郡山の知人を介して、なんと、子供の頃の隣の友達と連絡する機会を得た。
不思議なご縁だ。
小学校、中学校の同級生。初台の我が家の庭続きだった家。金子秀史という。
何時の頃か。彼は彼の一家は引っ越していった。
東京の三鷹に住んでいる。今は。
郡山の知人から電話番号を聞き、彼に電話。
「おお、けんちゃん!かい」って。
1時間余りか、電話で話し、いずれの再会を約した。
1時間、それぞれの消息、それよりも初台のことが多かった。街のこと、町並みのこと。
我が家が無くなっているのを、彼はたまたま見たらしい。
彼なりの「失われた時を訪ねて」の時間を持ったからか。
お互いに記憶にある子供時代の街のことを話しあう。記憶が抜けていることが、お互いの話しで“補完”しあう。
変わってしまった街の光景のこと。その中で“個人の思い”は埋没してしまっていた。
「街の復興とともに、個人の思いは封殺されて行く。他人事となって行く」。
被災地の誰かが言っていた言葉だ。消されて行くのだ。思い出や思いが。
境遇は違っているが、その言葉を思いだし、彼に伝えた。
円安だ、株高だ、金融の量的緩和だ。そんなことが日経のメールで立て続けに伝えられてくる。
日本経済はどうなるのか・・・。
それより今日の問題は、ガソリンだ。安売りデーだとメールでお知らせが来ていた。ガソリンを入れに行き、洗車、車内掃除機。クタクタ・・・。
たしかリッター147円だったような気がする。会員価格。
そのスタンドはドトールコヒーと併設されている。手を洗いに店内のトイレへ。
その中で流れていた音楽。自らの意思ではないが、どこかで“封印”していたような時の流れ。50年近いタイムスリップ。
過去への。
♪グッバイ ジミー グッバイ♪。昭和30年代にそこそこ流行っていた曲。
たしか、歌手はキャシー・リンデンと言ったか。
3拍子。比較的優しいコード。リズムもちょうどいい。テネシーワルツに似たような。
ジェームスディーンを偲んだ曲だと記憶している。
ドトールのトイレの中の懐かしい曲との“再会”。そこに居座るわけにはいかないが、その場を離れたくなかった。
「取り戻したような時」にずっと浸っていたかった。
今、回るにあることすべてを「忘れさせてくれるような」調べ。
音楽家が言っていた。
「歌は、歌われた瞬間に作り手から解き放たれ、どこか他のところに飛んで行く」。
そう、解き放たれて、今の時代の、あの頃を知っている僕のところに飛んできてくれたんだ。
“封殺”から“解放”されたような。
今朝の新聞の訃報欄で知った。テレビ朝日の先輩の死。小田久栄門。新潟訛りの抜けない人だった。
今の「報道ステーション」の前、久米宏の「ニュースステーション」を立ち上げた人。
ある種、テレビ報道の「革命児」だったかもしれなかった人。
20年以上も会ってないが、いまさら言ってもしょうがないが、彼に今のテレビをどう思っているかも聞いておきたかった。
邂逅もあれば、別れもあるんだよな・・・。
街だってそうだ。街もそう思っているのかもしれない。
東北は、福島は、「エデンの東」なのかどうか。
2014年10月31日金曜日
“チェルノブイリ”異聞
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