらえるだろう。
「福島」という頸木から抜け出せないまま、また秋が過ぎて行くのか・・・。
2014年10月17日金曜日
“チェルノブイリ”異聞
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